ポール・シニャック 《グロワ》 1920年代(?) 国立西洋美術館蔵 松方コレクション
シニャック [1863-1935] は点描画法で有名だが、それと並行して水彩デッサンも多く残した。1900年以降は南仏サントロペやアンディーブを拠点としたが、1921年にはグロワ島を訪れ、活気ある漁港の様子を彩り豊かに描いた。

東京・上野の国立西洋美術館で「憧憬の地 ブルターニュ —モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷」展が開催中です。そもそもブルターニュってどんな場所か知っていますか? 現地に滞在したことのある太田智士さんのお話と写真を参考にしながら、展覧会を巡りました。

まずは基本事項をおさらい。ブルターニュとはフランス北西部の一地方で、英仏海峡と大西洋に突き出した半島に位置し、およそ近畿地方と同じぐらいの大きさだ。古来、ケルト文化の影響が色濃く、ブルトン語が存在するなど(現在でも少数だが話者はいる)、首都パリから遠く離れた異郷として独自の歴史を歩んできた。主要都市はサン=マロ、レンヌ、カンペール、ブレストなど。ビーチは所々に点在するものの、多くは断崖が連なり、入り組んだ険しい海岸線に囲まれている。
このブルターニュ地方は19世紀後半から20世紀にかけて、国籍や流派を問わず多くの画家たちの注目を集め、特にポール・ゴーガンを中心としたポン=タヴェン派やナビ派などの画家グループの誕生を促した。

注|但し、本展ではロワール=アトランティック県もブルターニュ地方に含めている。

太田さんがブルターニュに滞在したのは1999年の初夏のこと。
「僕は90年代にヨーロッパで雑貨やスニーカーなどを買い付ける仕事をしていて、パリに行った時、初めて蕎麦粉のクレープ(ガレット)を食べて、それがとても美味しかったんです。その後ベトナムに行った時、たまたま日本語が話せるフランス人と知り合って『ガレットって美味しいよね、いつか自分でも焼けるようになりたいなぁ』なんて話したら、その人がガレットはブルターニュ地方のカンペールという街が発祥の地だと教えてくれて、そのうえ彼自身がブルターニュ地方の出身だと言うのです。故郷の家が空き家なので、もし現地を旅行するなら貸してあげるよ、と。全くの初対面でしたが、気軽な言葉に甘えて家の鍵を預かり、翌年の5月に旅立ちました」

スタンダードなガレットは卵とハムとチーズを入れて生地の四辺を折りたたんだもの。

パリからTGV(高速鉄道)に乗り約4時間でカンペールへ。
フランス人が貸してくれた家はそのカンペールからさらに25㎞も離れた、海に近いプルドゥルジック(Pouldreuzic)という小さな街にあり、最寄りのバス停から30分も歩かなければならないほど辺鄙な場所にあった。
「カンペールの大学の中に、ガレットづくりを教える一般人向けのコースがあることを知り、とりあえず見学だけのつもりで訪ねたら、ちょうど今日が授業の初日だから絶対に入学したほうがいいと強く勧められて。僕はカフェで働くなどして、なんとなく習えればいい、ぐらいにしか考えてなくて、学校に通うつもりはさらさらなかったけれど、半ば強引に誘われ、30万円もの授業料を払って1ヶ月半のコースに入学することになってしまいました(笑)」

右が太田さん。ガレットづくりの授業にて。

太田さんが通った「ガレットづくり」が学べる学校。
言葉は理解できずとも、味見して舌で学んだ。

フランス語など全く理解できないし話せないまま入学。ゆくゆくはホテルやレストランに就職してガレットを焼きたい若者や、ガレット屋の起業を夢見るリタイアした漁師、近所の主婦など、年齢も立場も様々な12人の生徒たちの中に混じって、ユニークな学校生活が始まった。
さて、ここからは太田さんが撮った当時のスナップ写真と、展覧会の作品を見ながら、ブルターニュ地方とはどういうところか探って行こう。

「僕が住んでいたプルドゥルジックから2キロぐらい先に海があります。海岸線は入り組んでいて、ゴツゴツした岩場だらけで、ちょうど三陸海岸のようです。ブルターニュ地方の海岸は大体こんな感じで、ところどころにビーチリゾートやヨットが停泊する港がありました。また、海岸沿いにはストーンヘンジのような石の遺跡が、特に囲いもなく、あちこちに点在しています。石造りの家は窓が小さいからでしょうか、晴れていても室内がいつも暗いという印象でした。一年を通じて強い風が吹き荒れ、夏はほんの束の間で、厳しい自然環境です。中世の頃から飢饉対策として蕎麦の栽培が奨励されたこともあり、蕎麦粉を使ったガレットが名物になったそうです」

太田さんが借りた家のそばにあった巨石遺跡群。

クロード・モネ《ポール=ドモワの洞窟》1886年 茨城県近代美術館蔵
ベリール島にある洞窟を描いた作品。切り立った崖が海に垂直に落ち込むさまは、典型的なブルターニュの風景。クロード・モネ [1840-1926] は1886年9月から11月にかけてベリール島に滞在し、海岸沿いの風景を繰り返し描いた。

ウージェーヌ・ブーダン《ダウラスの海岸と船》1870-73年 ポーラ美術館蔵
孤を描く海岸線、停泊中の船など、太田さんの思い出のブルターニュはこんなイメージ。ノルマンディ生まれのウージェーヌ・ブーダン [1824-1898] はすぐ西隣のブルターニュをたびたび訪れているが、これは妻の出生地であるブルガステル=ダウラスに滞在して描いた作品。海景を得意とする画家による典型的な風景画。

ポール・ゴーガン《画家スレヴィンスキーの肖像》1891年 国立西洋美術館蔵 松方コレクション
「ブルターニュの家の中は暗い」という太田さんの証言を彷彿させる。ポール・ゴーガン [1848-1903] は1886年に初めてポン=タヴェンに滞在し、以後もたびたび逗留している。この地を拠点に集まった画家たちがポン=タヴェン派を形成し、実際に目に見える風景に神秘的思想を重ねる「綜合主義」を展開していく。 

「展覧会の作品にたくさん描かれていましたが、ブルターニュ地方の民族衣装に『コワフ』と呼ばれる頭巾があります。僕が滞在していた時、毎週日曜日のミサに黒いコワフを被って参加するおばあちゃんを見かけましたが、それ以外は被っている人を見かけませんでした。お祭りの時には若い子たちも被るようですが」

シャルル・コッテ《行列》1913年 国立西洋美術館蔵 松方コレクション
ブルガステルの宗教行事に参列する白いコワフを被った女性たち。

シャルル・コッテ 《ブルターニュの老婦》 国立西洋美術館蔵 松方コレクション
コッテ [1863-1925] は1891年にブルターニュ地方の西端、カマレにアトリエを構え1913年まで居住した。荒々しい海と厳しい自然を前に忍従する地元の人々を題材とする作品を多く残した。

「ブルターニュは海産物や野菜のほか、山羊のチーズなど乳製品も豊富で、最高に美味しいです。海産物はマルシェの他に、港で漁師さんが直接売っていることもありました。僕は蟹がとても気に入って、ほぼ毎日蟹を茹でてはレモン汁とマヨネーズをつけて食べていたので、同級生たちに呆れられていました」

カンペールのマルシェ。太田さんの大好物の蟹。
アーティチョークやトマト、ラディッシュなど地産野菜も豊富。

エミール・ベルナール 《ポン=タヴェンの市場》 1888年 岐阜県美術館蔵
市場に並ぶのはリンゴだろうか。白いコワフを被った女性が大勢見える。ポン=タヴェン派の一人に数えられるエミール・ベルナール [1868-1941] は、20歳年上のゴーガンとともに綜合主義を作り上げていったが、1891年に二人は絶交。上の作品に描かれた縦筋は垂れ下がるリボンで、その隙間から遠景を覗く構図は、喜多川歌麿の《夜見世の図》から影響を受けたと言われる。

「カンペールの中心地にその名も『バター広場』(Place au Beurre)があり、ガレットを食べさせるクレープリー(Crêperie)が立ち並んでいました。カフェはなくて、クレープリーがカフェを兼ねていました。ガレットには卵やハムやチーズなどの具を乗せて生地のまわりをたたむ食事用のタイプと、グラニュー糖と塩バターなどを間に挟んだデザートクレープがあります。具は他にマッシュルームやトマトを入れたり、果物のコンフィを添えたり、バリエーションに富んでいます。ガレットと一緒に飲むのはシードルが基本。リンゴの名産地でもあるからです。パリのモンパルナス駅付近にガレット屋がたくさんあるのですが、それはパリへ出稼ぎに行くブルターニュの人々を乗せた電車の終着駅がモンパルナスだから。言ってみればカンペールは“日本の青森県”、モンパルナスは“上野駅”みたいな位置づけですね」

カンペールのバター広場にあるクレープリー(ガレット屋)。

久米桂一郎《林檎拾い》1892年 久米美術館蔵
7年間のフランス留学中に2度、ブルターニュ地方ブレア島を訪れた久米桂一郎 [1866-1934] 。逗留先の宿の庭で少女たちが林檎を拾う様子を描いた。

「カンペール焼という陶器も有名です。花柄や人物を手描きで絵付けした素朴な焼き物ですが、そう安くはないです。クレープリーの店内で、絵皿が壁に飾られていました」

カンペール焼。


参考作品|ポール・ゴーガン《白いテーブルクロス》 1886年 ポーラ美術館蔵  ■本展には出品されていません

「学校は土日が休みなので、友達が車でいろんなところに連れて行ってくれました。あちこちに古い石造りの教会があったのが印象的でした。ブルターニュ地方独特の『カルヴェール』という石造彫刻をたくさん見かけました」

サン=ジャン=トロリモンにある15世紀半ば建造のノートルダム・トロノエン教会(Notre-Dame de Tronoën)。

同教会の前にあるカルヴェール(十字架や受難者や聖人を表した石造彫刻)。

プロムールにあるブゼック礼拝堂(Chapelle de Beuzec)。大きな十字架の石造彫刻が前庭にある。

「展覧会の副題に『異郷』という言葉が使われている通り、ここは最果ての地ですし、昔はブルトン語が使われ、ケルト文化の影響が強く、パリから見れば遠い異国とも思えるエキゾチックな場所だったようです。また北方からの外敵に直面する地理的条件や厳しい気象条件のために貧困と隣り合わせだった歴史もあります。でも僕にとってブルターニュは風光明媚だし、食べ物は抜群に美味しいし、人は親切で優しいし、本当に素敵な場所です。19〜20世紀のフランスやヨーロッパ、さらには日本の画家たちがわざわざこの地を目指してやって来て制作したのも、そうした魅力があったからこそだと思います」

憧憬の地 ブルターニュ —モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷

会期|2023年3月18日(土) – 6月11日(日)
会場|国立西洋美術館
開館時間|9:30 – 17:30[金曜・土曜は9:30 – 20:00]入館は閉館の30分前まで
休館日|月曜日
お問い合わせ|050-5541-8600 (ハローダイヤル)

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