「ヒルマ・アフ・クリント展」(東京国立近代美術館、2025年)展示会場にて

近年、美術史上における抽象画のパイオニアとして再評価が高まり、注目を集めているスウェーデンの女性画家、ヒルマ・アフ・クリント(1862-1944)。約140点全てが日本初公開となる注目の展覧会を、藤井フミヤさんが鑑賞しました。

 

 

聞き手・文=松原麻理
写真=森本美絵

3月の雨模様の平日午後、東京国立近代美術館の「ヒルマ・アフ・クリント展」は思いのほか混んでいた。しかし一般的にはその名前すら聞いたことがないという人が多いのではなかろうか? 藤井フミヤさんもその一人。まずはざっと経歴をおさらいしておこう。

ヒルマ・アフ・クリント、ハムガータン(ストックホルム)のスタジオにて、1902年頃 ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation

スウェーデンの裕福な家庭に生まれ、当時は女性のアーティストがまだ数少ない中、王立芸術アカデミーを優秀な成績で卒業し職業画家として活躍。その一方で神秘主義などの秘教思想やスピリチュアリズムに傾倒し、交霊術の体験を通した抽象的な絵画を多数制作する。オカルト画家と見なされ、正統な美術史上で評価されてこなかったのだが、2013年以降ヨーロッパでの大規模回顧展を契機としてその画業が再評価され、それまで抽象画の先駆とされてきたワシリー・カンディンスキーよりもアフ・クリントのほうが先行していたのではないかと議論され、脚光を浴びている。

——まずはアフ・クリントが20歳で王立芸術アカデミーに入学した頃の作品から見ていきましょう。

「ヒルマ・アフ・クリント展」展示風景 撮影:三吉史高 「1章 アカデミーでの教育から、職業画家へ」の展示室

ヒルマ・アフ・クリント 《ポピー》 制作年不詳 ヒルマ・アフ・クリント財団蔵 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation

藤井 アカデミーで学んでいた頃は、馬や人間の骨格を緻密に描いたり、植物を非常に写実的に描いたり、基礎をバッチリ勉強しているという感じ。のちに抽象的な画風になっていくけれど、博物画のような絵も描ける、高度なデッサン力を備えていた人なんですね。

コックリさんで描く作品?!

——アカデミー入学よりも少し前、17歳の時にアフ・クリントは交霊会に参加し始め、霊魂との交信や、神智学、薔薇十字運動、仏教も含むさまざまな心霊やオカルトの教義について興味を持つようになります。1896年には神秘思想を通じて知り合った女性たち4人と「5人(De Fem)」というグループを結成し、一種のトランス状態において霊的存在からメッセージを受け取り、絵画を描くようになるんです。

「ヒルマ・アフ・クリント展」展示風景 撮影:三吉史高 「5人(De Fem)」として、ドライパステルやグラファイトで描いた作品群

藤井 一人で描いたのではなく「5人」名義の作品なんですね。それもトランス状態でこの絵を描いたということは、まさに「コックリさん」と同じですよね?! 僕も子供のころやりましたよ。友だち数人で集まり、それぞれの指を10円玉の上に置いて目を瞑ると、ひとりでに10円玉が動き出して……。鉛筆で描いたスケッチに残る電波のような波線や同心円は、何かが降りてきて、自然と5人の手が動いた跡なのかもしれない。

——1906年、アフ・クリントが44歳の時に啓示を受けて「神殿のための絵画」に着手します。その後中断期間を挟みながら、約10年間にわたって自らの霊的実践から得たテーマの作品を193点制作していきます。

ヒルマ・アフ・クリント 〈進化、WUS /七芒星シリーズ、グループVI〉 1908年 ヒルマ・アフ・クリント財団蔵

ヒルマ・アフ・クリント 〈進化、WUS /七芒星シリーズ、グループVI〉 1908年 ヒルマ・アフ・クリント財団蔵

藤井 左右対称だったり、十字架を思わせたり、キリスト教の影響を感じさせますね。あとピンク色が特徴的だな。人体を中央に置いた作品は、塗り分けた濃い色の部分におたまじゃくしのような形が無数に描いてある。これって精子なんじゃないかな? とすると丸い形は女性の卵巣にも見えてくる。音声ガイドによるとアフ・クリントは、イエローで男性性を、ブルーで女性性を表現していたそうです。この絵にもイエローとブルーが使われているから、ひょっとして男女のまぐわいを表しているのかなー? なんとも不思議な絵ですよね。

——オカルトや秘教思想に興味を抱いていたアフ・クリントですが、一方で、19世紀後半から20世紀初頭はエジソンによる電灯や蓄音機など電気器具の発明や、レントゲンによるX線、キュリー夫妻による放射線の研究など自然科学の分野でさまざまな発見があった時代で、それらに共通する「見えないものを可視化すること」が社会的にも、アフ・クリント自身にとっても大きな関心事でした。

藤井 「見えないものを見たい」という欲求を、時には交霊術によって、時にはサイエンスの知識を借りながら作品に表現していたんでしょうね。そうやって考えると、このあたりの作品は顕微鏡で覗いた細胞のようでもあるし、MRIの断層図みたいにも見えてくるなぁ。

圧巻の大作〈10の最大物〉に没入。

——いよいよ本展のハイライト、〈10の最大物〉の部屋にやってきました。

「ヒルマ・アフ・クリント展」展示風景 〈10の最大物〉を展示する部屋で

——1907年、アフ・クリントは人生の4つの段階(幼年期・青年期・成人期・老年期)について10枚の絵画を描くよう啓示を受けます。そして高さ約3.2m、幅約2.4mの巨大な絵画10点を、わずか2ヶ月のうちに完成させました。

藤井 これだけの大作を、わずか2ヶ月で、たった一人で描いたとは信じられない! まず正円や楕円形をきれいに描くのには相当な技術が必要だし、これだけ大きいと体力も要りますよね。それに油彩ならば失敗しても塗り重ねてごまかすことができるけれど、テンペラ*ではそうもいかないでしょうし。勢いで描いたのではなく、緻密な計算で描かれていると思います。

「テンペラ」はラテン語の“ temperāre(テンペラーレ:混ぜる、調合する)”を語源とする。顔料に、接着成分として卵などの動物性タンパク質を加えた絵具、またそれを用いて描いた絵を指す

ヒルマ・アフ・クリント 《10の最大物、グループIV、No. 3、青年期》 1907年 ヒルマ・アフ・クリント財団蔵 By courtesy of
The Hilma af Klint Foundation

ヒルマ・アフ・クリント 《10の最大物、グループIV、No. 7、成人期》 1907年 ヒルマ・アフ・クリント財団蔵 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation

藤井 この絵を見ていると、音楽を感じます。宇宙人が書いた楽譜みたいじゃない? それに青年期や成人期になるとアルファベットや、「ave maria」などの語句が描き込まれるようになりますね。なんかバスキアっぽい。しかしバスキアよりはるか前にこういう抽象的な作品を描いていたなんて、すごいな。

〈10の最大物〉より幼年期の作品2点が並ぶ

藤井 幼年期から始まる10点の作品をぐるっと時計回りに鑑賞できるようになっているから、最後の老年期の作品の次はまた幼年期に戻ってくる。輪廻転生ということですかね?
超越した存在からの啓示を受けて描いたとは言っているけれど、これほどの大作を残すということは、明らかに教会における祭壇画を目指していたと言えますよね。これも神殿に飾るために制作された作品だということは、彼女自身が新しい宗教を興そうとしていたのかな。

紙の継ぎ目や、筆の跡などを確認する藤井さん

まるでレコードジャケット?! のモダンさ。

——「神殿のための絵画」はまだまだ続きます。

《白鳥、SUW シリーズ、グループIX:パートI、No.9》(1915年)の前で

藤井 このあたりの作品は、ニューヨーク近代美術館に展示してあってもおかしくない、完全に現代アートですよね。1914年から1915年にかけて制作されたとあるけれど、ジャスパー・ジョーンズみたいな作品もあるし。

アフ・クリントが構想していた螺旋状の神殿の最上階の塔にある「祭壇の間」へ掛けることを目的として描かれた〈祭壇画〉3点

ヒルマ・アフ・クリント 《祭壇画、グループX、No. 1》 1915年 ヒルマ・アフ・クリント財団蔵 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation

藤井 これ(上作品)なんて、まるでピンク・フロイドやアース・ウィンド&ファイヤーのジャケ写みたいじゃないですか。

ヒルマ・アフ・クリント 《知恵の樹、W シリーズ、No. 1》 1913年 ヒルマ・アフ・クリント財団蔵 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation

藤井 この〈知恵の樹〉シリーズは、SFに出てくる建築物みたいですよね。岡本太郎の《太陽の塔》の内部を思い出しました。

現代人が共感できるスピリチュアリズムと幸福感

——アフ・クリントは50歳を過ぎて神智学から人智学へと興味が移り、水彩で〈原子シリーズ〉や〈穀物、花、コケ類、地衣類〉などを描きました。そして過去の作品スケッチをノートにまとめるなど、自身の創作を体系化する作業が多くなっていきます。作品やノートはすべて甥に託し、自分の死後20年間は公開しないよう求めたという逸話も残っています。

〈パルジファル・シリーズ、グループII〉の前で。正方形の色面を水彩で描き、文字を添えた1916年の作品

藤井 自分が描いたものを世の中に出さないでほしいと願ったというのも、秘密めいているというか、ミステリアスな作家と思われてきた要因の一つですよね。自分が生きている間に発表したとしても、美術界には認められることはないだろうと彼女は考えたのでしょうね。ワシリー・カンディンスキーが1910年代に抽象画を描いたのが抽象絵画の始まりと言われているけれど、その数年前に、アフ・クリントが既にこんな絵を描いていた…… 彼女はちょっと早すぎたのかな。また、オカルト的な体験を経て制作された作品だから美術史のなかで扱うのが難しいと言われているんですね? でも抽象画家と言われている人たちだって、なんらかのアイディアや想念がふと自分に降りてきた結果、絵を描いているのだろうから、両者にそんなに違いはないと思うけれどね。

〈祭壇画〉の作品に囲まれるスペースにて

藤井 アフ・クリントは自分なりの科学や生命観や宇宙観を体系化して築き上げたいと考えていたのだと思います。テクニックとしては絵を描ける人だったから、その世界観を絵画作品として表したのでしょうね。そう考えると、画風はまったく違うけれど、横尾忠則さんに近いなと感じました。横尾先生も自分が主体的に描いているのではなく、UFOからの啓示で描いているとおっしゃっていたりするじゃないですか。

〈10の最大物〉より成人期、老年期の作品が並ぶ

藤井 僕も絵を描いたり作詞をしたりするとき、そのアイディアは常にどこからか降りてくるもので、なぜその絵や言葉になったのか、理屈では説明できません。僕は宗教も、異次元も、UFOも基本的には信じるタイプなので、アフ・クリントが描く世界は共感できます。輪廻転生もあるだろうと思っているしね。むしろ今の若い人たちのほうが、すんなりと当たり前のようにアフ・クリントの世界観を受け入れるんじゃないかな? マンガやラノベで転生ものが流行っているし、スピリチュアルなものに共感できる世代だから。それに暴力的な描写や、暗い、激しい表現は見当たらず、色彩が明るく全体的に優しくてハッピーな画風も、多くの人に支持される理由かもしれません。
〈10の最大物〉を展示している部屋は座って鑑賞できるよう壁沿いにベンチがあるので、長い時間作品を眺めながらぼーっと過ごすのも良さそう。何より、この大作を仕上げた作家のパワーが如実に感じられますし、美しい色彩と音符記号のような絵画の中に自分自身が溶け込んでいくような気持ちになりました。

ヒルマ・アフ・クリント展

会期|2025年3月4日(火) – 6月15日(日)
会場|東京国立近代美術館
開館時間|10:00 – 17:00[金・土曜日は20:00まで]入館は閉館の30分前まで
休館日|月曜日[5/5は開館]、5/7(水)
お問い合わせ|050-5541-8600[ハローダイヤル]

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