展覧会「ジョセフ・アルバースの授業 色と素材の実験室」を見る岡本仁さん © The Josef and Anni Albers Foundation

さまざまな色の正方形を3つ4つと重ねて描く。そんな絵が最も有名かもしれない。ジョセフ・アルバース(1888–1976)を知っていますか? ドイツ人。造形学校バウハウスに学び、バウハウスで教え、そののちアメリカに移住し、ブラックマウンテン・カレッジ、イエール大学でも教鞭を取りました。画家、デザイナーとして活躍し、その成果や影響は現代にまで通じています。アルバースの作家と教育者の両面を捉えた日本初の回顧展がDIC川村記念美術館で開催中です。
編集者の岡本仁さんと展覧会を見て「アルバースと僕」を書いてもらいました。

 『ブルータス』2011年7月15日号の特集を企画し、取材と執筆を担当したことがある。「イームズハウスはイームズホーム。」という特集だ。その取材でイームズハウス(カリフォルニア州サンタモニカ)の内部に2日間通った。

『ブルータス』2011年7月15日号「イームズハウスはイームズホーム。」マガジンハウス

その特集にも書いたのだが、正面玄関から入ってすぐ左の壁にジョセフ・アルバースの絵がかかっていた。「ヴァリアント」シリーズのうちの1点だったと思う。チャールズと妻のレイがニューヨークの画廊で買ったものだと聞いた。1950年代の前半だったろうと推定する。そこから何年か過ぎてアルバースがイームズハウスを訪れたそうだ。壁にかけられた自分の作品を見たアルバースは、カリフォルニアの強い光のせいで、特にオレンジ色が退色していることに気づき、元の色に戻すべく作品に色を重ねた。アルバース自身による修復について、レイは「あの少し褪めてしまった色が好きだったのに」と嘆いたそうだ。この取材でもっとも印象に残った話のひとつだった。

ジョセフ・アルバース《3つの茶色+黄土色》1948–57年 ジョセフ&アニ・アルバース財団 © The Josef and Anni Albers Foundation / JASPAR, Tokyo, 2023 G3217 Photo: Tim Nighswander/Imaging4Art
類似作品がイームズハウスに掛けられている

時間が作品に加えた変化を認めたレイと、それをよしとしなかったアルバースという話を聞いたとき、つまり2011年時点では、ぼくはレイに肩入れしていたと思う。「ヴァリアント」シリーズは「アドビ」という別名を持っていて、実際のアドビ建築を見たときに、南カリフォルニアよりもさらに強烈なニューメキシコの陽を浴びて年月が経った壁の色の美しさを、素晴らしいと思っていたからだ。でも〈DIC川村記念美術館〉で開催されている「ジョセフ・アルバースの授業 色と素材の実験室」展を観た今となっては、アルバースの考えはもっともだと納得できる。

「ジョセフ・アルバースの授業 色と素材の実験室」展示風景 © The Josef and Anni Albers Foundation

アルバースは画家でありデザイナーであり、美術教師である。美術教師になるための教育を受けた後に、バウハウスに入学し、3年後にマイスターとなる。1933年にナチスの圧力でバウハウスが閉校になった年に、アメリカに渡り招聘されたブラックマウンテン・カレッジで学生たちを指導する。さらに1950年にはイエール大学のデザイン学科長となった。今回の日本初のアルバース回顧展は、教育者としてのアルバースにフォーカスできるように企画されているのが素晴らしいと思う。

イェール大学で色彩の授業を行うアルバースと学生 1952年 撮影者不詳 ジョセフ&アニ・アルバース財団 Courtesy of the Josef and Anni Albers Foundation

ぼくはアルバースをこれまでデザイナーとしてしか考えていなかった。それは彼の大方の作品を印刷物か、美術館にコレクションされたシルクスクリーン作品で観ていたからだ。「正方形讃歌」のシリーズは、メゾナイトに油絵の具で描かれていたものということを、すでに何点か観ているはずのものもあったのに、ぼくは今回これらを観て初めて意識した。しかし筆を使った形跡は近くに寄っても見つからない。どのようにして描いたのだろうか。「正方形讃歌」が10数点展示された部屋の隣で、この絵の制作についてアルバース自身が解説しながら、実際に描いていく様子を収めたショートフィルムが上映されていたので、食い入るように眺めた。

ジョセフ・アルバース《正方形讃歌》1952–54年 DIC川村記念美術館 © The Josef and Anni Albers Foundation / JASPAR, Tokyo, 2023 G3217

知っている人にとっては当たり前のことなのだろうが、絵の具をチューブから直にメゾナイトの上に絞り出し、ペインティングナイフで薄くのばしていく手法、そして何よりもサイズの違う正方形のそれぞれの色が重なることもなく塗られていることに驚いた。

「ジョセフ・アルバースの授業 色と素材の実験室」展示風景 © The Josef and Anni Albers Foundation

ちなみにこのフィルムを見ているうちに、ぼくはエルメスのスカーフのことを想い出した。

2008年にエルメスは、アルバースの「正方形讃歌」から6点を選び、スカーフとして制作した。それが「アーティスト・カレ」シリーズの第一号となった。このために「エッジ・トゥ・エッジ」という技術を確立し、色と色の境界線を引かずに、しかも異なる色が重なり合うことがなく隣接するという表現をエルメスは可能にしたのだった。たしか各色200枚という限定数だった。ぼくには手の届かない値段だったけれど、せめて実物を見てみたいと思い銀座の〈メゾン・エルメス〉まで行ってみたが、それは叶わなかった。

アルバースの制作手法に関するショートフィルムの話に戻ろう。このフィルムに、ブラックマウンテン・カレッジで彼の生徒のひとりだったロバート・ラウシェンバーグが登場する。彼に言わせるとアルバースの教えは素晴らしいものだったが、教師としてのアルバースは最低だったらしい。そして、生徒としての自分も最低だったし、アルバースはものの形と色を尊重するようにと言っていたが、自分はひとつに絞ることができなかったと述懐している。数年前にロサンゼルス・カウンティ・ミュージアムで「THE 1/4 MILE」という彼の作品を見たことを憶えている。全長およそ400メートルの作品に、アルバースの影響はまったく感じられなかった。

そういえば、エルメスからアルバースのスカーフが発売された頃、カタログにアルバースのことが載っていた。美術史の専門家を気取る男から、1964年から作品のサイズが大きくなったのは、アメリカ抽象表現主義の作品の巨大さに対するヨーロッパ人としての対応なのかと質問されて、アルバースはこう答えたらしい。

「それはね、君、あの年に一回り大きなステーション・ワゴンに買い換えたのですよ」。
(『LE MONDE D’HERMES Automne-Hiver 2008』掲載の「シルクのアートプロデューサー」文/ソフィ・シェレより引用)

このエピソードを、ぼくはすごく好んでいる。彼の教育者らしい生真面目さを象徴する逸話なのか、あるいは美術批評への皮肉なのか、そのどちらとも取れるような気がして、何だかクスリと笑ってしまうのだ。

「ジョセフ・アルバースの授業 色と素材の実験室」展示風景 © The Josef and Anni Albers Foundation

ジョセフ・アルバースの授業 色と素材の実験室

会期|2023年7月29日(土) – 11月5日(日)
会場|DIC川村記念美術館[千葉・佐倉]
開館時間|9:30 – 17:00[入館は16:30まで]
休館日|月曜日[9/18、10/9は開館]、9/19(火)、10/10(火)
お問い合わせ|050-5541-8600 (ハローダイヤル)
■会期中、展示替えあり。9/20(水)より後期展示

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