
17年前から杉本博司のドキュメンタリー映像を個人的に撮り続けている写真家の鈴木心が、渋谷区立松濤美術館で開催中の展覧会「杉本博司 本歌取り 東下り」を観てきた。その完璧で静謐な作品世界と共に、諧謔に満ちたプライベートでの姿もよく知る鈴木だからこそオススメする、杉本作品の見かたとは?
聞き手・文=松原麻理
2005〜2006年に森美術館で開催された「杉本博司:時間の終わり」で瞠目して以来、その作家と作品世界に畏敬の念をいだいてきた鈴木心。2007年頃から杉本まわりの映像撮影を許され、国内外での展覧会や公演にできるだけ足を運んでカメラを回してきた。「江之浦測候所」は地鎮祭から建設中、完成した後も季節ごとに訪れ、ときにはドローンを飛ばし、映像を撮り続けている。2020年の森美術館「STARS展:現代美術のスターたち―日本から世界へ」で公開された杉本制作の30分強の映像作品《時間の庭のひとりごと》の撮影も担当。そのほか打ち上げの席やニューヨークのスタジオなどプライベートな場所でも杉本の姿を追いかけているという。ちなみに「杉本博司 本歌取り 東下り」展の図録の最後のページに掲載された杉本の肖像を撮影したのも鈴木だ。

上野の西郷隆盛像を本歌とし、獅子像と犬のニッパー(いわゆるビクター犬)を乗せた古い三輪台車を引っ張る着物姿の杉本。 ■本展には出品されていません。展覧会図録に掲載 Photo: Shin Suzuki
「杉本さんのドキュメンタリー映像を少しずつYouTubeなどで公開しています。そんな僕の取り組みを杉本さんが見ていたからでしょうか、図録の校了間近に急に撮影を頼まれました。他にバストショットなどもたくさん撮ったら、冗談めかして『遺影にいいね』なんて言われて。尊敬するアーティストの死など考えたくないですが、その遺影を撮らせていただけるとはとても光栄に思いました」
さて、そんな鈴木が鑑賞した「本歌取り 東下り」展。どんな印象を持ったのだろうか? まずは展示室に入ってすぐの屏風作品から——。
屏風に富士山という超ベタな主題と手法

杉本博司 《富士山図屏風》 2023年 六曲一双 作家蔵 ©️ Sugimoto Studio
葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》に描かれた赤富士を本歌として制作された新作
「まず僕が伝えたいのは、一般の方たちの杉本さんの個展を見る態度が真面目すぎるってこと。もちろん数々の賞を受賞された偉大なアーティストであることは事実ですが、だからと言って、作品の前で平伏するような見かたはちょっとどうなの?! と思います。たとえばこの富士山の屏風。あれほど嫌っていたデジタル写真をあっさりと解禁し、山の稜線を北斎の赤富士に似せるように急勾配に修整、街の光やビルなど現代社会の痕跡はすべて消し去って江戸時代そのものの完全なデジタル画像をつくり、インクジェットプリントして屏風にしたという、そのあっけらかんとした態度にもはや笑いさえ込み上げてきます。しかも富士山。プロ・アマ問わずあまたの写真家が被写体としてきた“超ベタ”な主題であり、しかも朝焼けの姿を撮るという、そのオーソドックスな行為に寒々しさすら感じてしまいます(笑)。さらにはそれを屏風仕立てにするって、大御所の広告カメラマンがハマりそうなことじゃないですか。そういう作品を、真剣な顔をして一生懸命解説を読みながらありがたく鑑賞してしまって本当に良いのか!と思うのです」
作品にまつわる壮大な妄想、ジョークを笑うべし

杉本博司 《狩野永徳筆 安土城図屏風 想像屏風風姫路城図》 2022年 八曲一隻 作家蔵 ©️Sugimoto Studio ■現在、《甘橘山春日社遠望図屏風》を展示中
「姫路城の写真も屏風にしていますね。天正遣欧使節が織田信長の命を受けて、ローマ教皇に献上したという狩野永徳筆《安土城図屏風》。杉本さんがその行方を探し続けているというそれはこんな姿であっただろうと想像し、姫路城を撮影したそうですが、その撮影現場に一緒にいた僕は『また屏風っすか?!』と本人に言ってしまいました。
もちろん杉本さんは一向にお構いなし。自分がやりたいことをやっているという態度はどの作品にも終始一貫しています。屏風も富士山も日本文化のクリシェであることを恥とも思わず、臆することなく海外に向けてプレゼンテーションしていけばいいのだ、とそばで見ていて心強く感じました。そこは感心するけれど、やっぱり杉本作品を見る時には、ところどころ“ツッコんで”笑っていかないといけないんじゃないかなと。
安土城と姫路城の竣工年が四半世紀ほどしか違わず、同じような石垣上の五層建築だっただろうと仮説を立てられるのは、杉本さんが学者ではないから。アーティストならなんとでも言えるし、自分のコンセプトに結びつけることができる。壮大な妄想であり独自の見立てなんですよ。だから見る側のツッコミがあってこそ、初めて成立する作品なのです」
「パクリ」じゃなくて「本歌取り」

地下1階展示室の風景 ©️Sugimoto Studio
「杉本さんがいわゆる実景をちゃんと撮る、というのも一連の屏風作品が初めてではないでしょうか? ジオラマと蝋人形はフェイクだし、アーキテクチャーシリーズはピンボケにすることで、ただの建築写真ではなくしてるし、ライトニング・フィールドは暗室で器具をちょこちょこ動かしているだけ(って言っていい?)。海景シリーズにしたって、実は山崎博[1946-2017]という杉本さんと同世代の写真家が「水平線採集」というシリーズの作品を発表しています。しかし主題は酷似していても、写真の精度とコンセプトを高度に研ぎ澄ませていけば、れっきとした杉本作品になってしまう。もしも『それってパクリじゃないの?』と言われたときには、『日本には昔から“本歌取り”という伝統があるんですよ』と開きなおる。それを世界に誇れるクオリティの高さでやってのけるところが、杉本さんの凄さだと思うのです」

杉本博司 《フォトジェニック・ドローイング015:タルボット家の住み込み家庭教師、アメリナ・ペティ女史と考えられる人物 1840-41年頃》 2008年 ベルナール・ビュフェ美術館蔵 ©️Hiroshi Sugimoto
ネガからポジを作り、さらにそれをプリントするという作業こそが本歌取りに他ならない。それを160年余りの時間を超えて行った作品
「乱暴な言い方をすれば『タルボットのネガを買っただけじゃん?』(笑)。それが非常に高額で、写真家では杉本さんほどの人にしか入手できないのは確かですが。でも、写真の祖の一人であるタルボットのネガからポジを作り、それを大判プリントするという本歌取りのロードマップがちゃんと杉本さんの頭の中に描かれていたんでしょうね。作品化する際にある一定の文脈にのせることがいかに大事か。そのことは古美術商をしていた頃から身に染みついているのでしょう。どんなモノにも、どんな場所にも歴史があるから、その歴史的文脈を操作してストーリーに仕立て上げることはお手のもの。そういうところも杉本作品の魅力と言えるんですよね」

杉本博司 《Brush Impression いろは歌(四十七文字)》 2023年 作家蔵 ©️Sugimoto Studio ■現在、《愛飢男(四十五文字)》を展示中
1枚の印画紙に一文字ずつ、現像液に浸した筆で書いた作品なので、すべてエディションなしの1点もの
「これは、暗室の中で現像液や定着液に浸した筆を使って印画紙の上に文字を書いた作品ですが、似たような遊びは写真を学ぶ学生なら誰だってやっていること。別段、新しいことではないと思えてしまう。写真感材で作品を制作することはヴォルフガング・ティルマンスなど現代アーティストの間で流行っていますし。『火や水を見て象形文字を考案した古代人の想念に導かれた』と杉本さん本人はおっしゃっていますが、僕に言わせれば『それって、ギャグでしょ?!』と返したくなる(笑)。しかしあれだけ大きなサイズの印画紙を使うとか、エディションなしの一点ものだとか、書く文字のバリエーションを増やす工夫に、卓越したビジネスセンスを感じます。そこは感心するところですね」

杉本博司 《Brush Impression 0625「火」》 2023年 作家蔵 ©️Sugimoto Studio

杉本博司 《Brush Impression》 展示風景。左から「月」「水」「火」「狂」©️Sugimoto Studio
失敗や劣化も作品にしちゃう離れワザ

杉本博司 《Time Exposed:地中海、ラ・シオタ》 1989年―現在 作家蔵 ©️Hiroshi Sugimoto
「Time Exposedシリーズは、屋外に恒久展示されるうちに紫外線に晒されたり、防水ケースが損傷してダメージを受けたりした作品などですが、言ってみれば失敗作をアンゼルム・キーファーの抽象絵画になぞらえるがごとく、劣化(杉本さんの言葉を借りれば、“古色”?)さえも自作にビルトインしてしまうその大胆不敵さに恐れ入ります。だから、この作品を崇高なアートとして見るのではなく、作家の言い訳めいた部分を笑ってしまうほうがむしろ健全な態度じゃないかと思うのです。マルセル・デュシャンやマン・レイ、ドナルド・ジャッドらのコンセプチュアルな作品も、当時は仲間うちで笑い合う遊びのノリだったんじゃないかな」
杉本のビジネスセンスにも注目すべし

杉本博司 《相模湾、江之浦》 2021年1月1日 作家蔵 ©️Hiroshi Sugimoto

杉本博司 《時間の矢》 1987年(火焔宝珠形舎利容器残欠:鎌倉時代[13-14世紀] 海景:1980年) 小田原文化財団蔵 ©️Hiroshi Sugimoto
「みんなが大好きな杉本さんの代表作、海景シリーズ。似たような景色を誰でもスマホで撮れます。画角に船や陸地が入っていたらズームしてトリミングすればいいのだから。けれども杉本さんはあえて8×10の大型カメラで広角レンズを使い超ワイドで狙うから、できるだけ岬の突端のような場所に行かなければ撮れないんです。なぜそんなことをするかというと、大判に引き伸ばす際にさざなみ立つ波頭や雨が水面に跳ねる線まで詳細に再現でき、それが画面に奥行きを与えるから、だそうです。撮影した後も、それを作品化するまでのプロセスが半端ないです。わずかな現像ムラも許さず、極細筆のスポッティングで徹底的に白を潰していく。フレーム制作に関しても職人さんと二人三脚のオートクチュールで、お金も時間もかかっている。作品が1,000年後も保つことを意図して、撮影からパッケージングに至るまで完璧です。それは古美術商を営んでいた経験と、もっと言えば、自宅の押し入れを自分の工作部屋に改造して鉄道模型制作に凝った少年時代からのDIY資質が活かされているのでしょう。靖国神社で開催される蚤の市に同行した時、そばで見ていると、杉本さんは陶器の小さなクラックひとつ見逃さないのです。完品かそうでないかを見極める厳しい視線が、ご自分の作品制作にも貫かれているように感じます」

縄文時代前期[9000〜5000年前]の日本出土の石鏃と、新石器時代[9000〜5000年前]の中央サハラ砂漠出土の石鏃。小田原文化財団蔵 ©️Sugimoto Studio

楔形文字 シュメール朝時代[5000〜4000年前] 小田原文化財団蔵 ©︎Sugimoto Studio

杉本博司 《宙景 001》 2023年 作家蔵 ©️Sugimoto Studio
杉本の目はついに宇宙へ飛び出した! ソニー・JAXA・東大による共創プロジェクトの一環で、人工衛星に取り付けた小型カメラで撮影した地球の地平を《宙景》と命名。その本歌はもちろん《海景》だ。手前には天平古材の上に置かれたギベオン隕石
「完璧に作り上げた写真作品を売って得たお金を古美術収集に注ぎ込み、それをまた作品制作のネタにして回収する。その循環が本歌取りの作品群に表れているし、その集大成が《江之浦測候所》というスペースと建築群になった。古美術商の経験を経てアートとお金の交換性を知り尽くしている杉本さんだからこそ、ビジネススケールの拡張に応じて活動分野が広がっていった。あまり語られていないことですが、杉本さんの経営能力はもう少しフィーチャーされてもいいのではないでしょうか」

杉本博司 《歪曲的宙感》 2010年、《眼科医の証人01》《眼科医の証人02》 2点ともに2014年 いずれも作家蔵 ©️Sugimoto Studio
《歪曲的宙感》はヴェネツィアの屋台で見つけた瓶底眼鏡をかけた杉本の肖像。表具裂は太陽系の観測図と近視用眼鏡各種をちりばめたもの
「とにかく写真というフィールドにおいて技術の粋を尽くしたのが杉本さん。ハンドメイドのプリントで彼の水準を超える人はもう出ないでしょう。“写真イコール紙”だった時代の頂点に君臨した人で、彼を最後にいわゆる銀塩写真の時代は事実上、終焉したと言えます。だから杉本さんみたいなアーティストがいてくれてよかったと思うし、大きなバトンを渡されたという気がします。図録のあとがきに『杉本の一番弟子を自称する鈴木心』と書いてありますが、あれは間違い。誰かに入門したいと思ったことはなくて、杉本さんのことを『写真の父です』と言ったことはあるんです。そんなふうに近しく感じている杉本さんの作品もプライベートも知り尽くしているからこそ、この展覧会は『そんなバカな』とお父ちゃんにツッコミを入れながら鑑賞したいのです」
会期|2023年9月16日(土)-11月12日(日)
会場|渋谷区立松濤美術館
開館時間|10:00-18:00 [金曜日は10:00-20:00] 入館は閉館の30分前まで
休館日|月曜日
お問い合わせ|03-3465-9421
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