新谷雅弘 《『ポパイ』表紙レイアウト原稿》 2023年(再制作)と『ポパイ』 1978年6月10日号表紙 ©︎マガジンハウス ®Hearst Holdings,Inc.

40歳以上の人なら、自分のテイストやセンスを育ててくれた雑誌があるのではないだろうか。現在、公立美術館のディレクター(館長)を務める保坂健二朗も小学生からの雑誌人間だった。成長につれて様々な雑誌を手に取ったが、その雑誌遍歴の裏方にある人物がいたことに今になって気づいた。それは新谷雅弘。『アンアン』『ポパイ』『ブルータス』『オリーブ』などの創刊を手がけたデザイナーだ。そんな新谷の展覧会が開催されている。展覧会のプロ、保坂はこう思った。雑誌は展覧会だ。で、展覧会は雑誌なのだ。  

私(1976年生まれ)は雑誌で育った。物心ついた時から、休みの日は家の近所の書店で数時間かけて新刊雑誌を立ち読みしていた。小学生の時に好きだったのは『アニメージュ』や『サッカーマガジン』、そしてなぜかヨットやボートを紹介する『KAZI』である。中学生になると、車やバイクの雑誌をかたっぱしから手にとるようになった。『Men’s Club』を本屋で読むのは10代前半としてはちょっと気恥ずかしかったので、それは図書館でこっそりと見た。ただ男性ファッション誌だけだと図書館まで来る意味がないような気もして、アウトドア情報誌の『BE-PAL』や『CQ ham radio』というアマチュア無線の雑誌も手にとった。雑誌を通して、普段は触れようのない世界を知り、まだ定まらぬ自分の将来を思い描いていた。

高校生になると、アルバイトをして自分の自由になるお金を持てるようになった。わずかばかりの収入は、デート代、バイクのローン、そして雑誌に費やされた。当時買っていた雑誌は『アンアン』と『オリーブ』と『ブルータス』だった。『ポパイ』はちょっと軽薄に感じていたからか、買った記憶はない。マンガ雑誌は意地でも買わず、電車の網棚から拾っていた。網棚に『アンアン』があればよかったのだが、見た記憶はない。

自分が買っていた雑誌のラインナップからすると、私は、マガジンハウスの強い影響下で育ったということでもある。でもそんなことは当時はわかっておらず、最先端の情報を手に入れ、他人(あるいは異性)と話をするためには、それらを読むべきと思っていた。様々なカルチャーにいっぱしの関心を持つようになった高校生は、雑誌以外にも関心を示すようになっていった。数年前にはその名前を知っているだけで大人になれた気分だった椎名桜子のことなんてすっかりすっかり忘れて、鷺沢萠や如月小春の書くものを追いかけるようになっていった。立ち読みをするにしても、渋谷PARCOの地下の書店で『ストリート』を手にとるという感じで、それは大学生になると、『CUT』『STUDIO VOICE』『装苑』『SPUR』『marie claire』を読むようになることへとつながっていったのだろう。

高校生時代、買った雑誌はとても大切で、家に持ち帰ったら文字通り隅々まで読んだ。それは、今日の私たちが、今はっきりとわかっているわけではないけれどもちょっとした目的はあるはずだという自分へのエクスキューズのもとにスマホを眺めているのとそう変わらない。ただ、雑誌には手触りがあり、リズムがある。憧れを誘発する華やかさに満ちあふれたカラーページ。それに対して、知的好奇心を(あるいは、それが発生する以前の、猥雑さをどこかで好む人間の心理を)刺激する文字だらけのモノクロのページ。そんな対照的な世界が共存しているのが雑誌の魅力の根源である。そしてそれゆえに、雑誌は極めて強い磁場を持っている。私にとって、特にその磁力を感じさせてくれたのが、『アンアン』であり『オリーブ』であり『ブルータス』であった。

その磁力を発する基礎が、ひとりのアートディレクターによってつくられたものであるとは、恥ずかしながら私は、今回の展覧会が開催されるまでわかっていなかった。「an・an」や「BRUTUS」という題字と、それらの雑誌の初期におけるアートディレクションが、堀内誠一という人物によって手掛けられていたという事実は割と早くから知っていた。けれどそれだけで満足してしまい、もっと深く知ろうとするのを怠っていた。雑誌の影響下、アートに携わる学芸員という仕事に就いたのに、しかも今や美術館のディレクターというポジションにすら就いているのに…… これは反省しなければならない。そう思った私は、島根県の松江まで飛ぶことにした。

「『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」カタログより 「新谷雅弘の『アンアン』」

正直に言おう。意気揚々と島根県立美術館へと足を踏み入れ、会場の入口まで辿り着いた瞬間、私はかなり心配になった。

「『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」展示風景

そこでは、シンプルな仮設壁に、「『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」というタイトルが掲げられていた。これ自体は展覧会の定石だけれど、なぜかそこに矢印が貼られていたのだ。赤地の円形に白抜きの矢印、しかも壁からちょっとはみだしている。あまり洗練されていない感じがする。それだけではない。タイトルはなぜか赤い紐で囲われていて、その紐が宙を渡って別の壁にまで延びている。そしてなんと年譜のパネルの中をうねうねと進み、どんどん先へと続いている。不安だ。この展覧会は、マガジンハウスの雑誌とともにあった私の青春を、あのキラキラの方を、思い出させてくれるのだろうか。

あまりにも不安になって、私は、ひとつひとつを詳しく見ることは後回しにして、とりあえず会場を最後まで駆け抜けることにした。『アンアン』がたくさん並んでいた。その流れで『メイド イン U.S.A.』が登場し、『ポパイ』が続いていた。そして『ブルータス』と『オリーブ』。これらは十分なボリュームをもって展示されていた。その後にやって来たのは『マッツ』。これは少なめである。知らない雑誌であることに申しわけなさを感じたが、未知のことを知れるようになるのも展覧会のよいところのはずだ。

「『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」カタログより 『メイド イン U.S.A.』『メイド イン U.S.A.-2』の項目
ちなみに、文章のブロックとブロックの間を、罫線ではなく三点リーダ (・・・)の連続でやわらかく区切るのは、新谷の発明とされている

「『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」展示風景

『マッツ』のコーナーの向かい側には、安西水丸、ペーター佐藤、原田治という、新谷とともにパレットクラブを起こした面々のイラストが見られる空間があった。美術館の展覧会としてはやはりこういう展示は必要だ。

「『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」カタログより 「パレットくらぶ」集合写真 後列向かって右が新谷雅弘。時計回りに原田治、ペーター佐藤、安西水丸

『鳩よ!』の表紙に使われた安西水丸の原画とともに、新谷によるレイアウト指定紙が置かれているのは、人によってはたまらないだろう。そして、その直後には、新谷の仕事は雑誌だけではありませんよ、彼はマガジンハウスの仕事ばかりしているわけではありませんよと注意を促すがごとく、教科書『小学生の国語』『中学生の国語』(ともに三省堂)が、厳かにケースに入れられていた。そして最後の最後、会場出口の傍では、展覧会会場の模型が置かれるとともに、赤い紐の種明かしがしてあった。その解説に曰く、あの謎の赤の線は、アーティスティックディレクターや編集者が編集段階で指示をいれる際の、赤ペンによる文字や線の書き込みからとられているのだそうだ。

「『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」展示風景

なるほど赤い線にはそんな意味があったのかと、ほっとした。また、今や私は会場全体を見渡した視点を持ち得ているので、あの赤い紐がなければ、この展覧会は普通の(ちょっと教科書的なところのある)展覧会になってしまっただろうと合点がいった。そしてさらにこうも思った。これって、編集後記みたいなものではないか、と。ある号の編集のコンセプトを冒頭で伝えることなく、最後の最後の編集後記で、苦労したことやスタッフへの感謝の念とともにさらっと伝えてしまうあの感じだ。そして、そのことがわかった刹那、自分のした行為、つまり、頭からひとつひとつをじっくりとは見ずに、とりあえずさあっと全体を見渡してしまう行為が、まさに雑誌を読む時の自分と瓜二つではないかと気づいた。

そう、この展覧会は、徹頭徹尾雑誌的につくられているのである。
たとえば、『アンアン』を紹介するコーナーでは、雑誌という小さなスケールのものが大量に並べられるとともに、大きく引き延ばされた写真が置かれている。しかもその写真は、横一列に並べられるわけでもなければ、コの字状に、つまり部屋をつくるかのごとくに配されるのでもなく、微妙なカーブを描くように設置された壁に貼られている。そしてまた、そこここに解説のための文字が置かれているのも特徴だ。しかもその文字は、きちんと組まれたものもあれば(それは客観的見地から書かれていて、いかにも解説である)、手づくりの吹き出し型パネルに手書きで書かれたものもある(それは往々にして個人的見解である)。壁の小口面にこっそりと忍び込まされた解説もあって、これなど、普通の展覧会だと、見落としてしまうではないかとクレームをつけたくなるかもしれないものだけれど、でも、雑誌によくある、誌面と本文版面とが生みだす余白に置かれたコメントのようなものだと思えば、愛らしく思えてくる。

と、このように、サイズの大小、意味の軽重、そしてリズムの緩急がつけられている点において、この展覧会は、優れて雑誌的なのである。そして、この場を借りて言っておけば、ここまで細かい配慮の上につくられた展覧会というものを日本ではあまり見ることがない。その意味でも、非常に貴重な展覧会だ。

途中に数カ所、異質なものが入るのもまた雑誌的だ。異質なものとは、ラジオやシャンプーのボトルやカメラといった三次元的な製品のことである。

「『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」展示風景 ソニー《ウォークマン》(初代)の実物も

それは実際には、『アンアン』や『ポパイ』に掲載された広告の製品なのだけれど、その製品を実際に展覧会の中で紹介するという方法自体が、雑誌における広告の在り方をなぞっている。
しかもややこしいことに、それらの製品は、ナショナルの《パナペット クルン》や富士写真フイルム(当時)の《FUJICA HD-1》など、いわゆるプロダクトデザインの展覧会でもきちんと主役のひとつを張れそうな代物なのだ(ちなみにHD-1は、先日世田谷美術館でも回顧展が開催されていた宮城壮太郎が、浜野商品研究所にいた頃にデザインした逸品)。それを展覧会の中にある程度のボリュームをもって組み込むというのは、結構なリスクがある。でもそれをこの展覧会はしてしまう。それは、展覧会を雑誌的にすることを、ひいては、雑誌とはなんであるかを来場者に体験してもらうことを心底目指しているからだろう。

「『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」カタログより 右ページ上が《パナペット クルン》、左ページのカメラのうち下が 《FUJICA HD-1》

製品といえば、ナイキのコルテッツなど、アメリカのライフスタイルを伝えるアイテムも展示されていた。これは、新谷がほぼ全ページのデザインを担当した『メイド イン U.S.A. (1号は1975年、2号は1976年)が、今なお続くビームス(第1号店は1976年2月にオープン)の商品セレクトに大きな影響を与えたこと、そしてそのビームスが一般に知られるようになったきっかけは『ポパイ』の第4号の記事であったことを紹介する中での展示構成である。このあたりの雑多な感じも、いかにも雑誌らしい。

「『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」展示風景 ケース中央奥にナイキ《コルテッツ》

私はこの展覧会を実際に見るまで、そこでは、自分が青春時代に『アンアン』や『オリーブ』や『ブルータス』で感じたあのキラキラ感を追体験できるのだと勝手に想像していた。でも、違った。そこではもっと大事なことが明らかにしてあった。それは、キラキラを取り去ってはじめて見えてくる、雑誌の真髄とでもいうべきものである。
その意味でこの展覧会は、単なる新谷の個展なんかではない。「実際にはマガジンハウス(旧平凡出版)の展覧会じゃないか」という批判もあたらない。これは、紛うことなき雑誌の展覧会である。もっと言えば、雑誌の展覧会であると同時に、雑誌(の論理)による、そして、未来の雑誌のための展覧会であるのだ。

そのことをよく示す言葉が、会場内に忍び込んでいた。それは、「ひとの頭が雑誌のようなら、雑誌は可能である」という、ちょっと哲学めいた命題である。この言葉を目にした/耳にした人は、きっと、「そのように述べるあなたは、わたしたちの未来をどのように感じていらっしゃるのですか?」と聞きたくなるだろう。あるいは、前提部分を自分ならどのように捉えるだろうかと、しばし黙考してしまうだろう。

この言葉を発した張本人であるところの新谷雅弘は、現在、父母の出身地でもあるという、島根県は隠岐諸島の海士町(あまちょう)に住んでいるのだそうだ。島根県立の美術館で彼の個展が開催されたというのは、それゆえなのだろう。興味深いのは、その海士町で、近年の新谷が『amaie』『Ama Press』なる雑誌を妻とともに刊行しているという事実で、そのことはもちろん展覧会で、さらっとした形ではあるが紹介されていた。
たとえば『amaie』(2018年創刊、2号まで刊行)は、「地産地消にも役立つ、提案型・参加型・研究型の雑誌にしたい」とある場所で新谷が語っているように、やわらかくあるようでいてやわらかすぎない内容となっている。また『Ama Press』の方(2019年創刊)は題字が印象的で、これはなんでも、パウル・クレーのバウハウス時代の講義ノートから一文字一文字を別個にひろってつくったのだそうだ。

パソコンやAIを使えば、情報収集はもちろんデザインだって簡単だ、そう思われている時代においてだって、あるいはそうした時代においてこそ、雑誌はそのメディアの特性ゆえの重要性を持つ。そんなことを実践的に証明するべく、新谷は今もなお、島根県のある島で雑誌づくりを行っているのだろう。
そして今回、雑誌ではなく、展覧会という形式を通じて、その真髄を私たちに教えてくれようとした。しかもそれは、私のような展覧会に普段携わる者にとっては、展覧会のアップデートを考えさせてくれるものでもあった。
私としては、本当に、感謝の気持ちしかない。ありがとうございます!

『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事

会期|2024年6月28日(金) – 9月2日(月)

会場|島根県立美術館 企画展示室

休館日|火曜日[ただし 8 /13は開館]

開館時間|10:00 – 日没後30分[展示室への入場は日没時刻まで]

 

■トークイベント「POPEYEはどのように生まれたのか」 

登壇者|石川次郎氏(編集者)×新谷雅弘(デザイナー・本展監修者)

日時|8/24(土)  14:00-15:30

会場|島根県立美術館 ホール[190席/13:30開場]

聴講無料・当日先着順

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