美術史の豊かな知識を土台にして、当代一の画力を武器にどこにもない絵を生み出す。そんな人気画家、山口晃ガハクは夫婦揃って食いしん坊。日常で、旅で、制作中の日々で、散歩の途中で何を食べてるの? ガハクが日常を描くコミックエッセイ『すゞしろ日記』に「カミさん」として登場するガハク妻による食事帖。 ホワイトアスパラガスに熱中し奮闘する妻とそれを横目にクールな夫の物語。  

 

絵/山口晃

「どうしようかな・・・」
5月の初め、私は某百貨店の通販のとあるページを何度も見返していた。

山口ヒゲ画伯こと夫(以下ガハク)に、相談してみる。
「どう思う?」
忙しいガハクはこちらを振り向きもせず返答する。
「いいんじゃない?」
基本、自分の仕事以外は無関心なのでだいたいこの調子だ。
こちらを見ようとする気配がないので口頭で読み上げる。
「北海道産ホワイトとグリーンのアスパラセット1kg、6,000円」

「ふーん。買えば」
「いいお値段だし。1kgもふたりでムリじゃない?」
「あなたが食べたいなら頼みなさいよ。正直、アスパラには興味がないからさ・・・」

ホワイトアスパラガスに関してはふたりの間に温度差がある。
かつて私がギャラリーに勤めていた頃、毎年6月にスイス・バーゼルに出張していた時期があったのだが、その際に欧州ではホワイトアスパラガスが短い旬の間、ちょっとしたイベントとして食されている事を知った。
ホワイトアスパラガスの旬は国や地域によって違って4月から6月中旬くらいのようで、バーゼル界隈はぎりぎり「なごり」が味わえた。なので、年によってはもう終わったとか、おいしい品は先週までだったと言われてしまうこともあり、今年はまだあるだろうか、食べに行く時間はとれるだろうかと、仕事同様に気を揉んだものだった。
また旬とはいえ、どこのレストランでも提供されているわけではなかったので、国境沿いの街という利を活かしてタクシーに乗り、国境を越えてフランス、ドイツまで足を運ぶことが多かった。

そこで提供される茹でたホワイトアスパラガスはたいてい驚くほど山盛りで、直径2センチほど、10本で一人前といったところか。オランデーズソースやハムが添えられ、メインの皿としてひたすら食べるというスタイルだった。淡白さとほのかな苦味は春の山菜を思わせ、繊維質にも関わらずつるつるとした食感で、ソースやハムの塩気にやや押されがち? おいしいと感じるよりは物珍しさのほうが先に立っていたかもしれない。
ホワイトアスパラガスに対して浮き足立つような気分が重要で、「無条件にいいもの」として刷り込まれてしまった。

密かにその本質の理解に努めようとしていたある年、1日オフができてバーゼルから列車で小1時間ほどの距離にあるフランスのコルマールへ日帰りの一人旅をしたことがあった。その時にお昼をとったレストランのメニューにホワイトアスパラガスがあったので、性懲りもなくオーダーしてみた。
ここでも茹でたアスパラガスにオランデーズソースという取り合わせであったが、一口食べて思わず顔を上げ、一人ぼっちのテーブルで目の前の誰もいないイスを見つめた。
これまで食べていたものと異なり、ほっくりとした歯ごたえで筋ばったところがまるでない。かみしめると、かすかな苦みと共に無骨な甘さがしみわたり、湿った地中から立ちのぼってくる春の土の気配につつまれるような感覚におちいった。
・・・皆が待ち望む祭りであるかのようにホワイトアスパラガスが受け止められている理由を、ようやく実感できたように思えた。


なので、翌年ガハクが私の出張に合わせてバーゼルにやって来た折には、コルマール行きを強く薦めた。
「すごくおいしいホワイトアスパラガスを食べたから、行ってみて!」
「・・・コルマールにはグリューネヴァルトの祭壇画があるから行こうかな」

しかしガハクはそこでホワイトアスパラガスを食べることができなかった。
「メニューには書いてあったのだけど・・・もう無いって言われたと思う」
しょんぼりとガハクが報告する。フランス語も英語もよくわからないなりに、教えたレストランに行って一人で頑張ったようだ。
ガハクはお目当てだったマティアス・グリューネヴァルトの《イーゼンハイム祭壇画》を鑑賞できて結果的には満足して帰ってきたが、その後ふたりの間にはホワイトアスパラガスの味について溝ができたままになってしまった。

2000年代初頭は日本でそんなに浸透していなかったホワイトアスパラガスも、この10年ほどで春になると各種レストランにて、フランス、イタリア、ドイツ産のホワイトアスパラガスがメニューに載るようになったし(1〜2本単位でうやうやしく提供される)、国産品が近所のスーパーにすら並ぶようになった。
そんな時代の流れの中で、すっかりホワイトアスパラガスに浮かれるようになっていた私は、季節になると家でも食卓に出しはじめていた。
調理自体は酢を入れて茹でるだけ。ピーラーで剝いた皮も一緒に入れるといい出汁がとれ、ゆで汁を翌日雑炊に利用すれば2度楽しめる。
ここでオランデーズソースも添えるべきではあるのだが、バターは(ガハクが気をつけている脂肪過多になるから)常備しておらず、材料の卵黄(除いた白身はどうすればいい?)とかレモン汁、白ワインなど、「簡単! 混ぜるだけレシピ」とうたわれていても、わざわざ作るには面倒でしかなく、卵とマヨネーズでいいか、とサンドイッチの具のようなディップだとか市販の温泉卵などで適当にごまかしていたのがよくなかったのだろう。4〜5回目の春をむかえた時に、
「本当は緑のほうが好きなんだよね・・・」
食事中にうつむきながらガハクがついに告白した。
「だって白いのは味しないし」
私も心にウソがなければ、目の前のホワイトアスパラガスに対して同意見だったかもしれない。
「あなたは現地で正解を知っているからいいけど・・・。どこをおいしいととらえたらいいのか、味がよく分からないのだよね」
無理して何年も私に合わせてくれていたことの方がむしろショックで、そう言われて以来、申し訳なくてここ2〜3年は家で「ホワイトアスパラガス気分」を試みることはやめてしまっていた。

「どうしようかなー。もう締め切り間際だから売り切れたかも」
冒頭のホワイト&グリーンアスパラガス通販の件。ごくごく小さな写真ながら、元気に育ったらしきアスパラガスを見るとやはり季節を感じたくなってしまう。
「まだ迷ってたの?!」
ガハクはあきれたようだ。
「なんでずっと決めないの? やめるように言ってほしいの?」
「1kgもあるし」
「そんなのふたりで2〜3日でペロだよ」
あおられるような言われ方をして連休の終わりに注文してしまった。

5月も下旬にさしかかる頃、コンパクトな箱が冷蔵便で送られてきた。
ホワイト10本、グリーン11本、立派でずっしりした束は鐘撞き棒にでもなりそうだ。
いくつかの料理レシピの記載された冊子が同梱されていたので参照してみる。
面倒だということも大きいけれど、決め手になりそうなソースを失敗するのも怖く、オランデーズソースを作る気は最初からない。
グリーンアスパラガスの肉巻き・・・手が汚れそうだな。ホワイトアスパラガスの炊き込みご飯、おいしそうだけどなんだかもったいない。アサリとの白ワイン蒸しとやらもアサリに味をもっていかれそう・・・。ぐじぐじと難癖をつけて自分に言い訳し、結局ホワイト、グリーン共に単なるソテーにてまず食してみることにした。
ホワイト、グリーン共に4本ずつをその晩の一皿用として緊張しながら下ごしらえ。
フライパンで中火で焼き焦げ目がついたら裏返し、蓋をして弱火で5分ほど蒸し焼き・・・と書いてある。ふむふむ。
そのレシピによると最後に塩とバターで仕上げ、との指示だったがここは変更して塩のみとしよう。また、ポーチドエッグを載せるのもおすすめ、の部分も見えなかったことにする。
火をつけて調理がはじまるが蓋がガラス製でないので中が見えず、やや不安だ。キッチンタイマーが鳴り、おそるおそる蓋をとってみると・・・。
程よく焦げ色が入りふっくら感もあり、見た目、かなりお店っぽい仕上がり。めずらしく心のなかで親指を立てるジェスチャーをとった。
塩味要員としてちょうどストックしてあった生ハムも別皿で用意し、本日のアスパラ料理が完成した。

「わ、これか」、「すごいねー」など、通常より少し大げさなガハクからのリアクションのあった後、夕ご飯がはじまった。
ナイフでホワイトアスパラガスを一口分に切り分け、生ハムを少し巻いてから箸で口に運ぶと、繊細でほろ苦い風味が広がったのでほっとした。
それなりの素材を使うとフライパンで焼いただけでここまでおいしさが引き出せるのか、今までの失敗は品質によるものだったのだとしんみり悟った。
ところでガハクの方は・・・普通においしそうに食べている。いつもと同様に、変わりなく、味わいながら楽しく食事をしている・・・つまり特にコメントはなし。

しびれを切らして聞いてみる。
「ついにおいしいホワイトアスパラガスがおうちで食べられたよね」
「・・・生ハムの味が強くて分からない。これ生ハムの味でしょ」
そうガハクに言われてしまうと私も言葉に詰まり、背後に敗北感がただよう。

翌日はホワイトの方は茹でに挑戦。しかし、とろとろ半熟ゆで卵作りに失敗し、またしても、たまごサンドのパンの代わりがアスパラガスですか、という情けない有様。
グリーンの方はざくざくと切って豚肉と炒めたので、こちらはガハクから、
「あ、これおいしいやつだ」
と見た瞬間にうれしそうな一言が漏れ出て、箸を運んでからもずいぶんな好評を得る。
自分のせいであるがホワイトの劣勢がなんだかくやしい。

そして3日目。初心に戻って、2本残ったホワイトアスパラガスはもう一度グリーンとともにソテーすることに決めた。今回は生ハムというごまかしも使わず、オリーブオイルと塩だけで勝負する。
初日はレシピを気にして神経質になっていたけれど、焼き方の流れはもう覚えたので今日はもう自分の料理として一体感を持って手を動かしていく。
ちなみに最近焼き物に使用しているのは実家最寄り駅の駅ビルで見つけた、マチュピチュの天空云々と名付けられた塩。単にペルー産というだけと思われるあやしいネーミングだが、ちょっと違う味つけができるような気分になる。
最後にぱらぱらとこの岩塩をまぶして1日目と見た目は変わらないホワイトとグリーンの、焼いただけのアスパラガスが皿に盛られた。

今宵もまた、ガハクにとって唯一に近い楽しみのごはんの時間となった。
白ワインで軽く乾杯をし、いつもの食事がはじまる。
中盤に差し掛かった頃、突然ガハクが言葉を発した。
「白アスパラ、うまい」

・・・・今なんと?
「ついにホワイトアスパラガスをおいしいと思った??」
「・・・いい野菜をこんな風に焼いて塩かければ、何だっておいしいんでないの」
なかなかホワイトアスパラガスチームには仲間入りしてくれない模様だ。さらに屁理屈は続く。
「あなたは現地で正解を知っているからいいけど・・・」
「コルマールのこと? あれが正解なのかは私も分からないよ」
「でも比べてどう?」
遠い記憶をたどってみる。
「まず・・・焼いてはなかった。北海道産は分かりやすく甘いけど、現地ではもっとこう・・・甘みが野性的だった。土から出てきましたーという感じ?」
「ほら〜」
ふたりの憶測だが、本場のものはきっと茹でて食べる所にポイントがあるのだろう。結局日本のものは日本の(土の)味になるのだということが分かった。しかしながらこれはこれで十分においしくはあり、ガハクにも受け入れられたということで、
「また次も取り寄せてみようか」
ということにはなった。
そういうことならば、来年こそはオランデーズソースを作ってみようと思う、と決意を伝えたところ、
「・・・それがいいかも」
ほどほどの期待のこもったガハクからの返答があった。
今から1年後が楽しみである。

■次回「ヒゲのガハクごはん帖」は7月第2週に公開予定です。

●山口晃さんってどんな画家?
1969年東京都生まれ、群馬県桐生市に育つ。96年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。 2013年『ヘンな日本美術史』(祥伝社)で第12回小林秀雄賞受賞。日本の伝統的絵画の様式を踏まえ、油絵で描く作風が特徴。都市鳥瞰図・合戦図などの絵画のみならず立体、漫画、インスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。主な個展に、2015年「山口晃展 前に下がる下を仰ぐ」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、茨城)、18 年「Resonating Surfaces」(大和日英基金ジャパンハウスギャラリー、ロンドン)など国内外展示多数。2019年 NHK大河ドラマ「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」のオープニングタイトルバック画を担当し、22年善光寺(長野)へ《善光寺御開帳遠景圖》を奉納する。
2023年9月アーティゾン美術館にて個展
「ジャム・セッション 石橋財団コレクション × 山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」を開催予定。

山口晃《日本橋南詰盛況乃圖》(部分) 2021-2023 年 作家蔵 ©YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery 「ジャム・セッション 石橋財団コレクション × 山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」出品作品

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