
今や美術館やギャラリーに足を運べば、多くの人が気軽に美術作品に触れられる時代。だが歴史を振り返ってみれば、芸術は権力者などごく限られた人々しか享受できない時代が長かった。政治的な統治者は自らの権威を誇示するために、また宗教を通して人々の心を統合するために、壮麗な建築や美術品、演劇などを活用してきた。 「ボストン美術館展 芸術×力(げいじゅつとちから)」は、古今東西の絵画・彫刻・工芸品の傑作の数々を通して、改めて権力と宗教と芸術の歴史を追う内容となっている。「名画の中の人物が現代に生きていたら」という発想で作品制作を行う岩岡純子さんに、この展覧会にちなむ新作を制作していただいた。🅼
聞き手・文=藤原えりみ
「昔であれば、上流階級の限られた人しか見ることが出来なかった芸術品を、今の私たちが見られるのは特別なことですよね。でも、それはかつての所有者が芸術品を手放し、最終的にボストン美術館に収蔵されたからこそ。時代の変化や権力の移り変わりを感じながら興味深く鑑賞しました」と岩岡さん。
その中でもとくに目を惹かれたのは、海外流出することがなければ間違いなく国宝の完成度を誇る日本の絵巻、《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》と《吉備大臣入唐絵巻》だという。
だが、岩岡さんの使うメディアは油絵の具。
「ルネサンス期に開発された西洋絵画の遠近法と違って、日本の絵巻や屏風絵では遠くのものは上に、近くのものは下に描きますし、建物の形も平行線のみで描かれ、人物なども立体的には描かれていません。展示作品をモチーフに作品制作をという依頼をいただいていたので、私自身の作品に応用できるかどうか考えたのですが、手法も素材もあまりにも違うため、別の作品を選びました」。
岩岡さんが選んだのは、18世紀に活躍したヴェネチアの画家、カナレットの《サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂、サン・マルコ沖から望む》。

カナレット(ジョヴァンニ・アントニオ・カナル)
《サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂、サン・マルコ沖から望む》 1726-1730年頃
Museum of Fine Arts, Boston, Bequest of William A. Coolidge
Photograph © Museum of Fine Arts, Boston
この作品のサイズは46.3×63.2cmで、「芸術と権力」という壮大なテーマの一翼を担うにはあまりにも小ぶりだ。
この手頃なサイズは、17世紀から19世紀にかけて北ヨーロッパの貴族の子弟たちの間で流行していた「グランド・ツアー」に由来する。ヨーロッパ各地を経由してイタリアに向かい、古代遺跡やルネサンス以降の美術に触れて教養を深めるための旅だ。
そして、故郷へのお土産として携帯しやすいコインやメダルに加え、ヴェネチアの風景を克明に描いたカナレット作品は帰国後もイタリア滞在をしのぶよすがとして大変愛好されていた。
岩岡さんがこの作品を選んだのは、ヴェネチアへの特別な思いがあったからだ。
「私は20年くらい前にヴェネチア・ビエンナーレの分厚い図録を見て、いつかヴェネチアに行ってみたいと思っていました。なので、自分で初めて計画を立てた海外旅行はヴェネチアでした。
でもヴェネチア・ビエンナーレをめぐる旅は、憧れを目の当たりにすると同時に夢が打ち砕かれる旅でもありました。スケールの大きい作品を見て観客として楽しむ一方、自分は作家として何ができるのか思考する旅でもあったのですね」。
ヴェネツチア本島は湾の潟に築かれた水の都であり、14〜15世紀に全盛期を迎えて以降、その都市景観は今に至るまでほとんど変わっていない。岩岡さんも今回のオファーを受けてGoogle Earthでカナレット視点からの風景を確認してみたという。
「現在は周りに木が育っていたり少し建物が増えているけれど、カナレットの絵とほぼ同じ情景が見られるのが嬉しい。それだけヴェネチアの景観が守られていること、そしてカナレットが忠実に描いていたであろうという証拠になりますね」と。

引用元:Google Earth
そしてもう1つ、カナレットを選んだ理由がある。
「カナレットの絵を見て、ヴェネチアの街を模したかの有名なテーマパークが千葉県にあることを思い出しました。そしてカナレットの絵の中のゴンドラと人物が現在にタイムスリップしたら、あのテーマパークで遊んでいるのだろうかと。
私は千葉県で生まれ育ったので、このテーマパークにはよく行きました。今回の制作依頼を受けて、取材のために久々 に訪れてみました」。
こうして「西洋絵画の絵に描かれた人物が現在に生きていたら」という構想で制作される岩岡さんの「タイムリープシリーズ」に、新作《カナレットの「サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂、サン・マルコ沖から望む」に描かれた2人が、テーマパークで休日を満喫する》が加わった。
岩岡さんはこう語る。
「ネットで“カナレット”を調べると、このテーマパークにあるレストラン(カナレットの作品の複製が飾られている)が一番にヒットするんですね。本物よりもテレビでみるモノマネ芸人のような感じで面白い」とも。
さて、この作品をじっくり見てみよう。

参考作品|「ボストン美術館展 芸術×力」への出品はありません
岩岡純子《カナレットの「サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂、サン・マルコ沖から望む」に描かれた2人が、テーマパークで休日を満喫する》 2022年 キャンバスに油絵具、コラージュ
左側のカナレットの作品からゴンドラと人物が切り抜かれている。
そして右側。こちらは件のテーマパークのサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂と連動する風景を岩岡さん自らが撮影した写真に基づいて描いた風景画で、そこにカナレットが描いたゴンドラと人物が移植されている。

参考作品|「ボストン美術館展 芸術×力」への出品はありません
岩岡純子《カナレットの「サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂、サン・マルコ沖から望む」に描かれた2人が、テーマパークで休日を満喫する》(部分)

参考作品|「ボストン美術館展 芸術×力」への出品はありません
岩岡純子《カナレットの「サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂、サン・マルコ沖から望む」に描かれた2人が、テーマパークで休日を満喫する》(部分)
一方は18世紀のヴェネチア風景、もう一方は現在の千葉県に存在するテーマパークの風景。
でも、それぞれの風景の雲は繋がり、空も海もひとつの光景として現れる。なんとも不思議な時空の掛け合いに、思わずクスッと笑ってしまう。
岩岡さんの描写力と軽やかな想像力の時空を超える旅は本当に楽しい。
ところで、ボストン美術館は日本美術の優品を多数所蔵することでも名高く、本展でも一部が里帰りしていて、こちらも見逃せない。
その中でも、《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》と《吉備大臣入唐絵巻》を岩岡さんはどう見たのだろうか。

《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》
鎌倉時代、13世紀後半
Museum of Fine Arts, Boston, Fenollosa-Weld Collection
Photograph © Museum of Fine Arts, Boston
「《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》の画面構成が美しく惚れ惚れしました。
絵巻の一番右側は一人、二人と後を追っている人がいて、その先には牛車や騎馬が入り乱れている様子が描かれています。
対をなすように、絵巻の一番左側には、先頭を歩いている人の後に続いて、後白河院を乗せた八葉車を囲んで連行する信頼・義朝軍のまとまった集団が描かれています。
これは混乱している様子と秩序のある様子の対比のように見えます。

《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》(部分)
鎌倉時代、13世紀後半
Museum of Fine Arts, Boston, Fenollosa-Weld Collection
Photograph ©︎ Museum of Fine Arts, Boston

《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》(部分)
鎌倉時代、13世紀後半
Museum of Fine Arts, Boston, Fenollosa-Weld Collection
Photograph ©︎ Museum of Fine Arts, Boston
中盤、塀を越えると、画面上側には大勢の武士たちが邸宅に攻め入っている様子が。下には数人の女性が逃げている場面。
左側にすすむと画面上には武士が数名、下には逃げ惑う人々を手にかける大勢の武士が描かれています。
画面を斜めに区切る屋根を境にして左右の人物の配置のバランスが反転していて構成が素晴らしいです。

《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》(部分)
鎌倉時代、13世紀後半
Museum of Fine Arts, Boston, Fenollosa-Weld Collection
Photograph ©︎ Museum of Fine Arts, Boston
後白河院の人物像を描かず、八葉車でその存在を表していること、絵巻の始まりが集団の最後尾で、絵巻の終わりが集団の先頭になるところも物語の演出として面白いですね」。
では《吉備大臣入唐絵巻》は?

《吉備大臣入唐絵巻》(第一巻・部分)
平安時代後期-鎌倉時代初期、12世紀末
Museum of Fine Arts, Boston, William Sturgis Bigelow Collection, by exchange
Photograph © Museum of Fine Arts, Boston
「海から上陸して、高楼→宮門→宮殿→高楼→宮門→宮殿…のくりかえし。シチュエーションが限られた中で物語が展開していきます。
巻第一で建物がしっかり描かれているので、巻第二以降は霞で建物の一部が隠れていても、どこにいるのかわかるようになっていますね。特に宮門は巻第三以降は屋根がちらっと描かれているだけになっています。建物を省略することで画面の人物に集中できるような仕組みなのかなと思いました。
平安時代に異国の生活様式を見ていないであろう絵師が衣服や建物の細部まで丁寧に描いているため、見る人が異国の世界観に没入できるのは凄いなと思います。
またさらさらと描いたように見える線なのに、骨格があり体重もあるように人体を巧みに描いていて、一人一人の仕草も自然です。眠る姿も、座りながら伏せっている人、片足を立てて膝に頭をのせて眠る人、階段にもたれて眠る人等、何パターンも描かれています。
そしてボストン美術館で行われた紫外線及び蛍光X線分析の結果、人物の顔の白色の顔料には使い分けがなされ、吉備真備の顔にのみ鉛白、中国の皇帝も含めその他の人物にはおそらく白土が使用されていることがわかったそうですね。
《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》でも、烏帽子を被った公家は白い肌に塗られ、武士たちはやや褐色を帯びた肌の色で、身分の区別したかったのだろうと感じました。
武家社会への移行を公家たちはどのように感じていたのか……。想像力が刺激されました」。
岩岡さんオススメの《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》と《吉備大臣入唐絵巻》、人物一人一人の表情だけでなく、仕草や着物、鎧兜の描写等々、隅々までじっくり鑑賞していただきたい。
会期|2022年7月23日(土) – 10月2日(日)
会場|東京都美術館 企画展示室
開室時間|9:30~17:30[金曜日は9:30~20:00]入室は閉室30分前まで
休室日|9月20日(火)
お問い合わせ|050-5541-8600 [ハローダイヤル]
※日時指定予約制。当日券あり(枚数限定)
コメントを入力してください