
30代以上の人ならきっと覚えているに違いない、サントリー ウーロン茶の広告。1990年から2011年まで続いたこの人気シリーズの写真を手がけた上田義彦の展覧会がgallery ON THE HILL(東京・代官山ヒルサイドテラス)で8月13日(日)まで、また小山登美夫ギャラリー(東京・六本木)で8月26日(土)まで同時開催されている。代官山の会場を巡りながら1点1点の説明をしてくれる上田。撮影した当時のお話を聞いた。
聞き手・文=松原麻理
バレエのレッスンに打ち込む少女、凍てつく雪原に寄り添う男女、素朴な青年の実直なまなざし…… あれもこれも覚えていると誰もが懐かしみながら作品を観賞するのではないだろうか。会場には8×10の大判カメラで撮影され実際に広告に使われた写真と、ロケの合間に35ミリフィルムカメラで捉えたスナップが混ざり、おおよそ時系列に沿って展示されている。
「大きく引き伸ばして展示した写真に関しては、ほぼ8×10カメラで撮影しています。8×10で撮るときはそれほど枚数を撮りません。2回しかシャッターを切らないこともありました。8×10のポラロイドが存在した頃は使ったこともありますが、テストでポラを撮ってしまうと、そこからスタッフ間で長い話し合いになってしまうので、あまり撮らないようにしていました。35ミリのほうはライカで撮っています」

1990年 上海 ©️Yoshihiko Ueda

1990年 上海 ©️Yoshihiko Ueda
「この2枚(上)は最初に撮ったものです。女の子はバレエ学校の生徒、男の子は京劇のスターで、上海の劇場のような場所にセットを作って撮影しました。当時中国には映画の撮影所はあったけれど、いわゆる写真スタジオは存在しなかったと思います」
1981年に発売開始されたサントリーの缶入りウーロン茶のCMは当初はアニメを使っていたが、1987年から中国ロケのCM製作が始まり、1990年から上田が撮影を担当するようになった。アートディレクター 葛西薫、コピーライター 安藤隆、フォトグラファー 上田義彦の共同制作が始まった。
「中国にはまずキャスティングのために1回、ロケハンに1回行き、その後に本番撮影に行くというのが大体の流れでした。年間で2回のキャンペーンがある場合は、同じキャストを1年間契約して撮ります。だんだんキャンペーンの回数が増えていき、多いときには1年で10回も中国へ渡った年もありました。行き先については、葛西さんや安藤さんと中国の地図を広げて話し合って決めていました。次は水辺で撮りたいなぁ、という雰囲気になると、じゃあ大きな湖があるのはどこだろう? と調べていくうちに、行き先が絞られていきます。大体あたりをつけたら、北京電影のコーディネーターにロケハンしてもらい、写真を送ってもらうのです。当時はインターネットもなく、郵送で写真が届くのを待つという、実にのんびりした時代でした。その写真を見て、良さそうだなと思ったらいよいよ現地に乗り込むわけです」

1993年 海南島 ©️Yoshihiko Ueda
「これは1993年、海南島で撮ったものです。ここは中国の人たちにとって人気の新婚旅行先なんですよ。それでCMには吉田拓郎の『結婚しようよ』の中国語バージョンを流しました。撮っているうちに、なんだか触発されちゃってね。日本に帰ったら自分も結婚しようなんて思い、本当にこの年に結婚しました(笑)」
芝生の庭で濃紺のワンピースを着た女の子たちがクルクルと回り踊る次の写真は、特に記憶に残っている人も多いのではないだろうか。

1995年 福建省(武夷山) ©️Yoshihiko Ueda
「広告の撮影がすべて終わった翌日に1日だけオフがあり、そのときに遊びで撮っていたんです。僕たちは中国政府の招待所という施設に泊まっていて、その裏に広い庭があり、僕はそこにモデルたちを呼び集めて、なんとなく踊ってみてよ、という感じでライカでパチパチ撮り始めたんです。そのうちスタッフが集まってきて『これ面白いから、正月広告にいいんじゃない?』という話になり、急遽ムービーも回すことになって」
偶然、即興的に始まった撮影が忘れられない広告となり、写真家の代表作のひとつにもなるという幸福な結末。会場には実際に広告となった写真と、その前後に撮られたスナップが複数枚並んでいて、見比べるのも面白い。

上田義彦写真展「いつでも夢を」展示風景。
1998年 北京郊外 ©️Yoshihiko Ueda
「この女性は中国の有名な女優さんです。この撮影は演出も自分で手がけました。僕の娘もちょうどこの子役のモデルと同じぐらいの年齢だったので、自分の実生活とシンクロするような感じで撮りました。シチュエーションとしては授業参観日の帰り道。親子三人で歩いている途中にきれいな花畑を見つけ、お父さんが奥さんに『そこに座ってみて』と言ってカメラを構えシャッターを切る。そんなストーリーをモデルに説明して撮影しました。こういう場所はロケバスの窓から探していても見つかりません。もちろん車で移動するのですが、気になる場所を感じたら降りて、ずーっと、ときには2〜3時間も歩いていく。するといい場所が見つかるんです」
のどかな風景。親子の情。夫婦愛。質素。飾らない美しさ。
広告に映し出された世界に、近代化の途中で日本が忘れてしまった何かを思い、ノスタルジーを感じる人も多いはずだ。
「日本が失ったものというよりは、かつてあったものや、今はあまり表立って見えないものが当時の中国には露出していた、ということでしょうね。人間の営みや生活の匂いがぷんぷんするような感じを撮りたいと思っていました。また、寄宿舎で規律正しい生活を送るバレエ学校の生徒たちが、目標に向かって厳しい訓練に耐え、ピュアに生きている。そのように見える姿を捉えたいと思っていました。撮影が始まった1990年代初頭は、中国の街角には広告というものが存在せず、政府のスローガンが書かれた看板があるくらいでした。一方で日本はバブル期後半ですから、もう何もかも全然違っていて、だからこそ中国にしかない空気感を捉えたいという気持ちがありました」

2008年 上海 ©️Yoshihiko Ueda
上田がこの広告シリーズを撮影した20数年の間に、中国は劇的に変化していった。1992年に社会主義市場経済体制が確立され、経済活動が活発になっていく。1997年香港返還、毎年GDP10%以上増の驚異的な成長を遂げ、2008年北京オリンピック開催、2010年にはGDPが日本を抜き世界第2位の経済大国となった。

上田義彦写真展「いつでも夢を」展示風景。
2003年 京滬線・南京―上海 ©️Yoshihiko Ueda
「毎年中国に出かけていくたびに、映画のコマ送りでも見るかのように時代の移り変わりをはっきりと感じました。街の中心地の大通りに面した場所があっという間に開発されて、新しい建物が次々と建っていきました。そのスピードの速いこと。人々の表情や身なりも変わっていきますね。老人はそうでもないのですが、若者は服装やメイクがどんどん変わっていく。上海だと、撮影を終えて宿泊していた和平飯店というホテルにロケバスで戻ってくるとき、車窓から見える街の光がどんどん派手になっていくのが分かる。2000年を超えたあたりで、『あ、日本は追い越されてしまうな』とはっきり感じたことを覚えています」

1999年 上海 ©️Yoshihiko Ueda

左・右|2003年 上海 ©️Yoshihiko Ueda
同じ年に撮られた上海の街並みだが、家々が壊され、あっという間に新しい街区が建設されている。
上田にとってこの広告シリーズの最後の撮影となったのが、女優のファン・ビンビン(范冰冰)を起用した2011年のキャンペーンだった。

2011年 福建省・厦門 ©️Yoshihiko Ueda Courtesy of Tomio Koyama Gallery
撮影クルーが上海に到着した2011年3月11日、東日本大震災が起こった。日本が大変な状況だというニュースを聞きながら1週間の間、予定していた撮影をとにかくやり遂げて、なんとか帰国。その後、企業による広告自粛の時期を経て、今後の広告の方向性が話し合われた結果、中国ロケは終了となり、上田自身がウーロン茶の広告に携わることもこれが最後となった。
「当時、もっとこのシリーズを撮りたいという気持ちはすごくありましたが、広告主である企業が決めることですから。でも悔しいな、今でも、続けられるし、続けたほうがいいのにという想いが強くあり、だから一度、写真集にまとめようということになり、その流れで展覧会もやることになったのです」
会場順路の最後、カフェに隣接した吹き抜けの広い空間には、上田にとっての「ベスト・オブ・ベスト」の6点が、118×150cmの特大サイズで掲げられている。

上田義彦写真展「いつでも夢を」展示風景。
左|2011年 福建省・厦門 右|1999年 上海(和平飯店) ©️Yoshihiko Ueda
「自分の中でずっと印象的に残っている写真を選んで、自分でプリントしました。なぜこれらを選んだか、うまく説明できないのですが、自分のテクニックとは関係なく、モデルやスタッフ、ロケ場所、光の具合などすべてが噛み合って奇跡的に撮れた写真だと思います。今こういう写真を撮りたいと思ってももう二度と撮れない、かなり決定的な写真だったと自分では感じているのです」

1992年 北京 ©️Yoshihiko Ueda
上の写真は北京近郊の密雲湖で撮られたものだが、珍しくロケにサントリーの宣伝部長が同行した。すばらしい晴天のもと、お昼過ぎに現場にスタッフが集まったが、上田をはじめみんな石投げで遊んでばかり。一体いつになったら撮影が始まるのかと部長はやきもきしながらも黙って耐えてくれていた。とうとう日が沈むと急に風が止まり、湖は凪いで鏡面のようになった。その瞬間、怒涛のように撮影が始まり、フレームに入ってくる船を大声で制しながら、ほんの束の間のマジックアワーに絶妙な1カットが生まれた。
「『遥か感』と自分では言っていますが、これが全体のテーマになっていると思います。同じアジアの中の隣国なのに、中国には日本とはまるで違う生活があり、匂いがあり、風景があります。近いのに、何か遠さを感じる、謎の国。そういうことも含めて、ふと頭のなかに浮かんだ言葉です」
大判を除いてほとんどの作品が額装せず、プリントした紙の反りもそのままに、台紙に数カ所留めただけの体裁で展示されている。そこには、写真をフレームの中の画像として見るのではなく、写真もまた紙に定着した手触りのある「モノ」であるという、いわば “物質感” を出したいという上田の気持ちが込められている。

上田義彦写真展「いつでも夢を」展示風景。
1999年 上海 ©️Yoshihiko Ueda
一方、8月26日まで開催されている小山登美夫ギャラリー六本木での展覧会では一転して、厳選された12点がすべて大判サイズで展示されている。空間が違えば作品の見え方も変わってくるので、ぜひ見比べてみてほしい。

上田義彦「いつでも夢を・永遠要憧憬」展示風景。
1995年 福建省(武夷山) ©️Yoshihiko Ueda
photo by Kenji Takahashi
会期|2023年7月26日(水)-8月13日(日)
会場|代官山ヒルサイドテラス・ヒルサイドフォーラム、gallery ON THE HILL
開場時間|12:00-19:00[最終日11:00-17:00]
閉場日|月曜日
入場料|500円(⾼校⽣以下無料)
会期|2023年7月29日(土)-8月26日(土)
会場|小山登美夫ギャラリー六本木
開廊時間|11:00-19:00
休廊日|日・月曜日、祝日、8月13日(日)-21日(月)夏季休廊
コメントを入力してください