吉田初三郎 《箱根名所図絵》部分 妹尾含翠堂発行 印刷折本 大正6(1917)年頃 神奈川県立歴史博物館蔵

高性能カメラ搭載ドローンなんてなかった。飛行機に乗ったことなんてなかった。だって、100年も前の話だ。大正時代と戦前の昭和。なのに、まるで空を飛んで描いたみたいな絵地図を2,000点近く手がけたと言われる吉田初三郎(よしだ はつさぶろう/1884年-1955年)。鉄道が発達して旅のスピードが変わってきてこんな地図が必要だってわかってた。飛行機の時代も見据えていたし。その絵地図はかなり正確だけど、けっこうフィクション。だから見ていて楽しい。
そんな初三郎の展覧会を街歩きの達人でもある編集者の岡本仁さんと見てきた。

目的地がハッキリしているときにGoogleマップは便利だと思うのだが、そのエリア全体を把握するにはちょっとばかり不向きである。だからだいたいの旅先で、ぼくは観光案内所とかホテルのロビーなどで、紙に印刷された近隣の地図をもらう。

吉田初三郎 《箱根名所図絵》 妹尾含翠堂発行 印刷折本 大正6(1917)年頃  神奈川県立歴史博物館蔵

そもそも地図を眺めること自体も好きなのだ。前に『ぼくの渋谷案内』という40ページに満たない小冊子を作ったことがある。その表紙のために、京橋にある〈POSTALCO〉というショップのオーナーであり、プロダクトデザイナーでもあるマイク・エーブルソンに頼み、渋谷の地図を描いてもらった。理由はその何年か前に、彼が自分の店の近隣を案内する地図を顧客のために作っていて、それがとても良かったからだ。
締め切り日に送られてきたマイクの渋谷地図は、期待どおりの出来だった。彼の地図には彼の好きな場所しか描かれていない。例えば、東急本店やカレー屋のムルギーがあるのに、渋谷の大きなランドマークでもあるNHKがその地図にはない。全体のバランスも、国土地理院的な表現とは違っていて、渋谷駅やプラネタリウムがやけに大きい。さらに渋谷の周囲には山脈のように山が書かれている。国道246号線が、セルリアンタワーを越えてしばらく行ったところでその山並みに吸い込まれていくという、ユニークで愉快な地図だった。急にその地図のことを思い出したのは、府中市美術館で開催されている『吉田初三郎の世界』という展覧会を観たからである。

「Beautiful Japan 吉田初三郎の世界」会場にて。本コラム執筆者の岡本仁さん[特別に許可を得て撮影]

吉田初三郎のことはまるで知らなかった。大正から昭和にかけて活躍した商業美術家で、キミは絶対に好きだと思うからと推薦されたので、ぼくは府中に向かう。そして展示室に入るなり、なんだかニヤケてしまった。そこに展示されているもののほとんどが地図だったからだ。しかもおそろしくユニークな代物ばかりだったので、頬が緩むのも当たり前である。

吉田初三郎 《朝鮮大図絵》 元山毎日新聞社発行 印刷折本 昭和4(1929)年 個人蔵

吉田初三郎 《朝鮮大図絵》 部分

吉田初三郎が得意とした鳥瞰図は、正確で客観的な地形の描写とは違い、初三郎自身が見せたいもの、あるいはクライアントが見たいものを中心に据えて、思い切り歪ませ、スケールを無視した地図である。例えばそれが鉄道路線を紹介するために描かれる場合は、その路線が細部を無視して太い直線になる。あるいはクライアントが旅館であれば、その旅館は細密に描かれるのはもちろんだが、その大きさが、そのエリアの4分の1とか半分を占めることになる。

吉田初三郎 《霧島・林田温泉》 林田乗合自動車株式会社発行 ポスター 昭和10(1935)年 堺市博物館蔵

展示室で自分が行ったことのある土地の地図を探して、それをじっくりと観た。どこもきちんとした実地調査をしているのだというが、そもそもこの時代に、超高性能のカメラを搭載したドローンを使って撮った写真を資料にすることなど叶わないのだから、調査をした後は、ひたすら初三郎の想像力と創造力によって構想されたものであるわけだ。ところが、これがある意味、正確な地図以上に「よくわかる」のである。

吉田初三郎 《旭川市鳥瞰図》 肉筆鳥瞰図 昭和11(1936)年 堺市博物館蔵

吉田初三郎 《旭川市鳥瞰図》部分

眺めれば眺めるほどに、必要以上に緻密に描かれた細部をいくつも発見できて、初三郎が何を愛していたのかもわかるような気がしてくる。昼間なのに篝火を焚いた鵜飼の舟や、街路を走る自動車、海をゆく船、空を飛ぶ飛行機、温泉らしき建物は湯煙を上げているし、桜は満開である。あるいは地図の常識的な東西南北を無視して、例えば日本海を手前にした鳥瞰図などは、驚きも大きく面白い。

吉田初三郎 《料亭水月を中心とせる日田案内》 肉筆鳥瞰図 昭和3(1928)年 堺市博物館蔵

吉田初三郎 《料亭水月を中心とせる日田案内》 部分

吉田初三郎 《日本海中心時代来たる》 北日本汽船株式会社発行 ポスター 昭和8(1933)年 堺市博物館蔵

初三郎の鳥瞰図では見えるはずのないものが見える。例えば台北市の鳥瞰図なのに富士山が見える。他にも遥か遠くにハワイが見えるものさえあった。見えないはずのものが見えていることで、非現実的だと感じるよりは、むしろリアルだとさえ思わせる。どんどん初三郎の術中にはまっていく感覚。

吉田初三郎 《全国野菜主産地之図》 肉筆鳥瞰図 昭和4(1929)年 タキイ種苗株式会社蔵

吉田初三郎 《全国野菜主産地之図》 部分

どれか一枚だけ選べと言われたら、ぼくはどれにするだろうかと考えてみた。やっぱり《叡山頂上一眼八方鳥瞰図》かな。比叡山の頂上を中心にした景観を360°で描いたものだ。これこそ初三郎の頭の中にしかない風景。京都市街、大阪、遠くに高野山や淡路島、そして瀬戸内海。東側には琵琶湖、遠くには富士山が見えている。

吉田初三郎 《叡山頂上一眼八方鳥瞰図》 観光社発行 パンフレット 大正15(1926)年 個人蔵

2点ともに、吉田初三郎 《叡山頂上一眼八方鳥瞰図》部分

そういえば、最初の話に戻るが、マイク・エーブルソンが人に道を教えるために描かれた地図を集めて、小型の本を制作したことがあった。それらはたまたま道端で拾った紙に描かれたものだったり、実際に話しながら描いた走りがきのような、地図のルールを無視したものがほとんどなのに、当人同士はこれで充分に伝わっているのだなと思わせる。そこにこそ地図の本質があるのだ。初三郎の鳥瞰図を観ていると、人が地図に何を求めているのかを、直感として掴み取ることができる。ああ、楽しかった。

Beautiful Japan 吉田初三郎の世界

会期|2024年5月18日(土) – 7月7日(日)
会場|府中市美術館 2階企画展示室
開館時間|10:00 – 17:00[入館は閉館30分前まで]
休館日|月曜日
お問い合わせ|050-5541-8600(ハローダイヤル)
■会期中に一部作品の展示替えあり

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