[左]ピエール・ボナール 《静物、開いた窓、トルーヴィル》 1934年頃 アサヒビール大山崎山荘美術館蔵 [右]ヴォルフガング・ティルマンス 《窓/カラヴァッジョ》 1997年 ポーラ美術館蔵 ©Wolfgang Tillmans, Courtesy Wako Works of Art

部屋を飛び出して、太陽のもと、絵を描けるようになると、新しい風景画が生まれた。すると、逆に部屋を描く絵が特別になっていった。印象派から連なる系譜のナビ派の画家たちが描いた彼らの部屋を見てみよう。さらに、現代の作家にとって部屋はどんなモチーフになったのか見てみよう。

コロナ禍の「ステイホーム」以来、私たちはかつてないほど多くの時間を自宅の部屋で過ごすようになった。
リモート会議やZoom飲み会で、それまで公の場でしか会う機会のなかった人たちの背景にそれぞれのプライベートな生活空間を垣間見たことは新鮮だった。一方、世界各地の音楽家やダンサーたちが自宅でパフォーマンスする様子を発信した動画は瑞々しくも切実な表現欲求を伝えた。
筆者自身も母が遺したキッチンとその延長にある小庭を整えることに明け暮れ、その記録をInstagramに投稿することで食の悦びや植物愛を他者と共有してきた。

19世紀から現代まで、部屋にまつわる表現を見つめ直す展覧会が箱根のポーラ美術館で開催中だ。
マティスやボナールなど近代美術の名品、現代作家の髙田安規子・政子、佐藤翠・守山友一朗がコロナ禍を経て制作した新作、さらに同館が昨年新たにコレクションに加えたばかりのヴォルフガング・ティルマンスと草間彌生の作品を展示している。

2つのフロアにまたがる本展の空間構成の特徴は、順路を設けず、緩やかにつながるエリアごとに9組の作家を配置していることだ。ところどころ展示室の壁に窓が開けられていて、向こう側の部屋の様子がうかがえることも回遊式の動線に変化をもたらしている。各エリアの壁面や照明の色合いには起伏があり、薔薇色やグレーの空間を行きつ戻りつしながら作品と向き合う時間は至福である。

「部屋のみる夢―ボナールからティルマンス、現代の作家まで」展示風景 Photo/ Ken KATO

なかでも第1会場冒頭のアンリ・マティスの展示空間は、本展の基調ともいえる「部屋の悦び」を象徴していた。
《窓辺の婦人》(1935年)では、南仏ニースの陽光や地中海の眺望が室内空間とひと続きであることを、パステルのやわらかい色彩を内と外で連関させることで表現している。
《室内:二人の音楽家》(1923年)、《リュート》(1943年)などの作品では、家具や絨毯、壁紙、調度品、モデルの衣服などが装飾的要素として絶妙の配分で構成されている。マティスの「室内」シリーズの魅力は、画家の絶え間ない色と形の実験が、無限の組み合わせのアラベスクを展開するところにある。

アンリ・マティス 《窓辺の婦人》 1935年 ポーラ美術館蔵

アンリ・マティス 《リュート》 1943年 ポーラ美術館蔵

続く展示空間には、印象派の女性画家ベルト・モリゾが描いたテラスやバルコニーで寛ぐ女性たちの絵画が並ぶ。
19世紀のフランスでは、外の世界は男性の社会であり、女性の活動は概ね家庭内に限定されていた。屋外と室内、社会と家庭、ジェンダーの境界ともいえる半屋外の空間で過ごす女性像を描いたモリゾの作品は、当時の社会状況と画家自身の開かれた世の中への展望を反映しているのだろうか。

ベルト・モリゾ 《テラスにて》 1874年 東京富士美術館蔵 ©️東京富士美術館イメージアーカイブ / DNPartcom

ピエール・ボナールの部屋では本展の作家最多の11点もの作品が展示されている(展示替えを含む)。
室内を彩る装飾や調度、遊びに夢中の子どもたちや入浴する妻、そして緑と光にあふれる庭や果樹園の風景に見られるのは、ボナールに代表されるナビ派の画家が目指した「アンティミテ」(親密さ)の表現だ。
「家時間」はパンデミックや自然災害ばかりか、苛烈で荒んだ世間から保護してくれる最大の安寧かも知れない。だからこそ、社会の暗部に「親密さ」「安心」「安全」の欠落した家庭の存在が隠されていることを忘れてはならないと感じる。

ピエール・ボナール 《浴槽、ブルーのハーモニー》 1917年頃 ポーラ美術館蔵

「北欧のフェルメール」とも呼ばれるデンマークの画家、ヴィルヘルム・ハマスホイの室内画は、画家が妻や母の後ろ姿を見つめる眼差しや、連なる部屋越しに対象を臨む構図といった独特の視点や距離感に特徴がある。
北欧の薄日が差し込む、グレーの濃淡で統一された室内の情景は、その壁や家具の堅牢な直線の描写とともに、静謐で冷静な空気を醸し出す。沈鬱というほどではないが、テンション低めである。マティスやボナールの絵画との温度差は、そのまま北欧と南欧の友人たちのいずれも愛すべき性質を思い出させた。

ヴィルヘルム・ハマスホイ 《陽光の中で読書する女性、ストランゲーゼ30番地》 1899年 ポーラ美術館蔵

現代の作家たちが見つめる「部屋」

ともに1984年生まれのパートナー同士である佐藤翠と守山友一朗の部屋では、彼らの日常への愛着が絵画の隅々まで満ちあふれている。いずれも室内をモチーフにしてきた2人の初めての共作や、「装飾は幸福♡」と呟きたくなるくらい優美な屏風の作品も発表された。
クローゼットに並ぶドレスやシノワズリーの花瓶に生けられた花を艶やかに描いてきた佐藤は、コロナ禍をきっかけにより一層、外の世界を画面に取り入れるようになった。丹精こめた庭の植物と室内のなじみ深い品々は、クローゼットの扉や明るい窓辺を通り抜け、想像の中で混じり合う。
長くパリを拠点とした守山は、旅先の風景や日常の場面を観察し、刻々と変化する光と物の質感を細密に描いてきた。本展では、心惹かれるそれらの情景の奥に見出した、屋外と室内のあわいにある幻想風景を描き出す。

「部屋のみる夢―ボナールからティルマンス、現代の作家まで」佐藤翠・守山友一朗のセクション © Midori Sato, ©Yuichiro Moriyama Photo/ Ken KATO

双子のアーティストユニットである髙田安規子・政子は、身近な物や日常風景のスケールと時間の感覚を転換し、観る人の認識を問い直す作品を発表してきた。本展では室内と屋外をつなぐ「窓」と「扉」をモチーフに、それらの物理的・心理的境界というメタファーに着目する。
ネズミサイズの扉から人間サイズの扉へ、さまざまな形の鍵が並ぶ《Open/Closed》は、コロナ禍の閉塞した自粛生活から次第に規制が解かれていく開放感と、その先に広がる新しい世界を予感させる。
個々に小さな灯りの点る窓が壁一面に設えられた《Inside-out/Outside-in》では、目をこらして覗き込むと館外の森の雪景色が見えた。この展示室がもともとは大きなガラス窓から豊かな自然を望む部屋であることを思い出す。
窓の開口部や鍵穴が小さいほど閉鎖された状況の孤独感を募らせ、個と世界との隔たりが強調される。リモートコミュニケーションやSNSの普及で、パブリックとプライベートの境界が曖昧になった宙吊りの気分も反映する作品だ。

「部屋のみる夢―ボナールからティルマンス、現代の作家まで」髙田安規子・政子のセクション © Akiko & Masako Takada Photo/ Ken KATO

第2会場では、新たに収蔵されたヴォルフガング・ティルマンスの写真10点と草間彌生の立体作品を初公開している。
ティルマンスがニューヨークやロンドンのアトリエ、ドイツ各地の住居の室内を撮影したこれらの作品は、いずれも「窓」を写している。植物を挿したガラス器や鉢が置かれた出窓や、コーヒーテーブルと椅子が設えられたアトリエの窓辺、しっとりと濃密な緑や澄みきった青空を切り取るフレームのような窓。
あまりにもさり気なく無造作に見える佇まいだが、そこには日常の情景を過大評価も過小評価もすることなく、細心の注意を払い、親密さや記憶を定着させようとしたティルマンスの視線と意識の動きが息づいている。

ヴォルフガング・ティルマンス 《静物、ボーン・エステート》 2002年 ポーラ美術館蔵 ©Wolfgang Tillmans, Courtesy Wako Works of Art

最後の草間彌生の部屋では、《ベッド、水玉強迫》(2002年)を囲むようにいくつかの作品が設置されている。
天蓋のついた寝台は一見ファンシーな水玉模様だが、男性器を思わせるグロテスクな突起物で覆われ、プライベート空間の休息や安らぎとは無縁の痛みを伝えてくる。
少女時代から彼女を苦しめてきたオブセッション(強迫観念)を表現する本作は、ここまでに観てきた一連の作品とは真逆の角度から、「部屋」が表象する普遍的なテーマを照射した。

草間彌生 《ベッド、水玉強迫》 2002年 ポーラ美術館蔵 © YAYOI KUSAMA Photo/ Ken KATO

家好き・庭好きにとってはこたえられない経絡(ツボ)をおさえている本展は、近現代美術の作品世界が個人の生活観や理想郷のイメージを表出しうることをあらためて思い起こさせてくれる。
一方、前半は自由に親密感あふれる部屋を出入りし、最後に草間彌生のベッドに迎えられる展示構成は思いがけないトリガーポイントを突き、苦い後味を残していく。

「部屋のみる夢」は楽園あり、悪夢あり。
決して一様ではない、グラデーションに彩られた夢なのだ。

部屋のみる夢―ボナールからティルマンス、現代の作家まで

会期|2023年1月28日(土) – 7月2日(日)

会場|ポーラ美術館[箱根] 展示室1、3

開館時間|9:00 – 17:00[入館は16:30まで]

休館日|会期中無休[悪天候による臨時休館あり]

お問い合わせ|0460-84-2111

■会期中、展示替えあり

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編集者・美術ジャーナリスト

鈴木 芳雄