「奈良美智:The Beginning Place ここから」展示風景 《My Drawing Room》 2004/2021年 公益財団法人アルカンシエール美術財団 原美術館コレクション蔵 ©Yoshitomo Nara

編集者の岡本仁が奈良美智への興味を急速に深めたのは実はここ数年のことだ。もちろん奈良の人気は知っていた上で、日本の近代洋画を見るときの奈良の視点に岡本が感動したことがきっかけになり、そして、そこに奈良を育んだものを見てとったからだ。近年、北海道やサハリンなど北への旅を積極的に重ねている奈良と、北海道の今は閉山した炭鉱町に生まれた岡本。年は少し違うけれど聞いていた音楽は重なる。不思議な共通点を持つ二人。今回、奈良が地元で開催した展覧会がそれを解き明かすとともに岡本には望郷の想いを抱かせている。

ぼくが奈良美智と彼の作品に関心を抱いたのは、東京国立近代美術館(MOMAT)でトーマス・ルフ展を観たときだった。2016年だったはずだ。1階でルフの作品を見終えてから2階の展示室に寄った。そこでは「近代風景~人と景色、そのまにまに~奈良美智がえらぶMOMATコレクション」という展示が行われていた。奈良の作品がその展示室にあったわけではない。彼が選んだ絵と、それに付けられたキャプションの内容に驚き、自由に持ち帰ってもよい小冊子が置かれていたので、それを手に入れて夢中になって読んだ。ぼくがそれまで奈良美智の作品を観てこなかったことは、多いなる損失だったのではないかと感じるような、彼の思考の一端にはじめて触れることができたと思った瞬間だ。

「奈良美智:The Beginning Place ここから」展示風景 左から《Mumps》、《The Last Match》 いずれも 1996年 青森県立美術館蔵 ©Yoshitomo Nara

今回、青森県立美術館で奈良の展覧会「奈良美智:The Beginning Place ここから」を観て、ぼくは自分にとって重要な作品をひとつ忘れていたことに気づいた。《NO NUKES》、1998年に描かれたこの作品を、奈良は彼のツイッターに、誰でも自由に使ってかまわないとツイートした。おそらくそのツイートを受けて誰かがコンビニエンス・ストアで100円プリントできるようにしたのだったと思う。ぼくも近所のセブン-イレブンだったかで出力して部屋に貼った。中学を卒業する頃から、あらゆる政治的な動きにシラけ続けてきたぼくが、原発再稼働反対のデモに出かけたのは6月28日だ。奈良からの強いメッセージに心動かされたことも、大きな動機のひとつだったに違いない。

奈良美智 《No Nukes》 1998年 長瀬雅之蔵 ©Yoshitomo Nara

つまりぼくは、奈良美智という人間についてもっと知りたいという一点から、2017年になってようやく彼の作品を観るようになった。それまでは高い評価を受け、海外でも人気がある現代美術作家というレッテルを勝手に貼り、自分には関係がないと避けてきたのだ。豊田市美術館の「奈良美智 for better or worse」が最初に行った展覧会だったが、第1展示室に入ると、壁一面にレコードジャケットが展示され、他にも彼という存在をカタチづくる過程で大切だった書籍や人形などもその部屋にあった。レコードについては、たしか「美術を学ぶ前のぼくの美術の先生」と説明があったと記憶している。はじめて観た展覧会が、美術作品からではなく、その作品制作を始める前に彼のまわりにあったモノなり雰囲気なりから始まっていたことは、ますます奈良美智という人間への興味を掻き立て、作品と対峙する心構えのようなものを得るために、ぼくにとってももっとも重要だった点である。

さて、前置きがずいぶん長くなってしまったが、彼の生まれ育った土地に建つ美術館での展覧会に、ぼくが期待するものが何だったのかは、これでわかってもらえるはずだ。

「家」「積層の時空」「旅」「NO WAR」「ロック喫茶 ”33 1/3” と小さな共同体」という5つのセクションから構成される展覧会の中で、最後のロック喫茶がひとつのセクションとしてあるところに、故郷で開催する展覧会ならではの意気込みを感じた。実はぼくは、ここを観たいがために青森まで出かけてきたと言っていいだろう。このロック喫茶は、奈良が青森県弘前市に住んでいた高校生時代に、先輩たちとつくりあげたものだ。豊田市美術館での展示で、その音楽趣味に、自分よりも若いはずなのに近いものを感じるのがどうしてなのかが気になって、資料などを読んでいくうちにこの喫茶店のことを知った。それを美術館の中に再現しているのなら、観たくならないわけがない。

ロック喫茶「33 1/3」(弘前市)の前の奈良美智(右)と友人たち、1977年

「奈良美智:The Beginning Place ここから」展示風景 ロック喫茶「33 1/3」再現 撮影: 木奥惠三

ドアを開けて中に入る。DJブースがあり、はっぴいえんどのメンバー全員のサインが入った色紙が飾られ、棚に並んだウィスキーボトルには、おそらくそのボトルをキープしていた人の名札がついている。気持ちが落ち着いてきたところで、ようやく小さな音で流れている音楽が耳に入ってくる。トム・ウェイツの『I Hope That I Don’t Fall In Love With You』だったと思う。どの作家でも、その作品の入口になるような何かが誰にでもあると思う。ぼくには音楽なのだが、きっと多くの観客すべてにとって、作品以外の何か、その作家との距離を縮めてくれる何かが見つかるだろう展覧会だ。彼の聴いてきた音楽を知ると、そして自分もその音楽を知っていると、「NO WAR」というセクションがあることも必然と思える。彼の作品は人々を鼓舞するものでもある。

「奈良美智 :The Beginning Place ここから」展示風景 ロック喫茶「33 1/3」再現 内観

「家」というセクションも印象的だった。《カッチョのある風景》という絵画は、1979年に描いたものだそうだ。この作品は奈良が美大の不要物置き場に捨てたものだった。それを拾った人物が大切に保管していたらしい。松本竣介や麻生三郎の作品が並んでいたMOMATの展示を思い起こさせる。そして「旅」というセクションで展示されている奈良が撮影した写真も素晴らしい。

「奈良美智 :The Beginning Place ここから」展示風景 《カッチョのある風景》 1979年 個人蔵 ©Yoshitomo Nara

「奈良美智:The Beginning Place ここから」展示風景

ひとまわりしてから、最新作《Midnight Tears》をあらためてじっくりと眺める。描かれた少女にはわかりやすい表情がない。表情でもって何かを理解したような気分になることを、避けているようでもある。しかしずうっと絵の前に立っていると、その瞳に自分の眼が吸い寄せられ、その瞳の奥に描かれたものに気づく。そこにある世界をどう受け止めるかは、観た者ひとりひとりに託されている。観ても観ても、満たされることはなく、永遠に観ていたくなる。ああ、時間が足りない。

奈良美智 《Midnight Tears》 2023年 作家蔵 ©Yoshitomo Nara

ぼくは奈良美智の存在を知ってから、自分の故郷についてよく考えるようになった。ぼくは北海道の炭鉱町の生まれで、炭鉱はとっくに閉山していて、市政が財政破綻してしまった。そこに帰ってもぼくが見てきたものはほとんど残っていないはずだ。あるとき、奈良が「原風景は必ずしも現実の風景とは限らない」というようなことを言った。目の前にあるべき懐かしの風景は消えてしまったとしても、記憶の中にはそれが残っている。しかもそれは当時の現実とも違っているはずだ。彼のおかげで、ぼくは自分の生まれ故郷を見にいきたくなっている。

ぼくが観る奈良の作品は、ますます彼そのものになった。また、雪が積もっている頃に、再び青森を訪ねようと思う。

奈良美智 《あおもり犬》 2005年 青森県立美術館蔵 Artwork © Yoshitomo Nara

青森県立美術館 外観

奈良美智:The Beginning Place ここから

会期|2023年10月14日(土) – 2024年2月25日(日)
会場|青森県立美術館
開館時間|9:30 – 17:00[12/9(土)、1/20(土)、2/17(土)は9:30 – 20:00]入館は閉館の30分前まで
休館日|11/27(月)、12/11(月)、12/25(月) – 1/1(月・元旦)、1/9(火)・22(月)、2/13(火)
お問い合わせ|017-783-3000

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