大阪市立美術館は2000年と2019年に大きなフェルメール展を開催した、日本におけるフェルメールの「聖地」である。最近の「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」でも《信仰の寓意》が初来日し話題になった。 同館の篠 雅廣館長による美術館側から語るフェルメール狂想曲。🅼
「フェルメールが一点だと10万人ですよ、これが世界のスタンダードです」。
国際的な展覧会プロモーションに関わる関係者と雑談していて聞かされた言葉である。彼の話によると、現存する作品が35点と言われているフェルメールは、遺言による門外不出や行方不明など如何ともしがたい事情を考慮すると、「移動可能」な残り30点前後は文字通り争奪戦で、コレクターや所蔵館にはあの手この手、夜討ち朝駆けの日参状態で交渉に当たらないと「外に出す」、つまりフェルメール展、または同時代のオランダ絵画展は実現不可能らしい。勢い、きわめて複雑な人脈や謎めいたコネクションへの精通も必須らしく、それは「フェルメール・マフィア」と言っても差し支えないほど強い絆で結ばれているのだとか。さらに、みんなフェルメールを大事にしていて、作品のコンディションが良くないと物理的に展示そのものが不可能だから、たとえ館長や担当学芸員から内諾を得ても、修復保存官(コンサヴァター)が「ノー」と言えば、それでおしまいとなる(どこの美術館でも彼らの判断が最重要視される)。とにかくフェルメール展の開催自体が困難な「事業」なのである。
590,009人。
540,165人。
前者はフェルメールを5点集めて2000年4~7月、後者は6点集めて2019年2~5月、ともに大阪市立美術館で開催された「フェルメール展」の観客動員数である。観客動員が20万人を超えると、国内での年間ベストテンに入り、周辺の展覧会をなぎ倒すという意味で、美術館の業界では「ブロックバスター」と呼ばれるが、大阪で開催されたこのふたつの「フェルメール展」の数字は驚異的で、それぞれ開催年度のナンバーワンとなった。関東圏と近畿圏を巡回するような大型展覧会は、開催館を取り巻く後背人口から、「京都や大阪、神戸に巡回させると東京の5~6割」となるのが通例であるが、逆に私どもで開催した「フェルメール展」での動員規模を東京にあてはめると、優に100万人を超えてしまうのである(2019年の展覧会は東京・上野の森美術館でも開催されたが、会場構成の関係で予約制を大幅に採用したため65万人の動員であった)。
ルーヴル美術館は2点、アムステルダム国立美術館は4点、メトロポリタン美術館にいたっては5点のフェルメール作品を所蔵しているが、持てる者の強みというか、知られている限りでは生地であるオランダの小都市デルフトの外にほぼ出ることなく、生涯を過ごしたこの作家の作品を所蔵することは、ミュージアムの経営や戦略に計り知れない「武器」となる。フェルメール詣での観光客が世界中から集まるし、作品を貸し出し「恩を売る」ことによって、今度は自分たちの出品交渉がスムースに運ぶ。フェルメールを所蔵するだけでミュージアムは潤うのである。
それでは、フェルメールはおろか、西洋絵画を一点も所蔵していない大阪市立美術館で、どうしてこのような大規模な個展開催が可能なのであろうか。
1936(昭和11)年、国内3番目の公立美術館として創建された私どもの美術館は、中国石仏の山口コレクション、小野コレクション、中国絵画の阿部コレクション、日本近世絵画の田万コレクション、近代日本画の住友コレクションなど、戦前の大阪の「旦那衆」が愛蔵していた美術品の寄贈によって成り立っている。明文化された収集方針を定め実直に収集と保存に取り組む国内の他美術館と違って、大阪市立美術館のコレクション形成のありかたは、どちらかといえばアメリカの美術館のそれとよく似ている。一方では、戦前戦後を通して国内では数少ない本格的な美術館として、普及的、啓蒙的な展覧会も多数開催していて、いわば総合美術館の体裁で、とりわけこの20年ほどは数多くの西洋絵画展も誘致してきた実績がある。
またアジアのみならず、欧州や北米の美術館へも中国絵画をはじめとするコレクションの貸し出しが積極的に行われており、館長や学芸員を含めて館同士の交流も深い。さらに西洋絵画、なかでもオールドマスターたちの作品は、我が美術館のたたずまいや展示室自体の「コンサバ」具合にピタリとはまるので、展覧会実施のため来日したクーリエ役の学芸員や修復保存官にはすこぶる評判が良いのである。こうした良い「噂」も狭いエリアに密集する欧州のミュージアムのネットワークでもある程度浸透しているようで、先年の「フェルメール展」のために来日したスコットランド・ナショナルギャラリーやアムステルダム国立美術館のスタッフたちからも好意的な挨拶を受けたことを記憶している。
さらに天王寺という大阪市南部のターミナルに位置していること、大量の観客を滞留させるバックヤードが広いこと、85年にわたって積み重なった展示の経験則があるなど展覧会を「興行的」に成功させる好条件が揃っていることも大阪市立美術館の強みなのである。
大阪市立美術館では日本経済新聞社と「メトロポリタン美術館展」を昨年から今年にかけて開催した。「西洋絵画の500年」と銘打って、中核をなすヨーロッパ絵画部門から、初公開46点を含む65点で構成されているが、アメリカのミュージアムらしく教育的で、きわめて丁寧なセレクションがほどこされている。
まるで、ロンドンやベルリンの美術館にいるようだ
先にオールドマスターたちの作品はこの美術館の展示室ではより一層映える旨を述べたが、クラーナハやエル・グレコ、またヴェロネーゼ、ティツィアーノがずらりと並ぶ壁、展示室全体を威圧するほどの堂々たるルーベンスの作品を眺めながら歩いていると、自分で配列しておきながら、どうかするとロンドン・ナショナルギャラリーやベルリンの国立絵画館のなかを歩いているような錯覚に陥るほどである(さらに「ヴァン・ダイクがあったらなぁ」とか「コンスタブルもここに置いたらどうだろう」とか妄想に近い贅沢気分にもなれる)。
この展覧会ではフェルメールの《信仰の寓意》も目玉作品のひとつとして、レンブラントと並べて展示している。制作の経緯については諸説あるが、後期のフェルメールを代表する傑作であり、おなじみの絵画空間にキリスト教の教義が散りばめられていて文化や宗教の歴史的コンテクストの異なる我々には、やや難解に思えるが、当時の人びと、とりわけオランダの市民にとっては、それほどわかりづらいものではなかったのかもしれない。
《信仰の寓意》に加えて、年内には「36点目のフェルメール」、「360年ぶりのフェルメール」という触れ込みで、修復なったドレスデンの国立絵画館の《窓辺で手紙を読む女》も展示する予定である。
2000年と2019年のふたつのフェルメール展ではメトロポリタン美術館の《リュートを調弦する女性》は二度とも展示されたから、これまで10点、この《信仰の寓意》で11点目のフェルメール作品が展示された。日本国内はもとよりアジアのミュージアムでは稀有の例である。
ミュージアムの歴史を語るときに、コレクションの形成史と同時に、どのような展覧会を開催してきたか、いわば展覧会の系譜も大事である。これにフェルメールがいつ展示されたのか、これからはどのような展覧会にフェルメールが「参加」してくるのか心待ちにする、という新たな楽しみも加わったのである。
会期|2022年2月9日(水)– 2022年5月30日(月)
会場|国立新美術館 企画展示室1E
開館時間|10:00 – 18:00 [毎週金・土曜日は20:00まで 入館は閉館の30分前まで]
休館日|火曜日[ただし、5月3日(火・祝)は開館]
お問い合わせ|050-5541-8600 [ハローダイヤル]
■会期等、今後の諸事情により変更される場合があります。展覧会ウェブサイトなどでご確認ください。
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