雪舟といえば、日本美術の歴史の中でいちばん偉い人?! 今から500年以上前に中国にも行ったし、名作をたくさん残して、国宝になっている絵も多くて、「画聖」と讃えられています。でも、一つ一つの絵や書を見ていくと、そこにこの偉大な画家の人間臭さが見えてくると言います。長年、室町水墨画を研究してきた山下裕二先生に聞いてみました。雪舟のどこがすごいんですか? 雪舟はどんな人だったんですか?
聞き手=鈴木芳雄[編集者・美術ジャーナリスト]
——今回の展覧会は雪舟の真筆だけでなく、雪舟を手本とした後世の画家たちの作品も多数紹介することで、雪舟が日本美術史にいかに多大な影響を及ぼしてきたかということを掘り下げています。なので「雪舟展ではありません」というキャッチコピーが付いています。
僕はね、そんなことわざわざ言う必要ないと思うよ。これはまさしく雪舟展です。
——山下先生はずっと以前から雪舟を日本美術史上最高の画家であるとおっしゃってきました。それにはまず、国宝指定数の多さがありますね?
国宝6点の雪舟はダントツなわけです。2位は狩野永徳で4点かな。次が俵屋宗達と尾形光琳でともに3点ずつが国宝指定です。でもね、雪舟の重要文化財《四季花鳥図屏風》は僕に言わせれば当然、近い将来に7点目の国宝になるはずだと踏んでいます。
——今回の展示をご覧になって、どう感じられましたか?
全ての作品を過去に何度も見ていますから、今回はささっと見ようと思っていたのですが、時間が足りないと思ったぐらいじっくりと見入ってしまい、あらためて雪舟はすごい画家だと思いました。
特に、国宝《慧可断臂図》、重要文化財《四季花鳥図屏風》、国宝《天橋立図》がそれぞれ一つの壁に1点ずつ掛けられている、あの見せ方は良かったと思います。並列ではなく、他の絵が視野に入らない状態で鑑賞したい3点ですよね。
でも、雪舟の真価を分かってくれる人が少ないんですよね。単に絵が上手いというのを超えちゃっている人なんですが。
——雪舟のすごさをもう少し解説してください。
雪舟を僕はずっと前から「逸脱」と「乱暴力」というキーワードで語っています。この人は、他の画家がやらないようなこと、とんでもないことをやらかす人なんですよ。たいていの人は雪舟を禅宗的な水墨画のカテゴリーに押し込めようとするんだけれど、そんなおとなしい人では全然ない。雪舟は、まったくもって侘び寂びではありませんから。むしろ侘び寂びから最も遠い人なんだ。《天橋立図》も《慧可断臂図》も《四季山水図》も、めちゃくちゃパワフルで非常識な絵ですよ。
国宝の《山水図》なんて、なんでこの右下の山をこんなに真っ黒くするのか。これ見てくださいよ、遠景に水平のライン、松の垂直ライン、手前の山は斜め45度で真っ黒、奥は真っ白。それはもうモンドリアン*的と言っていいぐらいです。晩年になるにつれて、いっそう抽象画のようになっていきます。以前、東博で《山水図》が展示された時、僕は腑に落ちました。ああ、なんだ、雪舟はただここを黒く塗りたかった、白くしたかった、ただそれだけなのだと。何かを描き表したいという意識を超えているなって。もう亡くなられた日本美術史の大家、山根有三先生は「《山水図》のどこがええのか、さっぱりわからんのや」とおっしゃっていました。旧来の日本美術の価値観が骨身に染み込んでいる山根先生からしたら、理解不能な絵だったんですよ。でもね、「わからん」と素直におっしゃった先生のことを僕は大好きだったな。
*ピート・モンドリアン(1872年-1944年)。オランダ出身。本格的な抽象絵画を描いた最初期の画家のひとり。
《慧可断臂図》は特に逸脱しまくっている。切断した己の腕を差し出す慧可の耳が折れ曲がっちゃって。あんな絵、ほかに見たことありますか? 唯一無二の非常識さですよ。
——岩山や家屋の描き方はキュビスムのように見えてきます。そう考えると西洋美術を知っている人ほど雪舟のことがよく理解できるかもしれませんね? バロック、セザンヌ風、キュビスム、それから抽象。西洋美術史がたどった数百年を雪舟ひとりが実践しているようにも思えます。
その見方は面白いですね。雪舟は500年前にすでに20世紀の西洋美術を予見していたというわけか。雪舟は世界初の抽象画家だと思いますよ。
——先生にとっては非常識で逸脱した画家・雪舟ですが、「画聖」と崇められて、後世の画家たちのお手本になっていく。その様相をたどるのが今回の展覧会の骨子でもあるわけですが。
長谷川等伯や狩野派が雪舟のことを非常にまつり上げてしまった。最大公約数的に絵が上手い人、という誤解をみんなに植え付けてしまったわけで。あまりにも神格化されてしまい、むしろ逸脱したところが雪舟の面白さなのに、その部分がほとんど伝わってこなかったという歴史があります。狩野探幽も雪舟を非常に持ち上げていますが、探幽は雪舟と真逆で、おとなしい画風の人なんです。今回、探幽の作品がいかにただ真面目な絵か、ということが露見してしまいましたね。探幽は自分にはない資質を雪舟の中に見ていたからこそ、憧れたのかもしれません。
——いくつか必見の作品を挙げていただけますか?
一番有名な雪舟の絵といえば《秋冬山水図》ですね。これがなぜ有名になったかというと、1969年に第一次国宝シリーズの切手になったから。しかも教科書や美術書にもよく載っています。なぜかというと、絵の縦横比が出版物の判型にちょうどいいんですよ。だって《山水長巻》なんて横長すぎて載せられないじゃない? 意外とそんな単純な理由で選ばれた絵が結局は世の中に流布していくわけです。
それから《四季花鳥図屏風》ね。これは長らく「伝雪舟」と評価されてきましたが、1990年代初めに発刊された講談社の『日本美術全集』にこれを載せるとき、僕と同じく雪舟研究者の島尾新さんとのふたりの責任で「伝」を取り、雪舟真筆として認めたんです。それ以前は否定的な意見を言う研究者も多かった。一つにはこれが花鳥図だから。雪舟イコール山水画家なのだと言う思い込みがあまりにも強すぎる傾向があった。それって、雪舟の本質を全然分かってないと思う。《山水長巻》も墨一色ではなく、色を使っていますからね。
——そこには雪舟は画僧、つまりストイックなお坊さんであり、侘び寂びを背負った絵師であってほしいという、見る側の勝手な願望が働いているのでしょうか?
そうだと思います。でも身分としては禅僧ですが、要するに御用絵師ですからね。また、のちに江戸時代を通じていちばん有名だったのは伝雪舟の《富士三保清見寺図》。これも墨一色で、極めてわかりやすい。「これぞ雪舟だ!」とお手本にされ、この富士山の絵のフォロワー作品はたくさんあります。しかし雪舟の本質からは遠い絵だと思います。
あと、雪舟が夏珪や玉澗など中国画家の作風を模した連作が並んでいたのは良かったですね。フリーハンドで描かれた団扇形の枠がヘロヘロなのが雪舟らしい。こういう曲線をきれいに描くのは苦手だったんだろうと思います。
——雪舟は明に渡って本場の中国絵画を見ていますよね。それなのになぜ逸脱した絵を描くようになったのでしょう?
だってその当時の明の宮廷画家がめちゃくちゃな絵を描いていたから。彼らは浙派と呼ばれる浙江省出身の職業画家でしたが、南宋時代の繊細な画風に比べて“狂態邪学”と非難されたほど、粗放で乱暴な絵を描いていたんです。たとえるなら、印象派を学ぼうと渡仏したら、アクションペインティングが流行っていた、という状況でしょう。狂態邪学な絵を見て雪舟は「これでいいのだ」と思ったわけです。
——雪舟はどんな人だったと思いますか?
子どもがそのまま大人になったような無邪気な人だったと思いますよ。たとえば《破墨山水図》の賛(絵に書き添える詩や文)の下段・真ん中あたりに雪舟が「入大宋国」と書いているわけですが、「入」の字がもう、太くて大きいの。「俺は(水墨画の本場である偉大な国)中国に行ったんだぜっ!(雪舟が行ったときは「宋」ではなく「明」だが)」って誇示したいわけ。こういうところに雪舟の人間臭さが表れていて、面白いなぁと思います。
——とかく「国宝指定がいちばん多い偉い画家」とか「墨一色の水墨画家」という見方だけで語られがちですが、「逸脱」や「乱暴力」にも目を向けてほしいということですね。また、西洋美術史も一つの補助線とすることで、新しい見方ができるかもしれません。
僕はもう雪舟は見尽くしてきたと思っていたのですが、久々に実物と対面し、こうして話していると、心底すごい画家だなと再確認しました。
会期|2024年4月13日(土) – 5月26日(日)
会場|京都国立博物館 平成知新館
開館時間|9:00 – 17:30 ※入館は閉館の30分前まで
休館日|月曜日
お問い合わせ|075-525-2473(テレホンサービス)
■後期展示:5月8日(水) – 5月26日(日) [一部作品は左記以外にも展示替]
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