美術史の豊かな知識を土台にして、当代一の画力を武器にどこにもない絵を生み出す。そんな人気画家、山口晃ガハクは夫婦揃って食いしん坊。日常で、旅で、制作中の日々で、散歩の途中で何を食べてるの? ガハクが日常を描くコミックエッセイ『すゞしろ日記』に「カミさん」として登場するガハク妻による食事帖。誰でも一家言あるのが味噌汁。ガハク家の味噌汁事情を覗いてみよう。  

絵/山口晃

山口ヒゲ画伯こと夫(以下ガハク)との晩の食卓は基本一汁三菜。味噌汁は必ずつける。
洋風だったり中華寄りのおかずのときも、飯碗に盛られたぴかぴかご飯がある限り味噌汁は基本ペアになっている。

実を言うと私は味噌汁にはそんなに執着はなくて作ることがむしろ面倒に思うこともあるし、ひとりきりであったら省略対象だったかもしれない。
味噌汁に対してどこかこう胸苦しさを感じる原因は、子供の頃の超具だくさん味噌汁体験であろうか。
私の実家の味噌汁は常時けんちん汁か豚汁かという状態で、だいこん、にんじん、ねぎをベースに、追加であぶら揚げ、ごぼう、とうふ、しめじ、れんこん、もやし、ほうれん草、さといも、玉ねぎ、こんにゃくなど投入可能な食材が2〜3種追加される。(稀にとうふとわかめというシンプルな時も有)
食べても食べても、次々底から具が挨拶をしにやってきて一向に中身が減らないお椀、それが私の知る味噌汁だった。食べ物には感謝の気持ちしかないけれど、味わうというよりは格闘に近い状態だった。

先日用事があって横浜の実家に帰ったところ、お昼からまた中身が山盛りの味噌汁が用意されていた。久しぶりで懐かしいというよりは、やはりきたか・・・と身構えさせられる。
基本のだいこん、にんじん、ねぎに油揚げとごぼう、と本日も攻めている。
 
「うちのお味噌汁の具が多いのは、栄養を考えているからなのかな。野菜をたくさん食べるため?」
なんとなく母に尋ねてみた。
「んー。味噌汁はおかずの一種だから」
さらりと気になる発言をした。

母の故郷である長野県木曽周辺では味噌汁はおかずであり、前述の通り様々な野菜をたんと入れ、また必ずといっていいほどお代わりするものだったそう。
来客があったときも同様で、お客も味噌汁のお代わりは所望するのが常だったとのこと。
そういえば・・・実家では味噌汁はいつもなべに残るものだったことを思い出した。お代わりをする人がいようといまいと、毎回人数分以上に作ることが母のデフォルトになっていた。

かしこまった日本料理で最後にご飯と一緒に出される、片手に収まるような小ぶりの椀に入った赤だし。中身はなめこが数個だとか上品な姿のしじみがちょこっと。味噌汁もそういう風であるのがやはり優雅かなと感じる。
・・・けれども、つまるところ忙しい家庭ではおかず的要素のある味噌汁に着地せざるをえないところがある。
先程実家の味噌汁を揶揄したが、仕事をしながらご飯も作らなければとなると、一品分でも手間を減らしたい。なおかつ一日30品目説ではないけれどバランスよくいろいろ摂りたいと思うと、味噌汁になにかしらか放り込んでボリュームをもたせるのは合理的だ。
聞けば共働きだったガハクの実家でも、お母さんは比較的具だくさんの味噌汁を作っていたとのこと。

味噌汁で具をしっかり食べることはふたりには馴染みのあるスタイルなのだった。

ところで、特に医者に注意を受けたことはないにも関わらず、以前から塩分量を気にかけているガハク。
「汁が多いと塩分の摂りすぎになるから、具が少ない時は汁も少なくするようにしてね」
 
汁がたぷたぷして具が泳いでいるような時——しじみオンリーだとか、きのこが思いのほか縮んでしまったとか——には、
「今日はちょっとばかし汁が多すぎるんでないの」
とコメントが入る。
健康面を考慮するという点でも、ガハクは具が多めの味噌汁には肯定的だ。

毎日のことなのでわが家の味噌汁の具は、ごく普通の、かつ調理の容易な食材を選ぶ。なす、小松菜、みずな、はくさいなどの野菜類にまいたけやしめじといったきのこを合わせるあたりが定番で、時にさといもとねぎ、じゃがいもとわかめ、なめこととうふなど、2種類くらいの取り合わせとしている。

すでにどこかで公言ずみのとおり、中でもガハクが好きな味噌汁の具は細く短冊に切っただいこんに油揚げの組み合わせ。共に味がしみる具材であるところがよいのであろう。
「だいぶ細く切ることができるようになったね」
ガハクが私のだいこんの切り方にふと感想をもらす。

学生時代から自炊していたガハクと、ずっと実家にいて2年間だけ、それも妹たちと自活をしたのみの私とは料理の実力には随分と差があった。
当初、私は実家に倣って味噌汁用のだいこんはにんじんともに厚さ5mmほどのいちょう切りにしていた。
「だいこんは細切りにした方がおいしいと思う」
ある日ガハクがそう言って、料理動画よろしく目の前で実演し始めた。薄切りにしただいこんを、少しずつずらすように重ねて端からトントンと細かく切っていく・・・。実際見てみると理解は早いものの、実践となるとすぐにはうまくいかない。
私が切ったもの ≒ 不揃い、と認識されているためか、無事に細切りが完成されていると、子供の成長をみたかのようにガハクが妙に褒めてくることがある。

パスタのソースではないけれど、確かに細かなほど味噌汁も具にからむわけで、噛みしめるとだいこんそれ自体にしみた汁とだいこん同士の間にある汁とがじんわりとしみ出て味わい深くなる。さらにスポンジのように汁を吸い込んだ油揚げがその状態を加速させる。
つまりこのだいこんと油揚げの味噌汁においては4種の味噌スープ、
1)汁そのもの
2)だいこんにしみている汁
3)細切りのだいこん同士の間にある汁
4)油揚げにしみている汁
を味わうことができる点で秀逸なのだと思われる。(推測)

味噌汁に関してガハクから苦情が出たのは、大量に余ったパクチーを使いあぐねて具に使用したときぐらい。(麺類などに使われるから汁にいれてもいいかと思ったけれど、熱で青臭ささが増してしまった)

さて、具材は多めにすることで決着がついたけれども、味噌汁の最重要点は「味噌」ではないだろうか。
ふたりとも関東出身、ということで味噌は基本的に赤く辛いタイプ(米味噌というのか)の味が落ち着く。
ガハクとの生活初期の頃に気に入って使っていた味噌は新潟から取り寄せていたが、この味噌との出会いはちょっとした偶然だった。
 
調味料の素材にうるさいガハクは、大量生産品がNG。味にこだわって、ということではなく添加物やら水増し的要素が入っていることを好まない。そんなわけで、学生時代からずっと愛用しているという新潟産黒酢があり、酢は必ずこれを買うべしと私もお達しされていた。(近所のスーパーで入手できた)
ここの会社(もしくは関連会社?)が味噌も作っていたようで、ある時箱に味噌が当選する懸賞のチラシが入っており応募してみたところ、忘れた頃に突然味噌が家に送られてきた。以降、年に2回寒仕込みと花仕込み味噌の予約案内がくるようになり、ガハクも味噌に関しては特定の銘柄を決めあぐねていたので、その都度注文するようになった。
新潟の味噌も私たちに馴染みのある辛い系統で、何より丁寧に作られていることに好感をもっていた。
 
しかし過去形で語っていることからお気づきの通り、今はもうその味噌を使っていないのだが、そうなってしまったのは私たちの意思ではない。
2007年7月に新潟県中越沖地震があり、翌年予約案内の代わりに会社の廃業挨拶の手紙が届いたのだった。
他にも酢を農薬代わりに使用したお米も作っていて、そちらも注文していたので、味噌、米、そして酢の入手元が一気になくなって、嵐の中に放り込まれて行き先を見失った状態になってしまった。
その後、米は近所の商店街のお米屋さんに、酢は街まで出れば比較的簡単に見つけられることで落ち着いたが、味噌に関しては昏迷状態が続いていた。
 
ある時、めったに無いことだがガハクが買い物に出ることになり、私が味噌を切らしたのでついでに買ってきてくれるように頼んだ日があった。
普段と違う人が買い物に出ると、変化球が出る。私が思いもつかなかった自然食品屋さんにて、ガハクがまるで八丁味噌かのような黒い味噌を買ってきた。原材料は大豆と塩のみ。
「このままじゃ使えないよー?」
八丁味噌は普通の味噌とブレンドしなければならない、という思い込みがあった。しかし、今日はこれしかないので恐る恐るそのまま放り込んでみる。
・・・十分に味わい深い赤だしのお味噌汁になった。
「いいかも!!」

当時は私が仕事で忙しかったことに加えて、少人数分は量的に作りにくいので、わが家では味噌汁は2日分をまとめて4杯作るというローテーションにしていた。2日目は冷蔵庫から出して温めるだけなので非常に楽だ。
温め直しの味噌汁のなべを火にかけている間、食器を出したり盛り付けたりなどしていると、ついうっかり忘れてしまい、気がつくと味噌汁がぐらぐらと煮立っていることが多々発生する。
 
味噌汁は煮立たせてはいけないというけれど、確かにそうなると汁が分解したかのように調和が崩れて具材との相性も悪くなり、風味のない濁った液体になっておいしくない。機嫌を損ねた味噌汁は、こんな扱いをされるんでしたらもういいですよ、とプイとそっぽを向いてふて寝を始めてしまう。

だが・・・この新参の黒い豆味噌。
「あれ? 味が練れてきている?」
煮立たせてしまった後、いい感じに汁が熟成し、くたっとしすぎた具は昔からの友だちだったかのように馴染んでいる。
そして現在、味噌汁の作りおきは3日分に増えた。
すっきりした味わいの透明感は1日目ならでは。2日目は広がりが出てきて滋味、ゆっくりと味わいたい。いよいよ3日目となると汁と具が拮抗、時間をかけただけの濃密さが響きあう。

日を追って異なる味を楽しめるとは、魔法のような味噌。計らずともあぶくをたてるほどに煮えてたぎってしまっても大丈夫。

「奥さん、今日も煮立たせましたな」
味噌汁を口にして凝縮感を確かめたガハクがつぶやいた。
 
 
 
■次回「ヒゲのガハクごはん帖」は4月第2週に公開予定です。

●山口晃さんってどんな画家?
1969年東京都生まれ、群馬県桐生市に育つ。96年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。 2013年『ヘンな日本美術史』(祥伝社)で第12回小林秀雄賞受賞。
日本の伝統的絵画の様式を踏まえ、油絵で描く作風が特徴。都市鳥瞰図・合戦図などの絵画のみならず立体、漫画、インスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。
主な個展に、2015年「山口晃展 前に下がる下を仰ぐ」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、茨城)、18 年「Resonating Surfaces」(大和日英基金ジャパンハウスギャラリー、ロンドン)など国内外展示多数。
2019年 NHK大河ドラマ「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」のオープニングタイトルバック画を担当し、22年善光寺(長野)へ《善光寺御開帳遠景圖》を奉納する。
2023年9月よりアーティゾン美術館にて個展開催予定。
ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン

コメントを入力してください

コメントを残すにはログインしてください。

RECOMMEND

「エゴン・シーレが好き過ぎてウィーンに行ったこともある」

アーティスト

藤井フミヤ