杉本博司 《春日大社藤棚図屏風》 2022年(部分) ©️Hiroshi Sugimoto

30年少し前に縁あって手元にやってきた一幅の春日鹿曼荼羅に導かれ、杉本博司の壮大な旅が始まった。現代美術作家として著名になり、作品が売れて得た報酬を日本の古美術に替えた。すると、次々に春日神由来の宝物が蒐まってきた。そして昨年、自身が設立した文化施設内に春日社を勧請し、今年、総本社である春日大社の国宝殿で展覧会を開催している。

杉本博司。1970年代からコンセプトを究め、高い技術力を駆使し、写真という素材を使って現代美術作品を制作してきた美術家。2000年くらいからは活動の域を拡張し、建築や立体作品、古典芸能のプロデュースなどを手掛けてきた。自身の総合芸術作品ともいうべきものが「江之浦測候所」である。

そこでは地球の自転、公転を古代の人々と同じ方式で観察し、時間や季節の移ろいを捉えることで、農業をはじめとする人々の営みを知る。さらに、根源的哲学的に、人間の意識はどのように生まれ、進化してきたかを考察する装置としても、その測候所は働くのである。

自然が人間の意識をどのように育んできたかに関して、天体との関係で解き明かした杉本はまた人間の意識、思想とともにある「祈り」についても思考を進めた。というのも、「江之浦測候所」に春日社を建立し、春日大明神を勧請するまでになったからである。

小田原文化財団江之浦測候所敷地内に2022年建立された甘橘山春日社
杉本スタジオ撮影

杉本博司と春日信仰との関係は杉本の古美術蒐集と関連する。1970年代の終わりに杉本は妻とニューヨークのSOHOで古美術店を経営していた。当初は妻が日本に買付けに向かったものの子育てのこともあり、杉本が年に4度ほど日本に帰国して仕入れをした。杉本の目は磨かれ、店も成功し、有名な美術館に収蔵されるほどになった。

その後、現代美術作家として展覧会を次々成功させ、古美術商との二足の草鞋を脱ぎ、作家に専念することになったのだが、以後は古美術商ではなく、蒐集家として古美術との関係は続いた。目利きと思い切りの良さを発揮し、現在の小田原文化財団の古美術コレクションが築かれたのである。

中|《春日鹿曼荼羅》 室町時代 小田原文化財団蔵
左|《春日神鹿像》 鎌倉時代 小田原文化財団蔵 鞍、榊、雲 補作:須田悦弘 2022年
右|《春日神鹿像》 室町時代 小田原文化財団蔵 海景五輪塔:杉本博司 2011年 鞍、蓮台 補作:須田悦弘 2022年
会場2階大展示室展示風景 杉本スタジオ撮影

今日、杉本が蒐集した古美術を見渡すと、春日信仰に関連するものが群を抜いて多いことが明らかになっている。古美術商をやめるかやめないか、区切りがつかなかった頃に出会ったのが、室町時代の《春日鹿曼荼羅》だ。この曼荼羅の入手が杉本を蒐集に一層駆り立てることになったようだ。

円鏡を掛けた榊を付けた唐鞍を負う神鹿。その上に春日山と御蓋山が描かれ、最上部の五つの円相の中に五体の本地仏が表されている。向かって右から春日大宮第一殿釈迦如来、五つ目に若宮文殊菩薩を描くことで、中心が藤原氏祖神(おやがみ)の大宮第三殿天児屋根命(あめのこやねのみこと)の本地仏である地蔵菩薩となっている。

《春日鹿曼荼羅》 室町時代 小田原文化財団蔵 杉本博司撮影

円相内、春日大社の主祭神と御子神が現れている。右から、第一殿に祀られる武甕槌命(たけみかづちのみこと) -藤原氏守護神、常陸国鹿島の神、第二殿、経津主命(ふつぬしのみこと) -下総国香取の神、第三殿、天児屋根命(あめのこやねのみこと) -藤原氏の祖神、河内国枚岡の神、第四殿、比売神(ひめがみ) -天児屋根命の妻。以上が主祭神の4柱。そして、摂社の若宮神社は天押雲根命(あめのおしくものみこと)。比売神の御子神である。

さらに杉本の蒐集において特筆すべきものとしてあるのは、《春日鹿曼荼羅》を入手してから15年くらいしてから杉本のもとにやってきた鎌倉時代の《春日若宮曼荼羅》である。春日宮曼荼羅は数あるが、若宮社だけを描いたものは珍しい。大鳥居近くには僧網襟で香染の法服を着た高僧が文殊菩薩から巻物を受け取る姿が描かれている。

《春日若宮曼荼羅》 鎌倉時代 公益財団法人小田原文化財団蔵 杉本博司撮影

美術館や寺社が所蔵していれば重要文化財となっていても不思議はないと複数の学芸員が語るほどの優品である。杉本はおよそ15年前に入手したわけだが、本人によれば自身の年収とほぼ近い金額で求めたと語っている。15年前といえば、杉本はすでにニューヨークのメトロポリタン美術館やパリのカルティエ現代美術財団で個展を開催し終わっていたし、日本でも森美術館の大規模個展を成功させた後で、世界的な作家になっていたから、つまり相当な金額だったということだろう。

これらばかりではない。複数の春日神鹿像があり、平安時代の《十一面観音立像》も杉本のもとにある。十一面観音を本地仏とする祭神が春日大社四宮比売神なのだ。さらに、春日信仰にも篤かった明恵上人の像や《夢記断簡》もある。そういったコレクションが今回の展覧会「杉本博司―春日神霊の御生(みあれ) 御蓋山そして江之浦」で春日大社所蔵の国宝、重要文化財と肩を並べている。

《十一面観音立像》、国宝《鼉太鼓(だだいこ)》 会場2階大展示室展示風景 杉本スタジオ撮影

この展覧会は令和3年(2021)〜令和4年(2022)に行われた春日若宮式年造替(ぞうたい)を奉祝したものである。展覧会名にある御生(みあれ)というのは「神または貴人の誕生・来臨をいう言葉」。若宮がこの地に生まれ、造替ごとにまた生まれ変わり、あらためて力を発揮する意味も含まれている。春日大社、そして杉本のコレクションを多数紹介するこの展覧会によって、杉本の古美術への愛情や敬意を知ることができる。さらに春日神を勧請した江之浦測候所内の甘橘山春日社に想いを馳せる。

杉本博司 《日本海、隠岐》 1987年 若宮社御廊設置風景 杉本スタジオ撮影

平安末期に洪水、飢饉、疫病の流行が相次いだので、大宮(春日大社本殿)から南に約100m先の現在地に新たに社殿を造営し、若宮神を遷したのがこの若宮社。もともと若宮は長雨や旱魃から人々を守る神、水を司る神であるから、そこに杉本は自身の代表作「海景」を設置した。

この海景は《日本海、隠岐》。隠岐といえば、後鳥羽院が流された島だ。後鳥羽院は、元久元年(1204)に三十首和歌を春日社に奉納している。

杉本作品としては、3点の屏風が展示されているが、国宝殿に展示されているその一つは春日大社本殿の満開の藤花の様子を俯瞰で撮影した写真を元に仕立てられた。

杉本博司 《春日大社藤棚図屏風》 2022年 ©️Hiroshi Sugimoto

藤の花というものはたいていは藤棚という高いところに咲いていて見上げるものだが、この写真では上からの視線を与えられているのが珍しい。高い脚立の上から撮影され、神の視線を得た一枚だ。

そもそも神護景雲2年(768年)、常陸国の鹿島神宮から武甕槌命(たけみかづちのみこと)が白鹿に乗って大和国御蓋山へ渡ったという言い伝えが春日大社にある。神は空からやってくるのだ。そして、常陸と大和を結ぶ直線上に江之浦が位置することから、その遷座の途中に神様は江之浦で休まれたに違いない、という杉本の仮説が小田原での春日社建立のきっかけだった。

その仮説に基づき、杉本は江之浦測候所敷地内に春日社を建立することにした。《甘橘山 春日社》である。社殿の設計にあたっては春日造の一番古様な姿を再現すべく、春日大社からそれほど遠くない、春日山原始林の裏側にあたる場所にある忍辱山円成寺の春日堂の範をとった。それが前掲の甘橘山春日社である。相模湾を臨み、遠くから見た社殿はこんな風だ。それも八曲の屏風となっており、若宮神楽殿に展示されている。

杉本博司 《甘橘山春日社遠望図屏風》 2022年 ©️Hiroshi Sugimoto

特別展 春日若宮式年造替奉祝「杉本博司──春日神霊の御生(みあれ)御蓋山そして江之浦」

会期|前期:2022年12月23日(金) – 2023年1月29日(日)/ 後期:2023年1月31日(火) – 3月13日(月)
会場|春日大社国宝殿
開館時間|10:00 – 17:00[会期中、延長開館を行う場合あり]入館は閉館30分前まで

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編集者・美術ジャーナリスト

鈴木 芳雄