美術史の豊かな知識を土台にして、当代一の画力を武器にどこにもない絵を生み出す。そんな人気画家、山口晃ガハクは夫婦揃って食いしん坊。日常で、旅で、制作中の日々で、散歩の途中で何を食べてるの? ガハクが日常を描くコミックエッセイ『すゞしろ日記』に「カミさん」として登場するガハク妻による食事帖。 料理にも巧みな技を見せるガハクを差し置いて、実家育ち、自炊歴無しのカミさんの奮闘と成長。自画自賛!?  

 

絵/山口晃

お刺身や酒の肴で満杯になっていたチルド室もスカスカとなり、冷蔵庫内にひしめいていた仕込んだ数の子、なます、里芋煮、黒豆(これは買った)、長呂儀などが入ったこまごまとしたタッパー類もすっかり姿を消した頃、お正月は終わり、食卓もご飯にみそ汁という平和な日常にかえる。
「あーあ、すっかり冷蔵庫の中が普通に戻っちゃった」
山口ヒゲ画伯こと夫(以下ガハク)がしょうゆ入れをしまいに冷蔵庫の扉を開け、さみしそうにつぶやいた。
けれども雑煮続きの毎日から、久しぶりに白いご飯をみると、長旅から帰ってきた気分になって結局、
「はー、なんだか落ち着くわ」
と、なぜかソフトな語尾になるガハク。

「ごちそうさまー」
大体仕事で家にこもりきりのガハクにとって1日のうちのハイライトである夕ご飯タイムが終了、元気に挨拶をする。
「全部おいしかった〜」
「お粗末さまでした」
わたしが定番の返事をすると、
「お口に合いましたか、でしょう。全然お粗末なんかじゃないから! いつも作ってもらってありがとうで感謝しかない」
まぁ、ご飯の支度は99%わたしであるゆえ、そう思ってもらえたほうが甲斐もある。
とはいえ、自ら得意げに言うのも何だけど・・・。
「でもさ、わたしもあれからほんとに成長したよね、あの白い3つのお皿から」
「だね」
すでにガハクが『すゞしろ日記』連載初期の頃の回で言い及んでいるのだが、「あの3皿」とは・・・。

実家暮らしだったわたしに対し、ガハクは浪人時代から下宿をしていて、自炊歴も腕前もそれなりであった。
持ち前の器用さで野菜を素早く等分に切りそろえるのは造作なく、大学の授業で履修した美術解剖学の知識を活かしてか肉や魚の身の(ほぐ)れやすい箇所を即座に見つけて包丁の刃を入れる。
味付けも単に塩、しょうゆではなく、みそをお酒で溶いてひと手間かけてみたりする。
工程にも気をつかい、まな板の上に切った野菜を置きっぱなしにするのはNG(細菌が増殖するそう)で、素材を火に入れる順番、調味料を投入するタイミングにも適切さを要する。
また、独身時代のガハクのクリスマスについて聞かされたことがあるのだが、ビーフシチュー(肉をほろほろになるまで煮込む)やグラタン(ホワイトソースからつくる)、サーモンマリネなどを自作して、お気に入りの決まった映画を観ながら過ごす(ひとりで)のが恒例だったそう・・・。
という具合で、とにかくスタート時点から相当の差があった。

家事全般に慣れていない状態で他人(ガハク)と生活を始め、ちょうどその頃職場環境も変わって、当時のわたしは大混乱の日々であった。
そんなある日、わたしが仕事から帰って急いで作った夕ご飯のメニューが下記の通り。

・炒りたまご
・ほうれん草のソテー
・鳥ササミ丸焼き
以上3皿にご飯とみそ汁

「何これ?成分調査のサンプル?」
ガハクが絶句。
「何が悪いの。ほうれん草はちゃんとゆがいてから炒めてるし、ヘンなものは出してないよ!」
疲れているわたしは食べる前からダメ出しをされ、機嫌を大いに損ねる。
「だってこれ、一皿に一品って・・・それも全部同じ白い皿に盛ってるし・・・。で、ササミとかどうやって食べるの。そのままかじりつくわけ?」
ガハクが諭すように理由を説明する。
今ならわたしもよく分かる、これはひどい。
白い皿に黄色、
白い皿に緑、
白い皿に淡いベージュ、
以上、
という全く食欲を誘わないこのビジュアル。食べられればいいというものではない。

むくれるわたしを側に、ガハクがその場で実演してみせる。
「たまごはさ、ほうれん草と混ぜ合わせると・・・ほら、ちょっといいでしょ。それでササミもこうほぐして筋も取って・・・と。お皿の種類も変えてみようかな」
先ほどの冴えない品々が、目の前でみるみる変身していく様を見て理解した。
ほうほう、素材を合わせたり、細かくすると「料理」らしくなる訳ね。

実家にいたときは学校だの仕事だので、台所に立って母から料理らしい料理を教わる機会がなかった。というより、教わろうとしなかったことのシワ寄せがついにきてしまった。
しかし、食べることを大事にしていた母がいつも食卓にぎっしりたくさんのおかずを並べていたことを思い出してみると、感覚で食材の組み合わせや味つけの予測がつけられた。
そんなふうに記憶と感覚を頼りに料理に立ち向かっていたころ、ちょっとよさげなお酒をいただいたことをきっかけに、ふと考えた。
お酒をおいしく飲むために、ふさわしい料理を合わせたい。このお酒のために、しかるべき料理を作らなくては。それはおいしいものでないといやだ、と。
すべてはお酒のために。
ガハクとわたしは晩のごはん時には必ず、日本酒、ビール、ワインなどを季節や気分によっていろいろ、ほんのちょっと飲むのが日課なのだが、この大いなる名目を得てからは料理に対するモチベーションが格段にあがった。

さて、ガハク、わたしの料理を評して曰く、
「がば、ざっ、どわーで、2度と同じものが出来ない、って感じかな」
仕事をしていたこともあり、わたしの料理はスピードと手軽さ重視。基本ガハクとは一緒に台所に立たない。全部してくれるなら任せるけれど、そうでなければ頼むからわたしひとりでやらせて、と断る。作業に関しては一家言あるガハクはわたしの料理の途中経過を見るとものすごく口出しをしてくるからだ。
「でも気づいちゃったけど、だいたいの料理は手順を変えても完成のおいしさは変わらないんだね。あなたの作った料理を食べていてそう思った。和食の料理人なら違いも分かるのだろうけど、オレには全然分からない」
ガハクも自分とは別の「境地」を理解したようだ。
「今ではもうすっかりオレを追い越して、立派なものですよ」
「いや、それはないでしょう」

見た目をきれいに仕上げる技はとても敵うところではなく、ガハクは買ってきた刺し身を皿に盛るだけで、あるいはフルーツを並べるだけで豪華な一品に変えてしまうし、ひと味足りない時には家にある材料を使って秘伝タレを作り出したりもする。
ガハクにお褒めいただいて悪い気はしないけれど、料理に対する繊細さにおいては追い越せなさそうであるし、追い越したくもない。

それにしても、得意だったガハクがどうして料理担当にならず、わたしが完全料理受け持ちになったのか。
単に忙しい度合いが「ガハク>わたし」だったということだろうけれど、いつか完全交代してほしいような、譲らずに自分で好きなものを作っていたいような。

■次回「ヒゲのガハクごはん帖」は2月第2週に公開予定です。


●山口晃さんってどんな画家?
1969年東京都生まれ、群馬県桐生市に育つ。96年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。 2013年『ヘンな日本美術史』(祥伝社)で第12回小林秀雄賞受賞。
日本の伝統的絵画の様式を踏まえ、油絵で描く作風が特徴。都市鳥瞰図・合戦図などの絵画のみならず立体、漫画、インスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。
主な個展に、2015年「山口晃展 前に下がる下を仰ぐ」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、茨城)、18 年「Resonating Surfaces」(大和日英基金ジャパンハウスギャラリー、ロンドン)、23年「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」(アーティゾン美術館、東京)など国内外展示多数。
2019年 NHK大河ドラマ「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」のオープニングタイトルバック画を担当し、22年善光寺(長野)へ《善光寺御開帳遠景圖》を奉納。

また、2023年にメトロポリタン美術館収蔵の《四天王立像》が同館にて公開中。
Anxiety and Hope in Japanese Art
会期|2023年12月16日 – 2024年7月14日
会場|メトロポリタン美術館 Gallery 223-232

山口晃 《四天王立像「持国天」「増長天」「廣目天」「多聞天」》 2006年 メトロポリタン美術館蔵 Gift of Hallam Chow,2023 (2023.354a–d). ©︎YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery 撮影:木奥恵三

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