美術史の豊かな知識を土台にして、当代一の画力を武器にどこにもない絵を生み出す。そんな人気画家、山口晃ガハクは夫婦揃って食いしん坊。日常で、旅で、制作中の日々で、散歩の途中で何を食べてるの? ガハクが日常を描くコミックエッセイ『すゞしろ日記』に「カミさん」として登場するガハク妻による食事帖。 一緒に暮らし始めたときの特異過ぎた(?)住環境の思い出と現在まで続く安定(!)の朝食についてのお話。  

 

絵/山口晃

今から20年ちょっと前、21世紀に入った年にわたしたちの新しい生活が始まった。その頃の朝の風景として思い出すのは、座卓代わりのむき出しのこたつの上にぽつりと置かれた赤いハーブティーの入ったガラスの急須だ。
東向きのサッシから障子越しに入ってくる朝の陽を逆光で受け、白い背景の中でルビー色に光っていた。

山口ヒゲ画伯こと夫(以下ガハク)と最初に借りた部屋は、8畳と4畳半の和室2つに、冷蔵庫と食器棚を置けるだけの台所というつつましさ。
今どきめずらしく和室のみで障子がたてつけてあったが、なぜかベランダ側のガラス戸には障子に加えてカーテンレールが据えられていた。
ちょうどそちらは隣のマンション(某大手出版社の社宅でかなり立派)の立体駐車場に面しており、夜になっても照明が煌々としていて確かにずっと明るい。おそらくその対策として「明るくて眠れないようだったらカーテンでもつけてください」、ということなのだろう。
でも障子+カーテンとは・・・ どう考えても変であるし、カーテンが当たって障子が破けそう・・・などと想像するとクエスチョンマークが頭上で肥大化していく。

この物件は地下鉄駅まで徒歩2分、大通り沿いでもなく、借景で斜め隣の公園の木々も見えるという好立地、にもかかわらず家賃激安(相場の半額くらい?)にはやはり理由があって、カーテンレールだけでなく至る所が適当なつじつま合わせと誤魔化しに満ちていた。
玄関入ってすぐ、高さ30cmほどの頑丈な白木の箱があり、「この上に洗濯機を置く」との説明にまず「?」。昔の間取りにつき洗濯機置き場はベランダになっていて、無理やり屋内に置くとなると洗面所横になる。ただ元来の指定場所ではないので洗濯をしたいときは給水ホースを洗面所の蛇口につけ、排水はお風呂場に、とのこと。
そのお風呂場だが、トイレ内にある扉から入らねばならない・・・? 何かがおかしい。
そうして排水ホースはトイレ内を横切り、お風呂場へ引かれるということに。導線が明らかにヘンではなかろうか。

お風呂場とトイレ床面には段差があり、ゆえに洗濯機もその高さまで上げなければならず、先ほどの30cmの高さの台が必要になるというわけだ。
結果、洗濯中は洗面所が使用できず、トイレとお風呂の扉は半開き状態。排水ホースの固定がずれて洪水になりかけたことも。

唯一よいと思えたのは、マンションのお風呂にしてはめずらしく小窓があって外光が入ってくること。しかしその窓を開けてみると・・・どういうわけだかすぐに外ではなく、さらに20cmほど先に壁と窓があり、視界に急ブレーキがかかる。こちらの窓を開けてようやく外界につながるが、内窓と位置が微妙にずれていて手が届きにくい・・・。この造り、あまりにユニットバス過ぎではないだろうか。
何かと無理のあるこの構造、想像を絶するのでおそらくわたしの説明を読んでも理解不能だと思われる。ガハクが挿絵で図示してくれるので、こちらをご参照いただければ。

思い返してみると、他にもガス漏れや畳カビ事件などいろんなことがあったので、よくそんな所に6年も(入学した新1年生が小学校を卒業するまでの長さ!)住んでいたものだと今となってはむしろ感慨深い。

「・・・赤いお茶かな」
最初の頃のわたしたちの朝ごはんがどんな風だったか覚えているか、ガハクに聞いてみると同じことを挙げてきた。但し、ガハクの方はお茶の注がれたグラスの像が浮かぶそう。
「やっぱり? なんでだろうね」
ドライフルーツなどがブレンドされたハーブティーに凝り、いろいろ試した時期があったけれど、ガハクはハーブティー自体がどちらかというと苦手と判明し、赤いお茶ブームはほんの一時で終わった。
それでもふたりして思い出すのがあの赤いお茶とは、よほど印象的だったのであろう。「赤」と「透明」とがダブルで来ていたところが画像的にかなり強かったのは確かだ。
透明化した色とは幽霊のようで、不透明だったときの主張も重さも消えて実体感がなくなり、色越しに向こう側が見えたりする。
光の中の透明で不安定な赤は、ふたりで生活するというわたしたちの心細い気持ちを象徴するかのようであり、同時にそのきらきらした色の輝きに気分が引き立てられるように感じられたのかもしれない。

さて、朝にお茶だけだったはずはないので、他にこたつテーブルの上には一体何が載っていたか? ふたりして思い出そうとするけれどそれは面白いくらいに忘れている。
「わたしがいつもS社のジャム(フランス製。砂糖、保存料無添加でビンもかわいい)を買っていたから、ということはトーストにジャムだったのかな」
パンにスライスチーズをのせて焼いていたこともあっただろうと考えるのは、ガハクに「プロセスチーズはリンを多く含むのでナチュラルチーズにするように」と早々に厳重注意を受けたからだ。
ガハクがアトピーの治療で訪れた漢方医にて、「成人には栄養過多」といって牛乳を制限された時、そうだったの?! とかなりあせったので牛乳(ガハクの指定で必ず低温殺菌の品。味に深みがあっておいしい)も飲んでいたと思われる。
けれどもこの内容では栄養バランスを重んじるガハク(一応わたしも・・・)にしてはいかにも不十分なので、トマトやきゅうりなどの切るだけでいい野菜類が付け足されていたのではないだろうか。

「それで今のピザトーストになったんじゃないの」
と、ガハクが推理する。

飽きもせず、現在までずーっと続いてるわたしたちの朝ごはんとは・・・。

ピザトースト(という呼称でいいのかな?):
■食パン|6枚切り時代が長かったが、数年前から5枚切りにシフト
■トマトのスライス|いつの間にかプチトマト使用が主流に。切らしてしまったときはケチャップを塗ることも
■ピーマンの細切り|当初グリーンのみだったが、いつからか見目よくするためカラーピーマンも追加
■チーズ|基本シュレッドチーズ。セルロース不使用
■その時の在庫や余力によりゴマ|白のことが多い。たまにエゴマ
以上を順にパンへのせてセッティング完了。
オーブントースターで5分ほど焼く。

飲み物:
紅茶・緑茶はかえってノドが渇く・・というガハクの訴えがあり出さなくなった。ミルク、レモンがあるとガハクもとたんに紅茶大好きになるので、たまにそんな選択の時も。
コーヒーに関しては、かつてはガハクがあまり好まなかったため、登場する機を逸してしまった。(朝は忙しいのでどのみち淹れる時間はなさそう)
杜仲茶など健康茶系はガハクにとってクセが強すぎる、ということで消去法にてジャスミンティーかほうじ茶に落ち着く。

くだもの:
ガハクは最初と最後とに分けて、わたしは締めに口にする。
若い頃は切ったりむいたりするのが面倒でくだものはほぼ食べることがなかったけれど、知り合いの方々から季節のくだものをいただくようになってから、ここ10年くらいで定着した習慣だ。
旬がはっきりしているので季節の移ろいが感じられ、実に豊かな気持ちになれる(・・・ほどの余裕が朝はあまりないのだけれど)。
分量としてはりんご、キウイ、桃などふたりで1個を分けるくらい、みかんならばひとり1個程度。

・・・という具合だ。
栄養素も考慮された手軽な朝ごはん、としてたどり着いた形であったが・・・。
「簡単と思ってこうなったけど、意外と時間かかるよね」
ガハクが内職のように大量の朝用チーズパンを作りながらつぶやいた。
コロナ禍で行動が制限されていた頃、仕事をしながらわたしが3食用意することになり「ごはん作りが負担だ!」と癇癪を起こしたため、ガハクが朝のパンを数日分作り置き冷凍していた時期のことだ。
「12枚作るのに1時間、いやそれ以上かかった! 流れ作業にしたのに全然時短にならなかった」

そしてガハクは原因を分析し始める。
「パンの外にはみ出さないように、落とさないように具を並べるのが大変かな。彩りよく量的にも個体差が出ないよう均等に配分しなければならないし」
たしかに、こまごまとした手順が積み重なるとあっという間に時間が過ぎる。パン1枚で朝ごはんが完結するのはよいけれど、思いのほか手間なのだ。
何度か別の献立、スープ、卵料理、まったく別方向にご飯食なども試みたが、時間的に大差なくとも皿数が増えるとか何にするか考えたり揃えたりが負担に感じられて、結局チーズのパンに落ち着く。

先ほど「飽きもせず」と紹介したが、この形式の朝食パンには日々小さな変化が起こり、本当に飽きない。
まず、ベースの食パンには限りなくバリエーションがある。どの店で入手したかによって歯ごたえが強かったり、サクサクしていたり、甘みのあるもの、塩気を感じるもの、原材料も小麦粉だけでなく全粒粉や米粉であったり。形も四角なのか山型か。たまに気分転換に、ライ麦パンやカンパーニュなども採用され、その時はクリームチーズにサーモンなどという変化球も出る。
プチトマトの大きさも直径1.5cm位のこまごまとした粒の時もあればこれでプチ? と感じるような3cmくらいのものもあって一定ではない。ゆえにベースに敷かれるトマトのスライスがパン表面を覆い尽くすこともあれば、まばらになる日も。
ピーマンは、細かく刻むかややざっくりいくか、カラーも赤、黄、オレンジからどの色に出会うかは運次第。
野菜類の接着剤の役目も果たしているチーズも、量や分布はいかようにも変えられる、もしくは勝手に変わる。
ゴマの量もわたしの気分と注意力によるところが大きく、一度切らしてしまうとしばらく忘れてしまい、「最近ゴマがないよね」とガハクから催促されることも多々あり。
最後の仕上げ、オーブントースターに2枚並べて焼くわけだが、タイマーを5分あたりに適当に回す。適当なので、日によってチーズに焦げ目がついたり、ピーマンが妙にフレッシュであったり、実に色々に仕上がる。


「オ・・・ハヨウ」
昼近くなって(但し、仕事の都合で早かったり、もっと遅かったり・・・いろいろな時間帯あり)、ガハクがよろよろと布団から這い出てくる。昨夜はというか、今朝何時に寝たのだろうか。4時か6時か・・・??
すっきりさわやかに起きてくることはまずなくて、大体こんな風にふがふがしている。「まだ目の開いていない仔猫ちゃんなの・・・」という不気味な冗談を言ってくることも。
当然ながらわたしはもうとっくに朝ごはんは食べ終わっていて、次のお昼ごはんの算段を始めるような頃だ。
すっかりパンもチーズも固くなってしまっているのだが、
「あなたはいつも焼きたてを食べるから知らないと思うけど、このパンは冷えるとまたおいしいんだよね」
固そうな食パンの端を噛み切って、口をもごもごさせながらガハクが意外な事を言ってくる。
「冷えて固まったチーズは味が凝縮されていて、噛みしめると濃厚な脂肪と焼いた香ばしさとが同時にじわっと広がって・・・別物なわけ」
ゆっくりゆっくり、味わっているガハク。
「できたてもいいだろうけど、チーズだけじゃなくて、パンも野菜も冷たいほうが味がくっきりと感じられるから、実はこうやって後から食べる方が好きなのね」

トースターから取り出したばかりの熱々の朝食は、パン部分のサクッと砕ける感触、とろけて伸びるチーズの楽しさがあるけれど、確かに味よりは食感の方が先に立っているのかも、とガハクの言葉によって気づかされる。
ガハクは不規則な生活であるがゆえ、様々な時間に(時には翌日)朝のパンを食べる。まちまちな時間の経過を経たパンはその時々に違う味を提供してくれるようだ。
わたしも今度はわざと時間をおいて、ガハクおすすめの状態で食べてみようか。

あまりに特異過ぎる住環境(挿絵にてガハクの思い出話が止まらない)から、ふたりの生活も安定してごく普通のマンション(家賃は倍)に引っ越した。その時わたしが「これで気兼ねなく洗濯ができる!」といたく感激していたことをガハクはよく覚えていてとても不憫に思ったそうだ。
そして現在に至るが、生活環境にいろいろな変化や出来事があっても、朝ごはんのメニューはずっと同じままなのだった。


■次回「ヒゲのガハクごはん帖」は10月第3週に公開予定です。

●山口晃さんってどんな画家?

1969年東京都生まれ、群馬県桐生市に育つ。96年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。 2013年『ヘンな日本美術史』(祥伝社)で第12回小林秀雄賞受賞。
日本の伝統的絵画の様式を踏まえ、油絵で描く作風が特徴。都市鳥瞰図・合戦図などの絵画のみならず立体、漫画、インスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。
主な個展に、2015年「山口晃展 前に下がる下を仰ぐ」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、茨城)、18 年「Resonating Surfaces」(大和日英基金ジャパンハウスギャラリー、ロンドン)など国内外展示多数。
2019年 NHK大河ドラマ「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」のオープニングタイトルバック画を担当し、22年善光寺(長野)へ《善光寺御開帳遠景圖》を奉納する。
アーティゾン美術館にて個展「ジャム・セッション 石橋財団コレクション × 山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」を開催中(〜11月19日まで)。

山口晃 《日本橋南詰盛況乃圖》(部分)2021年 作家蔵 撮影:浅井謙介(NISSHAエフエイト株式会社) ©YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery 「ジャム・セッション 石橋財団コレクション × 山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」出品

コメントを入力してください

コメントを残すにはログインしてください。

RECOMMEND

イームズ、エルメス、アルバース

編集者

岡本 仁