手前から、竹村京 《修復された C.M.の 1916 年の睡蓮 》 2023 – 2024年 作家蔵
クロード・モネ 《睡蓮、柳の反映》 1916年 国立西洋美術館蔵 松方幸次郎氏御遺族より寄贈(旧松方コレクション)
「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?——国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」展示風景

現在、東京・上野の国立西洋美術館で開催されている「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?──国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」は実に野心的な企画展だ。同美術館の母体となった松方コレクションには「日本の若い画家たちに本物の西洋美術を見せるため」膨大な数の美術品を収集してきたという歴史がある。その当初の目的が現在も成されているかを21組の国内の現代美術作家との“コラボレーション”によって自問するというこの展覧会は、同時に国立西洋美術館のみならず、「美術館のあるべき姿」を我々に問いかけもするだろう。この実験的な展覧会を通じて21世紀も四半世紀を過ぎゆく現在に相応しい美術館とは何かを藤原ヒロシと考える。  

 

聞き手・文=鈴木哲也[編集者]

——この企画展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?——国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」は、国立西洋美術館がこれまで日本の美術環境、なかでもアーティストの育成にどのような影響を与えてきたか、そして、その将来へ貢献しうるのかということを自ら問うべく、日本国内の現代美術作家たちへ参加を呼びかけ実現した非常にユニークな展覧会となっています。いかがでしたか?

面白いアイディアによる展覧会ですよね。個人的には、西洋美術館が収蔵するクロード・モネの《睡蓮、柳の反映》を使った竹村京さんの作品が好きでした。ただ一方で、西洋美術館に今回の展示によって若い日本人アーティストへ発表の場を与えようという意図があったなら、それは必要ないと思うんですよ。美術館はアーティストをサポートするようなことはしなくて良い。そういうことはアーティストに惚れ込んだパトロンがすれば良いのかな、と。これは美術館だけでなくて、もっと社会全般に言えるというか、例えばファンドなんかを組んでアーティストをサポートするというのも好きじゃない。「頑張っているアーティストを応援しよう」とか「日本はもっとアーティストを育てないといけない」みたいな発想で、アーティストをサポートするべきではない。何か社会のためになることをしているかのように、「アートを盛り上げましょう」みたいなのことをするのは、僕は嫌いです(笑)。アートってもっと個人的なもので良いと思う。また、今回の展示は西洋美術館が日本のアーティストに出品を依頼したということですが、美術館というのはすでに存在する作品を自分たちの視点でピックアップするだけでいいのかもしれない。というのも、そうした “依頼“ や “お願い” なんか無視して、自分のやり方を貫こうとするのが、アーティストという人たちでしょう。アーティストなんて、みんな “猛獣” みたいなものなのだから、そこは、あまり無理をしなくてもと思ってしまう(笑)。ただ、逆に言えば、この展覧会によって改めて「国立西洋美術館」とは何なのか、そして、僕はそこに何を求めているのかということを考える機会にもなったと思います。

左から、2点はいずれも 杉戸洋 《untitled》 2017年 個人蔵
モーリス・ドニ 《ロスマパモン》 1918年 国立西洋美術館蔵 松方コレクション
「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?——国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」展示風景

——藤原さんが西洋美術館に求めているものとは?

やっぱり、現代美術というよりはモネやゴッホといったクラシックな “西洋美術” をしっかり見せてくれる場所であってほしいというのがありますよね。テート・モダンやグッゲンハイムとは違う立ち位置であって欲しいというか。まあ、そういう意味では、美術界全体で “現代美術” とは、いつからいつまでの作品を指すのかを明確にしてほしいとも思うんです。だって、さすがに1980年代の作品も2020年代の作品も同じように “現代美術” とか “コンテンポラリーアート” といった呼び方で一つに括るわけにはいかないでしょうし。それで、例えば「ウォーホルの1960年代の作品は、もうクラシックです」となれば、そのタイミングで西洋美術館が扱うものになるというふうになれば良いんじゃないですかね。

—— “モダン” 、“コンテンポラリー” と呼ばれていた作品が、時を経て “クラシック” になる瞬間を決定するのも美術館の役目ではないか、ということですね。

そうです。僕はスイスのバイエラー財団美術館が好きなんですよ。建物が綺麗だし、ライティングも綺麗で「良い空気が流れている美術館」という印象で。それで、そこはモネやアルベルト・ジャコメッティといった19世紀末から20世紀前半の作品のコレクションで有名なんですが、ゲルハルト・リヒターなんかも収蔵しているんです。だから、さっきの話の続きで言うと、このバイエラー財団美術館でも今後、グラフィティーとかストリート・アートの展示も始めるのかどうか、気になるところです。

——「好きな美術館」といえば、藤原さんは最近アブダビのルーヴル美術館=ルーヴル・アブダビに行かれたということですが、いかがでしたか?

アブダビにルーヴルが出来たというのは、前から知っていたのですが、先日、たまたまドバイに行く用事があって、ドバイからアブダビまでってクルマで1時間くらいの距離なんですよね、それで、ついでに寄ってみたという感じですね。行ってみて、まず気になったのは建築が……、僕は最近の美術館の建築スタイルが好きではないんですよ、フランク・ゲーリーみたいなのが苦手で(笑)。ルーヴル・アブダビを設計したのはジャン・ヌーヴェルだったかな。そして今、それこそフランク・ゲーリーの設計で、凄くきらびやかなグッゲンハイムがアブダビに建設されていて、他にも大英博物館との共同プロジェクトになるザイード国立美術館も建設中で、アブダビに “巨大ミュージアム村” が出来つつあるんですが、どれも僕には派手すぎて(笑)。美術館って建物は地味にしておいた方が中身が際立つんじゃないかなと常に思ってしまうんですよ。まあ、でも、それはあくまで僕の場合であって、そうした建築も含めて美術館という場所が好きな人がいるというのもわかるんですけどね。

上からルーヴル・アブダビ外観、内観 Photos/ Hiroshi Fujiwara

——ルーヴル・アブダビの展示についてはどんな印象でしたか?

入口を入るとまず、古代エジプト美術が展示されていたんですが、それが、アブダビという中東の地にあるミュージアムにふさわしく感じられて、展示にすんなりと入っていけたのが印象的でした。その古代美術のコーナーを過ぎるとその先の時代ごとの美術作品が展示されていて、最後はサイ・トゥオンブリーの部屋に辿り着くわけですが、広々としていてとても見やすいミュージアムでしたね。また、ここで「ミュージアムというのは “博物館” という意味でもある」ということを思い出しました。これはルーヴルだけでなく、大英博物館なんかもそうですが、実際に行ってみると、そこで開かれているのは “博覧会” という雰囲気を感じるんです。

Photos/ Hiroshi Fujiwara

——外来語を日本語に訳したために、その本来の意味が不確かになってしまうことは往々にしてあります。美術の場合で言えば、先ほどの「いつの作品からが “現代美術” の範疇か」というのも、“コンテンポラリーアート” を “現代美術” と訳したことで、日本国内においては余計にその定義が不明瞭になっているのかもしれません。

それもそうですし、話を戻せば美術館というのはミュージアム・オブ・アートの日本語訳でしょう。だから、“美術作品の博物館” というのが美術館の正しい認識なのかもしれない。そう考えると、僕らが美術館に求めるべきものが、また違って見えてくるかもしれませんね。

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ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?──国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ

会期|2024 年3月12日(火) – 5月12日(日)
会場|国立西洋美術館
開館時間|9:30 – 17:30[金・土曜日、4/28-29、5/5-6は9:30 – 20:00]入館は閉館30分前まで
休館日|月曜日、5/7(火)[ただし4/29(月・祝) -30(火)、5/6(月・休)は開館]
お問い合わせ|050-5541-8600(ハローダイヤル)

ルーヴル・アブダビ[アラブ首長国連邦]

開館時間 | 10:00 – 18:30[金・土・日曜日は10:00 – 20:30]
休館日 | 月曜日

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編集者・美術ジャーナリスト

鈴木 芳雄