デイヴィッド・ホックニー 《版画集「ブルー・ギター」》(連作の一部) 1976-77年 東京都現代美術館蔵
「デイヴィッド・ホックニー 展」展示風景(会期終了)、東京都現代美術館、2023年 ⒸDavid Hockney [権利の都合上、画像に加工をしています]

2023年も記憶に残る良い展覧会がいくつもあった。東京都現代美術館で7月15日から11月5日まで開催された「デイヴィッド・ホックニー展」をそのうちの一つとして挙げる人も多いと思う。僕も70年代に彼の名前を知って、80年代中頃からは国内外で作品を熱心に見て、作品集もコツコツと集めてきた。86歳のこの偉大な画家がプレゼントしてくれた東京都現代美術館の展覧会を思い出しながら、そして自分の本棚からホックニー先生の本を取り出して眺めてながら、これを書いた。

画家の絵から詩人が詩を書き、また画家が描く

Wallace Stevens / David Hockney『THE BLUE GUITAR』Petersburg Press

1976年、ホックニーは友人でメトロポリタン美術館のキュレーターであるヘンリー・ゲルツァーラーから、ウォレス・スティーヴンスが1937年に書いた詩『青いギターを持つ男』を教えてもらった。スティーヴンスは日本語訳の詩集が出ているほどの有名な詩人だ。『青いギターを持つ男』はパブロ・ピカソの青の時代の絵画『老ギタリスト』(1903-04)を題材にしていると言われるが(ホックニーもそう言っている)、そうではないという説もある。

ともかく、この詩とピカソの絵にインスパイアされて、ホックニーは多数のドローイングを描き、そのうち20点をピカソの晩年の摺師によって20点のエッチング(42.5×34.5cm、縦・横あり)に仕立てられ、エディションの版画セットとして販売された。東京都現代美術館にはその一組があり、今回の展覧会でも展示されていた。

その一連の版画とスティーヴンスの詩を組み合わせたのがこの本だ。オリジナルの版画からするとサイズはだいぶ小さくなったが(21.5×21.5cm)、ハードカバーだし、本文用紙も版画用の紙を思わせ、なかなか良い本に仕上がっている。

左ページはスティーヴンスの詩、右はホックニー「ブルーギター」より《セレナーデ》1976-1977

ホックニーはカバーのフラップにこんな文章を書いている(一部抜粋、拙訳)。
「ウォレス・スティーヴンスの詩を1976年の夏に読んだ。エッチングそれ自体は、詩の文字通りの挿絵としてではなく、詩のテーマの視覚的な解釈として描いた。詩がそうであるように、現実と想像との関係だけでなく、芸術の内側の変容についてのものである。」

デイヴィッド・ホックニー 《版画集「ブルー・ギター」》(連作の一部) 1976-77年 東京都現代美術館蔵
「デイヴィッド・ホックニー 展」展示風景(会期終了)、東京都現代美術館、2023年 ⒸDavid Hockney [権利の都合上、画像に加工をしています]

詩人と画家の中国旅日記

左|Stephen Spender / David Hockney『CHINA DIARY』Abrams 1982年
右|Stephen Spender / David Hockney『CHINA DIARY』Thames and Hudson 1982年

1981年5月、デイヴィッド・ホックニーと詩人のスティーヴン・スペンダーとホックニーのアシスタントのグレゴリー・エヴァンスは中国に向けて、ロサンゼルスから旅立った。アメリカと中国の国交正常化は1979年なので、ずいぶん早い時期に中国に行ったことになる。実は当初この旅は1980年に計画されていたのだが、ホックニーのメトロポリタン・オペラの仕事のため、延期されたのだった。

その旅から8ヶ月後、1982年の1月に編集作業を始めた。スペンダーは旅の日記を詳細に書き、ホックニーは現地で絵を描き、写真を撮ったが、その写真と記憶に従って、絵を描き足した。ちなみにこの旅にホックニーはペンタックスを2台、1台はモノクロフィルムを詰めた35ミリコンパクト、もう1台はカラー用に超小型、16ミリ幅の110フィルムのカメラ、それとポラロイドカメラも持っていっていた。モノクロよりもカラーの方にあえて判型の小さいフィルムフォーマットを使っているのが面白い。写真としては再現性が落ちるけれど、むしろ記憶の中の朧げなシーンという雰囲気も出しやすいし、水彩絵具や色鉛筆で描くスケッチと相性がいいことをわかっていたのかもしれない。

ホックニーはこの本を作るにあたって、こんな提案をしたそうだ。
「ちょっぴりほろ苦くて——人生のように——つぎはぎ細工のような本にするべきだよ。生まれて初めて大陸を旅した三人の小学生が書いたような。うまくやるには、それしか方法がないんじゃないかな」

そんな「小学生が書いたような」中国旅行日記は邦訳が新潮社から出版された。ヴィジュアル本の翻訳書にありがちな、文字部分だけ言語を入れ替えるような作りではなく、日本語を縦組みにし、当然、右開きの(通常の日本語の)本に仕立て直している。詩人のスペンダーの文章にはときどき詩が織り混ぜられるし、他の詩人が詠んだ詩の引用も多いこともあり、この日本語組版はまさに正解だったと思う。

スティーブン・スペンダー/デヴィッド・ホックニー 小沢瑞穂訳『チャイナ・ダイアリー』新潮社 1986年

彼らの旅から8年後、当時、銀座にあった西村画廊で「デイヴィッド・ホックニー写真展—中国—」が開催され、そのとき、小型の図録も作られている。ドローイングも何点か掲載され、新潮社版から文章も少し引用されてはいるが、横組みで左開き(英語の本と同じ)である。余談だが、このときスタッフとして働いていたのはのちに奈良美智や村上隆を見つけ、彼らを世界に売り出すギャラリスト、小山登美夫だった。

David Hockney 『PHOTOGRAPHS OF CHINA』西村画廊 1989年

紙のプールで泳ぎたい

「デイヴィッド・ホックニー 展」展示風景(会期終了)、東京都現代美術館、2023年 ⒸDavid Hockney[権利の都合上、画像に加工をしています]

ホックニーといえば、プールの絵をまず思い浮かべる人も多いのではないだろうか。プールをモチーフとする作品を彼は60年代から描いているが、1978年から始めたこの独自の手法で作り上げたプールの絵の制作方法から29種類のヴァリエーションまでを記録している本がこれだ。

左|David Hockney『paper pools』Thames and Hudson 1980年(ハードカバー)
右|David Hockney『paper pools』Abrams 1980年(ソフトカバー)

夜のプールを描いた作品。作業中のホックニー先生の写真も差し込まれている。

プールをポラロイドのカメラで撮影し、それを描く。晴れている日も、曇りの日も、雨の日もあるし、昼のプール、夜のプールもある。写真とホックニーによる制作過程の図解があり、興味深い。ホックニーと制作スタッフの集中力はすごくて、45日間、たった1日の休みをとっただけで続けたそうだ。

ある夏、画家はこんなスケッチブックを残した

『マーサズヴィンヤードとその他の場所』というタイトルの本だが、ホックニーの分厚いノートを再現した作りになっている。ちょっと意外なことだが、ホックニーは通常、大きな紙にドローイングをするのが普通で、スケッチブックを愛用するタイプではないそうだ。なので、このスケッチブックには「1982年夏からの、3番目のスケッチブック」という副題がついている。

David Hockney『Martha’s Vineyard and Other Places: My Third Sketchbook from the Summer of 1982』Abrams 1985年

パステルと水彩絵具で描いている風景。

線画で描かれているページもある。

最初の見開きはホックニーのロサンゼルスの自宅の室内風景から始まっている。スケッチブックを持って、ロンドン、パリなどヨーロッパのいくつかの土地に行き、ニューヨークからボストンに行き、そこから小さな飛行機でマーサズヴィンヤードに渡った。そのときにずっと携えていたスケッチブックがこんな本として再現、複製されて我々ホックニーファンが1冊ずつ所有できてるということだ。簡単な紙の箱に入っていて、30ページほどの解説書が付属している。

日本での80年代の個展のカタログ

『デイヴィッド・ホックニー展カタログ』アート・ライフ 1989年

1989年4月〜10月、東京、滋賀、群馬、千葉、大阪を巡回した大きな個展。滋賀県立近代美術館や群馬県立近代美術館を巡回している。当時としては珍しくないが、東京の会場は小田急グランドギャラリー(会期は1ヶ月弱)、大阪の会場は梅田阪急ギャラリー(会期はたったの13日)と百貨店である。ちなみに東京展とほぼ同時に同じく新宿の伊勢丹美術館では「アンディ・ウォーホル遺作展 CARS」が開催されている。主催新聞社はともに今回の東京都現代美術館と同じく読売新聞社。ホックニー展の後援は文化庁とブリティッシュ・カウンシル。監修は武蔵野美術大学の桑原住雄教授、写真作品の展示も多く、写真評論家の飯沢耕太郎氏も寄稿している。

今回の東京都現代美術館での展覧会でも出品された《龍安寺の石庭を歩く、京都、1983年2月》が出ていて、また、東京で撮影された《英国大使館での昼食会、東京、1983年2月16日》という有名な作品も掲載されている。都現美で見れる《リトグラフの水(線、クレヨン、ブルーの淡彩)》の類似作品《太い線と細い線による水のリトグラフ》などもこのときすでに展示されている。

アメリカとイギリスでは、この前年からロサンゼルス郡立美術館で始まった大回顧展がメトロポリタン美術館(ニューヨーク)、テイト・ギャラリー(ロンドン)を巡回していた。

1983年、銀座のギャラリーでの写真展

『David Hockney NEW WORK WITH A CAMERA』西村画廊 1983年

このカタログは1983年の10月、当時、銀座4丁目のビルの地下にあった西村画廊とその上階1階にあったナガセフォトサロン(Kodakの輸入代理店の長瀬産業が運営)で一部会期を重ねて開催されたホックニーの写真展のときのもの。ホックニーはこの年の2月にも来日していて、東京、京都、奈良を訪れている。今回、東京都現代美術館の展覧会に出品された《龍安寺の石庭を歩く 1983年2月、京都》もそのときに撮影されたもので、このカタログにも所収。他にも奈良の大仏を撮っていたり、友人でもある画家の大竹伸朗やアシスタントのグレゴリーを奈良へ向かう列車の中で撮っている。

アメリカや英国で撮影したものも多く、あのスクラブルゲームをする人々の表情をとらえた作品も入ってるし、表紙になっているのは英国からロサンゼルスに来ていた母親で、背景にはピカソの絵(2点の自作と交換したと書いている)や20年撮りためた写真のアルバムも写っている。ホックニーの近影としては、手の中にすっぽり入るような小型カメラ、ペンタックスAUTO110(中国への旅でも使ってた)を構える姿を写真家の安斎重男氏がとらえたものが載っている。

ホックニーの写真作品集の決定版

David Hockney『CAMERAWORKS』Alfred A. Knopf, publishers 1984年

ある情景を分割して写真に撮る。ホックニーが始めた手法ではないが、彼ほど効果的な作品を生み出した人はいないのではないだろうか。目の前に広がる状況を小刻みにというか、まるで舐めるようにというか、少しずつずらしながらカメラで記録して、その写真をプリントして、パズルのように合わせる。それで得られるのは、狭い室内を広角レンズで撮影するのとは違う効果でその場所を全体とディテールで再現できること、少しずつ撮影の地点や角度が変わることで一点透視図法とは違って、キュビスムの画家と同じような目を持つことになるということ、そして、一瞬で撮影できるわけではないので、少しずつ時間のズレが生まれ、絵画でいうところの異時同図的な図像になるということだ。

普通のカメラで写真を紙焼きしているものもあれば、ポラロイド写真でやっているものも多い。ホックニーがポラロイド写真を撮り始めた1964年当時はまだSX-70(カメラは折りたたみ式。撮影すると写真がカメラから自動的に押し出され、時間とともに像が浮かび上がる)は無かったので、いわゆるピール式(撮ったあと、一定時間ののち紙を剥がす)だったのだろう。ポラロイドや普通のカメラでフォトコラージュを積極的に作り始めたのは1982年頃。それ以降はSX-70をよく使っている。

《The Scrabble Game, Los Angeles, Jan 1ST 1983》
スクラブルゲーム(単語を作るゲーム)を楽しむ人々。狭い室内もこうやって分割すると広く見渡せるというメリットもあるが、人々を時間をずらして撮っているので、さまざまな表情が捉えられているいい写真だ。

《Interior at Dagne’s House, Martha’s Vineyard, August 1982》
マーサズヴィンヤードの知人の家を10枚の写真で撮っている。鏡にホックニーが小さく写り込んでいる。ベランダに出る扉の向こうに海が見える。暗い室内も明るい海もカメラの自動露出で撮っているので写真ごとに明るさはまちまちだが、だからこそ逆に見たいもの(インテリアとか海とか)が見やすい。

個人的な話をすれば、実はこの本、僕は80年代後半には探し始めていたのだが、当時はインターネットも無かったし、国内外の旅の中で美術書を扱う書店をまわって、コツコツ探すしかなく(電話で聞いてもいいけど)、なかなか見つからず、あるとき、ニューヨーク59丁目のArgosy Book Storeで見つけたときはうれしかったなぁ。重い本だけどトランクに入れて持って帰ってきた。今見ると、35ドルと古書としての値段が鉛筆で書いてある。この本はこのアメリカ版のほか、英国版(Thames & Hudson)、ドイツ語版(Kindler Verlag)、スペイン語版(Thames & Hudson)がある。

ホックニーが手がけたポスターを集めた本

David Hockney『HOCKNEY POSTERS』Random House Value Publishing 1987年

ホックニーが舞台美術を手がけたオペラ『放蕩者のなりゆき(The Rake’s Progress)』第3幕の精神病院のシーンのドローイングをポスターにしたもの。

オペラの舞台美術の仕事を見渡す展覧会もあった

『HOCKNEY’S OPERA ホックニーのオペラ展』毎日新聞社 1992年

ホックニーが舞台美術を手がけたオペラを見るのは、特に日本に住んでいると大変なのだが、絶大な人気があったようだ。せめて展覧会にしてくれたらと多くの人が願っていたかどうかわからないが「ホックニーのオペラ展」があった。1992〜93年にかけて、東京、札幌、名古屋、神戸、広島、水戸を巡回した。実際の舞台では場面の転換ごとにしか、それぞれの絵が見れないのだが、展覧会なら見たいシーンをずっと見られるのでむしろ良いかな。

この展覧会カタログでは何人かの人がホックニーの舞台美術について書いている。中国を一緒に旅行し、ホックニーと共著の形で『CHINA DIARY』を作った詩人、スティーブン・スペンダーも寄稿している。
「ホックニーのオペラが成功した基本的な理由は、彼が絵画と同じくらい音楽に情熱を持っていることにある。ホックニーは音楽の熱烈なファンであり、見ることと同じくらい熱心に音楽を聞くのだが、そのとき彼はいつもの癖で目を細めている。彼はソニーのウォークマンがとても好きで、舗道を歩くときでも車を運転するときでも家で寝そべっているときでもイヤー・ホンを着けている。」
ホックニーは若い頃から、そして年を重ねるにつれて尚更なのだが、難聴に悩まされていると聞いているが、以前はウォークマンを愛用していたのがわかる。

大判で大部。回顧というか、半生記

1988〜89年にロサンゼルス郡立美術館、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)、テート・ギャラリー(ロンドン)を巡回した「David Hockney: A Retrospective」展の公式カタログの日本語全訳版である。絵画、版画、写真やポスター、ブックデザインなどの仕事が300ページのこの本に収められている。レトロスペクティブ(回顧)と謳っているが、今から思うと、アーティスト活動のおよそ半分の年齢の頃ではないか。つまり、初期・中期くらいまでの良質な作品集だ。

デイヴィッド・ホックニー, 西野嘉章 訳『ホックニー画集 ひとつの回顧 』リブロポート 1988年

プールの作品ももちろん所収。

実はホックニー先生の画集や資料はもう少しあるし、今回の東京都現代美術館の展覧会でも横長のすてきなカタログが販売された。また、『美術手帖』2023年10月号(季刊/年4回発行)は「デイヴィッド・ホックニー 『見る』を愛した画家の人生」という特集をしている。東京都現代美術館学芸員の楠本愛氏をアドバイザーに迎えた編集だということだ。執筆しているのは、東京国立近代美術館の学芸員だったりする。

ホックニーの本はまだまだたくさんある

以上のほか、日本語で読める書籍として
■デイヴィッド・ホックニー『ホックニーが語るホックニー』パルコ出版 1984年
■デイヴィッド・ホックニー、マーティン・ゲイフォード『春はまた巡る デイヴィッド・ホックニー 芸術と人生とこれからを語る』青幻舎 2022年
■田中麻帆『デイヴィッド・ホックニー──表面の深度』森話社 2022年

また、絵画の技法や歴史について解説した書籍として以下がある。
■デイヴィッド・ホックニー『秘密の知識 巨匠も用いた知られざる技術の解明』青幻舎 2006年
■デイヴィッド・ホックニー、マーティン・ゲイフォード『絵画の歴史 洞窟壁画からiPadまで』青幻舎 2017年

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