美術史の豊かな知識を土台にして、当代一の画力を武器にどこにもない絵を生み出す。そんな人気画家、山口晃ガハクは夫婦揃って食いしん坊。日常で、旅で、制作中の日々で、散歩の途中で何を食べてるの? ガハクが日常を描くコミックエッセイ『すゞしろ日記』に「カミさん」として登場するガハク妻による食事帖。 おっと、糖質と脂肪と塩分が手を組んで誘惑してくる… これはポテトの話です。  

 

絵/山口晃

わが家で作るその料理を仮に「△△ポテ」としておこう。

おそらく多くの人が大好きで、時おり無性に食べたくなってしまうポテトチップス。ついつい手が止まらなくなり、簡単に一袋が空に・・・身に覚えがないでしょうか? スーパーマーケットやコンビニの棚にはずらりと陳列されていて味もメーカーも多様、いかに世の中で親しまれているのかが推測できる。

「いってみれば脂肪と塩だしね。薄いイモのスライスに染み込んだ油を味わっているという感じかな。そこに塩がふりかけられてしまえば、もう人が欲する要素の集結だから思考もマヒするよ」
食に関しては健康志向の高い山口ヒゲ画伯こと夫(以下ガハク)だが、ご多分にもれずポテトチップスは大をつけてよいくらいに好きなようだ。さらに談義が続く。
「脂肪分にさ、こう、ほんの少し塩が加わるともう、飛躍的においしくなっちゃうわけ。ナッツとかもそうでしょ。塩をつけると際限なく食べられる」
(そうか、だからわたしがせっかく無塩の素焼きナッツを用意しても、ガハクは必ず小皿に塩を盛って添えているのだな)

危険なまでに人を引きつけてやまない、ちょっと悪魔的であるポテトチップスを、自制することなく家で心おきなく食べてみたい!というガハクの希望で作ったことが始まりだった。
なので、最初はおやつ的に、ポテトチップスを模していた。ジャガイモをできるかぎり薄く切り、揚げ物用の鍋がないのでフライパンにやや多めにオリーブオイルをひき、いわゆる“揚げ焼き”の方法をとる。(*ここでなぜオリーブオイル使用かというと、こだわりなどではなくて、使うならオリーブオイルかごま油、と以前医者に言われたことがありそれしか家になかったため。ごま油だとちょっと違うかな、と)
単にジャガイモを切って火を通すだけというシンプルな手順であるのに、どう出来上がるか期待と不安が入り混じり、子どもが初めてのおやつ作りをしているかのようにどこか恐々としながら作業を進めていった。
しかしながら元来が最強の組み合わせによる一品なので、想像以上にものすごくおいしいものになった。外側は「カリッ」とまではいかないものの固く、内側は自前でカットしたゆえの厚みのせいでほわっと仕上がりジャガイモらしさを感じさせ、オリーブオイルゆえのクセのある風味で手作りっぽさがより強調されている。
「うまい! 化学調味料もなしで油も新鮮で、何がどう転ぼうとおいしくならない訳がない」
無論、ガハクは大満足。「また作ろう、作ろう!」というノリになった。

その後、どこかでガハクが仕入れてきたクリスピーに揚げるコツ、「油に入れたままにせず、こまめにすくい上げて空気にさらす」という方法も取り入れたりして、ポテトチップスに重要なカリカリ度も増した。
「この香ばしさがいいねー。あつあつが食べられるのもいい」
天ぷらなど揚げ物の好きなガハクにとっては最高のおやつだろう。
自宅で楽しむ作りたてのポテトチップスもどき。そのまま進化を遂げていくのかと思われ、味も上々だったのに、おやつとして定着せず長続きしなかった・・・のは、“とにかく面倒くさい”のだ。

ジャガイモを包丁で(ピーラーだと作業は容易だが好きでない)こまこまとむいて、切る。それも薄く。
それから下ゆで。塩の入った熱湯を捨ててザルにとる。ヤケドの危険。

フライパンに油を多めにたぷたぷと注ぐのも、微妙にもったいない。
フライパンを傾けてイモの上がり具合を観察する・・・などやっていると、それなりに疲れてしまうのだった。フルタイムで仕事をしていれば、家事のたまった休日に悠長にフライドポテトのおやつなど作っている場合ではないだろう。
結局3回ぐらいしか作らなかったかもしれない。
おやつポテトは溶けた氷が水蒸気になるかのようにわたしたちの生活から消えていった。

そして数年が経過。されどガハクが大好きな揚げたジャガイモ。
ある時、ワインに合わせる献立に困り「何がいいかな?」と相談したところ、ガハクが以前読んだという、食通で知られる某作家の著書の中に「フランスのレストランにて、シャンパンに一番合うものを、とシェフに頼んだら大量のフライドポテトが供された」というくだりがあったと聞かされた。
この件にガハクはいたく共感したようで、
「やっぱりね、酒にはイモ類が合うんだよ。日本酒にサトイモの煮っころがしとか、あ、ジャガイモでもいいけどね、最高でしょう? ワインには肉だとかチーズとかいうけれど、多分一番合うのはイモ、フライドポテトで正解なのだと思う」
と、熱く語ってくれた。

シャンパンにフライドポテトとはシェフの冗談なのでは? でもグルメの作家さんがそれに感激したのだから・・・・と半信半疑で試してみた。
(わたしたちレベルの飲み方だと)ちょっとしたことでぶつかって折り合いがつかなくなるワインとご飯のおかずとの取り合わせ。だが、確かにジャガイモは身分違いの関係のようでいてすんなり自然にお互いが手を取りあっている印象だ。
これをきっかけに、この「△△ポテ」が夕食に登場するようになった。
「△△ポテ」・・・、ひとまずフライドポテト的なものとイメージしていただければ。

ただ、手間がかかるのはおやつ時代とそう変わらない。ジャガイモの皮をむいて、ゆでて。簡素化されている点といえば薄くパリパリなチップスを目指ささず、油を少なめにして炒め物の方法をとったことだろうか。しかしそれなりに付きっきりでフライパンの中のイモ片を随時かき回さなければならず、時間に余裕がある時に限る、という条件付きで、食べたい時にいつも作れるわけではなかった。

そうこうしているうち、画期的なことが起こった。わたしも料理に関していろいろ知恵がつき、レシピなども目にするようになってきたところ、「ジャガイモは電子レンジで〇〇分加熱して下ごしらえしましょう」という一文を見て目からウロコ、いやコンタクトレンズが落ちてしまったら見えなくなって困るけれど。
え? ゆでなくてもいい? 一体今までの面倒はなんだったのか。ちょっと一瞬魂が抜けてしまった。電子レンジでいいなら超簡単だ。

さて、そうしてひと手間が大幅に省けることとなり、「△△ポテ」がテーブルにあがる頻度は格段にあがった。
さらに、他の調理に気を取られ「△△ポテ」の様子をろくに見もせず火にかけたままにしてしまったとき、はっと気づいて慌ててフライパンを振ったところ、焼き過ぎギリギリがむしろいい感じにこんがりしていた。
「放置でいいんだ・・・」
ふた手間目も略せることが分かったのだ。

たまに洒落っ気をだして、「△△ポテ」にオレガノやローズマリーを振りかけてみたけれど、そういうのはガハクの受けがあまりよくない。
「次は普通のでいいかな」
遠くをみながら、少しばかり遠慮気味に言ってくる。わたしはむしろ好きなのだけれど。
また、ビールの時にジャーマンポテトよろしくベーコンや玉ねぎをあわせてみたこともある。
「これは違う料理だね」
このようなタイプはすべてガハクとしては「△△ポテ」の部類に入らないらしい。
そんなバリエーション期も経て、現在はすっかり塩、+コショウに落ち着いている。

「今日はどんな『△△ポテ』かな」
ガハクが夕食に並んだ皿を見てうれしそうに言う。
再現性のない料理しか作らない(作れない)わたしにつき、ジャガイモの炒めも毎回違う状態にできあがる。

入手したジャガイモの大きさや種類にもよるが、切る形が半月形なのかイチョウか、短冊にふれていたり、細切りっぽかったり、その日の気分によって様々になる。
そうすると火の通り方も異なってくるので、ほっくり系か歯ごたえ系になるか最終的な着地点が変化する。また調理中にどれだけジャガイモを構ってやれるかでも仕上がりが変わってくる。ある程度放っておいて大丈夫なのは判明しているが、存在を忘れすぎるとキツネ色を通り越して炭化してしまうし、それなりに放っておき加減がある。
やはり裏表きっちり焼くと表面のカリカリ度が増すので、なるべく気にかけて世話をしてあげた日の方が、やはり出来ばえがよいかもしれない。
塩を振るタイミングも、最初か、焼いている途中か、皿に盛り付けてからなのかは特に決まっていない。使う塩はいくつか常備しているうちフレーク状が2種あるので、どちらかを気の向くままに使い分ける(その選択が味にどこまで反映されているかは実のところ認識できていない)。

「ちょっとベタッとしちゃったかなぁ」
外側にほどよく歯ごたえがある方がおいしいかなと思うので、わたしは今日の「△△ポテ」にやや不服な判定を下す。
「いやいや、毎度違うっていうのがむしろ楽しみなんだから」
おいしくなる条件の油分と塩とを備えたジャガイモ料理とアルコールによって、すでにご機嫌になっているガハクの言葉は寛容だ。
単にジャガイモを油で炒めただけで、(手間はかかるが)大したごちそうではない割には食卓にあがるたびに「やった!」とか「おいしい」とか、ガハクがやたら喜ぶ。その盛り上がりぶりは、もしかしたら私が作るもののうち一番好きなのは「△△ポテ」なのかも?と思わせられ、甲斐もある一方どことなく釈然としない。
幸い、何度作ってもいつも違う結果になるので、これからも飽きることはないだろう。

変化込み、特に決まった形状がないので、名前もつけられない、けれどもわたしたちの間ではとある立派な“ひとつの料理”になっているこれ・・・仕方がないので「△△ポテ」とした。
なお、別に記号は△△でなくて○○でも××でも構わない。読み方は不明。

■次回「ヒゲのガハクごはん帖」は4月第2週に公開予定です。

●山口晃さんってどんな画家?
1969年東京都生まれ、群馬県桐生市に育つ。96年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。 2013年『ヘンな日本美術史』(祥伝社)で第12回小林秀雄賞受賞。
日本の伝統的絵画の様式を踏まえ、油絵で描く作風が特徴。都市鳥瞰図・合戦図などの絵画のみならず立体、漫画、インスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。
主な個展に、2015年「山口晃展 前に下がる下を仰ぐ」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、茨城)、18 年「Resonating Surfaces」(大和日英基金ジャパンハウスギャラリー、ロンドン)、23年「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」(アーティゾン美術館、東京)など国内外展示多数。
2019年 NHK大河ドラマ「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」のオープニングタイトルバック画を担当し、22年善光寺(長野)へ《善光寺御開帳遠景圖》を奉納。

また、2023年にメトロポリタン美術館収蔵の《四天王立像》が同館にて公開中。
Anxiety and Hope in Japanese Art
会期|2023年12月16日 – 2024年7月14日
会場|メトロポリタン美術館 Gallery 223-232

山口晃 《四天王立像「持国天」「増長天」「廣目天」「多聞天」》 2006年 メトロポリタン美術館蔵 Gift of Hallam Chow,2023(2023.354a–d). ©︎YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery 撮影:木奥恵三

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