デイヴィッド・ホックニー 《ジョージ・ローソンとウェイン・スリープ》 1972-75年 テート蔵
「デイヴィッド・ホックニー 展」展示風景、東京都現代美術館、2023年 ⒸDavid Hockney
左は本コラム執筆者の松浦弥太郎さん

デイヴィッド・ホックニーの絵ほど、見る人を幸せにしてくれる絵はないだろう。10代で描き始めたときから、家族を、周りの人を喜ばせ、そして、80代になった今でも次々と新しい絵を繰り出し、世界中の人たちをハッピーにさせている。彼の展覧会が現在、東京都現代美術館で開催中だ。
エッセイストとして多くのファンを持ち、ホックニーと同じく、旅を、アメリカを愛する松浦弥太郎が展覧会を見て、書いてくれた。時を忘れてしまうくらいの感動があったと。やっぱり、ホックニーのこと、ずっと好きなんだ。

ディヴィッド・ホックニーの作品や展覧会は、テート・ブリテンをはじめ、いくつかの美術館で観たり、関係する書籍で触れたりしている。  
そのたびに思うのは、作品や展示を通して、「今、私はこうして日々を送っているよ。それがとても楽しいんだ」というホックニー自身の近況を知らされるのが嬉しくて、そういう作品以前の思考や変化、言葉を、さて、今はどこで何を?と、わくわくした気分で期待している自分がいることだ。

もちろん、今回、7月15日から始まった東京都現代美術館での展覧会で初めて観た初期の作品《イリュージョニズム風のティー・ペインティング》(1961年)にも深く感銘を受けたが、それよりも先に観たい、いや、知りたいのは、もっとも新しい作品がどんなもので、今度は何をどうやって描いているのか、というようなことだ。それがホックニーの展覧会を観に行くいちばんの動機であるのは僕だけではないだろう。きっと。

なんたってホックニーという人は、若い頃からあっちに行ったりこっちに行ったり、天真爛漫に、あれをしたりこれをしたりという多動な芸術家で、常に新しい技法を身につけて、それが作品や魅力のベースになっているのは周知の通り。
僕がホックニーに憧れるのは、彼のようにしがらみなんて気にせず、そこに知り合いがいようといまいが、自分がいちばん自分らしくいられる環境や土地に旅するように移り住む自由さと、新しいことへの工夫と発案。とはいえ、ちゃっかりと芸術家として社会との接点をしっかり持ち続ける仕事人でもあることだ。

デイヴィッド・ホックニー 《版画集「ブルー・ギター」》 1976-77年 東京都現代美術館蔵
「デイヴィッド・ホックニー 展」展示風景、東京都現代美術館、2023年 ⒸDavid Hockney

80年代の終わり頃、ニューヨークのアッパーイーストの友人宅を訪れたときのこんなエピソードがある。
友人宅のすぐ近くのサットンプレイスというエリアにホックニーのアトリエがあることを知って、僕は真夏の暑い日、わざわざ見に行ったことがあった。
そこはアトリエなのに、入り口にドアマンがいるホテルのようなエントランスのアパートメントで、こんなすてきなところでホックニーは作品を描いているのかと驚いた。らしいといえばその通りだが、さすが時代の寵児のホックニーは違うなと感心したのを憶えている。
友人いわく、近所の昔ながらのベーカリーで、パンを買って抱えて歩いている姿をよく見かけるけれど、いつも色鮮やかなストライプの服を着ていておしゃれで、散歩中の犬に気さくに言葉をかけたりと、芸術家によくあるナイーブなところが微塵もなく、大人なんだけど子どものような無邪気さがホックニーらしいというか、彼の愛される素顔なんだと感じたらしい。
僕はいつか彼と会えるかもしれないと、そのベーカリーには何度も足を運んだ。一度でもパンを抱えてニューヨークを歩くホックニーを見てみたいと思ったが、結局は叶わなかった。
ちなみにベーカリーの店員にホックニーのことを聞くと、みんなはよく知っていて、「ああ、丸メガネの人ね。あの人はいつもシナモンベーグルをたくさん買ってるよ」と教えてもらい、僕も同じシナモンベーグルを買って食べたのも懐かしい。

そんなホックニーの旅のような人生は、産まれ育ったイギリスからはじまる。
自分のセクシャリティに対する偏見だけでなく、堅苦しい規則に縛られた当時のイギリス社会に嫌気がさした。こんなところにいては自分が駄目になる。一人で絵を描くのを誰にも邪魔されない場所を求めて、1973年からの2年間、ピカソとルーブル美術館を堪能するためにパリに暮らし、その後、1978年にニューヨークを経由して、夢に見たカリフォルニアのロサンゼルスに移り住む。そういうストーリーに、17歳で高校を中退し、その後あてもなくアメリカを旅した日々を恐れ多くも重ねる自分がいる。

ホックニーとロサンゼルスとの出会いは1964年に講師としてヴェニスビーチに招かれたときに遡る。そこで目にしたのは、西海岸における贅沢の象徴である邸宅のプールとシャワー、庭に水をまくスプリンクラー、青い空に大きなガラスの窓と透明なカーテン、カリフォルニア特有の強い陽射しで水面にゆらめく光の模様だ。
ホックニーは、そこにきらめく光と水のうごめき、すなわちこれまで誰も描こうとしなかったプールの水、そしてシャワーを当時普及しはじめたアクリル絵の具で美しく描いて多くの名作を生み出した。そんなロサンゼルスはホックニーの心の故郷となった。

展覧会の話をしよう。個人的にはホックニーが60年代から70年代のロサンゼルス時代に描いた作品がいちばん好きで、今回《午後のスイミング》(1979年)(はじめて観た)や、《両親》(1977年)の前では時を忘れてしまうくらいの感動があった。《両親》は、どうしてももう一度観ておきたいので再訪しようと思っている。他にもフォトコラージュの大作《龍安寺の石庭を歩く 1983年2月、京都》(1983年)、iPadを駆使したドローイングのアニメーションなど、足を止めざるをえない作品の展示が次々と続いていく。

デイヴィッド・ホックニー 《両親》 1977年 テート蔵
「デイヴィッド・ホックニー 展」展示風景、東京都現代美術館、2023年 ⒸDavid Hockney 

歩を進めていくと、展示のクライマックスが広い部屋で待ち受けていた。2019年に移住したノルマンディーで、移りゆく季節の風景を82歳のホックニーがiPadとタッチペンで描いた長さ90メートルもの作品《ノルマンディーの12か月》である。

横に延々と続くこの大きくて長い作品の鑑賞者は歩かなければならない。巻物を観るようなこの体験に戸惑いを覚えるが、ホックニーが見た通りの春夏秋冬の美しい風景の中をただ歩けばいい。この作品こそ最も時間をかけて観るべきものであり、今展覧会で知れるホックニーの現在である。

デイヴィッド・ホックニー 《ノルマンディーの12か月》(部分) 2020-21年 作家蔵
「デイヴィッド・ホックニー 展」展示風景、東京都現代美術館、2023年 ⒸDavid Hockney 

なんだろう。観終わると自然と湧き上がるなんとも言えない幸福感がある。そして誰もがきっとこう思うだろう。「世界をもっと愛そう」と。
ホックニーが私たちに言いたいのは、ただその一言なのだと感じた展覧会だった。愛し方は人それぞれだ。みんながそれぞれの方法や思いで世界を愛せばいいんだ、と。
ホックニーにとってそれは、身近の美しさを見つめて絵に描くことであり、そうやって生きた60年という日々が今回の展覧会そのものなのだ。

デイヴィッド・ホックニー 《ウォーター近郊の大きな木々またはポスト写真時代の戸外制作》2007年 テート蔵
「デイヴィッド・ホックニー 展」展示風景、東京都現代美術館、2023年 ⒸDavid Hockney 

ホックニー86歳。おしゃれでいたずらっ子のような笑顔がかわいいボヘミアンなおじいちゃん。旅はまだまだ続くだろう。

追記
ホックニー好きなのでお許しください。
若かりしホックニーが愛用していた黒フレームの丸眼鏡がどうしても欲しくて調べたところ、フランスの眼鏡工房「FRAME FRANCE」が60年代にほんの僅かだけ作ったものとわかり、また建築家のフィリップ・ジョンソンも同モデルを愛用していると知って、さらに欲しくなりました。しかしこれがまたスーパーレアということで簡単に見つけれられず、苦節15年でデッドストックをやっと入手。ということで、今回の展覧会でもドキドキしながら着用させていただきました。

デイヴィッド・ホックニー展

会期|2023年7月15日(土) – 11月5日(日)
会場|東京都現代美術館 企画展示室1F/3F
開館時間|10:00 – 18:00[8月の金曜日は10:00 – 21:00]入場は閉館の30分前まで
休館日|月曜日[9/18、10/9は開館]、7/18、9/19、10/10

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