ウィーン・レオポルド美術館のコレクションを主軸とした「エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」が東京都美術館で始まっている。かねてから自分のアート制作に大きな影響を与えた画家としてエゴン・シーレの名前を挙げている藤井フミヤさんが、本展の担当学芸員・小林明子氏とともに展覧会を鑑賞した。

聞き手・文=松原麻理 / 写真 [作品画像を除く] =森本美絵



エゴン・シーレ [1890-1918] は28年の短い生涯のうちに鮮烈な個性を炸裂させた画風で、今もなお世界中の若者から支持されるオーストリアの画家だ。

日本で実に30年ぶりというシーレの展覧会に駆けつけた藤井フミヤさん。1993年からコンピューター・グラフィック作品を発表、2013年頃から絵画制作を始め水彩やアクリル画、針金アートなど多彩な作品を発表し続けているフミヤさんはエゴン・シーレやグスタフ・クリムトの作品が大好きで敬愛してきた。過去にはウィーンまで飛び、レオポルド美術館を訪ねたことがあるという。

まず簡単にエゴン・シーレの略歴を頭に入れておこう。1890年、ドナウ河畔のトゥルンに生まれたシーレは、幼い頃から図抜けた絵の才能を発揮し、1906年に当時最年少の16歳で美術アカデミーに合格。翌年クリムトに出会い、その才能を激賞される。しかしアカデミーの旧弊的な指導に反発し、程なくして退学。同年代の仲間とともに「新芸術集団」を発足させるなど、新しい絵画のあり方を模索した。1918年スペイン風邪に罹り、当時妊娠中だった妻エーディトが同じ疫病で亡くなった3日後、後を追うように逝去。画家としての活動期間はわずか10年余り。その短い波乱の生涯のうちに代表作である自画像をはじめ、裸婦像、肖像画、風景画などを残した。

この展覧会ではシーレの生涯を縦軸としながら、オーストリアの同時代画家の作品も見渡し、世紀末ウィーンのモダニズムへの潮流も理解できる内容になっている。まずはシーレの最初期の作品から——。

エゴン・シーレ 《毛皮の襟巻をした芸術家の母(マリー・シーレ)の肖像》 1907年 レオポルド美術館蔵 Leopold Museum, Vienna

小林 これはシーレがアカデミーに入学した翌年に描いた、母親の肖像です。

藤井 17歳の時?! この時点で圧倒的に絵が上手いですよね。これはもう画家になるしかないじゃない? でも芸術の道へ進むことを最初は家族に反対されたそうですね。

小林 しかし最年少で美術アカデミーに合格すると、家族の認識も変わっていきます。早逝した父親に代わり叔父さんが後見人となって、シーレが絵を学ぶことを資金面で後押しするようになりました。

エゴン・シーレ 《レオポルド・ツィハチェックの肖像》 1907年 豊田市美術館蔵

藤井 これがその叔父さんを描いた作品ですね。のちの時代のシーレ作品と比べて、随分と王道な肖像画を描いているじゃないですか。こんなにしっかりとしたデッサンと油彩の表現力があるなら、叔父さんも喜んだでしょうね。でも、数年後にはアカデミーの指導法に飽きちゃって、学校を辞めちゃう。そうしたら叔父さんに勘当され、いよいよ独り立ちして、シーレの芸術人生が始まるということですね。

小林 シーレの才能をいち早く見抜いたのは28歳年上のクリムトで、以後クリムトはシーレのメンター的な存在となり、多大な影響を与えました。しかしクリムトは美術アカデミーで学んでおらず、そこがシーレとの違いです。いわゆる絵画の基礎力という点ではシーレのほうが上だったかもしれません。

エゴン・シーレ 《装飾的な背景の前に置かれた様式化された花》 1908年 レオポルド美術館蔵 Leopold Museum, Vienna

藤井 こんなシーレの作品、初めて見たなぁ。背景は箔を貼ったようにブロックごとに塗られていて、ジャポニスムの影響を感じますね。花を描いているとはいえ、かなりデフォルメされているのがちょっと琳派みたいでもあるし。青い枝が上の方へすっすっと伸びてオレンジ色のつぼみなのか、小さな花が咲いているのなんて、歌川広重の梅を思い出すなぁ。

歌川広重 《名所江戸百景 亀戸梅屋鋪》 木版多色刷 安政4年(1857年)東京富士美術館蔵 ■本展には出品されていません

小林 おっしゃる通り、背景は箔を貼ったように描いているんです。1873年開催のウィーン万博でも日本美術が紹介され、ヨーロッパを席巻しました。シーレはまだ生まれていませんが、クリムトたちはジャポニスムの到来を目の当たりにした世代です。クリムトは日本の浮世絵のコレクターでもありましたから、シーレはクリムトを介してジャポニスムに触れ、意識していたのではないかと考えられています。

藤井 ベタ塗りで描かれた花の輪郭がカクカクしていませんか? 後年に描かれる裸婦像シリーズも輪郭がカクカクしているから、そういう癖がもうこの時期に見えますね。

グスタフ・クリムト 《シェーンブルン庭園風景》 1916年 レオポルド美術館に寄託(個人蔵) Leopold Museum, Vienna

藤井 このクリムトの風景画、素晴らしいなぁ! 画面の7割ぐらいが緑で覆われている。絵具の重ね方がゴッホと通じる感じがします。これも、先ほどのシーレの花の絵も、カンヴァスが正方形なんですよね。風景画なのに真四角で切り取るという発想がユニークです。

小林 クリムトは正方形のフォーマットを好んでいて、シーレもそれに倣っていたようです。正方形で画面を切り取ると、デザイン的に見えてきますね。今ならインスタグラムのフォーマットとしておなじみでしょうか。



そして、お待たせいたしました。いよいよシーレの自画像が並ぶスペースです。

エゴン・シーレ 《自分を見つめる人Ⅱ(死と男)》 1911年 レオポルド美術館蔵 Leopold Museum, Vienna

藤井 シーレは根本的に性格が暗いのかもしれないけれど、色がずーっとダークなトーンですよね。一切、明るい色がない。でもよーく見ると、緑やオレンジが入っているのですね。目の周りをグリグリと描くところは、ムンクみたいだな。

小林 この絵は自画像なのに人物が二重に描かれています。また、右の余白の部分にももう一つ顔が浮かび上がっているんです。

藤井 シーレの手や指の描き方は特徴的ですよね。どの肖像画もドローイングも、手や指の形をものすごく気にして描いている。しぐさや動きを表すし、その人自身を語る部分だからなのか。自分でも絵を描く時、指って難しいなーって思いますよ。

エゴン・シーレ 《ほおずきの実のある自画像》 1912年 レオポルド美術館蔵 Leopold Museum, Vienna

藤井 この顔の中にも、いろんな色が混じっている。板に描いているんですね。板絵ならではの絵具ののりかたが面白いです。

小林 油彩と水彩、両方を使って描いています。技法は相当複雑で、こだわっていたようです。

藤井 口をすぼめて、斜に構えて、上から見下ろすようなこの表情! シーレは自分が男前だと絶対思っていたでしょうね。完全なナルシストですよ。鏡の前に立つシーレを写した写真が残っているけれど、着こなしもさまになっていて、きっとファッションも好きだっただろうと想像します。シーレは引っ越しのたびに大きな鏡を必ず持って転居したらしいですよ。鏡に映る自分の姿をよく見ていたんだろうな。あ、ちなみに僕自身はあまり鏡を見ませんよ!

エゴン・シーレ 《闘士》 1913年 個人蔵

藤井 この絵もよくみるとブルー、グリーン、オレンジが入っている。僕もボールペンで人物を描く時には混色ができないので、いろんな色の線で描きますよ。それはシーレからの影響です。

藤井フミヤ 《縺れた線の女》 2018年 ■本展には出品されていません

エゴン・シーレ 《母と二人の子どもⅡ》 1915年 レオポルド美術館蔵

藤井 そして、これも本当に不思議な絵だな。ポーズで見れば宗教絵画の伝統的な「ピエタ」(十字架から下ろされたキリストを抱くマリア)ですよね。お母さんも、その腕に抱かれた左の赤ちゃんの顔も死にかけたように蒼白でまるで骸骨みたいだけれど、右にいる赤ちゃんは生きているようで、その洋服にだけ鮮やかな色がちりばめられていてお洒落ですよね。以前、ウィーンに行った時にクリムトのアトリエも訪れましたが、部屋の中に骸骨標本があったように記憶しています。シーレもクリムト先生の家に遊びに行って、骸骨を見ていたんじゃないかなぁ。

エゴン・シーレ 《母と子》 1912年 レオポルド美術館蔵 Leopold Museum, Vienna

小林 目を閉じたお母さんに抱かれる赤ちゃんは、驚いたように目を見開いています。不穏な関係を示唆しているのでしょうか。

藤井 骨格的にはこの女性は最初の恋人ワリーを思わせますよね。ワリーは、もともとはクリムトのモデルをつとめたそうですね。きっとクリムト先生から譲られたのではないかと勝手に想像しています(笑)。

エゴン・シーレ 《妊婦》 1910年頃 宮城県美術館蔵

小林 シーレの知り合いの産婦人科の先生に頼んで、妊婦さんの裸体を描かせてもらった絵が何枚か残っています。

藤井 妊婦さんたちはいきなりそんなこと頼まれても困惑しただろうなぁ。「診察料をタダにするから、この若造のモデルになってやってくれよ」って頼んだのかな。肌色に蛍光オレンジのような色を使っていて独特ですね。

エゴン・シーレ 《カール・グリュンヴァルトの肖像》 1917年 豊田市美術館蔵

小林 これはシーレのパトロンでもあったカール・グリュンヴァルトの肖像画です。

藤井 ちゃんとした肖像画も描こうと思えば描けるんですよ、シーレは。写実的だし、人体のプロポーションもまともな描き方で、シーレを代表する裸婦像とは違う感じ。絵具ののり具合も本当にすごいな。青や緑がところどころ混じったような複雑な黒い背景に、白いシャツを着た人物を浮き上がらせるように描くあたりに、シーレの抜群のセンスの良さを感じます。

エゴン・シーレ 《しゃがむ裸の少女》 1914年 レオポルド美術館蔵

小林 ここからは、シーレらしさの際立つ裸婦像が続きます。

藤井 この《しゃがむ裸の少女》は、大好きな作品です。「シルク・ドゥ・ソレイユ」か「中国雑技団」かという、こんな窮屈なポーズをとらせるシーレがすごい。そして、体の輪郭はいろんな曲線をつなげるようにして描かれているんですよ。でもその線はためらいがなく、あっという間に描かれている。消して書き直した痕がないし、黒チョークでささっと描いた上に絵具を塗っている。ものすごい速さで描いていると思いますよ。

そして、このドローイングもすごい!

エゴン・シーレ 《横たわる長髪の裸婦》 1918年 レオポルド美術館蔵 Leopold Museum, Vienna

藤井 胸の下から臀部、脚にかけてのラインが、なんの迷いもなく1本の線で一気に描かれているじゃないですか。

小林 モデルは結構、複雑なポーズをしているのに、それをあっという間にキャッチして平面に写す技量は天才的です。

藤井 クリムトの下のドローイングと比較するとよくわかります。クリムトは慎重に何本も線を描いて、正しい輪郭を見つけようとしている跡が見えますよね。クリムトはシーレのドローイングを見た時に、嫉妬まではなくとも、「お、こいつすごいな」と感心しただろうな。身体や造形を瞬時に的確に捉える技術はシーレのほうが上だったと想像します。

グスタフ・クリムト 《脚を曲げ横たわる裸婦》 1914/15年 レオポルド美術館蔵 Leopold Museum, Vienna

藤井 シーレの裸婦シリーズはほとんど背景がなくて、白い背景に人体が浮かんでいる感じ。余計な状況描写がないですよね。この頃、彼は20代でしょ。若さゆえの抑えきれない性欲があるから、目の前のエロティシズムに美を感じて、周りの情景などはさておき、ただ “それだけ” を純粋に描きたいという強い衝動があったんだろうなぁ。
その気持ちに共感するかって? はい、共感します!(笑)

エゴン・シーレ《赤い靴下留めをして座る裸婦、後ろ姿》1914年 レオポルド美術館蔵 Leopold Museum, Vienna

藤井フミヤ《祈り》2019年 ■本展には出品されていません

藤井 《赤い靴下留めをして座る裸婦、後ろ姿》の女性の肩なんて、水泳選手みたいにゴツゴツしている。背骨の骨まで一つ一つ描いて、誇張しすぎるような描き方がいいなぁ。

エゴン・シーレ 《横たわる女》 1917年 レオポルド美術館蔵

小林 これはシーレが亡くなる1年前の作品で、奥さんのエーディトをモデルにして描いていますが、顔だけ別人に替えたと言われています。先ほど見たグリュンヴァルトの肖像と同じく、写実的に描かれています。

藤井 誰もが思い浮かべるシーレらしい作品群とは異なるけれど、約10年間の創作活動の集大成というか、100点満点に近い絵なんじゃないかな。技術的にはある到達点にたどり着いた、そんな感じがします。背景の黄色と白いシーツの対比、センスがいいなぁ。横長の画面に白いシーツを広げて、そのひだやシワを1本1本描いて、その中に横たわる身体を収めるように描いている、その構図の妙にも惹かれます。これを描いた翌年、28歳で死んでしまうのかぁ。もしあと10年生きていたら、どうなっていただろう? 晩年にこんなに写実的になったけれど、その先はまた違ったスタイルになっていたかもしれませんね。

エゴン・シーレ 《しゃがむ二人の女》 1918年(未完成) レオポルド美術館蔵

小林 これはシーレ最期の作品で、未完成と言われています。ある霊廟のフレスコ画のための習作だったようです。

藤井 未完とは思えないぐらい、ほぼ完璧に仕上がっている。あ、でもよく見ると、シーレが大好きな「手指」がまだ描かれてない。ということはやっぱり未完なのかもしれませんね。

小林 女性の裸体像ですが、不思議とエロティシズムは感じられません。

藤井 しかし当時、この他にもエロティックな裸婦像をあれだけたくさん描いていたら、当然問題になったでしょう。実際、猥褻な絵を頒布したという罪で警察に捕まったしね。当時ヨーロッパでも、日本の春画のようなエロい絵画の出版物が存在したんです。でもそれと自分の芸術は違うんだ、という葛藤がシーレにはあったんじゃないか。ポルノグラフィと一緒にされたくない、という自負があったと思う。



——今回、エゴン・シーレ展をご覧になって、どんな印象でしたか?

藤井 シーレは生涯に200点も自画像を描いているそうですね。しかも、じっと椅子に座っている自分を描いているわけじゃない。顔の角度やポーズを工夫しています。テレビもない時代に演劇が大きな娯楽であり、視覚芸術だっただろうし、シーレの仲間にも役者の友達がいたんじゃないかな。それで画家自身もパフォーマーみたいに、鏡の前でいろんなポーズをとって実験したのではないかと思います。そうすればモデル代もいらないし、第一、自分のことをカッコいいって自覚しているはずだから(笑)。人差し指と中指、薬指と小指をそれぞれくっつけた手を顔の横に持ってくるシーレ独特のポーズがあるんですが、今見ても格好いい! 
エゴン・シーレ《自画像》1911年 ウィーン・ミュージアム蔵 ■本展には出品されていません
僕もね、撮影の時に何かポーズくださいって言われると、シーレの手の形を真似しているんですよ!

藤井 展覧会には若い子たちがたくさん来ていると聞きましたが、やっぱり、シーレは若者にとって何らかのカリスマ性があるのでは? ドローイングの繊細な感じも、若い子たちのナイーブな心に刺さるのでしょう。あとね、シーレが描く人体の独特なボディラインは、エヴァンゲリオンそっくりだよ。ほっそりした体つき、膝や肘のゴツッとしたフォルム、意外と似ているでしょ? だから今の10代、20代の子たちにとっても古臭くなく、共感を呼ぶのかもしれませんね。

レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才

会期|2023年1月26日(木) – 4月9日(日)

会場|東京都美術館 企画展示室

開室時間|9:30-17:30[金曜日は9:30 – 20:00]入室は閉室30分前まで

休室日|月曜日

お問い合わせ|050-5541-8600[ハローダイヤル]9:00 – 20:00

■日時指定予約制

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アートプロデューサー
RealTokyo ディレクター

住吉智恵