
アルベルト・ジャコメッティの彫刻作品7点を無料で見られる。それだけで僥倖といってよいはずなのに、それらが展示されている空間には自然光が入るようになっている。昼と夜とで、晴れの日と曇りの日とで、作品の見え方が違ってくる。そんなチャンスは、この日本では、そうそうあるものではない。
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そして、本展の最大の見所だと私が思うのは、写真家のエリ・ロタール(Eli Lotar)をモデルにした胸像を3点、まとめて見られることだ。

手前3点、左から《男の頭部》(ロタール Ⅰ)、《男の胸像》(ロタール Ⅱ)、《座る男の胸像》(ロタール Ⅲ)
「ALBERTO GIACOMETTI」 エスパス ルイ・ヴィトン大阪での風景(2023年) Fondation Louis Vuitton, Paris © Succession Alberto Giacometti / Adagp, Paris 2023 © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton
ロタールは、2017年にパリのジュ・ド・ポーム国立美術館で回顧展が開催されて、再評価の機運が高まったものの、今でも相当マニアックな人しか知らないだろう(そんなアーティストの回顧展をするジュ・ド・ポームのような美術館が国立として運営されているところにフランスのすごさがあると思うのは私だけではないだろう)。1905年、パリ生まれ。父親はルーマニアの詩人。父親の母国の首都ブカレストで成長するも、1924年にはパリに戻り、1926年にはフランスの国籍を取得している。パリでは、シュルレアリスムを中心とする前衛芸術の写真家として活躍、1933年製作の、ルイス・ブニュエルの監督によるドキュメンタリー映画「糧なき大地」(原題はLas Hurdes)では撮影を務めている。
そんなロタールは、1963年の終わり頃から、ジャコメッティのアトリエに来ることになったという。1920年代のパリを、シュルレアリスム時代の空気を知る者同士として、気が合ったのだろう。ただこのロタール、ジャコメッティに再会した頃は窮乏の状態にあったようだ。つまりロタールとしては、モデルを務めることでもらえる謝礼が生きる上で大事だったのかもしれない。そして、ジャコメッティにとっては、不満や出過ぎた批評を言わずに座ってくれる人物が必要だったのかもしれない。かつての矢内原がそうだったように、だ。
しかし運命とはおかしなもので、このロタールは、ある意味、ジャコメッティを「象徴」するモデルとなった。というのも、ジャコメッティのいわゆる遺作は、今回も出品されている「ロタールIII」の粘土像とされているからだ。それはジャコメッティの没後に弟ディエゴの判断により石膏型をとられた上でブロンズに鋳造されて、そしてジャコメッティの墓の上に載せられた。現在、ジャコメッティの墓の前で手をあわせようと、小村ボルゴノーヴォを訪れるファンを出迎える彫刻のモデルは、弟ディエゴでも妻アネットでもなければ、友人の矢内原でもなく、ロタールの像なのである。

《座る男の胸像》(ロタール Ⅲ) 1965年 ブロンズ (1968年鋳造、アーティストプルーフ1/11) Fondation Louis Vuitton, Paris © Succession Alberto Giacometti / Adagp, Paris 2023. © Fondation Louis Vuitton / Marc Domage
ところで、ある作家の晩年の作品というのは、いわゆる一般の来場者にとっては、最後の力を振り絞ったものとして共感を持って受け止められることが多いと思う。けれども、批評家などの専門家には評判がよくないことがほとんだ。マンネリ化している、線が崩れている、体力の衰えから塗り方が甘い、等々、彼らは様々な理由をあげつらう。
ジャコメッティもその例に洩れない。たとえばデイヴィッド・シルヴェスターという20世紀を代表する批評家は、ジャコメッティについて書いた本の中で次のように述べている。
たぶん晩年の胸像が悲痛である理由は、それらが明らかに疲れた作品だからであろう。50歳であったときに撮られたジャコメッティの写真は40歳の男の想像を彼に与えているが、60歳の時に撮られた写真では70歳の男の容貌になっている。そのような老化は、たしかに64歳で発症し彼を死にいたらしめた癌に関係していた。この致命的な病は芸術家の作品を鋭利にしうる一方で、晩年の彫刻のいくつか――ロタールの胸像――においては悲しい宿命感やあきらめの気持ちがあったようにわたしには思える。
デイヴィッド・シルヴェスター『ジャコメッティ 彫刻と絵画』武田昭彦訳 みすず書房 2018年 189-190頁
悲痛で、疲れた作品。明らかにネガティヴな物言いである。
なるほど確かに、その頃のジャコメッティは癌を患っていた。1963年には手術もしていたし、1964年には母親を亡くした。心底疲れきっていたことだろう。
けれども、なぜ疲れきったなかでつくられた作品がいけないのだろう。いったいどんな作品ならば評価されるというのか。
この指摘に続いて、シルヴェスターは、評価しうる作品には「空間を通した形態の推進力に過剰なまでの強い主張があり、それが胸像に道化師パンチ氏のようなうるさいほどの戦闘性を与えている」としている。
過剰なまでの強い主張。うるさいほどの戦闘性。
ぜひここでデイヴィッド・シルヴェスターを画像検索してほしい。背もそれなりに高く恰幅もよい彼は、いかにもエネルギッシュであることを大事にしていそうな人物である。人を見た目で判断してはいけないかもしれない。でも彼は、他のアーティストについても(フランシス・ベーコンのことだ)、その晩年の作品を、かつての自作を引用してマンネリ化している、激しさがないと批判していた。そんな彼のテキストには、まさに過剰なまでの強い主張と、うるさいほどの戦闘性がある。
ここで問いたい。体力や精神力が衰えるなかでどのようにものがつくれるのかを模索することにも、大きな意味があるのではないだろうか。かつてのように時間はかけられないかもしれない。知力と体力、ともに必要とする大胆な表現はできないかもしれない。でも、そのような中でこそできる表現を探すこと。それもまたアーティストに課せられた使命ではないのか。
疲れたジャコメッティは、人間を針のように細くすることはできなかった。
なるほど確かにそうかもしれない。
でも、その「できなかった」ことをネガティヴに捉えるのではなくて、ポジティヴに捉えることだってできるだろう。疲れた自分=アーティストが人間を針のように細くできないのと同じように、鑑賞者だって疲れていたら、そうした表現を受け止めることは難しいかもしれない……胃癌の手術や母親の喪失を体験したアーティストは、ひょっとしたらそんなことに思いを馳せながら、手を動かしていた可能性があるのではないか。そこに「悲しい宿命感やあきらめの気持ち」があったとしても、全然かまわない。そもそも、ジャコメッティの制作は、いつだって「悲しい宿命感やあきらめの気持ち」がある。そのことを、矢内原のテキストを通じて、私たちは知っている。

左から《男の胸像》(ロタール Ⅱ)、《男の頭部》(ロタール Ⅰ)、《座る男の胸像》(ロタール Ⅲ)
「ALBERTO GIACOMETTI」 エスパス ルイ・ヴィトン大阪での風景(2023年) Fondation Louis Vuitton, Paris © Succession Alberto Giacometti / Adagp, Paris 2023 © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton
鑑賞者に衝撃を与えるだけが、アートの役割ではない。そもそも鑑賞者にもいろんな思想を、体調を、持った人がいる。そんなことをも考えながら、最晩年のジャコメッティはロタールを前にして、制作を続けたのではないかと想像してみることが重要だろう。考えてみれば、この時のロタールは貧窮の状態にあったわけで、誤解を恐れずにいえば、彼は社会的弱者の側にいた。そしてジャコメッティは、身体的に弱者の側にいた。
そうした条件下でできた作品のひとつ、「ロタールII」とナンバリングされた作品は、右肩を大きく欠いて、アシンメトリーになっている。どんなに体を細くしながらも、ほとんどの作品において身体をシンメトリーで表現してきたジャコメッティにとって、この「欠損」は、物理的には身体に対する大きな一撃である。しかし、興味深いのは、この欠損が、決して痛々しいものとしては感じられないことだ。シンメトリーを規範とする身体表現からすれば、それは不完全さを強調することになる。でも、少なくとも私は、「ロタールII」に、不完全さを感じることはない。それはむしろ山の量塊に近づいていて、それゆえに、自然との親近性を、地面との親和性を感じさせる。その作品を、老いて死に近づいていく者であればこそ到達できた表現として見ることだってできるだろう。死を直前にした者だけが、それまで突っ走ってきた者だけが許される、最後の、力みすぎていない表現として。

《男の胸像》(ロタール Ⅱ) 1964-1965年頃 ブロンズ (1969年鋳造、エディション1/8) Fondation Louis Vuitton, Paris © Succession Alberto Giacometti / Adagp, Paris 2023. © Fondation Louis Vuitton / Marc Domage
このように、目下大阪で開催中のジャコメッティ展は、7点と規模は小さいけれど、アートの本質、アーティストの制作の実際についての一考を迫る、すぐれたキュレーションとなっている。
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会期|2023年2月23日(木・祝) – 6月25日(日)
会場|エスパス ルイ・ヴィトン大阪
開館時間|12:00–20:00
お問い合わせ|0120-00-1854
■休館日はルイ・ヴィトン メゾン 大阪御堂筋に準じます
■会場内の混雑防止のため、入場をお待ちいただく場合があります
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