美術史の豊かな知識を土台にして、当代一の画力を武器にどこにもない絵を生み出す。そんな人気画家、山口晃ガハクは夫婦揃って食いしん坊。日常で、旅で、制作中の日々で、散歩の途中で何を食べてるの? ガハクが日常を描くコミックエッセイ『すゞしろ日記』に「カミさん」として登場するガハク妻による食事帖。 季節の旬のもの、ご当地ものにこだわるガハク曰く「メリケンに来たからにはやっぱりハンバーガー食べたい」
 

絵/山口晃

NYに到着!!

だが空港は暗くて殺風景だった。時として米国デザインには特有の無機質さを感じる。サイレンを鳴らしガタガタ揺れながらそのうち分解してしまいそうに走るアルミ色をした消防車とか、Amtrak(全米鉄道旅客公社)のワクワク感のないグレーの車体などに共通する質感や共通する色合いなど・・・。
私たちは外国に来たという重たい緊張をまとい、タクシー乗り場に急いだ。

山口ヒゲ画伯こと夫(以下ガハク)はそれまでなぜか縁がなかったようで、初めて米国の地を踏んだのは2014年の12月。
この度の渡米の目的は、マサチューセッツ州にあるリベラル・アーツ・カレッジでの日本をテーマにした展覧会への新作出品と、それに併せて開催される日本に関するシンポジウムへ参加するためだった。

最寄りの国際空港がNYかボストンだったので、往路はNY、帰路はボストンにして美術館巡りもしよう、と計画した。さらにNYに寄るならばということで、ジャパン・ソサエティーでの少人数の方々への簡単なトークというイベントも後から決まったりした。
 
いろいろと移動がありガハク一人では心細いということで、通訳兼ガイドとして私も有給をとってガハクの旅に(自費で)同行することにした。まぁ、私もNYやボストンに行きたかったということもあり・・・。

ガハク、NYの印象

午後着のフライトで宿についたのは夕方。あたりはもう暗い。
MoMAとジャパン・ソサエティーへは徒歩圏内という値段がお手頃な(そしてぎりぎり安全性が買える価格帯の)チェーンホテルはミッドタウン・イーストのさほど賑やかでないエリアに位置していた。

ホテルの看板を兼ねた気取らない雰囲気のオーニングテントをくぐり、簡素なフロントでチェックインを済ませる。
用意された部屋はベットルームとは別にキッチンスペースまでありやたらと広い。これから数日お世話になるがまだよそよそしい空気が漂う部屋をいろいろと観察してみる。

ライティングデスク、ダイニングテーブル、ソファー・・・と主張しないデザインの家具類が一通り配置されたラグジュアリー感皆無のスイートルームといえばよいだろうか。
お洒落感のないキッチンにはIHコンロ、電子レンジ、冷蔵庫、食器類が揃い、バスルームは可もなく不可もなく、清潔感は問題なし。
 
部屋の隅々を見回っていたガハクが窓を開けて「わっ」と短く驚きの声をあげた。
「どうしたの?」
「見てみれば分かる」
窓の外は灰色の壁。お隣のビルだ。見下ろすと建物同士の1メートルほどの隙間は炭のように鈍い黒に沈んでいて、何とは分からないものが散乱し、物置にもゴミ捨て場にも見えた。
都会だし仕方ないか。

今度はベッドにごろりと横になってみたガハク。
「なんか枕が臭う」
と飛び起きた。皮脂臭がリネンにしみついていて気になるとのこと。
「どうしよう・・・」
無駄に広い部屋だけあり、探ってみると戸棚の中からスペアの枕が大量に発見された。すでにベッドにセットされていた枕と併せると全部で8個くらいにはなったであろうか。
枕をひとつひとつ犬のように嗅いで確認し、なんとか2、3個確保してよしとする。
除けた枕は、臭っているから替えたほうがいいよアピールとして、ガハクがサイドテーブルのような所にタワーのように積み上げておいた。(が、滞在中ベットメイクが入ってもこのタワーはずっとそのままになっていた。壊してはいけないと思われたのか・・・)

そうはいっても便利な場所にこの価格、アパートのように広い部屋であるからして、と懸命に及第点を見出してくつろごうとした矢先・・・。
荷物の整理をしてセーフティボックスを使おうとしたらすでにロックされていて開かない。
前のお客の貴重品が残ったまま? ——モノがモノだけにホテルに言って開けてもらっても、これから使うのがややためらわれる。でも閉まったままの中に何が入っているか分からない箱があるのも気味が悪いし・・・などなど逡巡する。
結局フロントにその旨を伝えると特に詫びも驚きもなく、係の人が部屋にやってきてマルチキーのようなもので簡単に開けてくれた。
中には何も入っていなかったが、何かと不安をあおる一件ではなかろうか。

一通り騒動も落ち着くともういい時間になっている。
「おなか空いたね。どうしようか」
「メリケンに来たからやっぱりハンバーガーが食べたい」
ガハクから要望がでたのでリサーチ係の私は急いでパソコンを立ち上げ、ホテルのWiFiのパスワードを打ち込んだ。

幸い2、3ブロック離れた所にハンバーガー店を見つけることができたが、webでの情報を見るかぎり落ち着いてテーブルで食事をとる雰囲気でもなさそうなのでテイクアウトをすることにした。
当時もまだスマホでなかった私たち、例によってガハクが地図を頭にたたきこみナビ代わりとなって、人通り車通りもほどほどの見知らぬ大通りを早足で歩いていった。
記憶では、暗い通りにその店の無機質な蛍光灯の明かりだけが煌々としていて、目指す場所が見つかりほっとすると同時に馴染みのない無法地帯へ足を踏み入れるような気がした。が、実際はそこまで淋しいエリアではなかったはずだ。

がらんとした細長い店内には誰もいない。奥まで進んで静かな厨房に向かって店員を呼ぶと、ゴージャスなドレッドヘアのお兄さんが出てきた。
愛想笑いはせずクールにキメて「どーするよ?」みたいなノリでありつつも、オーダーの要領のよくわからない私達にレタスは入れるのか、オニオンはなど、親切に確認をとってくれる。

ここでのレギュラーサイズが日本でいうダブルバーガーということにまず驚き、それぞれリトルサイズを頼む。やっぱりチーズ入りかな、というところはふたりとも同じ。トマト、レタス、ピクルス、マッシュルーム、ピーマンなど一通りのトッピングはしてもらい、私は臭いが気になるので生オニオン抜きで。
ケチャップ、マスタード、マヨネーズはお願いして、辛い系ソースはパス。
至って普通のザ・ハンバーガーという内容だ。

無事注文も済み、少し待つとハンバーガーとフライドポテト、ビタミン補給用のオレンジジュースの準備が整って目の前に並べられた。
店のロゴもない普通のアルミホイルに(なぜかすでにしわくちゃ)包まれたバーガーは直径約15cm、飲み物の紙コップは500mlビール缶並みの大きさ、シェアするためミディアムサイズにしたポテト容器はそれよりふた回りほど小さい紙コップが使われているのに対し1.5倍の容量が詰め込まれているため入りきらずに上部にはみ出している・・・と予想通りどれもサイズが巨大だ。

「持って帰んでショ?OK」(*これは意訳です)
と、店員さんは紙袋に品物を入れ始めたのだが、この作業が実に几帳面。
袋の底にきっちり収まるようこだわって丁寧に調整する様子に、私たちは工場見学をしている子供のようにすっかり目を奪われた。

私たちの凝視を感じてか、「フ、見たかよ」とばかりに彼はちょっとこちらを向き、手さげ袋にすべてを完璧に収めたその瞬間、
ズザザザザーーーー
とフライドポテトが追加で大量に流し込まれた。
「!!!!!!」
私たちは揃って、声を立てずに心のなかで驚愕の悲鳴を上げる。
ただならぬ空気を察して彼の手も一瞬止まった。

あふれるポテトはおそらく店のサービスで、たぶんそういうマニュアルなのだとは理解できたが、バーガーの包みも、ジュースのカップもたった今油まみれになったはず。唯一紙コップのポテトは袋内で一体化していることだろう。

動揺のあまり瞳孔がきゅっと縮んで(開いて?)光を飲み込んでいく。目が点になるとはこういうことなのだな、と見えるものすべてがスローモーションに感じられる中で妙に俯瞰的に考える。
ゆっくりとした時間の中で多くの事を観察したけれども、実際は正味0.5秒ほどの出来事。私たちが互いに無言で視線を交わすと、彼はすべてを察したようで、何も言わずに「こ・・・これでも使いなよ」とばかりに紙ナプキンを20枚ほどつかんでちらと見せてから、油ぎったポテトまみれの袋の中に入れてくれた。
(でも、紙ナプキンも油だらけになって使えないよ・・・)

外国に行ったらはっきり言葉にしないと伝わらない、とよく言われる。
しかしドレッドのお兄さんと私たちは以心伝心でやり取りができたのだった。

もうひとつ重要な事、ビール(バドワイザーではない)を道すがら確保してから部屋に戻り、ようやく夕ごはん。油よごれを気にしつつ紙袋から中身を取り出してテーブルに置いていく。紙ナプキンは束になっていたのでかろうじて内側のものは使用可だった。
早速まだ温かいハンバーガーを口にする。
ちょうどよい弾力と堅さのある白ゴマの振られたバンズには、最大限に具材が挟まっているため、横からマヨネーズソースやらトマトがボトボト落ちてしまい、難儀をしながら食べ進める。とにかくゆっくり、ちまちまとかじっていくしかない。
それにしても現地の人達が、こういう分厚いハンバーガーやサンドイッチの類を大変そうに食べているところを見たことがない。皆こともなげに上品にかぶりついて噛み切って飲み込んでいて、手も汚さない。口の作りが違うのだろうか。
私たちはいくら慎重に食べても何度も口の周りを拭うことになり、手指も結局べとべとになる。
そうやって苦心しながら、中央に鎮座するパティへとたどり着く。
「焼いた肉だね」
当たり前のことを、ガハクがしみじみと言った。
確かに何のてらいもなく、素っ気ないまでに肉の味しかせず、肉が肉として存在している。特別なスパイスだの食感を変えるなどの小細工がないから際立つ、単なる肉であることの圧倒的な迫力。「肉です」という直球勝負にごまかしは一切できない。トッピングやソースは所詮添え物、100%赤身ビーフが私たちに肉食文化の余裕を見せつけてくる。
「日本で食べていたのは何だったんだろうね・・・。一体何を混ぜ物にしてどういうかさ増しをしてるのか?って言いたい」
ガハクはウソのない本場のパティを評価する。

一方フライドポテトは、袋内のすべてにギトギトを提供して自己をアピール。緩衝材のごとく紙袋の中を満たしていて量においても存在感を誇っていた。
ざくざくと大振りな拍子木切りのじゃがいもがこんがりきつね色に揚げられており、少々油分が気になるものの、こちらもパティ同様いたってシンプルで素材が際立っている。
そのホクッとほぐれる乾いた食感が、ソースと野菜類の汁が漏れ出るハンバーガーに対するいい箸休めとなるのだった。(全然さっぱりしないけれど)
けれども、やはり、食べても食べても一向に減る様子がなく、ハンバーガーを完食してもまだ山盛りになっていて、この茶色い紙袋から次々と湧き出てきているのではないかと思われた。

次の日の朝、昨晩に比べて元気なくしぼんだフライドポテトが大量に入った袋は冷蔵庫へとしまった。
電子レンジで温めれば小腹が空いたときの夜食になるかもしれないし。
そうして、私たちは食べきれなかったフライドポテトに留守番を頼み、「まずはMoMAかな」とホテルの部屋を出た。

■次回「ヒゲのガハクごはん帖」は5月第2週に公開予定です。

●山口晃さんってどんな画家?
1969年東京都生まれ、群馬県桐生市に育つ。96年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。 2013年『ヘンな日本美術史』(祥伝社)で第12回小林秀雄賞受賞。
日本の伝統的絵画の様式を踏まえ、油絵で描く作風が特徴。都市鳥瞰図・合戦図などの絵画のみならず立体、漫画、インスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。
主な個展に、2015年「山口晃展 前に下がる下を仰ぐ」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、茨城)、18 年「Resonating Surfaces」(大和日英基金ジャパンハウスギャラリー、ロンドン)など国内外展示多数。
2019年 NHK大河ドラマ「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」のオープニングタイトルバック画を担当し、22年善光寺(長野)へ《善光寺御開帳遠景圖》を奉納する。2023年9月アーティゾン美術館にて個展
ジャム・セッション 石橋財団コレクション × 山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」を開催予定。

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