京都市京セラ美術館「村上隆 もののけ 京都」には40万人以上(8月18日現在)の人が訪れ、同館の動員記録を更新中だ。日本美術への深い探究がベース。そして戦後この国のお家芸となったマンガやアニメのエッセンス。それらを巧みに高度に現代美術として昇華させ、世界が注目するアーティストであり続ける村上隆。そんな彼の京都での展示は単なる憧れの美しい観光都市京都を描いたりはしない。京都の歴史を現代美術で展開することに追い込まれたアーティスト村上隆と京都生まれの茶人であり、美術史家の千宗屋とが、展覧会が終わるまでに、これだけは言っておきたいあれこれ。
聞き手・文=鈴木芳雄
村上 今回の話は京都市京セラ美術館の高橋信也さん(同館事業企画推進室ゼネラルマネージャー)からいただいて、彼は森美術館で「村上隆の五百羅漢図展」(2015年)をやったときの担当者でもあったので、話だけは聞きますよ…と。なぜなれば、もう日本で展覧会するつもりはなかったので。
千 意外といえば意外でした。村上さんがこのタイミングで京都で展覧会をされたのは。
村上 まず予算のことで言えば、カイカイキキの方から、これくらいの予算が準備できれば実現できます、という数字を出させていただきました。それを、高橋さんがなんとかするという約束だったんですが、パンデミックに入ってしまい、その6割方を集められたけど、どうしましょうということで、1年間程、やる、やらないと、膠着状態が続きました。 パンデミックが3年目に突入した頃、僕も、気分的に鬱で弱気になってたので、まぁ、自分も京都にいるしやってみようかなと、己を鼓舞してスタートさせました。
千 それもあの村上さんの、各セクションでの言い訳の展示になるんですね。
村上 今となっては、喉もと過ぎれば熱さ忘れるですが、2023年の10月から開催の2024年、展覧会がオープンした2月の当初、そして、それが過ぎてからも、高橋さんや実行委員会の方々とは激しい攻防戦があり、かなり疲弊しました。その辺の一部を「言い訳ペインティング」で、発散させてしまった、と言うのがあります。
千 かなりの疲弊だったと拝察します…
村上 うちの展覧会のすぐ脇では、フランスのキュビスム展が、莫大な予算、特に保険代なのですが、それをかけて、日本に輸入されているのですが、日本人作家の村上隆においては、保険代がかけられないという、大変理不尽を感じました。なので、既存の作品を海外から運んでくるほどの保険がかけられないんだったらすべて新作にして、完成させず、完成直前の状態で皆さんにお見せして、それを言い訳ペインティングで補完するということで、保険代をゼロにして、展覧会を実行するという考え方に転換しました。
しかし、この実態を前例として、今後の日本の美術館が、現代美術展の基本にしてしまったら、いろんな努力、主にふるさと納税を使った制作費の収集などの努力が水泡に帰します。なんにしても、やりとりかなり凹みました。
千 そういう裏事情があったんですね。
村上 池に置いている彫刻作品の設営予算が無いという事で、ルイ・ヴィトンの現社長である、ピエトロ・ベッカーリさんに懇願し、その設営費をお願いしたところ、二つ返事で出してくれると言ってくださいました。しかし、出してくれると言われれば、それはそれで、予算の取り回しがややこしくなったのか、展示そのものを阻止するような動きも出てきて、その時には、本当に揉めに揉めました。
千 それが今回大変話題にもなった、ふるさと納税の返礼品としての展覧会オリジナルトレーディングカードへとつながっていくんですね。
村上 苦肉の策でした。ふるさと納税では、結局全部で数億円集まったと思いますが、そのうちいくらが私の展覧会に使われたかは知りません。
なんにしても、高橋さんはいつもヘラヘラニコニコしてすべてを吸収していました。現場はバタつきましたが、展覧会の内容的には最初から高橋さんの脚本で、僕が映画監督に徹します、という話になっていたので、高橋さんは、より一層その脚本を精緻に練り込んで書いてくださり、僕も新作を作るにあたっては、面白い挑戦になったかと思います。
千 だから今回の作風ってある意味、村上さんっぽくないなって。結構ベタじゃないですか。
村上 村上さんらしい、という、村上っぽさとは何か、ということを、過去の作品からご判断されているのでそのように思うかもしれませんが、私は『村上隆』という箱を作ることにデビュー直後、腐心し、それに成功したアーティストだと思っています。
例えば、その箱はある時は「スーパーフラット」というキャッチフレーズであり、ある時はアニメのキャラクターであったり、オタクカルチャーであったり、ということなので、その意味において、今回は村上の私淑している『奇想の系譜』ということが箱の1つであるということを軸にして、高橋さんから言われたテーマをこなしていったつもりです。
千 『奇想の系譜』と、《金色の空の夏のお花畑》などは花のモチーフを記号化、キャラクター化して金箔地に配置しているあたりは、琳派の系譜に位置付けられる構成ですよね。
村上 高橋さんからは、岩佐又兵衛の洛中洛外図屏風を模倣しろという具体的なオファーがありましたが、私的に、当初、抵抗感は強くありました。たくさんの人物画を描いた過去例が無かったので。それを2ヶ月ほど逡巡し、3ヶ月目にプロジェクトチームを立ち上げて約8ヶ月程かけて完成させましたし、今までの、村上隆とカイカイキキに無いような新作が出来たと思い、大変満足しています。
千 そこまで具体的な指示が(笑)。私はてっきり村上さんの辻惟雄先生へのリスペクトから来ているのかと思ってました。
村上 もちろん辻惟雄先生のリスペクトもありましたし、狩野山雪や伊藤若冲などは、過去に色々と模倣しましたけれども、又兵衛は初めてだったので大きな挑戦でした。
東京生まれの村上隆、京都生まれの千宗屋
千 村上さん、京都におうちを建てられたそうですね。今、週末はだいたい京都ですか?
村上 月に2回程しか帰れませんが、京都市京セラ美術館の個展の間は3日に1回、京都に通っております。
千 私の方は子どもがまだ小さくて、東京に家族がいる関係で、京都に戻っても限られた時間で用事だけバタバタ済ませていたので、村上さんの展覧会にも先日やっと行けた有り様です。今回久しぶりに鴨川渡って東に行ったなと思いました。
村上 私は、京都の人間ではないので、今回の展覧会をきっかけに、祇園祭や五山の保存会の方々と、親交を持つきっかけをつくっていただけて、とても感謝しています。「京都人」というのは5代続かないと、名乗れないと聞いているので、私の160〜70年後以上先が、「京都人」になれる、まぁ、第1歩ではないかと思ってます。
千 そんなこともないですが(笑)。江戸っ子は3代、京都人は5代ともいいますよね。ところで、あの川端康成は? 『古都』と『片腕』でしょうか。
村上 はい、その通りです。山田玲司さんという、ユーチューバー兼、漫画家の方の放送を見て、川端康成さんの作品は、ラノベ的文脈があるという事を知り、ならば、その当時のラノベ作家が、ノーベル賞を取ってしまったという、文化のミスコミュニケーションの捻れはおもろいなぁと。なので、川端が京都のお庭で腕を持っているというカリカチュアを描きました。
千 まあ川端の京都像は、本来の京都を捉えているというより、イメージの中の理想の、お花畑京都みたいな感じになってますもんね。京都人いうところの「よそさん」的京都。(笑)
村上 やはりそうなんですね。『古都』なんていう名前からして、外国人の目線ですね。外国の人が京都に来て、特にアメリカ人とかはホラーが好きだから、川端が片腕を持ってる図はうけるのでは?とも思いました
千 それに加えて絵の中の川端が腕をささげているところは、以前達磨シリーズの時に取り入れられた雪舟の《慧可断臂図》(国宝 齊年寺蔵)の、禅的なイメージも反映されているようにも見えます。それもまた外国人が好む京都コンテンツの一つであるという。その意味であの最後の展示室って、川端康成の『古都』があって、舞妓さんがいて、金閣寺があって、大文字五山送り火があってと、現代における京都イメージの集積なんですね。
村上 それから、最後の壁に市川團十郎白猿襲名披露祝幕の原画が展示されている。あれも高橋信也さんが欲しいとのことでしたので、展示させてもらいました。
千 團十郎の歌舞伎は江戸の文化の代表なのでどうなのかな、と思いました。でも京都には南座がありますしね。
村上 南座もあるし、そもそも歌舞伎は京都から始まったという説もあるので、筋は通っていると言われました。
千 まあ、たぶんその2つだろうなとは思いました。《洛中洛外図 岩佐又兵衛 rip》に歌舞伎踊りも出てくるし、ちゃんとつながってるんだなと思いながら。その意味でも今回の展示の全体で、京都の歴史を現代までたどるみたいな流れになってますね。
村上 見事、高橋信也さんの脚本の読み通りですね。
千 はい。まずプロローグで洛中洛外図、京都の町そのものを総覧し、次の部屋で一旦暗転、東に青龍、西に白虎、南に朱雀、北に玄武の四神相応が立ち現れ平安京の成り立ちや都市構成に思いをいたし、そこから美術史の流れをスタートして、阿弥陀来迎図あり、やまと絵屏風あり、狩野派あり、琳派があって、それで最後が現代のいわゆるアイコン的京都イメージの五山や舞妓さん、金閣寺、川端で締めるわけじゃないですか。だから、過去から現代につながる、京都の歴史のイメージで巡る構成にはなっているのかなと。
村上 作画中に、高橋信也さんが、何度か埼玉のスタジオに来て、特に締め切り間近かに洛中洛外図の中に村上のキャラクターを入れてくれと言い、大変困ったことがありました。
千 もはやそれって村上さんの作品なんですかね?(笑)
村上 先ほど申し上げたように、脚本は高橋信也さん、そして監督は私なので、協業だと思っております。
千 岩佐又兵衛 ripの間に高橋信也って入れておかないと。 安らかに眠れ…?!(爆)
村上 芸術の、特に絵画の描き方において、私は、協業がすごく大事だと思っているので、今回も、高橋さんの存在を強調しています。
千 すごい執拗に言ってる。
村上 私の作品の裏には、克明なスタッフリストが書かれています。なので、どの部位が、どういった人が監督なのかがわかっており、まさに映画を読み解くように、未来の研究者用につくられています。例えば、私のスタジオから独立した作家さんが、この時は村上のここの部分をやってたんだな、だからこういう絵なんだな、という絵の世界の関係性までわかるようにしているつもりです。
千 それでお花とか、風神雷神とか入り込んでるわけですね。
村上 お花の大きな彫刻も、絵の中に入れさせてもらいました。京都には、日本一大きな大仏もあったと聞いてますので、なので、そういうのもありかなと思いました。
千 「京の大仏」ですね。今の京都国立博物館の辺りにあったようです。文禄4年(1595)に豊臣秀吉の発願によって創建されました。大仏は4代目まで作られて最後は1973年に焼失しました。初代は木造だったようです。
村上 奈良の大仏よりも巨大とは!見てみたかったですね。
千 しかし翌文禄5年(1596)7月の直下型大地震、慶長伏見地震で初代大仏は崩れるんですよ。で、秀吉がそれにキレて大仏殿に乗り込んで、国を守るためにつくった大仏が国どころか自分も守れんのかって、崩れかけた大仏に弓矢を射かけたという逸話があります。
村上 験担ぎも国家レベルだとものすごいですね。
千 今でもあの場所にある交番は大仏前交番っていう名前です。又兵衛の屏風にも描かれた耳塚は残っていて、方広寺っていう小さいお寺と釣鐘だけそのまま残ってますね。
村上 そういえばオリジナルな釣鐘も制作して、一応完成したんですが、スペースが無く、本展では泣く泣く展示していません。
観光都市に潜むおどろおどろしい歴史
千 この絵(洛中洛外図 岩佐又兵衛 rip)の金雲にドクロが潜んでて、華やかな街の中にもののけの気配がするっていう感じですか。
村上 高橋信也さんがおっしゃっていたのは、観光地、京都は、そんなに綺麗な街ではなくて、ドロドロとした死屍累々が埋まっているということでした。そのムードを絵にしました。
千 私の父親が機会を得て、京都市の上空をヘリコプターで飛んだ時にびっくりしたと言うんです。上から見ると京都の町のほとんどがお墓だと。京都って町の碁盤の目のそれぞれの区画の中の一箇所はお寺があるんです。そうするとその区画の通りに面してるところは全部住宅が建ってますよね。でもお寺が一つあるということは、その裏は墓地でしょ。そうするとまるで墓地を守るように家がぐるっと周りを囲んでいる。そしてその様子は通りからは決して窺い知れないわけです。そういった区画の集積が今の京都の都市空間を形成しているのです。空から見ると墓を守るように家が囲むお墓だらけの町。
村上 そうなんですね。実は、うちの母親も、京都を大変気に入って、父母の墓を京都に作ることになりました。
千 京都は生者の街であると同時に死者の街でもある、いわばネクロポリスです。お墓によってできてると言ってもいいくらい。そもそも歴史が古いゆえにどこを掘っても何か出てくる。昔から人が住んでいる場所には当然お墓が増え続けますよね。亡くなると葬られていってというのは必然的なことですし。
ところで村上さん、このところ10年後は自分はいないとか、図録でもこの展覧会は生前葬などと言ったり、さかんに死を意識したような発言を繰り返されていますよね。
村上 親父が80歳を前にしてアルツハイマーになりました。自分は親父似なので、ああなって行くのかなぁと。そうすると、発症まであと10年しかないんです。まぁ、ボケても絵を描けるような工房をつくって、余命を生きていける駄賃くらいはもらえるようにしたいなって思っているので、1人で描いていける工房をつくろうと思っています。
千 村上さんはゆくゆくは京都を拠点に、骨を埋められるおつもりですか?
村上 そうなるといいなとは思っています。京都は、大変気に入ってます。特に風景と、空気の湿潤な感じが、僕にはとても合っています。そして、意外かも知れませんが、京都はニューヨークにも似ているのです。人々が街にプライドを持って、世界で唯一であるという気持ちが、強力なアイデンティティを構築している。そのひとり、お仲間になりたいと思っています。
千 なるほどね。京都の人は意外に新しいもん好きでもあるので、村上さんのお出ましを結構喜んでるように思いますよ。
村上 そうだと良いのですが…。死ぬまで謙虚に生きて消えて無くなりたいです。
千 村上さん的には、京都に対して今後ともよろしく、みたいな。今回の展覧会は、いわばご挨拶興行なんですね。
村上 京都に私の工房を設立して、それが出来たら、その先にはスーパーフラットミュージアムという、漫画、アニメから現代美術まで、幅広くコレクションしている、私のコレクションを元にした、美術館も作りたいと思っています。
千 それは楽しみなプランですし、京都にとってもこの国にとっても意味のあることだと思います。今後とも、京都でも東京でもよろしくお願いします。
会期|2024年2月3日(土) – 9月1日(日)
会場|京都市京セラ美術館 新館 東山キューブ
開館時間|10:00 – 18:00[8/23 (⾦), 30(⾦), 31(⼟)は10:00 – 20:00]入場は閉館の30分前まで
休館日|月曜日
お問い合わせ|075-771-4334
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