ソール・ライター 《無題》 撮影年不詳 ©Saul Leiter Foundation

写真家ソール・ライター(1923-2013)の大規模な回顧展、「ソール・ライターの原点 ニューヨークの色」が渋谷のヒカリエホールで823日まで開催されている。今回の展示では絵画を含め400点以上にのぼる作品が公開中だ。ソール・ライター財団によって近年、新たに発掘されたカラー・スライドでの大規模なプロジェクションは、世界初の試みとなる。未公開だったモノクロームの写真群は特に注目を集めている。生前のソール・ライターに会い、没後アトリエを撮影した写真家の井津由美子が語る。

聞き手・文=池谷修一[写真編集者]



同規模の日本での展覧会は、2017年にはじめて開催され、今回で異例の3回目となる。写真家、そして画家としてこれほどの歓迎を持って迎えられる存在は稀だろう。生誕100年に当たる現在、ソール・ライターは、なぜこれほど人びとの心を揺さぶるのか。

ソール・ライター 《無題》 撮影年不詳 ©Saul Leiter Foundation

そんな思いの一端に触れるべく写真家の井津由美子に話を聞いた。井津はニューヨークに長く暮らし、ソールと同じく、ハワード・グリーンバーグ・ギャラリーを拠点に活動してきた。ソール没後、亡き主人の気配を色濃く残すアトリエに通い、やがて一冊の美しい写真集にまとめ上げた。「あのアトリエこそ、ソールの芸術のまぎれもない源泉」と井津は話す。

アトリエからストリートへ

あのアトリエがなかったら、彼の作品は果たして存在したのかと思うほどです。ソールの招きではじめてアトリエに遊びに行った時、こんなところがニューヨークにあるのかと感動しました。まるで1世紀前のパリの芸術家たちのアトリエに踏み込んだかのようで。[井津由美子]

井津由美子 《ソールの部屋に掛けられたスカーフと帽子》 Saul Leiter 142, 2018 年 © Yumiko Izu ■本展には出品されていません

喧騒にあふれたイースト・ヴィレッジにある、静謐な空間。高い天井と古びた漆喰の壁。北側からは安定した光がつねに差し込んでいる。

繭の中のような親密な場所ですね。親しい人を被写体にして、アトリエから一歩外へ出ると、彼の「国」みたいなものが広がっていたんです。7〜8ブロックほどの範囲。それがソールの世界です。そこで絵を描き、外に出て、歩きながら撮る。疲れたらカフェでコーヒーを飲み、また彷徨う。最後にお気に入りのブックストアに寄って。おそらく、そんな繰り返しを何十年もしていたのだと思います。[井津由美子]

ソールの日常は、まさに画家的なそれだったと言えるかもしれない。アトリエはもともとアーティストがスタジオに使う目的に向け貸し出されたタウンハウスだ。モデル、画家であり生涯のパートナーでもあったソームズ・バントリーもやはり同じアパートの2階の部屋に住んだ。1981年、ファッション写真家を自らの意思でやめ、五番街に構えていたスタジオを閉鎖してからは、そこにあったものがソールの部屋を占拠し、次第にカオスのような様相を呈していった。

井津由美子 《ソールとソームズ》 Saul Leiter 45, 2013 年 © Yumiko Izu ■本展には出品されていません

ファッション写真の先駆者として

ソール・ライターはペンシルバニア州ピッツバーグの出身。高名なユダヤ教の聖職者である父に学者になるための英才教育を受けて育った。やがて画家になる夢を抱き、厳格な父親の理解を得られぬまま家族と決別。1946年にニューヨークへ出てきた。やがてソールは「ニューヨーク・スクール」の一端にその姿をあらわす。写真家への道を勧めた一人に、ユージン・スミスがいる。1950年代末には『ハーパーズ・バザー』でキャリアをスタート。アーヴィング・ペンやリチャード・アヴェドンに代表される、王道のファッション・ヴィジュアルが席巻していた時代にソールの異質なセンスは突出していた。

ソール・ライター 『ハーパーズ・バザー』 1963年2月号のための撮影カット ©Saul Leiter Foundation

モデルがふと気を抜いたときや、当時ではちょっとありえないような瞬間をとらえていますよね。ライカM3などのレンジファインダーのカメラを使って、静かにシャッターを切っていたんでしょう。[井津由美子]

「ソール・ライターの原点 ニューヨークの色」展示風景

ソールはスナップ的なナチュラルさを持ち味にしながらファッションを撮った。ずっと後の時代に活躍するピーター・リンドバーグやエレン・フォン・アンワース、そしてアンダース・エドストロームにもソールの影響が伺えないだろうか。一方で、ある場所でずっと待ちながら、自分のイメージ通りの絵を描こうとするソールの強い意志も浮かび上がる。

私が遺品を集中的に撮影していた時、ソールがどういう人だったのか、もっと感じたくて、イースト・ヴィレッジでストリート・フォトを真似したことがあるんです。さまざまなリフレクションがあり、ここで人を待つだけだ、と思う場所がたくさんありました。五番街などはストリートが広すぎで、通りの向こう側の人は遠すぎたりします。イースト・ヴィレッジでは絶妙な距離がえられる、あとは古い建物が多く、外に非常階段があったりするので、そこを足場にして狙いやすいですね。まさにソールのパラダイスというか。遠くに行かなくても美しいもののほとんどがあったんです。まるで自分が透明人間みたいになるんです。それがソールが望んでいたことだったのだと思います。「loneliness」「solitude」「Isolation」という孤独をあらわすそれぞれの言葉がありますよね。そのすべてが彼には当てはまる。父親との断絶、世間からは隔離されたようなソームズとの生活、ストリートの片隅にたたずんでいてみんなが通り過ぎて行くのです。いい瞬間に人が来るのを私も待ちました。おそらく彼もそうしたように。井津由美子]

「ソール・ライターの原点 ニューヨークの色」展示風景

アトリエに戻って

アパートは4階建てで、ソールの部屋は中庭に向いた北向きの窓に面した理想の環境でした。中庭がとても素晴らしいんです。窓からはいつも木が見えて、小鳥のさえずりが聞こえてきます。陽光に照らされた緑は煌めくようで。雪が降りつもる冬は、まるでおとぎの国です。中庭はソールの芸術の源泉だと思います。そこからインスピレーションを受け、抽象的な絵画作品を描き、同じエッセンスで写真を撮っていたのだと思います。[井津由美子]

井津由美子 《ソールの部屋の窓から見える中庭》 Saul Leiter 53, 2018 年 © Yumiko Izu ■本展には出品されていません

2013年11月26日、ソール・ライターは亡くなった。東南アジアに滞在していた井津はその3週間後、現ソール・ライター財団のマーギット・アーブに話を持ちかけて、アトリエや遺品を撮影することになる。2018年にはあらためて遺品の数々にじっくりと取り組んだ。モノクロは大判の4×5カメラで、カラーはソール・ライターのアトリエの色彩を率直に残すためデジタルの35㎜カメラで撮影した。ほとんどは中庭に向いた北側からの自然光だけで。

晩年に一気に認められ30以上の個展を開き、写真集が次々と出版されて。わずか6、7年ぐらいの間です。世間から無関心だった時代をともに乗り越えてきたソームズは2002年に亡くなるわけですが、そこからの数年は経済的にも困窮し深い失意の時を過ごした。でもついに報われたんですよね。自分の作品が世界的に扱われることになり、クリエイティブな依頼もくるようになった。最後はとても幸せだったと思いますね。[井津由美子]

「ソール・ライターの原点 ニューヨークの色」展示風景

ソール・ライターは2006年にヨーロッパで「再発見」されるまで、ほとんど忘れ去られた存在だった。しかし自身が信じる芸術の姿を手放すことはけしてなく、撮りたいものだけを撮り、描きたいものだけを描く人生をつらぬいた。絵については生前、そのほとんどが売られることはなかったという。つつましくも高貴な、隠遁者のような芸術家の暮らしは、あのアトリエを軸に成り立っていたのだ。

井津由美子 《ソールの鍵のコレクション》 Saul Leiter 101, 2018 年 © Yumiko Izu ■本展には出品されていません

井津由美子がソール・ライターの遺したアトリエを撮影した写真集『Saul Leiter: In Stillness』 2020年 リブロアルテ

ソール・ライターの原点 ニューヨークの色

会期|2023年7月8日(土) – 8月23日(水)
会場|ヒカリエホール ホールA[渋谷ヒカリエ9F]
開場時間|11:00 – 20:00[入場は19:30まで]
お問い合わせ|050-5541-8600 (ハローダイヤル)
■休館日なし

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