
「あいちトリエンナーレ」は日本を代表する芸術祭の一つである。前回2019年の一部の展示を巡っては美術の領域を超えて、論戦や抗議が渦巻いたのは既知のとおり。「あいち2022」と名称を変えた今回はコロナ禍や戦争、さらには急激な円安のため、海外作家たちのリサーチや作品設置に大きな障害が立ちはだかった。しかし、蓋を開ければ上質な展示がとても多く、期待以上に仕上がっている。その中からジャーナリストの小崎哲哉氏に絞ってもらった、見るべき7作品をレポートする。🅼
前回の「あいちトリエンナーレ2019」で芸術監督を務めたのはジャーナリストの津田大介氏。トランピズムの時代にあって、自らの職掌を活かしたキュレーションを行った。主にジャーナリスティックな、近現代史に取材した作品を選んだのだ。結果はご存じの通り、右翼の街宣車が押し寄せ、抗議が殺到する大騒ぎ。野球にたとえれば、豪快なホームランと三振や失策が混在し、下品なヤジや場外乱闘が目立った、外野から観れば面白い乱打戦だった。
3年前の混乱を受けて、今回の芸術監督に指名されたのは、ベテランキュレーターの片岡真実氏。森美術館館長にして国際美術館会議会長、しかも愛知県出身という、文句の出ようのない人選である。コロナ禍で事前リサーチなどが大幅に制限され、戦争や円安の影響で出費もかさむ中、関係者の期待に応え、国際芸術祭のお手本のような展覧会をつくりあげた。長打がない代わりに失策も少ない、やや小粒だが鉄壁の守備を誇る好チームという印象だ。
そもそも国際展に高打率を期待してはならない。たったひとつでもよいから、心を躍らせるスイングや投球や守備が観られればいい。今回の「あいち2022」にも観るに値する作品がいくつかある。会場ごとに紹介しよう。
【愛知芸術文化センター 10階】
河原 温《I Am Still Alive》シリーズ(1970-2000)
20世紀を代表するコンセプチュアルアーティストのひとりが、世界各地の知人に送った「私はまだ生きている」というひとことだけの電報。わずか4語のメッセージが想像力を無限に刺激する。「あいち2022」のテーマはここから取られた。

河原温 ソル・ルウィットに宛てた電報、1970年2⽉5⽇《I Am Still Alive》(1970‒2000)より
LeWitt Collection, Chester, Connecticut, USA © One Million Years Foundation
カデール・アティア 《記憶を映して》 2016年
手や足など身体の一部を失った人が、その部分が存在しないのにもかかわらず感じる痛み「幻肢痛」を主題にした映像作品。医師や研究者のインタビューだけならただのドキュメンタリーに終わるところだが、マルセル・デュシャン賞受賞作家らしい視覚的試みが、作品を見事な現代アートたらしめている。48分のビデオは必ず最初から観るように。

国際芸術祭「あいち2022」展示風景
カデール・アティア《記憶を映して》2016 ©︎ 国際芸術祭「あいち」組織委員会
撮影:ToLoLo studio
【愛知芸術文化センター 8階】
百瀬 文 《Jokanaan》 2019年
リヒャルト・シュトラウスのオペラ『サロメ』(1903-1905)に取材した2チャンネルビデオ作品。左のスクリーンにはセンサーを装着した男性ダンサーが、右側には3DCGの像が現れ、予言者ヨカナーンの生首を見据える王女サロメの、淫欲と狂気に満ちた踊りを披露する。CGのサロメの踊りは、男性ダンサーの踊りをモーションキャプチャーしたものだが、よく観ると左右の踊り手の動きは微妙に同期していない。それも含め、女性性と男性性、観る者と観られる者、情報の伝達と伝達された情報の処理など、様々なことを考えさせられる。

国際芸術祭「あいち2022」展示風景
百瀬文《Jokanaan》2019 ©︎ 国際芸術祭「あいち」組織委員会
撮影:ToLoLo studio
ローリー・アンダーソン&黄心健(ホアン・シンチェン) 《トゥー・ザ・ムーン》 2019年
VR(バーチャルリアリティ)技術を用いた仮想的月旅行。遊園地(ルナパーク)にあってもおかしくないエンタメ性を持ちながら、「重力」「4次元時空」「世界の果て」など、哲学的と呼びうる思考に観客をいざなう。高所恐怖症の方にはおすすめできない。

国際芸術祭「あいち2022」展示風景
ローリー・アンダーソン& 黄心健(ホアン・シンチェン)《トゥー・ザ・ムーン》2019 ©︎ 国際芸術祭「あいち」組織委員会
撮影:ToLoLo studio
【一宮市 旧一宮市スケート場】
アンネ・イムホフ 《道化師》 2022年
ヴェネツィア・ビエンナーレ2017で金獅子賞を受賞したアーティストによる映像作品。パフォーマンスの記録を編集したもので、ライブが観られないのは残念だが、なかなかに迫力がある。注目すべきは会場の旧スケート場。半世紀以上前に建てられ、最近その役割を終えた非日常的な建物は、それ自体一見の価値がある。2017年のミュンスター彫刻プロジェクトでは、人気アーティストのピエール・ユイグが、やはり旧スケート場を使って「ポストヒューマン」を主題にしたインスタレーションを作成・発表した。場所の力を十全に引き出すのも作家の才能のひとつである。

国際芸術祭「あいち2022」 展示風景
アンネ・イムホフ 《道化師》 2022 ©︎ 国際芸術祭「あいち」組織委員会 Photo : ToLoLo studio
【常滑市 旧丸利陶管】
グレンダ・レオン 《星に耳をかたむけるIII》ほか 2022年
青く塗った壁に星座のような形がいくつも浮かんでいる。近くに寄ってみると、それがギターの弦だとわかる。指で弾くと、様々な音が出る。そう、これは視覚的なインスタレーションであると同時に、奏でることができる楽器でもある作品なのだ。満ち欠けする月を象ったタンバリンを並べた《月に耳をかたむける》などもあって、作家の自由な発想に感心する。これらの「楽器」を音楽家の野村誠が即興演奏した映像も展示されている。

国際芸術祭「あいち2022」 展示風景
グレンダ・レオン《月に耳をかたむける》2020 ©︎ 国際芸術祭「あいち」組織委員会
撮影:ToLoLo studio
【常滑市 常々(つねづね)】
田村友一郎 《見えざる手》 2022年
田村友一郎は、物事の裏に潜んでいる不可視の関係を、粘り強いリサーチと天才的な閃きによって明るみに出す作品を得意とする。今回は、1970年代後半から80年代前半に日本の製陶輸出産業の一翼を担った常滑の「ノベルティ人形」に着目。生産が衰退した原因が1985年の「プラザ合意」にあるとの仮説を立て、合意に至った日米英仏西独5か国の蔵相を陶器で象り、大きな問いに思いを馳せる。合意以降、いまも「Still Alive」なものは何か……。現代社会においては、あらゆる事象は因果の糸で紡がれている。田村の作品は、まさにその事実を明るみに出す。知多半島に位置する小さな町は、実は世界経済の中心地ニューヨークにつながっているのだ。

国際芸術祭「あいち2022」 展示風景
田村友一郎 《見えざる手》 2022 ©︎ 国際芸術祭「あいち」組織委員会 Photo : ToLoLo studio
「あいち2022」は地域分散型の国際展で、会場に選ばれた地域や建物には、わざわざ足を運ぶ価値があるものが少なくない。常滑は言うまでもなく「やきものの町」であり、煉瓦造りの煙突や黒塀の工場を観て歩くだけでも楽しい。日本遺産に認定された名古屋市有松地区には、旧東海道沿いに伝統的建造物がいくつも残り、江戸期の雰囲気を色濃く感じさせる。一宮市の墨会館は国の登録有形文化財で、近代建築の第一人者、丹下健三が設計し、1957年に竣工した建物。愛知県下では唯一だといい、初期丹下建築の特徴がよくわかる。
すべての会場を回るのであれば、最低でも3日はほしい。本稿で紹介したのは現代アートの展示だけだが、会期中にはパフォーミングアーツの公演や手芸のワークショップなど各種のイベントも開催される。この記事が公開されるころにはさすがの猛暑も収まっているだろう。秋のあいちを楽しんでください。
会期|2022年7月30日(土)- 10月10日(月・祝)
主な会場|愛知芸術文化センター・一宮市・常滑市・有松地区(名古屋市)
開館時間・休館日|
□愛知芸術文化センター 10:00 – 18:00[金曜日は20:00まで]入館は閉館30分前まで・月曜休館[祝祭日は除く]
□一宮市 10:00 – 18:00[一宮市役所は17:15まで]入館は閉館15分前まで・月曜休館[祝祭日は除く]
□常滑市 10:00 – 17:00 入館は閉館15分前まで・水曜休館
□有松地区(名古屋市) 10:00 – 17:00 入館は閉館15分前まで・水曜休館
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