
誰もが知る憧れの映画スター。誰にも手に入る快適な生活のための食品や洗剤。そんな20世紀的アメリカ的大量生産的成功や夢。それをアートに投影したのがアンディ・ウォーホルだった。このポップアートの旗手の展覧会が京都で始まっているが、20世紀のうちに日本で大規模個展を実現した宮下規久朗氏による私的ウォーホル・メモと京都展の誘い。🅼
久々のウォーホル展が開催されている。
京都市京セラ美術館の「アンディ・ウォーホル・キョウト」展である。
ウォーホル展といえば、1996年、私が関わった「アンディ・ウォーホル1956-86:時代の鏡 MIRROR OF HIS TIME」展は東京都現代美術館、兵庫県立近代美術館、福岡市美術館を巡回し、その次は2014年に森美術館で開催され、学芸員の近藤健一氏が担当した「アンディ・ウォーホル展:永遠の15分」があった。
今回のウォーホル展はコロナ禍で延期されたが、ほぼ十年ごとに日本では大きなウォーホル展が開催されているのである。

「アンディ・ウォーホル・キョウト」 展示風景
いずれも、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグのアンディ・ウォーホル美術館の所蔵作品によるもので、同館の企画であった。
この美術館は、ウォーホルの故郷にある古いビルを改築して建てられ、ウォーホルが手元に残していた膨大な自作や関係資料を整理して収蔵し、アンディ・ウォーホル財団を中心にウォーホル研究を推進している。
これほど大規模な個人美術館はアメリカには存在せず、世界でもパリの国立ピカソ美術館などがあるくらいである。
かつて私はウォーホル展の出品交渉のために開館前後のこの美術館を二度訪れ、その展示や活動に感銘を受けた。
ウォーホルは、生前からアメリカでもっとも有名なアーティストであったにはちがいないが、これほど重要だと目されたのは実はそれほど古いことではない。
ピッツバーグで生まれたウォーホルは当初ニューヨークでグラフィック・デザイナーとして広告を制作していたが、1962年にロサンゼルスのフェラス・ギャラリーで《キャンベル・スープ缶》の連作を発表してから純粋美術の世界に進出し、同じころ注目を集めたロイ・リキテンスタインやクレス・オールデンバーグらとともに商品や広告を主題にしたポップアートの旗手となった。

「アンディ・ウォーホル・キョウト」 展示風景
彼は写真をシルクスクリーンでカンヴァスに転写する技法を駆使し、ファクトリーと呼ばれた大規模なスタジオで多くの助手を使って大量に制作した。
コカ・コーラやブリロ洗剤といった商品のほか、マリリン・モンローやエルヴィス・プレスリーといった有名人を作品にした。

「アンディ・ウォーホル・キョウト」 展示風景
Photo / MON ONCLE
写真雑誌に投稿された写真に基づいた1964年の《花》連作は大成功し、アメリカ現代美術界のスターとなった。
しかし、ウォーホルは早くも1965年に画家を辞めると宣言し、映画制作や雑誌の発行など幅広いメディアの仕事に熱中する。
70年代には、誰からでも一定の価格で肖像画制作を請け負う事業で商業的に大成功をおさめる。
80年代には新人画家ジャン=ミシェル・バスキアと共作するなど、つねに美術界の注目を集めたものの、社交界やマスメディアでの派手な露出によって軽薄な印象を与え、研究に値する真剣な美術家だという認識は希薄であった。
ウォーホルが亡くなった2年後の1989年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)でウォーホルの大回顧展が開催されたが、そこで展示された生涯にわたる作品と、多くの美術史家や批評家によるカタログ論文によって、現代美術に多大な影響を与えたウォーホルの役割が評価され始め、その5年後のウォーホル美術館の開館によって決定的となった。
ウォーホルが推進したポップアートは表層的であるがゆえに20世紀の大量消費社会のシミュラークルとしてポストモダンを予告する意義をもっていたことや、自動車事故や電気椅子を扱ったウォーホルの「死と惨事」連作は現代の歴史画であることなど、それまでのマスメディアの寵児であったこの美術家の深刻な一面がクローズアップされてきたのである。
私もその潮流に乗り、1996年の展覧会のときにウォーホルの「死と惨事」連作を美術史のうちに位置づける長大な論文をカタログに書き、その後この論を発展させて2010年に『ウォーホルの芸術―20世紀を映した鏡』(光文社新書)を上梓した。
死への執着と恐怖がウォーホル芸術全体を覆っており、また終生熱心なカトリック信者であったウォーホルは、キリスト教のイコンのように、無名でありながら多くの人に親しまれる芸術を目指していたことなどを論じた。
スターや商品をテーマにしてマスメディアを操った軽妙洒脱なウォーホルのイメージも魅力的だが、それはこの芸術家の表層にすぎないのだ。

「アンディ・ウォーホル・キョウト」 展示風景
Photo / MON ONCLE
ウォーホル美術館は、開館以来、主要な事業として世界中でウォーホル展を開催しているが、同時にピッツバーグの観光名所にもなって常設展示にも代表作を展示する必要があるせいか、次第によいものが出品されなくなってきている。
日本での展覧会だけでなく、2018年にニューヨークのホイットニー美術館で開催された大規模なウォーホル展も、かつてのMoMAの展覧会と比べると格段に見劣りするものであった。
とくにウォーホルの中でもっとも重要な「死と惨事」連作は、96年の展覧会のときは私がこだわって交渉して多く出してもらったが、森美術館のときや今回はそれを超えていない。
自動車事故や電気椅子の作品は、一般にはそれほど人気がなくとも、ウォーホル美術館にとっては常設展示に欠かせない重要作品なのであろう。
ウォーホルの生前、これらの不気味な作品はあまり売れず、それゆえに《花》などとちがって多くの作品が作られることがなかったため、かえって貴重なものとなっており、この連作はオークションに出るときわめて高額で落札されている。
私も30年ほど前、ある画廊でウォーホルの《電気椅子》の大きな版画を見かけて欲しくなってしばらく悩んだが、当時の私の薄給では百万弱の価格は厳しかったし、電気椅子なんて不吉だと家人にも反対されて断念した。だが、その後この版画は入手困難となり、価格もそのときの十倍以上になったため、後悔している。
今回の展覧会は、初期から晩年までのウォーホルの多彩な活動を紹介し、彼の活躍した時代を再現するような華やかな展示となっている。
また、デビュー前の1956年と名声の絶頂にあった1974年に来日したウォーホルと日本、とくに京都との関係をはじめて本格的に浮かび上がらせていて興味深かった。


いずれも「アンディ・ウォーホル・キョウト」 展示風景
この20世紀最大の巨匠の芸術の豊かさを堪能する格好の機会である。
会期|2022年9月17日(土)- 2023年2月12日(日)
会場|京都市京セラ美術館 新館「東山キューブ」
開館時間|10:00〜18:00 [入館は閉館30分前まで]
休館日|月曜日[ただし祝日の場合は開館]、12月28日 – 1月2日
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