坂田 夏水さん (空間デザイナー)

「やるかやらないか、やる!」
私の進むべき道は決まっている、私は「人の役に立ちたい」のです。

1980年生まれ。2004年武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。
アトリエ系設計事務所、工務店、不動産会社勤務を経て、2008年に空間デザイン会社として夏水組設立。女性の視点によるリノベーションや内装デザインで注目される。その他、商品企画のコンサルティングやプロダクトデザイン等を手掛ける。座右の銘は「やるかやらないか、やる!」。フランス在住。


私のキャリアのスタート


建築・インテリア業界に身をおき、ありがたいことに「空間デザイナー」と紹介していただくことも多いのですが、実は私のキャリアのスタートは決して胸を張って言えるものではありませんでした。大学進学する前は、「人の命を救う仕事がしたい。人の役に立ちたい」と思っていたものの、医療の道を進むには色々と厳しい条件も多かったため、高校時代の先生と相談して“なんとなく”選択したのが、現在私が属している建築の世界に関わる学科だったのです。

結果的にデザイン系建築科に進学した私ですが、学生時代に熱を入れていたことは“大学の講義での勉強”ではなく、国内外問わずバックパッカーとしてのあちこちへの旅行。特に数多く訪れていたのは沖縄です。毎年テントを持って出掛けては、海に身を委ねていました。海の中の“色彩溢れる世界”が好きだったんですよね。今思うと私がデザイン、建築の道を選択したのは”絵を描いたり色を塗ったりするのが好きだったこと、色彩に魅せられていたこと”だったのかもしれません。後付けの理由かもしれませんが…。

そんな学生生活を送った私ですから、就職する時にはあたりまえのように「さて、どうしよう」となったのですが、ありがたいことに当時のアルバイト先だったアトリエ設計事務所の社長から、「これから大きなプロジェクトがあるからうちに来るかい?」と声をかけていただいたのです。「喜んで!」と最初の就職先はすぐに決まりました。今思い返しても、私はとてもラッキーであり、ハッピーだったと思います。



現場の仕事が教えてくれたこと


入社したアトリエ設計事務所での日々は、アルバイト時にある程度知っていたつもりでいたものの、実際は想像以上に刺激的でした。この設計事務所は、当時著名な建築史家のプロジェクトに参画していて、建築業界で新人時代をスタートしたばかりの私もその中に入れていただけたのはとんでもない宝物のような経験でした。その建築史家が主導する「建築に自然を取り込む」手法、例えば、石や土などの自然素材で建物躯体を覆ったり、ときには屋根や壁から植物を生やしたりといった自由自在な発想を目の当たりにできたことに加えて、彼の周りで働くスタッフたちがまるで友人関係のように進めている仕事環境をリアルに体験できたことは、仕事であるにもかかわらず夢のような現場だと感じていました。私が「仕事(キャリア)」について当初ネガティブに感じていたものとは全く別のものだったからです。

「夢のよう」とはいったものの、もちろん大変なことも多かったですよ(笑)。土壁を塗ったり、金箔を貼ったり、なにせ自分で手を動かすが故に時間がかかります。休みもないし、眠る時間もなかなか確保できない。ですがそんなことより、このような大変な作業をしながら、今自分が携わっているこの「場」に住まおう、施設を使おうとしている方々のお手伝いができているということを考えると、その喜びの方が優っていたかと思います。

そんな感じで毎日作業に勤しみ、泥まみれ、埃まみれで過ごして(これ、実は言葉通りなんです…)いくうちに、「どうして建築家は工事の見積もりを作ることができないのだろう」と感じるようになったんですね。通常は、建築家は設計をするけど実際の工事は工務店の仕事。「どんな資材を使って、どんな専門職人にお願いして実際にどう工事を進めていくか、まで関与できれば、見積もりの内容にもっとコミットできるし、設計についてもより自由な発想と選択肢を持てる、つまり施主さんともっともっと良いものを求めて一緒に議論できるようになるのでは?」、そんな疑問めいたことが私の中で湧き上がってきていました。そしてまさにそんなことを考えるようになっていた時、次のキャリアステップに進む言葉を与えてくれたのは、またまた事務所の社長でした。「工務店での経験を積んでみたらどうですか?」と。

かなり時間を要しましたが、結果として運よく次なるステップ(職場)となる工務店に出会うことができました。さっそく新しい環境に進みましたが、現場監督として、設計、施工、現場管理、見積もり、営業、契約まで、徹底的に学ぶというミッションは、さらに忙しくなる、時間がなくなるということになります。そんなわけでこの工務店でのお仕事もまた前職同様に休日返上の日々でした。ですが、今もお付き合いある職人さんとの出会いの機会を与えていただいたのもこの時だったのです。充実した毎日で全く不満もなく、不安もなく、ただただ仕事に邁進していたかもしれません。転職先の工務店は徹底的な現場主義で、実績を上げると給料に反映されるシステムでしたので、忙しくても成果分が“可視化”されました。私は別にお金至上主義者ではありませんが、このシステムのおかげで「コスト(人件費)」についても意識するようになりました。そして当初の疑問を解消するように、施工に関しての流れや費用について、どんな建材があって技術があるか、それを叶えるためにはどんな職人たちと組んだらいいのかまで一本化した業務の流れを考えることができるようになりました。

狙い通りに経験を積んだ工務店生活でしたが、シンプルにわかったことは、「この立場ではお客さまと直に接する機会がない」ということでした。設計施工の工程で大切にしている想い(技術に裏付けされた)は、お客さまに直接届けられないのですよね。今度は「不動産業界という壁」の高さにぶつかることになってしまったのですよね。ようやく一つの壁を越えたというのに…。お客さまにとって本当に住みやすい家とは? 家のあり方とは何か? を直接知らせたい。なのにそのアイデアをお客さまと直に対話することができないというジレンマ。工務店での仕事に没頭し、楽しくなってきたからなのでしょうか、さらにもどかしくなりました。アトリエ設計事務所で依頼人のもとデザインを理想的な形として描き、それだけでは解決できないことに課題を感じて工務店へ。そしてそれを実現するためにはどのような工程や費用、実現できるスタッフがいるかを学び、しかし実はそれだけでは解決できないものがあるということに気づいてしまったのです。「家を売る」というミッションを持つ不動産業界、ハウスメーカーが価格を抑えるために(それはお客様にとっては大切なメリットのひとつではあるけれど)、お客さまの多様な生活スタイルに対して一律同じような建材での「商品(家)」をおすすめしてしまう慣習がいいのか、いやそうせざるを得ないこともわかるけれど…、そんな強い葛藤と問題意識が私の頭を離れませんでした。そしてついに不動産業界に飛び込むことになります。



建築業界を網羅


改めてお伝えすると、建築業界といっても様々な役割の方がいらっしゃいます。ちょっと乱暴ながら区分してみるとこんな感じにわけられるかと思います。

1)不動産会社(ハウスメーカー)、デベロッパー
2)工務店、ゼネコン(例えば長谷工や竹中工務店など)
3)設計事務所

不動産会社やデベロッパーは不動産の開発業者のことをいい、工務店やゼネコンは実際の工事をすべて請け負う専門業者のことをいいます。どの業界も似通ったピラミッド構造があるとは思いますが、予算を持って発注する人が一番強い(偉い?)、いや、お客さまに一番近い立場の人が一番強いという言い方が正しいかもしれませんが、そんな商慣習が建築業界には感じられました(私にはそれが納得できなかった)。

私は建築事務所からキャリアをスタートし、そこで稀有な経験をさせていただき、依頼主であるお客さまのつくりたいものにかかる費用を理解する必要があると考え、工事/施工のことを学ぶために工務店に足を踏み入れました。そこでも建築の神様は許してくれなかったのですよね。次に学ばなきゃと思ったのが不動産業界、それは私にとってマストな選択となったのです。 ちょうど当時、誰もが知っている世界中を騒がせた大きな時代の変わり目もあり、その不動産会社をわずか半年で去ることとなり、結果的に28歳で私は独立しました。もともと独立は意識していたこともあり、このタイミングは必然の選択だったといいつつも、実は心の奥底ではとても迷っていました。がしかし、私が目指したいあるべき会社の姿への想いは明確であったことが前に進む原動力となりました。それは、「お客さま(エンドユーザー)が本当に求めている暮らしに寄り添うこと、そのお手伝いをして彼らに幸せになってもらうこと」です。

子供の頃からの「人の役に立ちたい」という想いが、別の形でありながらも自分の人生の中で具現化されたのかもしれません。加えて、私はそれまでの経験の中で仕事を共にした職人の方たちの想いを引き継ぎたいという気持ちもありました。だからこそ、これらはすべて修行の期間に時間を共にした彼ら/彼女らからの学び。遠回りしたかもしれませんが、私はやりたかったことを実現できるステージに立ったのかもしれない、そんなふうに感じました。私はやっぱりラッキーなのかも(笑)。

またプライベートも次のステージに進むことになりました。それは出産です。独立して4年目でした。あんなに仕事漬けだった私が仕事をセーブすることを考えるようになったのは今思い返しても不思議な感覚でした。母性なんて簡単に言ってはいけないかもしれませんが、それ以外の言葉は見つかりません。



リアル店舗での挑戦


工務店時代からいくつかリノベーション的なことはやってきていましたが、リフォームの仕事もまた新鮮な経験でした。その際、「廃材」と判断されながらもまだまだ活用できる資材をどう活用するかというテーマも私の中の課題としてあり、職人の方たちがせっかく生み出したものを「廃材」と呼ぶのはいたたまれず、いつか使える「資財」として廃棄せずにすべてを保管することにしたのです。時はDIY「Do It Yourself」ブーム到来の頃でした。 ちょうど子育てのタイミングで、これら保管した「資財」を販売する拠点を作ってみよう、そんなふうに思って実現したのが「Decor Interior Tokyo」でした。

現場仕事は厳しくとも、お客さまに向き合いながらこれらの資財の活用を提案する仕事なら子育てしながらできるのではないか、と。いやシンプルにチャレンジだとしか言いようがないのですが、現実問題として私が捨てきれなかった「資財」の倉庫費用が逼迫していたことも後押しとなっていました。また、旅好きの私が海外の訪問先で感じていたことは、「家という場所を豊かにするのは“女性”」だという体感。もちろん大型工具を使ってとなると男性の助けも必要ですが、プチDIYの視点というのは女性が主役。だから私は日本においてもプチDIY、女性視点で住まいを豊かにする提案ができたらいいな、と思っていたのです。もちろんこの想いは今でも続いています。家のこと(暮らす場所や空間という意味で)には女性も参加して考えるべきだと私は思います。一緒に作り上げるのが本来の家族の形。それを提案するリアル店舗をスタートさせました(店舗は今年7月31日をもって閉店しました)。

パリへ移住、その後


その後の「夏水組」での仕事を通してのキャリアは、多くのメディアでも取り上げていただいているので割愛しますね。またパリに移住してからのことは、「MONONCLE」での連載記事に紹介されています。ここではそこで紹介していなかったことを2つほど。

まずは移住後の子育てについてです。子供たちには多くの選択枠を持ってもらいたかった。もちろん日本でインターナショナルスクールに通わせることも考えましたが、リアルにその場に身を置いて「考える力」を身につける術はないものかと。これは私が考える住まいづくりと同義なのかもしれません。“誰かがお勧めする何かよりも自分で考えて選択してほしい”と。その想いを叶えてくれたパートナーである旦那には感謝しかありません。今、移住して2年半、上の娘は12歳になりました。実はこちらに来てからちょっとした変化を感じるようになりました。彼女は何かしらの折に、私にカードで想いを“自発的に”伝えてくれるようになったのです。それは感謝の言葉であったり、本人の想いであったりもしますが、これはきっと日本ではなかったコミュニケーション手法になったのではないか、と思います。また、バカンスの合間での旦那の実家でのこと。先代から受け継がれてきたrecipeが書かれたノートを見ながら皆で話をする機会がありました。義母が、このrecipeを継ぐのが私であること、そしてその後は娘がこれを引き継ぐと話したんですよね。この時に娘が「私なんだね」という内容の発言をしていて、長い間受け継がれてきたものに対する想いを、彼女が理解し始めたのではないかと感じました。私は何も教えていません。彼女が自分で体感して学んでくれているのかもしれません。そうであれば嬉しいことです。彼女は私の動き(生きる場所も含め)と共に生きてくれたのですが、下の子よりも苦労をかけたのだと思います。暮らす場所で言っても都内から北九州、そしてフランスへと。娘にも感謝です。

もう一つは、私自身の変化です。環境が私を変えたのかもしれませんが、日本で暮らしている時と比較して、生活の豊かさや消費に対する責任ということをさらに意識するようになりました。食材を買う時には必要なものを必要な分だけ購入する、引き継ぐことができる衣料品であるかを考える、例えばAmazonのようにスピード感ある購入方法が本当に必要か精査して発注するなど、消費行動が変化しました。これは環境がもたらした変化かもしれませんが、気づけば日本と異なる消費行動をしている自分がいました。あわせて、このような考え方(詳しくはこちらのコラムに記しています)が建築デザイン業界における日本とフランスの考え方の根本的な違いであると体感できたのだとも思います。



何があるかわからない、やるかやらないか、だったらやる!


いつも自身で積極的に判断するのではなく、とても恵まれた環境の中で次の一手を探しながら歩んできた人生です。今もまだ正解が何かわからないままパリに移住して、今また次の一手を探しています。だからどの道を行くか迷うことがあっても、悩みはしません。私の道は決まっている、私は「人の役に立ちたい」のです。

世界は広いです。自分の力が活かせる場所、出来事は限られた場所から選択するものではありません。思わぬところから見つけることができるかもしれない。だから妥協してほしくありません。決められたもの、敷かれたレールを進むのは簡単ですが、未来のレールはそこから続いていないかもしれない。だとしたらはみ出したらいい、乗り換えたらいいのです。誰かに任せるのではなく、(建築で例えるなら)予算から選択するのではなく、与えられた資材やカラーから選んでとかではなく、とことん自分で選べばいいのです。まずは自分で選択してやってみる、家、住まいというのは人生において本当に重要なファクターだと私は思います。だからこそ妥協してほしくない。このくらいのお金しかないからとか、限られた選択枠だからと諦めてほしくないのです。とことん話し合いをして、自身が納得してほしい。だって、そこに住まうのはあなた自身なのですから。そして、それがあなたの生き方ですから。

今の私の新たな目標は、日本人である自分のライフワークとして、日本の優れた建材や職人さんたちを紹介していくこと。まだまだこの道のりは長いかもしれないけれど、「やるかやらないか、やる!」が私のモットー。ここ“パリ6区片隅の日本”でこれからも頑張ってみたいと思います。

皆さま、またお会いしましょう。

インタビューを終えて…


夏水さんと連載企画でご一緒してきましたが、初めて現在のキャリアの前の話を伺ってとても共感しました。人はいろんな人と出会って作られていくこともあるし、高校時代の進路で明確に何かに…と思うのは難しいですよね。彼女が構築してきた時間はとてもクリエイティブなものであって、それがまたパリという場所で新しいステージにあること。今の課題をクリアして次の課題を見つけて邁進している姿、たくましさに感動しました。そしてそれをサポートしている多くの仲間たちのことも。彼女のこれからについて、ぜひ追いかけたい。いつも応援しています!【M】




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