村上隆 《洛中洛外図 岩佐又兵衛 rip》左[部分]参考画像 2023-2024年 ©︎2023-2024 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

およそこの30年間、日本の、世界の現代美術の最前線にい続ける村上隆。アニメを絵として評価したいと考えていた若い頃の彼に示唆を与えてくれたのは美術史家、辻惟雄(つじ・のぶお)の名著『奇想の系譜』だった。伊藤若冲、曾我蕭白、狩野山雪ら当時は傍流だが今では日本美術のスーパースターとなった絵師たちを取り上げた予見の書となった。村上の国内では8年ぶり、京都で開催される展覧会で発表される作品の下絵をその辻に見てもらった。そのどの絵も食い入るように辻は見ていた。  

 

 

聞き手・文=鈴木芳雄

「私と村上さんが初めて会ったのは村上さんが33歳、私が63歳のときでした。村上さんはそのとき、SCAI THE BATHHOUSEで個展を開催していて(編集部注:1995年10月24日〜11月18日「村上隆『狂ったZ』展」)、村上さんが私に会いたがっていることを聞きつけた岩波書店の編集者が取り次いでくれました。村上さんと私は年齢がちょうど30年開いているんです」

2017年のボストン美術館での展覧会のときの写真。辻先生85歳、村上さん55歳
Photo by Museum of Fine Arts, Boston ©︎Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

村上さんは1962年生まれなので、今年62歳。辻先生と出会ったときの先生の歳とほぼ同じになった。

「しばらくして、『美術手帖』の取材で埼玉にある村上さんのアトリエ(編集部注:現在のアトリエではなく、埼玉県朝霞市の〈丸沼芸術の森〉にあったアトリエ)に行って、そこで話をしたことがありました。それでそのときだったですかね、もう少しあとでしょうか、村上さんに言われたんです。『辻先生、なにか好きなことを書いてください。僕はそれに対して絵で回答します』と。だったら気楽に書いていいんだということで、好きなことを書き始めたんです。それが『芸術新潮』の連載で結局20回オーバーの21回かな。そこまで続いちゃったんです。(編集部注:さらに村上隆特集のときの特別回が1回ある)」

その『芸術新潮』での連載「ニッポン絵合わせ」は『熱闘(バトルロイヤル)! 日本美術史』(とんぼの本/新潮社 2014年)にまとまった。『奇想の系譜』、『日本美術の見方(岩波 日本美術の流れ 7)』などの熱心な読者だった村上さんは、辻先生と何かを一緒にやりたいという希望がずっとあり、こうして結実した。

村上隆 《見返り、来迎図》 2016年 ©︎2016 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.
今回の「村上隆 もののけ 京都」に出品される

国宝《阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)》 鎌倉時代(14世紀) 京都・知恩院蔵
特別展「法然と極楽浄土」出品作品[展示期間:4/16 – 5/12]会期:2024年4月16日- 6月9日(日) 会場:東京国立博物館 平成館 特別展示室 ■「村上隆 もののけ 京都」への出品はございません

「2010年の『美術手帖』に村上さんの特集があるんです。ボロボロの服を着た村上さんが愛犬を抱いて河原に立っている表紙の。本当に“世界の村上”になろうって、すごい気構えでやっていたときですね。なんでもやるっていう感じの時期。そのときに対話が始まったんです。21回の最初の回は畏れ多いんだけど、狩野永徳の《唐獅子図屛風》から始めたんですよね。

狩野永徳 国宝《唐獅子図屛風》(右隻) 桃山時代(16世紀) 皇居三の丸尚蔵館蔵 Source: ColBase[https://colbase.nich.go.jp]■本展への出品はございません

当時の永徳はやっぱり(祖父である)元信の画風を型破りにするくらいの勢いで新しい画風をつくりだしたいという意気込みがあった。村上さんのあのときの馬力にちょうど対応するんじゃないかっていう気がしたんです。

一方、村上さんもちょうどその頃、なんか日本美術の中から自分の制作のもとになるもの、モチーフをつくり出そうとしていたと思います。それであのときは確か、村上さんは、彭城百川(さかきひゃくせん)という江戸時代の画家、この人は文人画の最初の段階に出てくる人なんですが、奈良にあって、重要文化財になってる《天台岳中石橋図(てんだいがくちゅうしゃっきょうず)》という襖絵をもとにして、それをいろいろいじってましたね。私が〈永徳、唐獅子〉というお題を出したら、村上さんは永徳ではなく、その百川の獅子を屛風にして、第1回目の回答がそれでした。

村上隆 《ライオンと村上隆》 参考画像 2023-2024年 ©︎2023-2024 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

その次に当時、プライスさんご夫妻がお持ちだった伊藤若冲の《鳥獣花木図屛風》がありますね。例のモザイクのような。静岡県立美術館にも《樹下鳥獣図屛風》というやはり同様の絵があって、両方とも若冲なのかどうかって、いろいろみんな言って。両方とも若冲の工房作ではないかという説も出てきて、ちょっと不安定になったことがあったんですが、そのときに私は連載2回目にそのことについて書きました。

村上さんは面白いことに静岡の《樹下鳥獣図屛風》の中身とプライスさんの《鳥獣花木図屏風》の画面とをごちゃ混ぜにして、それにプライスさんの《鳥獣花木図屏風》の線模様を描いてしまった。村上さんは工房作だからって値打ちが下がるものではない、それを監督するのがむしろ大変だ、と言ってます。

それで3回目ですけど、当時葛飾北斎の春画というのがしきりに展覧会に出て、春画のシンポジウムが開催されたりしました。大英博物館で春画展が開催される前段階ですけれども、春画っていうのはもう少し表に出してもいいんじゃないかということでやったと記憶しています。北斎の《萬福和合神》という絵を取り上げて、それについて書いたところ、村上さんはその艶本の中の挿図をもとにとんでもないのを描いちゃった。それを見て私はやっぱりあまりにもどうにもえげつないと思いました。そこでちょっと反論というか、『これはアートではありませんとか言って怒ったんですよね(笑)。そのままじゃないですかって、しかも弟子に描かせているんですよ。自分で描いてくれよ、なんて書いて(笑)」

連載ののちの回で村上さんがそのときのことを辻先生の言葉として引用している。

〈村上さん
貴下の春画はたしかにギョッとさせますが、失礼ながら芸術的なギョッととはちょっとちがいますね。村上さんらしいイマジネーションの飛躍が感じられませんし、色調も幕末浮世絵みたいに暗い。村上さん本来のとは違います。〉

「きついこと言ったんだよねぇ(笑)。そうしたら村上さんはやっぱりショックだったらしいね。それで描いたのがこういう絵なんです。9メートル53センチ、3メートル67センチ。つまり、幅が10メートル近くもある、馬鹿デカいの描いたんだよ、弟子ひとりくらい使って描いてましたけど。

村上隆 《象鯨図2009〜2010》 2009-2010年 ©︎2009-2010 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved. ■本展への出品はございません

この鯨なんかいいですよね。これをやったら、久しぶりに自分で描いたけれど、まんざら悪くもないというようなことを言ってましたね。そういう意味では連載の初期に私が反抗したのを受け止めて、前向きに持っていくところが村上さんのいいところじゃないかと思うんですよね。
その返り討ちというか、〈絵難房〉というお返しが来て、私の変な顔がいっぱい出るって羽目になっちゃったけど、まあ、これはやむを得ないと(笑)。

曾我蕭白《雲竜図》ボストン美術館「村上隆:奇想の系譜|協力/辻惟雄、ボストン美術館」展示風景。2017年。上の写真は2分割して撮影したものを結合。右隻部分に村上の《雲⻯⾚変図》が写り込んでいる。下はパノラマ撮影 Photos/ Yoshio Suzuki

ともかく、対決も本格的になってきて、曾我蕭白をぶつけたんですよね、ここで。蕭白っていうのはまさに村上さんにピッタシだと私は思って。そうしたら案の定すごい反応があって。ボストン美術館にある蕭白の《雲竜図》をもとに、この《雲竜赤変図…》が飛び出したのですね。これを描いているところを私は間近に見てたんですけど、やっぱりすごいですね。コンピューターでプロジェクター用にまずこの下図を描く。プロジェクターでパネルに映し出して、2〜3人の弟子がきちんとなぞってましたね。それが済むと、村上さんが出ていってアクセントをつけたり、いろいろ手入れをする。なるほど、こういうふうにして、大画面が描けるのかとよくわかったんです。これは本当にうまく出来てたと私も思います。まさに蕭白を再生させたというか、ただ写したというのではなく、リクリエーションしたという感じの作品だと思います」

村上隆《雲⻯⾚変図(辻惟雄先⽣に「あなた、たまには⾃分で描いたらどうなの?」と嫌味を⾔われて腹が⽴って⾃分で描いたバージョン)》 2010年 Ⓒ2010 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

この『芸術新潮』の連載がベースになるような形で、2017年、ボストン美術館で「村上隆:奇想の系譜|協力/辻惟雄、ボストン美術館」という展覧会が開催された。

「村上隆:奇想の系譜|協力/辻惟雄、ボストン美術館」開催時の美術館外観 Photo/ Yoshio Suzuki

ボストン美術館には曾我蕭白の作品が世界で一番くらいあります。もとはもっとたくさんあったけれども、少し間引いて、それでもまだ50点以上あるでしょうか。中には超一流のものがまだまだあると言われていたので、この展覧会を作ったアン・ニシムラ・モースさんにもお世話になって調査しました。マニー・L・ヒックマンさんという蕭白に夢中になってた人が館員の中にいて、その人がボストン美術館の収蔵庫の中にある、スタディピースという、本物かどうか要検討、という一角から、この《雲竜図》を出して来たんです。厚いパネルに貼り付けて巻いたような状態でした。襖一面ごとに、それを広げて見せてくれたんです。スゴいのがあると思って驚きました。それが最初でした。ヒックマンさんが辞められてからは、モースさんがそれを引き継いでいます。

そういうご縁のある作品ですが、それをもとに、“ニュー蕭白”というか、こういうドラゴン・モンスターの絵を作り出したのは村上さんだということになるわけです」

この《雲⻯⾚変図(辻惟雄先⽣に「あなた、たまには⾃分で描いたらどうなの?」と嫌味を⾔われて腹が⽴って⾃分で描いたバージョン)》は今回が日本での初公開となる。
そのほか、俵屋宗達《風神雷神図屛風》、岩佐又兵衛《洛中洛外図屛風(舟木本)》などに触発された作品が出品される。

村上隆 《風神図》《雷神図》 参考画像 2023-2024年 ©️2023-2024 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

尾形光琳 重要文化財《風神雷神図屏風》 江戸時代(18世紀) 東京国立博物館蔵 Source: ColBase[https://colbase.nich.go.jp]■本展への出品はございません

「しかしこの村上さんの《風神図》《雷神図》はあんまり宗達や光琳の風神雷神にこだわってないところが面白いね(笑)。

村上隆 《洛中洛外図岩佐又兵衛rip》 2024年 ©️2024 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

岩佐又兵衛 国宝《洛中洛外図屏風(舟木本)》 上から右隻、左隻 江戸時代(17世紀) 東京国立博物館蔵 Source: ColBase[https://colbase.nich.go.jp]■本展への出品はございません

《洛中洛外図岩佐又兵衛rip》は舟木本そのままかな。あ、ちょっと違うね。この辺に泳いでいる人も違う。これは面白い試みだなぁ。あ、ここに風神と雷神が降りて来てるんじゃない? 面白いなぁ。そういうことをして遊んでるんだ。本当にもう、村上さん、苦しんでるんだか、遊んでるんだか(笑)。

村上隆 《⾦⾊の空の夏のお花畑》 参考画像 2023-2024年 ©️2023-2024 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

このお花の絵《金色の空の夏のお花畑》はおそらく尾形光琳を意識してるんだろうけど、こういうものが、村上さんの言う『スーパーフラット』の典型なんでしょうね。花の茎は全部垂直だし、横向きも後ろ向きもひとつもない。遠近法も陰影法もまったく無視している。

村上隆 《⾦⾊の空の夏のお花畑》 参考画像 [部分]

尾形光琳 重要文化財 《孔雀立葵図屛風》(左隻) 江戸時代(18世紀) 石橋財団アーティゾン美術館蔵 ■本展への出品はございません

相変わらず、お花が笑ってるわ、って見るけど、花の形とか、色とか配置とかが微妙で繊細ですね。本当に同じものの反復っていうのがあるようで無い。一つも無い。全部一つずつ変わっている。花の大小が遠近とは必ずしも関係ないんだよね。こういうふうにフラットにするっていうのは意識的にやってるんだろうね。大小の花が空中にも舞っているんだけど、空間という要素があまり感じられない。三次元性ってものを意識的に疎外しちゃってるんだろうね。その代わり、横への異様に快適な広がりっていうものができてるんだよね。水平と垂直だけ。斜線というものがほとんどない。西洋の人はこういうものを認めるのにそうとう抵抗があると思うんだけど。この花の形も西洋人は描かないし、しかも花の(しべ)の部分に笑い顔をつけるというのは日本では小学生なんかがよくやってるかもしれないけど、西洋人の子供はどうでしょうね。

それから、京都の四方を護る四つのもののけ。これは会場の主でしょうね。図版で見ても、すごいとしかいえない。この4つの妖怪は、玄武を除いて、10年前の“100メートル五百羅漢図”のなかに描かれているけど、比べて見ると、コロナに悩まされた時間が、村上芸術をさらに進化させたと、これだけははっきりいえるね。“玄武”の亀の甲羅など、藝大(日本画)博士第一号村上隆の隠し球である描写力が堂々たる表現につながっている。“白虎”はこれと対照的に、書きなぐりのジグザグの線の壮絶なバトルだ。

村上さんに私が、スゴいスゴいと言ってたって伝えておいてください

村上隆 《白虎 京都》 参考画像 2023-2024年 ©️2023-2024 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

「 京都に行くのが楽しみです」(辻)

もう一つ大目玉のあるのを忘れ、申し訳ない。これは、ちょっとキッチュに過ぎて、最初目をそらしてましたが、だんだん慣れてくると、これぞ村上アート。国芳ヴァージョン2024の真骨頂と、老齢のウツを忘れました。

村上隆 《審判の日》 2023年 ©︎2023 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved. Photo/ Joshua White ■本展への出品はございません

ど派手なのは、左端の花魁たち、皇后ならぬ交合文様に初めてお目に掛りました。妖しい目がスゴイ。見ていて目が廻ります。裸の男たち、船を襲う妖怪、主人公の閻魔様が精いっぱい気張っても、周りの騒音に消されてしまう。このあたりは、さきの、虎の親子の親虎に似ています。(ふんどし)を引っ張り合う裸の男たち、国芳アルチンボルドの顔を連想させます。ゲヒン、ゲヒンのエネルギーがここに充満し、それが続く大波に伝わります。平清盛の船危うし。それを締めくくるのが、右端の入墨男二人。花魁どもに負けるかと見得を切ってます。スゴイ、スゴイ!

村上隆 《審判の日》部分 2023年 ©︎2023 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved. Photo/ Joshua White ■本展への出品はございません

一見やりたい放題ですが、仕上げは大変だったでしょう。名監督御苦労さまでした

京都市美術館開館90周年記念展 村上隆 もののけ 京都

会期|2024年2月3日(土) – 9月1日(日)
会場|京都市京セラ美術館 新館 東山キューブ
開館時間|10:00 – 18:00[入場は閉館の30分前まで]
休館日|月曜日[祝日の場合は開館]
お問い合わせ|075-771-4334

コメントを入力してください

コメントを残すにはログインしてください。

RECOMMEND

ここから。——ぼくの奈良美智展案内

編集者

岡本 仁