フェンバーガードームでのワークショップ 『チベット医学と回復へのスキルアップ』 ゲスト: 小川康(チベット医・薬剤師)、2020年

「アートは社会とどう接続していくか」について、インディペンデント・キュレーターのロジャー・マクドナルドさんにお話を伺う本連載。第1回では、ロジャーさんが館長を務める多津衛民藝館のこと、長野での暮らし、環境問題への取り組みなど、近年関心を持っていることを中心に伺った。地域、コミュニティ、民藝、気候変動といった社会的なキーワードをアートへ接続させるまなざしには、ロジャーさんが提唱するアートを深く観察(ディープ・ルッキング)する方法が関係しているようだ。第2回では、「ディープ・ルッキング」の入口として、今なぜ観察が必要なのか。そして私たちはどのような態度で観察に向かうことができるかお話を伺う。
 
 

聞き手・文=福井尚子


『アテンションの変化と断片化する現実


——2022年に執筆された『DEEP LOOKING:想像力を蘇らせる深い観察のガイド』では、アートを深く観察(ディープ・ルッキング)する方法を提唱しています。その実践方法を伺う前に、今の世の中で私たちのものの見方はどのように変化しているか、聞かせてください。


今の時代における観察(アテンション)について話そうとすると、いかに劣化してきたかという、どうしても批判から入ることになってしまいますね。実際多くの思想家や哲学者が同じようなことを言っています。テクノロジーによって、私たちが今まで過ごしてきた現実世界が大きく変化する真っ只中にいるので、当然人間の脳やいろんな能力が変わっている。決して全部が悪いわけではないけれど、観察については、20世紀に入って明らかに大きく変わってきたんです。

美術史家のジョナサン・クレーリーは、19世紀後半から20世紀初頭、いわゆる近代主義の時代に、私達の物事に対する注意の払い方が大きく変わったと言います。18世紀後半以降、産業革命で機械化が進み、様々な情報が無数に同時に私たちの認識に訴えてくるようになった。それまでシンプルなモデルで世界を見るということができていたのが、複雑化するようになりました。




——その中でアートはどのように変化しましたか。


アートでは、そうした変化が画家たちによっていち早く認識されていました。例えば印象派たちが、それまで滑らかで一つの統一感があった古典的な絵画を、もっと点描など、一個一個の筆で構成されていくような描き方をするようになりました。完全に統一で滑らかだった現実が、破片化していったんです。これは、私たちの認識力や注意力もまさに同じように破片化してきたのではないか、ということです。さらにその後に圧倒的な現れ方をしたのは、キュビズムです。私たちの注意力やアテンション力もキュビズムの絵のように、バラバラの状態の中でどうにか生きていかなくてはいけない状況になってきました。





均質化の時代において、アートを見るということ


——さらに時代を経て、1990年代後半から情報通信技術が急速に普及し始めます。そこでは産業革命の時代のような変化が起きているのでしょうか。


ベルナール・スティグレールというフランスの哲学者が言うには、インターネット技術によって、このバラバラ感だったものが、実は均質化の方に向かっていると言うんです。毎日テレビやスマホで情報に触れているおかげで、現代人の多くの知覚や認識がどんどん均質化している。スティグレールはそれを、意識と記憶のマスシンクロが起きている、と表現していました。


——そう言われてみると、いつでもどこでも誰もが同じ情報に触れることができるようになっているように感じます。


そうなんです。立ち止まってみると、例えば北半球に暮らす私たちは、ニュースも映画も、同じものをぐるぐるシェアしていて。表面上、すごく多様なインフォーメーション世界に住んでいると思われがちだけど、意外に均質化が進んでいる。大規模な経験の標準化が起きることで、私たち本来の多様な主体性を持ったものがどんどん損失する時代に来ているのではないかとも言われています。


——均質化の時代において、アートはどんな役割があるのでしょう。


美術・芸術はその標準化に対する抵抗でもあったと思うんですよね。アーティストは本当にその人が見た世界を普遍的な作品を通して世界に発表します。例えばゴッホのひまわりに感動しても、ただ細密にひまわりが描かれた絵には感動しない。それは、ゴッホがその目で見て描いたひまわりであることに価値があるからです。アートには、理性やロジックを超えた世界から何かを引っ張ってきて、人の心を動かす力がある。均質化している社会に対して、違いや主体性の多様な部分を強調し続けるから、アートはとても大事だと私は思っているんです。


——みんなが同じものを見て、同じことをしなければいけないという同調圧力がある現代だからこそ、独自のものの見方をするために、アートを観察するということが必要になってくるのでしょうか。


そうですね。均質化に対して、何か別の価値観や生き方を探るためには、まずはアートを「見る」ということからしか始められないと思うんです。これは例えば美術史の本を読むではだめだと思っていて。まず作品を見る=主体性で見て、感じるということが大事なんです。感情的な経験でもあるし、網膜を通して目でみる経験でもあるし、肌で情報を得ている感覚でもある。とにかくアートの深い体験をするには、観察するというところから始める必要があります。

フェンバーガードームでの展覧会(2023年)




『降伏するような態度でアートを見る


——私たちが観察をはじめるとき、まずはどのようにものを見たらいいのでしょうか。大事なポイントはありますか。


ビジネスの世界ではタスク思考という、何か目的を達成するための見方があるかと思います。こうしたものの見方もある場面では有用だと思いますが、ディープ・ルッキングは真逆です。絵を見る前に結果を求めると、せっかく人間が持っている創造性を狭めてしまうんです。

アートを見るときには、私は「サレンダー(surrender)」という言葉をよく使いますが、降伏するような態度、あるいはすごく謙虚になるということが大事だと思っています。「これをやってこれを得るんだ」という気持ちをなるべく抑える、あるいはそれを捨ててアート作品に向かうという態度を推奨します。それがディープ・ルッキングの大事なところなんです。



——とてもシンプルなようで、とかく目の前のことから何かを得よう、答えを求めよう、と教育を受けてきた私たちにとっては、簡単ではないかもしれませんね。


まずは、何かを得ようとしている自分自身に意識的になることですかね。意識的になれば、今こういう考えしているんだ、ちょっと置いておこう、とできるので。それでもう1回作品に集中してみる。その繰り返しでいいと思うんです。すると、ロジカルな思考が少しゆるくなったり、そういうものから宙吊り状態になったりもします。

これはビジネス的にいうと、非生産的な活動です。もしかしたらすごく嫌な体験で終わるというリスクも背負います。そのリスクがなくて作品を見る前に答えがずらりと並んでいたとしたら、見る必要性がない気がしていて。いい作品とは、そういう意味ではたとえ自分に答えがあったとしても、見るたびにそれが一瞬で変わる。次に見たときはまた違う一面を見せてくれる。絵画や彫刻は動かないものだけど、私はやっぱりそれなりの新陳代謝があるものだと思っていて。作品に耳を傾けるということは、作品が持つ一種の生命を感じることかもしれませんね。


多津衛民藝館にあるディープ・ルッキングのためのコーナー



まずは1分から始めてみよう


——答えありきでものを見る自分の状態に気づくことも含めて、まずはしっかりものを見る。そうした機会を得るために、アートは良い対象ということでしょうか。


絵画は逃げないので。これ、すごくシンプルで当たり前のことなんだけど、深いと思いませんか?スマホで見るほとんどの情報って、映像や画像が多くてどんどん動いていくけれど、絵画やドローイング、彫刻って逃げないので、私たちの注意力に対してすごく親切なものなんですよね。


——なるほど。たしかにスマホの情報も自然の景色などもどんどん変化するけれど、アートは変化しませんね。実際にやってみようとなったら、まずどのぐらいの時間観察してみたらいいですか。


シカゴ美術館が2016年に出した数字では、観客が1枚の絵の前にとどまっている時間が28秒だったと言われているんです。だから1分間絵の前に立つだけでも、平均の約2倍なんですよ。まず1分から挑戦してみるのはどうですか。


——たしかに美術館で絵を見ていても、全体をなんとなく捉えて、パッと次の絵に移動しているときがあります。特に混んでいる企画展などでは、10秒とも前にいられないようなときも。


1分見ることができたら、3分、5分と時間を延ばしていく。すると最初は居心地の悪さを感じたり、退屈したり、ということは起こって当然だと思います。その気持ちを無理に変えようとせず、そういう状態であることを意識しながら見る。3回、5回と繰り返していくうちに、少しずつ観察をする筋肉は鍛えられて慣れてくると思うんですよね。そうすると、イライラからちょっと面白いかも、気持ちいい、どんどん見ていきたい、と変化していく。

フェンバーガーハウスでのディープ・ルッキング実践(2018年)





『わからないという気持ちを宙吊りにしてみよう


——イライラが起きたらストップしたほうがいいですか。それともイライラしても見続けることに意味がありますか。


イライラや嫌な気持ちが出てきたとしても、それを今こういう気持ちなんだと意識しながら見続けるのが大事だと思います。そういうノイズが入ってくるのは自然なことなので。とりあえず5分セットしたら、どういう気持ちが浮かんできても、5分間終わるところまでやりましょう、と私はいつも言っています。


——ここには何が描いてあるのだろう、この人は何が言いたかったのだろう、などとすぐに思考し始めてしまうんですよね。


そうしたことへの答えのなさから、イライラはやってくるのかもしれないですね。ステップ1は、作品を「意味」として、あるいは「名画」として見ないで、何か「もの」として見るということだと思います。大きさはこんな大きさだなとか、三角があって丸があるなとか、そのレベルから始めるのがいいと思います。


——なるほど、答えがないことを考え始めるから不安になってしまうんですね。わからない状態を宙吊りにしながら、目の前にあるものを淡々と見るイメージでしょうか。


先程も話したように、作品を見る態度も大事です。私はいつも作品に対して、「答えを求めていないよ」と優しい声で語りかけるような気持ちでいます。多くの人って威張った態度で作品の前に立つんですよ。よし、君は何を言おうとしてるんだ、答えを教えろ、みたいなね。そこを1回宙吊りにしてみようという提案です。


——耳が痛いですね。そうなると、鑑賞する前の心持ちも大切ですね。


作品に向かい合う前に美術館に向かう電車の中で瞑想していることもあります。あるいは、リラックスするとか、深呼吸をする。そうしたことでも良いです。観察した後には、体験の中で訪れた気づきやひらめきをメモを取ることもあります。






視覚情報を通して、内面世界へ入っていく


——観察をしていて、どのような気づきが訪れますか。


研究者としての視点で、作品に対して、今回はこういうことを感じた、ということもあれば、作品と無関係なことが頭に浮かんでくることもある。アートとは何か、という大きな気付きもあれば、場合によってはビジネスのアイデアなこともあります。


——作品を観察しながら、自分の心の内側も観察しているようなイメージでしょうか。


そうですね、どういう気持ちや感情が浮かんで来たかということに対して、セルフリフレクションができるとよりいいと思いますね。


——瞑想とも似ているようですね。


ディープ・ルッキングと瞑想は近い領域でもあります。ただ瞑想との大きな違いは、目を開いているんですよね。ほとんどの瞑想は目を閉じて、意識を内側に向けやすくしている。一方でディープ・ルッキングはビジュアル情報が目の前にあるので、目を開いたまま瞑想的なことをしているんです。だから、外に関心を向けると同時に内にも向けている。視覚情報を通して内面世界に入っていくことで、外を見て、内面に意識が向いて、また外に行って、内面を見るという循環が生まれている。そこが面白いんですよね。


——絵の情報を借りながら自分とやり取りする。ある意味ではサポートを受けてやっているような感じでしょうか。


そうかもしれません。絵と対話をしているような感じですね。


——観察する絵は、どんな絵でもいいですか。


もちろんどんな絵でもいいです。けれどディープ・ルッキングをさらに促してくれる画家や作品はあるように感じています。例えば水墨画はその一つで、元々中国ではその前に座って長く観察する道具だったらしいんです。だから当然観察するという行為を促してくれる。キュビズムも私はそう感じていますね。ピカソたちがやっていたことも、私たちの認識力を刺激するとか、混乱させるっていう意味があるので。

フェンバーガーハウスのディープ・ルッキングのためのコーナー(2014年)



『ディープ・ルッキングを体験してみよう


——ディープ・ルッキングをこの記事上で試してみたいのですが、読者の方にも観察してもらえる良い作品はありますか。


近代印象派の話に最初触れたので、例えば点描画のピサロはどうでしょう。具象性が残りつつ、描き方が面白くなっているんですよね。農民や風景を描いてて、パッと見ると優しい、入りやすい絵なんだけど、描き方をじっくり見始めると、色の情報がとても複雑で。まずはこの作品から始めてみましょう。





ロジャーさんにお願いして今回提示してもらった作品はこちら。

Camille Pissarro 《Haystacks, Morning, Eragny》 1899 The Metropolitan Museum of Art

註)作品の画像をタップしてメトロポリタン美術館の作品紹介ページにアクセスすると、作品の詳細まで拡大して観ることができます。



まずは、5分。慣れてきたら少しずつ時間を延ばして、観察してみよう。どんなことを感じただろうか。





次回は、観察しているときに出てくるイライラやモヤモヤした感情にもつながる、答えのでないことに耐える能力、ネガティブ・ケイパビリティについて、ロジャーさんに伺う。






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モノンクル編集部