荻野夕奈 《p-090223_1》(部分) 2023年 Courtesy of the artist and Mizuma Art Gallery Photo/ MIYAJIMA Kei

荻野夕奈の絵を見る。大きさや強い色彩に圧倒される。抽象の方に向かいつつあるその画面。寄りで見る。引きで見る。ルネサンスの画家が描いた春の絵。20世紀の画家が描いた叫ぶ教皇の絵。そういう連想をするのはあまりに表面的に過ぎるか。あるとき、彼女は初めて歩く森の中で考えていた。画家たちは何を、どう描いてきたのか。生命を与えられたことの喜びと、感情を持ち合わせている哀しみかもしれない。それを自分はどう表現していくかの思いを新たにし、描き続けている。

ギャラリーの重い扉を開くと、真正面の壁面に掛けられた大作《p-090223_1》が目に飛び込んでくる。
縦190cm×横450cmの大画面には深い緑から軽やかな浅緑が広がり、2人の女性と男性と思しき裸体が緑色の空間に舞っている。

ミヅマアートギャラリーでの展示風景 Courtesy of the artist and Mizuma Art Gallery Photo/ MIYAJIMA Kei

「この人たちはなに?」
「この人たちはどこにいるの?」
「で、何を伝えたいの?」
等々、さまざまなクエスチョンが浮かぶに違いない。だが、画家の心境に思いを馳せてこの作品と向き合ってみると、作品の印象はずいぶん違ってくるのではないだろうか?


「2022年10月25日、私はフランスのモンティー=シュル=ロワン近くの森を歩いた。……(中略)……ゆっくりと歩きながら絵のことを考えた。描き始めの真っ白いキャンバスと向かい合う時、まるで目的のない旅を始めるようにいつも重たく身構える。……(中略)……明確な答えは求めず、積み重ねてきた経験の中で新たに体験できた瞬間が少しでもあることを期待しながら、一筆一筆描いていく。その心境は、知らない森の道を一歩一歩進むこととなんだか似ている気がした」(*荻野夕奈『TRACES OF LIFE』収録「生命の痕跡」より)


この画面に広がる緑は大地に根ざして生きる樹木の生命力の証。そして、緑の中に舞う身体は、宇宙的な生命の循環の中で「束の間の生を生きる私たち」にほかならない。個々の命はいつか潰えようとも、宇宙はすべてを飲み込み再生を繰り返す。壮大なスケールの宇宙的な時間の循環に包まれているような……。もちろん、これは一鑑賞者としての筆者の受け止め方にすぎない。だからこそ皆さんにも向き合って欲しいと思う。狭いアトリエの空間で荻野が果敢にトライしたこの大作に。

荻野夕奈 《p-090223_1》 2023年 Courtesy of the artist and Mizuma Art Gallery Photo/ MIYAJIMA Kei

荻野は身近な空間で触れることのできる草花や植物を観察し、繊細な描線と薄塗りの彩色でささやかなモチーフを散りばめて大画面を構成する作品を描いていた。筆者がこのような荻野作品に出会ったのは9年前。植物に「ささやかな生」の証を見出していた彼女は、やがて「花という生殖に関わる艶やかな存在」を注視するようになる。


「美術の歴史の中で描かれてきた花は、主役をより引き立てるための背景として用いられていたり、装飾として用いられることが多い。けれど……(中略)……花びらの繊細さや立体感は、透明色や柔らかい筆で少しずつ描きつつ、時折大きなナイフや思いきった厚塗りも加えてみたくなる。」(*)


そして、植物と女性の顔や手足など束の間の時間を生きる人間の身体パーツが組み合わされ、画家の想像力は植物に託された生命の証と人の姿形とを結びつけていく。森の中で画家は思う。


「私の前から一人、背後からまた誰か一人が来るとしたらまるで舞踏が始まったときのような緊張感が生まれそうだ。でもきっと美しい瞬間だろう。その二人がハグするのか、それともすれ違うのか、どちらともいえない自由さを描いてみたい。足は浮き、重力に従わず、音もなく。」(*)


今回の個展は、花を描いた新作と、絡み合う人物の身体を描いた作品、初の大作《p-090223_1》で構成されている。花も人物像も具体的な形の描写は格段に抽象性を増し、絡み合う身体の性別すらもはっきりしない。絵を前にしてとまどう方も多いかもしれない。だが、ここから画家と作品を見る私たちとの秘められた楽しみが生まれるのだ。

荻野夕奈 《p-210523_1》 2023年 Courtesy of the artist and Mizuma Art Gallery Photo/ MIYAJIMA Kei

荻野夕奈 《p-250523_1》 2023年 Courtesy of the artist and Mizuma Art Gallery Photo/ MIYAJIMA Kei

「何をどう描こうとしているの?」
「この手前に飛び出してくるオレンジ色のタッチは何?」
「えっと、二人いるようにみえるけど、この人たちは抱き合っているの?」
「男と女なの? それとも……??」。
それら密やかな問いの答えは、塗り重ねられた絵の具の層と画家の身体の痕跡である筆触、形の織りなす活気に満ちたリズムのうちに秘められている。

「キャンバスの上の現実は見たものを再現する場ではなく、視点を追う場所であり、綺麗でなくていい。筆やナイフ、素手を使って体全体を動かしていく。時には描いた箇所を思い切って削り落とし、呼吸を整えながら、人の目が生命の痕跡を作り出していく。/人種や性別という説明をできるだけ取り払う。着ているものはできるだけ少ない方が、花のように存在そのものを見出しやすい。」(*)

荻野夕奈 《p-150523_1》 2023年 Courtesy of the artist and Mizuma Art Gallery Photo/ MIYAJIMA Kei

容易に答えを得ることのできない問いかけは、世間一般では「非生産的であり無意味」と定義づけされるだろう。だが、いや、待て。「数値に変換しうる事象」だけで構成される世界に、人の感性に響く《文化》は生まれるだろうか……。だからこそ、人の営みの根源を探り、人と人の身体接触の記憶を愛おしみ、生命の循環の中に抽象的形態へと昇華する荻野作品のダイナミズムに触れて欲しいと思う。そのダイナミズムに秘められた「生への希求」は、見る人の背中を優しくそっと押してくれるだろう。「この世界もあなたも、あるがままで祝福されている」のだと。

荻野夕奈 Photo/ SHINTSUBO Kenshu

荻野夕奈 「Silent Tales」

会期|2023年5月31日(水) – 6月24日(土)

会場|ミヅマアートギャラリー

開廊時間|12:00 – 19:00

休廊日|日・月曜日、祝日  

 

トークイベント

日時|6月10日(土)17:00 –

会場|ミヅマアートギャラリー

作家荻野夕奈と親交も深く、今回の作品集『Traces of Life』にも寄稿の美術ジャーナリスト 藤原えりみと荻野夕奈によるトークイベントを開催。詳細は web サイト、SNS で告知。

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