“ 100年前 ” のパリ散歩 〜 6区を歩く

坂田夏水 / Natsumi Sakata
空間デザイナー。座右の銘である「やるかやらないか。やる!」を実践していたら、気づけばパリの6区の片隅で子育てしながらお店を開店していました。失敗したとしても死ぬほど困ることじゃない、壁紙に悩んだって貼り直せばいいだけ!今日も私は、朝からパリの街を駆け抜けています。

パリが美しいのは何故でしょう。

光輝くセーヌ川、美しいエッフェル塔の夜景、美味しいお菓子、色とりどりのマルシェに並ぶ野菜や果物、赤い口紅のパリジェンヌたちとフランス語の響き。「パリの魔法」とも言われるほど、一度ここを訪れた人は皆、虜になってしまいます。

しかし私は思います。パリが美しいのは、歴史のある建物が残されているからだ、と。

深い歴史と共に洗練された街、パリ。マティスやモネ、ピカソが描いた美しい街並み、ドビュッシーやショパンが愛し、メロディを奏でた街角。彼らが活躍した時にあった建物の風景が、今もなお存在し続けているのです。

そんな花の都として世界中の人々を魅了してきたパリですが、1850年あたりまでは汚く臭い街で、ほとんどの住宅が木造だったそうです。小さな木造住宅の間の狭く曲がりくねった道は、暗くて風通しが悪く、住民は窓から生活ゴミを道に投げ捨て、道には家畜が放し飼い。「恐ろしい悪臭で道を歩けないんだ」と、当時パリに来たイギリス人が驚愕して友達に手紙を書いたとか書かなかったとかという逸話も残っています。今の美しい景色からは想像もつきませんが、実はいまだにパリのマダムは飼っている犬の糞を拾わないとか、若者が酔っ払ってワインボトルを窓から投げ捨ているという現実を目の当たりにすると、文化は受け継がれているのかな、とも思ったり。。。

19世紀中頃のパリは産業革命の流れもあって街の人口が増え続けた結果、汚染度が増し疫病がパリ中に広がり多数の死者が出たのだと言います。そこで当時の皇帝ナポレオン3世は、オスマン男爵をセーヌ県知事に任命し、フランス最大の都市整備事業を1853年から着手させました。この事業はその後オスマンさんの死後も継続し、完工に75年もかかったそうです(これは余談ですが、オスマンさんはパリ改造を頑張りすぎて、土地の地上げと銀行癒着を引き起こしてしまい、1870年にセーヌ県知事を免職になります。免職の理由が本当なのかは定かではありませんが、これだけ大きな大改造を推進したことを気に入らないパリジャンもたくさんいたのでしょうね)。

その頃の日本といえば、アメリカ合衆国から軍人マシュー・ペリーが黒船で長崎に来航し大騒ぎしている時代です。パリではオスマンさんの整備事業によりパリの街路沿いの木造建築が禁止され、石造のアパルトマンに変わっていきました。アパルトマンはパリ近郊で採石できる白い石を使い、採石した後の広場は公園に改造していきました。今のパリの景色が統一感があるのはオスマンさんの都市整備計画によるもので、街の景観を維持するために道路の幅に応じて建物に高さ制限、屋根の傾斜や外観の規制、ベランダは3階と5階のみに設置するという建築基準法をつくったといいます。シンプルにいうならば、同じような建物しか建築は許可されなかったので、建物の高さが統一され均整のとれた街並みが作られるようになりました。

そうそう、私の母がパリにきて一緒に街歩きをしていた時、「どこも同じ景色で、もう飽きたわ」と疲れ気味に私に呟いたのです。「なんてことを言うのだ!」と私は衝撃を受け、オスマンさんの功績と栄光について話しましたが、残念ながら疲れた彼女には届くこともなく…

パリが美しいのは、均衡、統一、維持が長年のパリジャンたちの努力の証なのだよ、母上….

現在のパリのほとんどが、100年以上前のオスマン男爵の都市整備事業で出来上がっていることがわかる。

最近、私のお店「BOLANDO」の近くにある ” TASCHEN(タッシェン)”(注1)で、興味深い写真集を見つけたので、お散歩や買い物時間を活用して、それを片手に景色を探し歩いています。まずはお店と家のある6区から始めているのですが、これがなかなか面白いので、今日は少し私の街歩きをご紹介してみようと思います。

(注1)ドイツ・ケルンで創業し、美術・建築・デザイン書などを中心に扱っているブランド


さて、その写真集はこちらです。

Eugène Atget. Paris - Jean-Eugène Atget (ジャン=ウジェーヌ・アジェ) 1857年–1927年

アジェさんはフランスの写真家で、この本は彼が生きていた時代のパリの写真集なのです。彼は1857年生まれ、 1927年死去。つまりこの本に写っているパリの建物や室内家具によって、私たちは今から約100年前のパリの街を覗き見することができる、といっても過言ではありません。 また建物においては、彼が撮影していた時には ”既にそこにあったもの” ですから、築年数は彼が生まれた年より前ということ。オスマンさんがパリ大改造に着手したのが1853年。つまりアジェさんが生きたのはまさに大改造中のパリ。もちろんノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris)もアジェさんは写真に残しています。

サンミッシェル橋より望むノートルダム大聖堂(同書 P.118)

今はサンミッシェルのメトロの工事中で橋の上からのアングルですが、アジェさんもノートルダムが火事になるなんて思いもしなかったでしょうね。

現在工事中のノートルダム大聖堂

そういえば、このノートルダム近くにマティスのアトリエがあったのをご存知でしょうか。” サン・ミッシエル河岸19番地 ”。彼の作品のいくつかは、ここで描かれたものです。その場所がここ。マティスの名前見つけることできましたか?

マティスのアトリエ

マティスの名前が見える

残念ながら、ここで描かれた作品は現在、パリにはありません。ですが当時彼が描いた作品の景色を、今もそのまま見ることができます。まさにアジェさんの写真が撮られた時期に、マティスはこの家でいくつかの作品を描いていたのです。

Henri Matisse, Notre-Dame, une fin d’après-midi 1902, Albright–Knox Art Gallery, Buffalo, New York

マティスのアトリエのあった建物の前からの風景

こういう生きた足跡を見ると、「そうか〜、ここに実際にいたのか〜」なんて、著名な人ですら近しい人になったような不思議な感覚を覚えませんか。

また他にも、下の写真ですが、セーヌ通りとエショデ通りの角の写真(同書P.288)は1924年に撮影されたものです、今現在の同じ場所の写真も見てください。比較してわかることは「建物の外壁が、すごく綺麗になったな」なんてこと。こういうのは、日本ではない感覚ですね。ほら、私のお店「BOLANDO」も右奥に見えていますよ。その頃は何のお店だったのでしょうか。

セーヌ通りとエションデ通りの角(同書 P.288)

現在のBOLANDOの角、セーヌ通り

あともう1箇所だけ!お付き合いください。

下の写真集の写真(同書 P.247)は、サン=タンドレ・デ・ザール広場(La place Saint-andré des Arts)という場所で、1903年に撮影されたものです。この広場は私の家のすぐ近くなので日々通過している場所でもあるし、家から一番近いサン・ミッシェルのメトロの入口もあるので、待ち合わせにもよく使っています。

この場所、壁がぶつんと装飾もなく切れていて不思議だなと思い、以前調べたことがあります。元々は教会があったようなのですが、解体された後の外壁がそのまま切られてこのようになったままとのこと。通り沿いに薄い下部の二階建て木造部分が1800年頃に増築されて今はカフェになっています。

その後、広場と周辺の道路に面した建物はオスマンさんの計画によって建て替えとなりました。その時にこの広場の向かいにあるサン・ミッシェル広場 (Place Saint-Michel)が1855年に完成するのです。写真集の方からもわかるように、1900年頃のパリの外壁は手書きの看板だらけでした。ピアノ、給湯器、浴槽、ワイン、薬局など様々な生活品の広告が壁面で宣伝されていたようです。今だと手書きの広告は落書きと同様とされ、落書き処理班に直ちに消されますけどね。

サンタンドレ・デ・ザール広場(同書 P.247)

現在のサンタンドレ・デ・ザール広場

さて、まだまだお見せしたい写真はたくさんあるのですが、本日の街歩き紹介はこの辺でお仕舞いにしようか、と思います。お付き合いありがとうございました(笑)。あ、そういえば、先日のライブトーク配信の後にいただいたコメントでも、パリの街歩きは皆様の興味が高かったので、今度の配信は一緒に歩いてみてもいいかもしれませんね。

ライヴトークの模様はこちらから

建物の写真から読み解く歴史はとても面白く、私はやり出したら止まりません。先日も危うく高価なパリの古い地図集を古本屋で買いそうになってしまいました。もちろん、今はお財布的に難しいのですが「いつか欲しい!」。買ったらまたこの場でもご紹介でさせていただきますね。



次回のテーマは何にしようかしら。
「美食のパリ − パリジャン・日常の食卓 − 」とかにしてみようかな。


ではまた。



au revoir. à bientôt!

夏水


これまでの連載(第10話まで)は、こちらから





● 坂田夏水(さかたなつみ) さんて、こんなひと。

1980年生まれ。2004年武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。
アトリエ系設計事務所、工務店、不動産会社勤務を経て、2008年に空間デザイン会社として夏水組設立。女性の視点によるリノベーションや内装デザインで注目を集める。その他、商品企画のコンサルティングやプロダクトデザイン等を手掛ける。DIYやセルフリノベーションに関する書籍を多数執筆。

【メディア出演】
NHK「世界はほしいモノにあふれてる」 フジテレビ系列「セブンルール」「めざましテレビ」 日本テレビ系列「幸せ!ボンビーガール」外観・内装の立て直し屋 として出演 等に内装デザイナーとして多数メディア出演。

空間デザイン会社 夏水組
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