川島秀明 《Guide》 2023年 ©Hideaki Kawashima, Courtesy of Tomio Koyama Gallery Photo/ Kenji Takahashi

川島秀明の6年ぶりとなる個展「Stream」が開催中だ。妖艶で少し憂いのある独特の人物像で知られる人気アーティストだが、近年、その心境と作品に大きな変化が訪れているようだ。20代に仏道修行をして僧籍を取得したユニークな経歴の持ち主。彼の人生を揺るがしたターニングポイントとは?

自分自身の涅槃図を

川島秀明の6年ぶりの個展の案内を受け取ったとき、新作のひとつが、これまでの作風と大きく異なっていたので意外な印象を受けた。目にまぶしい新緑の木々をバックに、少女に手を引かれて行くやや前屈みの男の後ろ姿。ロマン派の絵のごとく、彼らに誘われて、観る側も大画面の景色に吸い込まれていく。活動の初期には、耽美な表情が際立つデフォルメされた顔の絵を、近年は、大きな瞳をもつ少しアンニュイな人物画を多く描いてきた川島だが、こんなにも清々しい自然の風景を描くのも、表情の見えない人物を描くのも初めてのことだ。

川島秀明 《soak》 2004年 高松市美術館蔵 ©Hideaki Kawashima, Courtesy of Tomio Koyama Gallery Photo/ Yoshitaka Uchida ■本展には出品されておりません

新境地とも言える新作《Guide》は、川島が近年親しくしている友人夫妻とその娘さんとのつき合いの中から生まれたものだという。

その子のママが家で開いている書道教室に僕が毎月通っていて、お稽古の後は一家と一緒にご飯を食べたり、子どもと遊んだりしています。ある日、近所の庭園で、3歳だったその子が僕を導いてくれている様子をママが撮っていて、いい写真だったから、いずれ絵に描こうと温めていたんです。[川島] 

撮影は2021年の5月頃。同年の1月、川島の父親が亡くなったことも、写真が琴線に触れた理由のひとつだった。

年老いた父親が死んだことと、この子がしゃべり始めたこととが入れ替わるような錯覚を覚えて、僕がちっちゃい手に引かれていく様子も不思議な感じで、強く印象に残ったんです。

それから2年後、川島はそのイメージを、子どもに導かれて黄泉の国へ向かう死者の姿として絵に描いた。しかし、死者は父でなく川島自身で、これは「自分の涅槃図」だという。なぜなのか。
きっかけは、親しくしてもらっていた10歳歳上のアーティスト、桑原正彦が2021年に他界し、翌年のお別れの会で配られた小冊子で彼の遺作を目にしたことだった。

桑原正彦 2021年 未完 ©Masahiko Kuwahara, Courtesy of Tomio Koyama Gallery ■本展には出品されておりません

それは、幕が下りてきて階段を上っていく、死期を悟ったような絵に僕には見えました。これは桑原さんの涅槃図だ!と、とても感銘を受けて、僕も早く涅槃図を描いておきたいと思ったんです。父の死から間もないこともあって、桑原さんの絵を見たとき、死がはっと我が事のように感じられた。いずれ自分は死ぬんだと頭ではわかっていたのに、それをはっきりと自覚できたのは初めてでした。

仏教においては、お釈迦様が亡くなる様子を描いた涅槃図は、すべての煩悩の火が吹き消された悟りの境地を表している。川島は26歳の時に比叡山の延暦寺に入山し、2年間の仏道修行を経て僧籍を得た身だ。その彼が自分の涅槃図を描くというからには、よほどの思いがあったのだろう。しかし、彼が口にしたのは苦悩する画家の正直な気持ちだった。

人はいざ死ぬとなったら、だいたいのことはどうでもよくなるじゃないですか。僕も、自分は死ぬんだと覚悟が決まると、もうどうだっていいじゃないか!と思えた。すると、これまで自分の絵はこうだと勝手に決めつけていたけど、そういう屈託や枠のようなものもどんどん取り払っていこうという気になった。どうせいつかは死ぬんだし、なにやったっていいだろうってね。

実際、この絵の制作も、使い馴染んだアクリル絵具ではなく、コロナ禍以降格闘している油絵具を使い、しかも未知のイメージを描くというので不安が大きかったが、描きたいという気持ちにまず従った。

えいっ!てやっちゃった感じ。どう着地するか予想できないから必死で、ひさしく忘れていたペインターズハイの没入感が得られました。以前は、個展のたびに人の評価が気になっていたけど、今回は、もうどう思われたっていい!って、そのハードルさえも超えられた。

達観で開けた自由な表現

そうして勢いづいた心のあらわれか、今回の個展は、会場全体がなにかふっきれたような解放感に包まれていた。出品作は人物像がほとんどだが、題材や構図は多岐にわたり、自由な遊び心が溢れている。
たとえば《Girls》は、群像を描こうと思い、たまたま目にした同じ顔つきのK-POPグループにインスパイアされたもの。黒澤明の映画「生きる」で歌われた「命短し恋せよ乙女」という歌と少女の儚さや愛おしさを重ね合わせている。

川島秀明 《Girls》 2024年 ©Hideaki Kawashima, Courtesy of Tomio Koyama Gallery Photo/ Kenji Takahashi

《Cool Guy》《Smart Guy》の対となる2点は、「裸一貫で成り上がったクールガイ、矢沢永吉と、すべてを持てるうさんくさいスマートガイ、マーク・ザッカーバーグを対比させた」ものだ。

川島秀明「Stream」展示風景 左から《Cool Guy》、《Smart Guy》 いずれも2023年 ©Hideaki Kawashima, Courtesy of Tomio Koyama Gallery Photo/ Kenji Takahashi

萬鉄五郎や黒田清輝、佐伯祐三ら、日本の近代洋画家達の絵を参照した作品も興味深い。

昔、古くさいと思っていた日本の洋画をパロディっぽく取り上げてみたけど、そこにたいした意味はない。観る人にとってフックがあると入りやすいかなと思って、やってみました。

ポップカルチャーや時代のアイコン、著名な美術作品を取り上げる一方で、キリストの磔刑図や涅槃図のような宗教的な題材も潜ませている。

川島秀明 《Kumo》2021年 ©Hideaki Kawashima, Courtesy of Tomio Koyama Gallery Photo/ Kenji Takahashi
萬鉄五郎の《雲のある自画像》を参照した一作

萬鉄五郎 《雲のある自画像》 1912-13年 岩手県立美術館蔵 ■本展には出品されておりません

川島秀明 《Painter (Masahiko Kuwahara)》2022年 ©Hideaki Kawashima, Courtesy of Tomio Koyama Gallery Photo/ Kenji Takahashi
佐伯祐三の《立てる自画像》(1924)を参照して描いた、故・桑原正彦の肖像画

川島秀明「Stream」展示風景 左から《Nobe》2021年、《Clover》2022年 ©Hideaki Kawashima, Courtesy of Tomio Koyama Gallery
黒田清輝の《野辺》(1907)を参照しつつ(左)、さらにキリストの磔刑図や涅槃図のイメージを重ねた(右)

《Beg》は、ノンフィクション本『物乞う仏陀』の衝撃的な内容に触発され、自分がインド旅行で出会った物乞いの子ども達を聖人像に重ねて描いた作品だ。

仕草があると言葉や意味が派生する。以前はそうした要素は避けて、顔だけにフォーカスすることで情緒的なものを描きましたが、今は言葉からイメージするものも描いていこうと思っています。

川島秀明 《Beg》2022年 ©Hideaki Kawashima, Courtesy of Tomio Koyama Gallery Photo/ Kenji Takahashi

自意識過剰だった悩み多き思春期

以前に感じられたストイックな気負いは消え、ひと皮剥けたように自然体で前向きな川島だが、そうした達観の境地にいたるまでには長い葛藤の時期があった。振り返ると、アーティストになる以前から紆余曲折のある道筋を辿ってきた。
もともとマンガを描くのが好きだったが、ストーリーが書けず、80年代に“ヘタウマ”と注目された湯川輝彦らのグラフィックやフランチェスコ・クレメンテやジャン=ミシェル・バスキアらのアートに感化されて、美大を目指すことにした。高校時代は、好きなYMOを真似て中華雑貨屋で買った人民服にわざわざ着替えて予備校に通う、自己主張強めの目立つ存在。当時、母親に勧められた『金閣寺』を読んで三島由紀夫に心酔し、進学した美大では三島の影響が濃い自画像を描いて、自らエキセントリックなキャラクターを演じていた。

美大在学中に描いた自画像と川島本人。この頃、三島由紀夫に心酔していた。1990年

ちょうどバブル経済末期に思春期を過ごしたモラトリアムの世代。川島曰く、

当時は自分に執着する“我執”こそがかっこいいと思われていた。だから反抗的で過激なものに惹かれていたんだと思う。

しかし、バブルがはじけた卒業後はアーティストとしての自立も適わず、20代は自分探しを続ける日々。「なにか新しいことを始めたり、新しい居場所が欲しくて」一般公募枠で比叡山に入山するが、組織の活動が性に合わず、結局僧侶になることは断念。下山後は草薙凜の名前で、有馬かおるが主宰するオルタナティブスペース、キワマリ荘や雑貨屋といった場所で僧侶キャラのイラストなどを細々と発表していたが、予備校時代の恩師、奈良美智の展覧会準備のアシスタントを務めたことから、縁あって、小山登美夫ギャラリーでアーティストとしてデビューした。
恵まれたラッキーな境遇だが、そこからまた苦難の道は続いた。

幸か不幸か、どさくさにまぎれてアート界に入ったから、最初は美術のことがわからなくて、一定の人気が出た作風を期待通り繰り返していくのが作家なのかと勘違いしていました。若い頃に絵の勉強や鍛錬をしていないので、絵のこともよくはわかっていない。2000年代に描いた顔の絵は、絵画的な要素をわざと避けて単純にしていた面もあります。でも、単純にするとやがて行き詰まる。話がくれば描いてと忙しくするうちに、何も考えなくなり、止まるべくして止まってしまった。

一度美術の世界を出ている人間だから、今さら王道に戻れないというコンプレックスもあったし、根拠のない足かせを自分自身にもはめていた。

今にして思うと、やっぱり自分で自分をこういうものだと規定しているところがあった。アートの世界では定義しやすいスタイルで立ち位置が決まるから、川島はこういう作風の作家だと人にいわれると、自分でもそうなのかなと思い込んでしまう。それを自分で内面化してしまい、ずっとそのまま制作を続けていたのかなと。

今でもコンプレックスは根深くあるが、涅槃図を描いて以降、不要な心の枠がとれて、下手でも出してしまおう、安っぽさはむしろ自分の味だ!と開き直ることができた。その結果、絵画ともようやく真面目に向き合えるようになり、今はもっぱら美大時代につまずいた油絵に再挑戦している。

油絵具は乾くのに時間がかかるので、絵に対して距離が生まれて、冷静になれるんです。これまでムードのあるフワフワした色合いは描けなかったけど、油絵だとやりやすい。自分に酔えないタイプだから、グルーヴ感のある線は今でも恥ずかしくて描けないですけどね(笑)。まあ、これからでしょう。

河の流れに身を任せて

個展にはもうひとつ、展覧会名にもなった《Stream》という大作が展示されている。これも知り合い夫妻の娘さんが公園の水辺で佇むスナップ写真が元にあり、その写真から想起された鴨長明の『方丈記』の一節を重ねて、前途ある子どもが此岸から彼岸を見つめる情景を描いた。人の人生は流れ続ける河の中に消えては現れる泡のようなもので、決して思い通りにはいかないと説いた長明の無常観は、今の気持ちと響き合っている。

川島秀明 《Stream》 2023年 ©Hideaki Kawashima, Courtesy of Tomio Koyama Gallery Photo/ Kenji Takahashi

もともと仏教に関心をもったのは、自分はひとつの煩悩のかたちで、自分というものは実在しないという話を読んだことがきっかけです。仏教の縁起という考え方では、自分は他者との関係性の中にしか存在しない。たしかにそうで、自分でこういう絵を描こうと思って始めても、あとは絵とのやりとりになって思い通りにいかず、自分というものは絵との関係の中でつねに変わっていくんです。そう考えると、これまで自分が自意識に苦しめられてきたのも、世の中の制度自体を内面化しすぎて、無理に自分に一貫性をもたせようとしていたからじゃないかなと思いいたった。そこも外していいんだと思えるようになって、ようやく自分の作品はこうあるべきだという考えがなくなりました。だから、今は自分が描きたいものがなんなのかも深く考えないし、これがいいなと思ったら、素直に反応して描いている。人は言葉にしばられやすいから、理屈をつけると、その言葉にまた自分がしばられる。それは仏教が戒めている、言葉という煩悩にまみれた世界なんです。

この数年、コロナ禍もあってか作品が予想外に売れたことも、心境の変化をもたらしたそうだ。

良くも悪くも自分の力で何かをコントロールすることはできないと悟って、信心深くなりました。自分で主張するより他力本願で仏にお任せし、あとはいきあたりばったりで流れていこうと。まさに南無阿弥陀仏という気持ちです。コロナ禍で統計に右往左往する世間の反応を見ていると、なにかをコントロールしようとしすぎているようで違和感を覚えます。社会のシステムの中にいる人みんながそれを内面化しているから、おかしくなっていく。人はみんな違うのだから、公園を散歩したときの清々しい気分とか、言葉にしようがないそれぞれの感覚を基準にすれば、世界も変わっていくんじゃないのかな。

愚直に奮闘した末に、軽やかに自我を手放した川島の言葉は、等身大の生身の人生が感じられるからこそ、聞く人の心にも響く。

自分を含め、歳をとった人が信心深くなるのは、ここまで生きてこられた人生の不思議さを何度も経験し、なにかに導かれているように感じられるからじゃないのかな。

結局、加齢ですよと笑いつつ、それでも飲酒癖はなおらないだろうし、自分は「掃き溜めに鶴」であり続けたいという川島に、いまだ自意識過剰気味の同世代としては、心から敬意を表したい。

川島秀明[かわしまひであき]
1969年、愛知県生まれ。1991年、東京造形大学卒業後、1995年から2年間、比叡山延暦寺での仏道修行を行う。2001年、アーティストとしての制作活動を開始し、以後、国内外の展覧会で作品を発表している。
主な個展は「Stay Still」(Richard Heller Gallery、アメリカ、2023年)、「youth」(小山登美夫ギャラリー、2018年)、「Wandering」(Kukje Gallery、韓国、2009年)。参加した主なグループ展は、「Japanese Experience Inevitable」(ザルツブルグ近代美術館、オーストリア、2004年)、「ライフ」(水戸芸術館、2006年)、「アイドル!」(横浜美術館、2006年)、「Little Boy」(村上隆キュレイション、ジャパン・ソサエティー、ニューヨーク、2006年)など。

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川島秀明「Stream」

会期|2024年3月23日(土) – 4月20日(土)
会場|小山登美夫ギャラリー六本木
開廊時間|11:00-19:00
休廊日|日・月曜日、祝日

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編集者・美術ジャーナリスト

鈴木 芳雄