美術史の豊かな知識を土台にして、当代一の画力を武器にどこにもない絵を生み出す。そんな人気画家、山口晃ガハクは夫婦揃って食いしん坊。日常で、旅で、制作中の日々で、散歩の途中で何を食べてるの? ガハクが日常を描くコミックエッセイ『すゞしろ日記』に「カミさん」として登場するガハク妻による食事帖。
然るべき舞台やタイミングを得て盛り上げてもらうから、スターは輝くのだ・・と今回はカズノコの話。    

 

絵/山口晃

流れるように月日が過ぎ、寒かった季節からだんだんと暖かくなるにつれ、冷蔵庫のチルド室を開け閉めする度にちらりと視界に入る、左奥にある白い包みの存在が日に日に大きく感じられ気が重くなっていく。

「だから早く食べちゃえばよかったんだよね」
とわたしがぼやくと、
「何が?」
と、山口ヒゲ画伯こと夫(以下ガハク)が聞いてきた。
「カズノコだよ」
「え? なんであるの」
「やっぱり忘れてたんだね」
ガハクは冷蔵庫事情をよく把握していないから致し方ない。

暮れの買い物にて、買い求めたカズノコが、今回は例年になく量が多かった。
というのも・・・。

ここ数年、お正月用の買い出しは近所のみで完結する状態になってしまっている。(コロナ禍のせいで)
以前ならば、海産物は御徒町の専門店(アメ横ではない。さすがに人が多すぎて無理なので)に出かけて入手したものだった。
天然と銘打たれた幅広の立派な日高昆布は、昆布巻き用として本当に素晴らしかった。ちまちま引き伸ばさなくても余裕でニシンが巻けた。
スーパーマーケットで見かけなくなった身欠きニシンも必ずあったし、カズノコは各産地、品質、大きさ、量も様々で、要望通りの品を見つけることができた。

なぜかお正月の話になってきたがこのまま続けることにする。

さて、近場で探すとなると、ガハクの意にかなうものが果たして無事得られるのか、ゲームのような緊張を強いられる買い物へと変容してくる・・・ などと、ガハクだけをワガママな暴君に仕立ててしまいがちなのだが、自分としてもがっかりしたくないので頑張ってみる。
そうして挑んだ地元の商店街にある某魚屋さん。
身欠きニシンはほぼ需要がないらしく店頭には出ておらず、店の向かいの倉庫からわざわざ取ってきてもらう。懸念事項が一つクリア。
そしてカズノコだ。
ここ数年は、買い物が十分にできないことを理由に、手間も省こうと近くに数件ある和食屋のおせちを順に試していた。さすがプロの味は完成度のレベルが全く違っておいしいのだけれど、お重に入れられるように汁気がなく濃いめの味付けのカズノコにはどこかしっくりこないところがあった。また、量も少なくて1〜2回で終わってしまう。
そこで、面倒でもやっぱりお出汁たっぷりで薄味の一品を、松の内の間は存分に食べられるように、というおうち路線へと回帰したのだった。
久々のカズノコ購入、このお店では初めて買う。どうしようどれにしよう、といっても3択しかない。
(1)お店で調理済みの味付き、プラスチックカップ入り
(2)外国産ですでに塩抜き&薄皮はがし済み 4〜5腹
(3)北海道産、木箱入り 10腹くらい

量的には(2)だが、外国産で、それよりもすでに薄皮がとられてしまっているというのが気にかかる。どういった手法にて剥がされたのか。皮を溶かす薬品をかけたとか? あとは・・・ 実はこの薄皮はがし作業はわたしの密かな楽しみでもあり、自分でできないのはつまらない。
そうすると断然(3)となるが家族2人にとってはちょっと多い。お正月だから存分に食べようというにも多すぎる。平素より「プリン体が!」と気にしているガハクの心労が増してしまう。
うじうじと木箱を眺め、ぐずぐずと時間を過ごし、いよいよ決めかねてお店の人にたずねる。
「これ、どのくらい日持ちしますか」
「塩抜きしなければ数ヶ月持つよ。冷蔵庫に入れてね」
「そうなんですね、数ヶ月ってどのくらいですか」
ややお店の人の歯切れが悪くなり、
「あー、そうね、3ヶ月くらいは大丈夫じゃない」
とのこと。でもそれを聞いて安心し、「これにします」とわたしは箱をお会計の方に持って行った。
なお、家に帰って箱の裏を見たところ、賞味期限は5月末となっていた。これなら全然、大丈夫。

ここで冒頭に戻るが、つまりその時のカズノコが、ずっと冷蔵庫に眠っていたという訳なのだ。
お正月用に5腹を準備、それから間髪おかずにもう少し食べちゃおうかと4腹を1月のうちに消費した。「わー、今年はお正月が過ぎてもずっとカズノコがあるよ」とガハクも喜んでいた。
その時、一気に食べちゃうのもなんだしね、と半端に2腹残してしまったことが今や恨めしい。
やはり少し特別な時に食べようとか、今は忙しくて準備が面倒だなとか、そんなことを思っているうちに賞味期限がどんどん近づいてくる。
しかしついに、ある晴れた日に意を決し、
「カズノコ、仕込むよ」
と宣言した。
「あー、カズノコね」
それに対してガハクはなんだか気のない返事だ。忙しいのだろう。
まずは塩抜きをしなくては。深皿に薄めの塩水を張る。均等に浸かるように向きを変えたりきちんと並べる必要もなく、ぽいぽいっと2つ入れたらそれで終わりで冷蔵庫にて保存。
数時間経ち、「おっと、いけない」と思い出した時に塩水の取り替え。端をちぎって味見をするともうほとんどいい感じだ。とりあえずもう一回浸けておくことにしたけれど、今までなら2〜3回は塩水を作り替え丁寧に様子を見ていたのに比べてずいぶんとあっけない。
こんなに早く塩抜きができてしまうとなると、のんびりする暇もなく漬け込むための出汁作りにと取りかからなければ。取りかかる前に一番気鬱に思っていたのはこのパートだったかもしれない。昆布とかつお節とで丁寧にやるべきか、たった2腹だから簡単に出汁パック、もしくはもう顆粒でいいか・・・ 独り言よりは強めにガハクに伝えてみたが、「大変だったらいいんじゃない、好きにしたら」とのことで主体性のない返事。
迷った末にここまできたら最後まで本気でやろうと、かつお節を濾し取ったりなど懸命に取り組む。おせち準備時ならふたりでやる共同作業なのに、少量につきひとりでボウルやザルを駆使し、虚しいような達成感がある様な複雑な心境だ。
小鍋にできた漬け汁を冷ましている間に、塩抜きされたカズノコの薄皮をつまようじを使ってはがしにかかる。「やるぞ〜」と意気込んだものの、品質がよいせいか身離れもよく、2腹しかないのでちょこっと膜を引っ張るだけで瞬時に済む。
冬の寒い時期、大量のカズノコを前に手をかじかませてぴーっ、つーい、ほじほじ、などとやっていた一大イベントだったのに、拍子抜けするくらいすぐ終わってしまった。

つつがなく完成し、いよいよカズノコが春の食卓にあがる。
1日目、そうはいっても祝祭感を出そうかと、メインをお刺身にした夕飯にする。3〜4cmほどの大きさにちぎった出汁ひたひたのカズノコふたかけくらいを、小鉢がわりのおちょこに入れて銘々に。
「カズノコ、おいしいね」
とぽりぽりしながら語り合いつつ、厚めに切られたしっとりやわらかな生カツオの瑞々しくもさっぱりした身の甘みが口いっぱいに広がる・・・ という華やかさに、明らかに気を取られている。
アジの青魚らしいグッと入り込んでくるしっかりした味わいも、歯ごたえで勝負をかけてくるカズノコの影を薄くさせてしまうようだ。
2日目、やはりお魚同士がよいだろう、と塩焼きにしたサワラの切り身と一緒に。しかしなぜだろう、ここでもカズノコは、お酒に合うねーと、たまにアクセントとして箸を運ぶような存在。
お正月の時にはあんなに大事にされていて、ちびちびと日本酒を飲みながら「そろそろカズノコいっちゃおうかなー」と声を弾ませてつまんでいた、小さいながらも燦然と輝いていた半透明の上品な黄金のかけらが、まるでドラマの脇役(主人公ではなくて)のさらに友人レベルではないか。

「そういえばお正月以外にカズノコって食べたことがなかった気がする」
すべてのカズノコを食べ終えて、反省会のようにわたしがぽつりとつぶやくと、
「カズノコの真の実力っていうのはこの程度だったのかも」
ガハクが大好きの部類に入るカズノコに対して衝撃的なことを言い出す。
「いぃ?」
驚きのあまり感嘆詞も普段出ない声に裏返るわたしへ、ガハクが話を続けていく。

「正月のスターはドサ回りに出てはいけないんだよ。
場所の力とか、プレゼンテーションってやっぱりあるじゃない。同じものでも、うーん例えばナントカという上等なジャムがあって、高級食材店とか百貨店で売っていれば人は行列してまで買いに行くかもしれない。でも、それが住宅街の量販スーパーの棚の片隅にあったら、なんだこれやたら高いだけで、って見向きもされないんじゃないかな。
おせちでのカズノコというのは錦のかかり方がすごいよね。あの正月の晴れ晴れとした雰囲気の中、たくさんのご馳走がずらりと並ぶ中で、この時だけ、ありがたげに出されている、ということに意味があるんだと思う。

あまりにもここでしか、こういう時にしか出てこない食べ物だから、違う状況で出てきてもうれしくないもの、って他にもある気がする。うーん、何だろう」
ふたりで考えてみても、千歳飴? 豆まきの大豆?・・・ 少し違うな・・・ などとよい例は思い浮かべられなかったけれど、確かにそういうものはありそうだ。
考えてみたら下準備でカズノコの世話をしている時から気分が違った。記憶に刷り込まれている、年末、正月の慌ただしさや寒さを感じながらではなく、暖かくふんわりした気候の中で触れるカズノコはほんのひと手間下ごしらえすればいいだけの日常の食材となんら変わりない感じがした。

まだ半年以上あるので、カズノコをなんとなく喜びも少なく食べてしまったというこの春の記憶はそのうちに消え、次のお正月が来たら再びきらめく存在に戻っていることと思われる。(と思いたい)
次回はどんなに大量に残っても、日々食べ続けることになっても、必ず1ヶ月以内に食してしまおう。
カズノコにはずっとスターの座でいてほしいから。

■次回「ヒゲのガハクごはん帖」は6月第2週に公開予定です。


●山口晃さんってどんな画家?

1969年東京都生まれ、群馬県桐生市に育つ。96年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。 2013年『ヘンな日本美術史』(祥伝社)で第12回小林秀雄賞受賞。
日本の伝統的絵画の様式を踏まえ、油絵で描く作風が特徴。都市鳥瞰図・合戦図などの絵画のみならず立体、漫画、インスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。
主な個展に、2015年「山口晃展 前に下がる下を仰ぐ」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、茨城)、18 年「Resonating Surfaces」(大和日英基金ジャパンハウスギャラリー、ロンドン)、23年「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」(アーティゾン美術館、東京)など国内外展示多数。
2019年 NHK大河ドラマ「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」のオープニングタイトルバック画を担当し、22年善光寺(長野)へ《善光寺御開帳遠景圖》を奉納。

山種美術館(東京)にて開催の「犬派?猫派? ー俵屋宗達、竹内栖鳳、藤田嗣治から山口晃までー」(2024年5月12日– 7月7日)へ出品。
また、2023年にメトロポリタン美術館収蔵の《四天王立像》が同館にて公開中。
Anxiety and Hope in Japanese Art
会期|2023年12月16日 – 2024年7月14日
会場|メトロポリタン美術館 Gallery 223-232

山口晃 《四天王立像「持国天」「増長天」「廣目天」「多聞天」》 2006年 メトロポリタン美術館蔵 Gift of Hallam Chow,2023 ©︎YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery 撮影:木奥恵三

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