
「総合開館30周年記念 ルイジ・ギッリ 終わらない風景」が東京都写真美術館で開催中だ。イタリアやフランス、スイスの風景、画家や建築家のスタジオ、美術品や店のサイン、鏡や窓に映る景色…。ルイジ・ギッリが生きていて、その場所にいて、何分の1秒かで切り取ってきたシーン。もうギッリも、そしてもともと私たちもそこにはいない。でもその風景は誰が居ても居なくても存在している世界なのだ。
ギッリの写真と幸福な出会いをし、以後ずっとそれに魅せられてきた建築家・青木淳が展覧会を見てあらためて考えたこと感じたことを綴ってくれた。
東京都写真美術館の2階展示室に向かいながら、この会場での前の展覧会は、「総合開館30周年記念 鷹野隆大 カスババ—この日常を生きのびるために—」だったことを思い出していた。柱、壁柱、箱が、分散して置かれていた。広場的な場所があった。細い道のような場所もあった。45度、角度振られた場所もあった。広がったり、狭まったり、空間の密度は一様でなく、約20メートル角の正方形の空間が、さながら街のようだった。西澤徹夫の仕事だった。ここまでいくと、もう「会場デザイン」という言葉では言い尽くせない、新しい種類のクリエーション、と思ったのだった。
到着して入ってみると、今回の「総合開館30周年記念 ルイジ・ギッリ 終わらない風景」展は、それと比べれば、だいぶ穏やかだった。とはいえ、壁で区切られた標準的な展示とは、まるで違う。何本もの柱、何枚もの壁柱が林立している。天井までの高さのもあれば、それより低いのもある。会場全体に空気が通っている。その環境にかぶさるように、ギッリの写真が配置されていた。

「ルイジ・ギッリ 終わらない風景」展示風景 東京都写真美術館、2025年 撮影:髙橋健治 画像提供:東京都写真美術館
壁と壁の隙間から、その先の空間が、作品が覗ける。手前の壁に展示された写真に目が吸い込まれて、そこで終わりということはない。ちょっと目をずらせば、視線は向こうに抜けて、遠くの壁に反射して、またこちらに返ってくる。歩いていくと、視線が反射しつづけながら、風景が開け、また閉じていく。有限の空間なのに、無限に変化する風景。そこで、展覧会タイトル、「終わらない風景」を思い出した。このところの東京都写真美術館の展示計画は、とても良い。
イタリアの風景というテーマは、ルイジ・ギッリにとって、重要なテーマだった。1943年生まれのギッリが、測量技士の仕事を続けながら、写真を撮り始めたのが1970年に入ってからのこと。最初の作品集<コダクローム>が1978年。1984年には、彼が構想、キュレーション、実現のすべてに深く関与した写真プロジェクト「イタリアの風景」が始まる。以来、1992年に49歳で亡くなるまで、イタリアの風景は、彼にとっての中心的なテーマであり続けた。5章から成るこの展覧会でも、うち2章がそれに充てられている。

ルイジ・ギッリ 《カプリ、1981》〈イタリアの風景〉より 1981年 ©Heirs of Luigi Ghirri
たとえば、《トラーニ、1982》。写されているのは、時間が溶けていくような静謐な海だ。その手前、ほぼ中央に陶器の壺が大きく据えられている。そこから左に石の欄干が続き、右には鋳鉄製の手すりが続く。よくよく見れば、海の左の方に小さな白波が立っている。見ていると、なぜか、そこに自分が居て、海の匂いを嗅ぎ、風を受け、海を眺めている自分を感じている。決定的な瞬間を捉えた写真ではない。構図は完璧。でも、そのフレームの外に広がる風景を感じる。そこから何かが始まる予兆も孕んでいる。空間的にも、時間的にも、閉じていない。どこか、映画のシーンのよう。

ルイジ・ギッリ 《トラーニ、1982》〈イタリアの風景〉より 1982年 ©Heirs of Luigi Ghirri
ああ、そうそう、と思い出した。「ニュー・シネマ・パラダイス」の冒頭、タイトル・クレジットの映像だ。紺碧の海が広がっている。その手前に、大きく鉢が据えられている。小さな葉がそこに芽吹いている。上から垂れる白いレースのカーテンが風で靡いている。こちらは、ナポリ。海の色が違う。アドリア海の色は、もっと灰青でパステルめいている。でも、構図はほぼ同じ。映画では、ここからカメラが引いていって、画面に窓枠が入ってきて、主人公サルバトーレに電話をかける彼の母が映る。ジュセッペ・トルナトーレがギッリを参照したのかどうかは、私は知らない。
人を包みこむように大きく、環境そのもので、没入体験を与える「作品」が大流行りだ。しかし、ギッリは、こうして「没入的」な感覚を、決して大きくない、そしてすばらしく安定した構図の写真で私たちに送り届ける。そこに彼の写真のすばらしさがある。写真の中心に、壺が写っている。そして、見る人が、壺に自己投影してしまうように撮られている。私たちは、その壺になって、海を眺めることになる。

ルイジ・ギッリ 《トラーニ、1982》〈イタリアの風景〉より 1982年 ©Heirs of Luigi Ghirri
そのつくりを、もう少し直裁に行っているのが、《カプリ、1981》だ。こちらは、壺の代わりに、望遠鏡が中央に置かれている。その望遠鏡を覗くとどんな景色が見えるのか。私たちは、いつの間にか、写真に吸い込まれ、そこに立って望遠鏡越しに海を眺める自分を発見している。この写真で、しかし重要なのは、左に半分ほど写っている円柱だ。そして、そこに落ちる影。それが、想像のなかで私たちが立つその場所を、その場所の広がりを、これもまた私たちの想像のなかで、築き上げている。

ルイジ・ギッリ 《カプリ、1981》〈イタリアの風景〉より 1981年 ©Heirs of Luigi Ghirri
こうして見てくると、ギッリにとって「風景」とはなんだったのか、薄々、気がついてくる。それは単純な意味での、見られるべきもの、つまり「対象」ではないのだ。海を海という「物」として見ることはできる。しかし、ここに写っているのはそういう「物」ではない。そうではなく、まず「見る」という行為そのものだ。では、「見る」先には何があるのか。それは、私たちが居ても居なくても存在している世界である。そのことを、私たちが今生きて、そこで暮らしている世界に対して、実感として、そしてそれに初めて出会ったように感じること。それが、ギッリにとっての「風景」だったのではないか。
じつは、私がギッリという写真家の存在を知ったのは、もうずいぶん前のことになる。彼が撮ったアルド・ロッシが設計した建築に魅せられたのだった。今回の展示では、そのシリーズは含まれていないけれど、彼がロッシのアトリエを撮った写真が9点、モランディのアトリエの写真と並んで、展示されている。

ルイジ・ギッリ、アルド・ロッシ 『Things Which Are Only Themselves』 1996年
アルド・ロッシは、1980年代から90年代にかけて国際的に活躍したイタリアの建築家だった。ギッリのひとまわり上の生まれで、亡くなったのはギッリの5年後の1997年だから、ギッリからすれば、少し先輩格の人物だったろう。ちなみに、ロッシは日本にも何軒もの実作があり、今回、展示された、窓際に製図版が置かれた部屋の写真の中にも、博多に建てられ、今も稼業中の「ホテル・イル・パラッツォ」の大きなドローイングが壁に立てかけられている。

ルイジ・ギッリ 《ミラノ、1989-90》〈アルド・ロッシのアトリエ〉より 1989-90年 ©Heirs of Luigi Ghirri
しかし、ロッシがつくった建築たち、実際に訪れて見てみると、かなり「微妙」なのだ。私のスタジオのすぐそばにも彼の建築はあって、毎日、前を通る。でも、ロッシの設計ということを知らなければ、ただのキッチュな建築に見えなくもない。良い感じに写っている写真もほとんどお目にかからない。それが、珍しく良い写真があって、クレジットを見たら、ルイジ・ギッリだったのである。
ひとつ例を挙げよう。モデナに建てられた「サン・カタルド墓地」の雪景色。
雪に覆われた地面の起伏の向こうに、無数の正方形の穴が穿たれた色褪せた赤っぽい立方体の構築体が見える。薄く積もった雪のところどころで、黒々とした地面がまだらに顔を出している。手前には灰色の空に細い枯れ枝を垂らした木が2本、雪を突き破って立っている。その傍には、何本かのごく細い幹が直立している。空と地面の境は見分け難く、うっすらと遠くの街が薄墨色に浮かびあがっている。手前の木の幹に隠れるように、遠くの電柱が1本立っているのだが、両側に腕を出したその姿は十字架と見誤いかねない。なにかに焦点があたるのではなく、画面に現れるどれもが等価に見える。赤っぽい立方体の構築体が、ロッシの建築である。でも、それを「見ようとした」写真ではない。まず「見る」がある。その先に見えているものが現れる。そのなかに、新しくつくられた建築もまた、その一員として、違和感なく収まっている。
ロッシは、人々の間に共有されているさまざまな建築的記憶の層が重なったものとして、新しい建築をつくろうとしていた。逆に言えば、確かに物理的には新しい建築だけれど、その実体以上に、それら幾層ものイメージが多重露光されることの方に興味があった。であれば、ロッシの建築は「物」として写してはいけない。見た先に現れるさまざまな心象風景の記憶の重なりこそを写さなければならない。
ギッリは、ロッシの建築について、こんなふうに書いている。
イスファハンのあるモスクでは、ある場所に立って囁いたり指を鳴らと、その小さな音が7回反響するそうです。私はそれと同じ奇跡の感覚をロッシの建築に感じます。どこに立っても、どんな光の下でも、どんな光が通過するときも、記憶と発明の間で響く反響が広がり、増殖していくのです。(ルイジ・ギッリ、アルド・ロッシ『Things Which Are Only Themselves』(1996年)より引用、拙訳)
これこそ、ギッリが「風景」ということで、見ることの先に開けていくのを望んだことだったのだと思う。そして、だからこそ、ロッシがやろうとしたこと、つまり実体としての建築を介して、人々に共有されている「イメージ」を浮かび上がらせることを、写真に定着できたのだった。
今回の展示でも、雪のエミリア・ロマーニャの写真が数点ある。なかでもしばらく目を離せない美しい写真が《ポンポネスコ、1985》。雪が積もって、車の轍がついた通りの両側に一対の門柱が立っている。その向こうに見えるのは、水平に広がる地平線と、中央の枝に雪が付着した木々のこんもりとした塊ばかり。対になった柱が、目が向かう方向を誘っている。その先に「見られるべきもの」があるわけではない。それでも、その先には、それを見てきた多くの人の「見る」が、それもまた、ロッシの建築同様に、距離を欠いた実体をもたないイメージとして重なっているのだった。

ルイジ・ギッリ 《ポンポネスコ、1985》〈イタリアの風景〉より 1985年 ©Heirs of Luigi Ghirri
1970年代から80年代初頭にかけて、イタリアでは、都市化や観光産業が進み、風景が激変しつつあった。無秩序な開発があり、高速道路沿いには無個性な建築が建てられ、そして商業化によるイメージが押し寄せ、かつての「理想化された田園」や「歴史都市」の風景が消え去ろうとしていた。ギッリはそういうなかで、加速度的なスピードで押し寄せてくる新しいイメージに対する解毒剤として、写真を撮り始めた。
写真は、立ち止まりや思索のための、あってもなくてもよい瞬間なのではなく、むしろ高速化された外部世界によってショートしてしまった注意の回路を再び活性化するために必要なものだ。写真を、スローモーションの度を上げていって得られる(世界のイメージの)「日没」の静止画として捉えることも、時間を止める手段として捉えることも、素朴すぎるし、誤っている。写真とは、既知のものの現れとこれから出現するかもしれない現れとを、また飽和しきった外部と私たちの視線がますます向かう空虚とを、均衡させと和解させるイメージを構成しうるものなのだ。(ルイジ・ギッリ『The Complete Essays 1973-1991』(1986年)「写真と外部の表象」より引用、拙訳)
それが次第に、「既知のものの現れ」を見る目に近づいていくのは、おそらく、「これから出現するかもしれない現れ」が、ますます加速度を増して私たちの世界を覆っていったからだろう。「均衡と和解」のためには、より強く「既知のものの現れ」に向き合わなければならない。
それでも、ぎりぎりのところで、それら対極にあるもの同士の均衡と和解のイメージを達成した写真が、《ポンポネスコ、1985》の隣に展示されていた。

ルイジ・ギッリ 《コマッキオ、アゴスタの川岸、1989》〈雲の輪郭〉より 1989年 ©Heirs of Luigi Ghirri
画面は上半分が、朝焼けだろうか、夕焼けだろうか、オレンジの空で、下半分がその空の光を反射する静かな水面。その2つの面がほんのわずかな陸地の水平線を境に優しく溶け合っている。そして、その水のなかに、一軒ポツンの小屋が建っている、なんとも、美しい写真だ。
でも、なぜ小屋が水のなかに? という疑問が浮かぶのは、そう感じた一瞬後のこと。もしかしたら、水害? 気になって、家に帰って調べてみると、コマッキオは、ボローニャから東に行ったところにある街だ。アドリア海にほぼ接するようにある大きな潟に面している。水害がいつ起きてもおかしくない。一見、平和に見えるこの写真は、おそらく、水嵩が増して浸水したときの風景なのだ。
エミリア=ロマーニャ州は、2023年には「ストーム・ミネルヴァ」、2024年には「ストーム・ボリス」と、大きな水害に見舞われている。洪水の危険と隣り合った生活。ギッリの時代でも、その均衡は加速度的に危うくなっていた。それがいまや、地球温暖化によって、崩壊しつつある。
その現代に向けて、いわばギッリの遺言のような写真が、展示されている。

ルイジ・ギッリ 《ロンコチェージ、1992年1月》 1992年 ©Heirs of Luigi Ghirri
亡くなる1ヶ月前の写真だ。
濃い靄が垂れ込めている。画面の中央に置かれた消失点に向かって、厚みを増す空気中の白く微細な水粒が、徐々に世界を覆っていっている。見ているはずの主体も、すでに靄に包まれていて、すぐ足元の下草の肌理さえぼやけている。これは、「私たちの視線がますます向かう空虚」の写真だ。
それでも、私は見つづける。それに眼差しを向ける時間を持つ。なぜなら私は、私たちが居ても居なくても存在している世界がそこにあることに魅了されるから。
そんな声が聞こえてくる展覧会である。

「ルイジ・ギッリ 終わらない風景」展示風景 東京都写真美術館、2025年 撮影:髙橋健治 画像提供:東京都写真美術館
会期|2025年7月3日(木) – 9月28日(日)
会場|東京都写真美術館 2階展示室
開館時間|10:00-18:00[木・金曜日は10:00-20:00、ただし8/14(木)-9/26(金)までの木・金曜日は10:00-21:00]入館は閉館の30分前まで
休館日|月曜日[月曜日が祝日の場合は開館、翌平日休館]
お問い合わせ|03-3280-0099
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