ゲルハルト・リヒター《ムード(2022年1月7日(1))》 2022年 写真 作家蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

美術界の頂点に立つ画家、ゲルハルト・リヒター。90歳を迎え、画業60年となる記念すべき今年、日本での大規模展覧会が実現している。すでに東京での展示を終え、豊田市美術館での巡回が開始。多くの芸術家にインスパイアされてきた音楽家の渋谷慶一郎が語るリヒターが教えてくれること。🅼

聞き書き:鈴木芳雄

東京国立近代美術館の展示がすごくいいなと思ったのはいわゆる大美術館の回顧展にありがちな粗雑さがなくて、明瞭だったし、たとえば《ビルケナウ》以外の配置の分類も明確だったことです。「モノンクル」のキュレーター対談を読んでいたら「単なるガラスなのにリヒターのガラスは高い」と。

キュレーター対談「『リヒター展』制作の現場から」

それ、ウケました。リヒターの、ただのガラスさ、ただの絵画さ、とケムに巻いて開き直ってるように見せる感じは、ただの映画だ、と言っていたゴダールに通じますよね。ゴダールは最近亡くなりましたけど、彼はリヒターと同世代で、やはり最後までずっと作品を作り続けてました。そういう本質的なラジカルさを持ちつづけることが、創作を強固に持続させていると思います。
 
あと、リヒターは目に見えるもの、所謂ヴィジュアルアートと括られるものは全部やってやる、みたいな野心を感じるんです。それは創作の全体像を見渡すとわかるんだけど、ある種、野蛮とも言えるくらいの全部攫ってやるみたいな気構えみたいなものが、手に取るようにわかる。それがじゃあ作品に投影されているかというとそんな単純ではなく、実際の作品はそれぞれ完結性が高くて思考や思想の痕跡よりも表象というか実際の絵画、作品が圧倒的に存在している。ここの分離が魅力とも言えると思います。

東京国立近代美術館(会期終了)で《ビルケナウ》を見る渋谷さん。
© Gerhard Richter. 2022 (07062022)
Photo/ MON ONCLE

僕もピアノを弾くし、電子音楽もつくるし、オーケストラもつくるし、オペラも映画音楽もつくる。日本だけじゃなくてヨーロッパでも色々な人に会うけど、あまりそういう人はいないらしいです。で、これはともすると散らかりやすいんですけど、実は全部繋がってるわけです。僕も耳で聴こえること、今できる音楽と括られるものは全部やりたいという欲望があって。そういうときにリヒターに勇気づけられるものはあります。
 
リヒターにはそうした野心やコンセプチャルで政治性も孕む過激さはあるけど、その一方で、実際に美術館で展覧会を見終わったあとには、まさに現代の美術を見たという充足感も与えてくれる。その両立は希有だと思います。彼は基本的に何をやるにしても技術的な側面が保証されているから、実感的な満足感を与えられる。うまいとか下手とかを超えたアートは確かにある、ただリヒターの場合はまずうまい、その上でいろんなことをやってるから、鑑賞者に時間的、実感的な満足感を与えられるのだという気がします。

ワコウ・ワークス・オブ・アート「ゲルハルト・リヒター Drawings 2018-2022 and Elbe 1957」(会期終了)での展示作品
ゲルハルト・リヒター《25.1.2020》2020年 Pencil and colored pencil on paper 27.0 × 40.0 cm
Courtesy of WAKO WORKS OF ART

リヒターを扱っているワコウ・ワークス・オブ・アートでも美術館での展覧会のタイミングに合わせて最新作の展覧会があって、それもすごく良かったんです。リヒター自身がちぎった紙を置いて、偶発的に破かれた形の線をトレースしたり、なぞったりして描いた線があるかと思ったら、定規で描いた線やコンパスの線もある。紙と鉛筆と色鉛筆だけでもこれだけ多様なことができるということを提示してくれています。

Gerhard Richter『Drawings 2018-2022 and Elbe 1957』WAKO WORKS OF ART

アブストラクトペインティングの連作の残響みたいなものも見えるし、まさに今、芸術家として理想的な晩年を送っているなと思いました。ここにあるのは「最小限の無限」と自由の果てというか彼岸という気がします。そのカタログに寄せられた清水穣さんの論考もすごくわかりやすくて素晴らしい。
 
「リヒターの抽象ドローイングは、レイヤー・コラージュとしてのアブストラクト・ペインティングを、絵の具(およびそこから生じる色彩やマチエールなどの様々な特性)なしに、グラファイトや鉛筆やペンといったミニマルな道具で、遂行するものである。浮遊する線、反復パターン、定規で引かれた矩形や弧……、擦ったり拭き取ったりするボカシ効果、黒い線と消しゴムによる白い線や空白…… 幼児が描く覚束ない線のように、無方向に浮遊し、針金のようにもつれ、あるいは文字通り規矩に従うリヒターの線は、多種多様ではあれ、基本的にはレディメイドの線であって、いかにも『芸術家』の手技が生み出す力強い線描に固有の創造性や自発性を、意図的に放棄している。」(Gerhard Richter『Drawings 2018-2022 and Elbe 1957』WAKO WORKS OF ART所載、清水穣「存在しない面のために ゲルハルト・リヒターの抽象ドローイング」)

『Drawings 2018-2022 and Elbe 1957』はWAKO WORKS OF ARTのサイトから購入できます。

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ゲルハルト・リヒター《1998年2月14日》 1998年 油彩、写真 10×14.8cm ゲルハルト・リヒター財団蔵
© Gerhard Richter. 2022 (07062022)

リヒターの作品で一番欲しいものは?と聞かれたら、オイル・オン・フォトと答えます。あれは僕にとって電子音とピアノが同一線上にあるみたいな感情移入があるんです。絵具が粗雑に、ある種暴力的に合わさって一つの全体の調和を生んでいる。
 
たとえばピアノとかアコースティックみたいなものは、それなりの伝統とか技術というものが作曲する側に要求されるのに対して、電子音っていうのは電源入れれば誰でも音が出せる。僕は去年くらいまで、オペラみたいな大規模な仕事がすごく多くて、オーケストラと仕事する機会が多かったんですけど、ドバイ万博でアンドロイドオペラを発表した後はなぜか電子音楽、シンセサイザーを使う仕事のオファーが中心になってきました。そういうことが何年か単位で起きるんです。だいたい、3年くらいづつアコースティックとデジタルが入れ替わる。ちょうど今はシンセサイザーの時期ですね。最近だと、GUCCIのワールドキャンペーンの音楽をやりましたけど、それは全て電子音楽でシンセサイザーとアンドロイドとヴォーカルです。
 
音楽のエデュケーションがある人がノイズをやると、ノイズなのに後ろにすごい綺麗なコードが鳴ってたりするんだけど、あれはダメだと思うんです(笑)。リヒターはそういう囚われがないんです。異質を異質のままぶつけてしまうという暴力性に共感します。

ゲルハルト・リヒター『ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論』淡交社
アルミン・ツヴァイテ、清水穣、林道郎、畠山直哉『GERHARD RICHTER ゲルハルト・リヒター』淡交社

『ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論』、川村記念美術館と金沢21世紀美術館の公式カタログの『GERHARD RICHTER ゲルハルト・リヒター』、今回の展覧会を機に特集した『美術手帖』『ユリイカ』、全部読んでますけど、リヒターの言葉を書いてある絵画論のインタビューとかを読み漁って作品に触れると何が本当かわからないというか、ちょっとよくわからなくなりますね。
 
それよりも、リヒターの作品を見て、自分的に感じたり分析したりして、そこから何かを始めたほうがいい。そういう意味で言うと分析の助けになるような第三者、それはたとえば清水穣さんだったり、ハンス・ウルリッヒ・オブリストだったり、そういった人たちの文章を読むことの方がむしろリヒターの謎を解く助けになるんじゃないかと思います。

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ゲルハルト・リヒター展

会期|2022年10月15日(土)- 2023年1月29日(日)
会場|豊田市美術館
開館時間|10:00〜17:30[入館は閉館30分前まで]
休館日|月曜日[ただし1月9日は開館]、12月28日 – 1月4日

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