
「夭折の画家」と聞くと、創作に行き詰まった若き才能の挫折、なんてことを思い浮かべがちだが、中園孔二はそんなクリシェとは真逆の存在だ。約9年間の制作期間におよそ600点もの平面作品を残し、25年の生涯を閉じた作家の個展が丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で開催中。圧倒的な作品数と描くことの喜びに埋め尽くされた展覧会は必見!
中園孔二の名前を初めて聞く人も多いだろうと思うので、まずは略歴から。
中園孔二 [1989-2015] 。神奈川県横浜市生まれ。東京藝術大学卒業後、埼玉や千葉にアトリエを構えていたが、2014年末に香川県高松市に移住。住居から自転車で15分ほどの同県庵治町の倉庫をアトリエとして借り制作していたが、2015年7月某日に瀬戸内海沖で亡くなっているのが発見された。享年25歳。
初めに断っておきたいのは、中園が創作に苦悩した挙句に自死したのではなく、事故で思いがけず命を落としたということ。その日、高松から坂出方面へと足を伸ばし、岩場に愛用の自転車を止め、ビーチマットやタオルや本を残したまま、海に入って還らぬ人となった。中園孔二とはどんな人物だったのか? 彼は何を想って絵を描いたのか? 展覧会「中園孔二 ソウルメイト」を巡りながら、企画構成を担った丸亀市猪熊弦一郎現代美術館学芸員の竹崎瑞季さんに話を聞いた。
「中園さんは少年時代から家の庭の高い木によじ登ったり、夜中に家を抜け出して徘徊し朝方戻ってきたり、ご両親を何かとヒヤヒヤさせていたそうです。周りの友人たちも、普段から彼が高いところに上がったり、森の中を一晩中歩き回ったり、危ないことをするのをしょっちゅう見ていたと聞きます」
中園は高校時代バスケットボールに明け暮れるスポーツ少年だったが、突然、絵を描きたいと言い出した。両親は彼がスポーツで進学するのだと思っていたので驚いたが、意思は固く、家から通える場所にあった鎌倉美術研究所という画塾に高2の夏から通い始め、東京藝術大学にあっさりと現役合格してしまう。
高校3年生の時に描いて、鎌倉美術研究所で賞を受賞したのが《ポスト人間》だ。ちなみに中園が作品にタイトルを付けたのはこの1点のみで、あとはすべて無題、制作年不明のものも多い。

中園孔二 《ポスト人間》 2007年 東京都現代美術館蔵 Photo by Kenji Takahashi ©Koji Nakazono, Nakazono Family; courtesy Tomio Koyama Gallery
17歳でこの画力。ジェームズ・アンソールの《仮面の中の自画像》(メナード美術館蔵)を彷彿させる。複数描かれたマッシュルームカットの人物は中園自身だろうか?
2012年の藝大の卒業制作展に出品された中園の作品を見て、小山登美夫ギャラリーの小山氏はその才能に驚き、大型の作品2点を購入。翌2013年には同ギャラリーで中園の個展を開いた。小山氏が当時購入した作品のうちの1点がこれだ。

中園孔二 《無題》 2012年 東京都現代美術館蔵 Photo by Kenji Takahashi ©Koji Nakazono, Nakazono Family; courtesy Tomio Koyama Gallery
中央で炎を上げて燃えているような黒い人物、驚いて駆け寄るような右の水色の人間、その様子をデジタルカメラに収めようとしている手前の女性。遠ざかってよく見れば、画面いっぱいに大きな線描きの顔が2つ並んでいる。右の顔の耳に下がるのはフープイヤリングだろうか。
「中園さんには、描きこまれたイメージが何層にもレイヤーになっている一連の作品群があります。他にも、細かい描き込みの上から絵の具をぬぐったり、引き延ばしたり、尖ったもので引っ掻いてラインを表したり、様々な技法を駆使しています」

中園孔二 《無題》 2013年 sasanao蔵 Photo by Kenji Takahashi ©️Koji Nakazono, Nakazono Family; courtesy Tomio Koyama Gallery
何層にも重なったイメージ

中園孔二 《無題》 2012年 Photo by Kenji Takahashi ©Koji Nakazono, Nakazono Family; courtesy Tomio Koyama Gallery

中園孔二 《無題》(部分) 2012年 Photo by Kenji Takahashi ©Koji Nakazono, Nakazono Family; courtesy Tomio Koyama Gallery
上の作品のディテール。絵の具を盛り上げたり、上からこすったり、あとから掻き落とすなど、手が込んでいる
ソウルメイトとしての絵画
中園作品には人物、または人らしきものが描かれていることが多い。それもまんまるい目や口を持つ棒人形のような単純な姿がほとんどだ。どこか人懐っこいユーモラスさを感じさせながら、同時に不穏さを漂わせてもいる。デヴィッド・リンチが好きだと生前に語っているが、なるほどその影響もうかがえる。

中園孔二 《無題》 2012年 東京都現代美術館蔵 Photo by Kenji Takahashi ©Koji Nakazono, Nakazono Family; courtesy Tomio Koyama Gallery

中園孔二 《無題》 2012年 白木聡氏・鎌田道世氏蔵 Photo by Kenji Takahashi ©Koji Nakazono, Nakazono Family; courtesy Tomio Koyama Gallery

中園孔二 《無題》 2015年頃 高松市美術館蔵 Photo by Kenji Takahashi ©️Koji Nakazono, Nakazono Family; courtesy Tomio Koyama Gallery
「本展のタイトルにある『ソウルメイト』は、彼が遺したノートから抜き出した言葉なのですが、他にも様々な表現でソウルメイト的な存在のことを語っています」
ぼくが何か一つのものを見ている時、となりで一緒になって見てくれる誰かが必要なんだ。となりっていうのは近くでっていう意味じゃない。それを見ているのが自分たった一人だとしたらそれは“見ている”ことにならない。二人以上の人間が同じ一つのものをかかえるということが、それを“見る”ということだ。——中園孔二
「同じ世界観を共有できたり、言葉がなくても分かり合えたりする存在を求めていたのでしょうか。他者を求め、根源的な孤独を消化するように次々と絵を書いたようにも見えます。『絵は優しいから好き』という表現からは、“絵は描くもの”とする概念から外れ、まるで人格をもつ存在のように捉えていることが想像できます。描くこと自体が、彼にとって親密な何かだったのだと考えられます。突き詰めれば、絵画自体が彼に寄り添うソウルメイトだったとも言えるでしょう」
絵は優しいから好き、何かをすると返してくれるから好き。――中園孔二
自分にとっての絵や音楽は、自分の最も信頼できる他者であるということを、今日帰りぎわに思い出した。――中園孔二
穴の向こう側を見たいという衝動
中園が遺した言葉も会場の壁面に掲げられており、それが作品を読み解く鍵になる。たとえばこんな言葉も。
私は、すばらしい絵画に出あったとき、その四角の中身におどろいているのではない。知らない間にのぞかされた穴の向こう側に心をうたれているのだ。私は絵画を描くということをとおして、まだ世界に存在することにせいこうしていない穴を出現させたい。穴を、ほるのではなくその穴を絵画という物質を通して発見するのだ。――中園孔二
「『穴』という言葉も、中園さんはよく使っていました。描いている絵そのものの中に世界があるわけではなく、その画枠に収まりきらない大きいところに彼が見ている世界がある。その覗き窓であり穴のような存在が、彼にとっての絵画だったのでしょう」
絵画によって出現する穴の向こう側を見たくて、まだ見ぬ世界を感じたくて、時には危険を冒してまでいろんな場所へ出かけて行った。それが闇夜の森や、樹上や海の底への憧れだったのかもしれない。
この「穴」という認識は中園に深く根を下ろしたようで、本名は晃二だったのを、2014年ごろに意図的に「孔二」と改名している。
そんな彼の作品の特徴に共鳴するように、展覧会場は長い壁面に開けられた間口から奥の部屋が見える構造になっている。長方形の空間に斜めに設置された壁は、彼の作品にどことなく生じる違和感やズレとも響き合っている。

「中園孔二 ソウルメイト」展示風景

「中園孔二 ソウルメイト」展示風景 撮影:高橋健治
今回の展覧会には220点の平面作品が集まったが、カテゴリー分けするのが難しいほど、技法や形態が多様だ。レイヤーや塗り重ねが特徴とも言い切れず、色を決して重ねずに描いた作品もあるし、板やガラスに描いた作品もある。フォーマットもバラバラ、ピクセル画のようなものや、リヒターのスキージ(へら)の跡を彷彿させるものも。

中園孔二 《無題》 制作年不明 Photo by Kenji Takahashi ©️Koji Nakazono, Nakazono Family; courtesy Tomio Koyama Gallery
ムクムクと湧き上がる入道雲のようなイメージは度々登場した

中園孔二 《無題》 制作年不明 Photo by Kenji Takahashi ©Koji Nakazono, Nakazono Family; courtesy Tomio Koyama Gallery
板へ描いた作品

中園孔二 《無題》 2011年 Photo by Kenji Takahashi ©Koji Nakazono, Nakazono Family; courtesy Tomio Koyama Gallery
色が混ざらないよう、余白を残して色を置いた作品

中園孔二 《無題》 2009年 ©️Koji Nakazono, Nakazono Family; courtesy Tomio Koyama Gallery
ゲルハルト・リヒターのスキージ画法(描いた絵の具をヘラで引き伸ばす方法)を思い起こさせる

中園孔二 《無題》 2014年 Photo by Kenji Takahashi ©Koji Nakazono, Nakazono Family; courtesy Tomio Koyama Gallery
透明なアクリル板の裏側から描いた作品

中園孔二 《無題》 2009年 Photo by Kenji Takahashi ©Koji Nakazono, Nakazono Family; courtesy Tomio Koyama Gallery
四角い枡目を描いたのではなく、3cm角の彩色した板をモザイクのように並べた作品

フォーマットも画材もヴァリエーションに富む
「中園孔二 ソウルメイト」展示風景

「中園孔二 ソウルメイト」展示風景
ネット時代のイメージと、身体性
中園孔二展を丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で開催した理由は二つあるという。一つは中園が香川とゆかりのある画家だということ。
「もう一つは、彼の作品に時代性があるということです。中園は1989年生まれですが、彼が活動した時期は、ちょうどインターネットが世の中に浸透していく時代とシンクロしています。彼自身も幼い頃からインターネットを見たり、テレビゲームに親しんだりしていました。パックマンや、星のカービィなど、テレビゲーム黎明期のまだ稚拙な技術で描かれたキャラクターは、彼の絵に出てくる目と口だけの単純な人物像に投影されているようです。初めは稚拙だったデジタル表現がどんどん複雑化し、情報は瞬時に拡散され、見たくないものも大量に自分の眼前に晒されるようになり、何もかも均質化する時代になっていきます。その自由さと怖さ、両方の地平が一気に開かれて行く時代の圧倒的な“イメージの力”が、まさに彼の描いた作品とリンクしているように思います。そうした点が、時代を表現する作品を紹介するという当館のコンセプトと合致しました」

中園孔二 《無題》 2010年 Photo by Kenji Takahashi ©Koji Nakazono, Nakazono Family; courtesy Tomio Koyama Gallery
ゲームのキャラクターのような愛らしい顔が並ぶ

中園が残したノートには漫画のようなスケッチも多い
「中園孔二 ソウルメイト」展示風景
クリックした回数だけ画面に図像が現れるように、彼の絵の中にも次々とキャラクターや人物が折り重なるように描かれる、そう捉えることもできる。
「でも一方で、『都市のバイアスから逃れる』という言葉も残しています。中園さんはインターネットに代表されるような視覚のイメージに惹かれながら、同時に身体性も大事にしたかったのだろうと思います。絵画は身体性があるものだからこそ好んで描いていたんでしょう。イメージと身体性、両方とも好きで、それがごちゃ混ぜになっているのが彼の作品の良さなのかもしれません」
都会から離れ、「山と海のある場所」を条件として制作場所を探して各地を巡り、最終的に選んだのが香川県高松市だった。そこは身体性が研ぎ澄まされる場所だったのだろう。
息詰まったと感じた時に、思考が止まってきたと感じた時に、潜水をして、苦しくなってから、もう二三パドル進む、あのようにして、二三歩、ゆっくり進んでみる。暗い空気の中で、目を慣らす。すると、低空飛行を続けたまま、ゆっくりと、進み出すのを感じる。この感じは気持ちが良い。(中略)どんどんテレトリーが広がる。これは、その暗い場所に対する思いを、持ち続けること、あきらめないということであり、場所とのコミュニケーションである。――中園孔二

中園孔二 《無題》 2013年 東京都現代美術館蔵 Photo by Kenji Takahashi ©Koji Nakazono, Nakazono Family; courtesy Tomio Koyama Gallery

中園孔二 《無題》 2015年 東京都現代美術館蔵 Photo by Kenji Takahashi ©️Koji Nakazono, Nakazono Family; courtesy Tomio Koyama Gallery
描きたいものが、見たい風景が、感じたい世界がたくさんあった。ソウルメイトとしての絵画と向き合い、毎日描きまくってもまだ足りず、穴の向こう側を探して歩き回り、海中に身を沈め、あるとき、戻ってこなくなった。「回顧展ではなく、現代の新しい表現をする作家の個展と捉えたい」と竹崎さんが言うとおり、会場を埋め尽くす大量の作品には悲壮感は微塵もなく、腕白ボーイのまま画家となった青年の無我夢中の衝動が爽やかに渦巻いていた。

中園孔二 Photo by Osamu Sakamoto
会期|2023年6月17日(土)-9月18日(月・祝)
会場|丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 3 階展示室 C
開館時間|10:00-18:00[入館は17:30まで]
休館日|月曜日[9/18は開館]
お問い合わせ|0877-24-7755
「中園孔二 ソウルメイト」カタログ [2023年8月10日発行]
村岡俊也著
2023年8月18日 新潮社刊
画家・中園孔二 初の本格評伝
——「今年は天才がいるよ」。
2012年東京藝大の卒展で彼の油画を観た彫刻科の教授は、そう呟いた。
ノンフィクション作家の村岡俊也は、藝大彫刻科の教授と出会い、また鎌倉の美大予備校で中園に絵を教えた講師と旧知の仲でした。2020年よりご家族、小学校から大学の同級生、恋人たち、アルバイト先など親交のあった人たちへの丹念な取材とともに、中園が残した150冊以上ものノートに記された日記やドローイングにあたって読み解き、その生涯と人物像、画業に迫る圧巻の評伝です。
本書は『芸術新潮』に連載され、大幅な加筆・修正を施しました。絵画作品、資料写真、多数収録。
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