美術史の豊かな知識を土台にして、当代一の画力を武器にどこにもない絵を生み出す。そんな人気画家、山口晃ガハクは夫婦揃って食いしん坊。日常で、旅で、制作中の日々で、散歩の途中で何を食べてるの? ガハクが日常を描くコミックエッセイ『すゞしろ日記』に「カミさん」として登場するガハク妻による食事帖。 ある日、お気に入りのコーヒーミルを入手した頃から、すっかりコーヒー党になってしまったガハクなのだった。  

 

絵/山口晃

案の定、120%の予想通り、2年ほど前に入手したコーヒーミルはほぼ使われることはない。
登場しない一番の理由は「掃除が面倒」だからであって、豆を挽くこと自体はやぶさかではないけれど、やはり時間と心の余裕を保つのはなかなか難しい。
このコーヒーミル、うちにあるものの中で心から気に入っているもののひとつに数えられるくらい美しい形状で、台所にインテリアとして飾っておきたくもあるが、油っぽいホコリをかぶってしまいそうゆえに、丁寧に箱にしまわれて棚の茶葉&コーヒー粉(常備しているのは豆ではないんです・・・)保管コーナーの奥に隠れている。
なので、その分登場してきた時のありがたさは増す。年に一度のご開帳のようだといえなくもない。
このような素敵な製品が今うちにあるのも、購入時に山口ヒゲ画伯こと夫(以下ガハク)が強いこだわりを示してくれたおかげだ。ガハクへの感謝の気持ちと共にその時の談論のことが思い出される・・・。

以前は知人にもらったお古の電動式コーヒーミルを使っていた。コーヒーはめったに飲まなかったのでフル稼働していたわけではなく、たまにお土産などでコーヒー豆をいただいたりするので必要だったのだ。
お下がりだけあって性能は微妙で、作動時に響き渡る工事現場レベルの音は仕方がないとしても、右へ左へと傾けて調整しないと豆が挽かれず残ってしまう上、水洗い不可という品で不潔なのではという懸念があった。
そんな折、例の新型ウイルスの流行によって在宅が多くなって休憩時にうちでコーヒーを飲むこともままあり、ひとつコーヒーミルを新調しようではないかということに。
わたしも詳しくないので、ウェブにてリサーチを始める。まず重要視したのは手入れのしやすさ、それから操作も容易で、適度にリーズナブル、外見もほどよくおしゃれで、狭い台所においても邪魔にならないサイズ・・・ という条件で絞り込んでいった。
「これでどうかな?」
すっきりシンプルなデザイン、容器は透明で挽いた粉の量が分かり、刃の部分は摩擦熱を回避できるセラミックの手動タイプ。じっくりウェブサイトで調べた上でPC画面を見せたのだが、たちどころにガハクは不満げになってしまった。

「何これ。プラスチック?」
「中身が確認できて便利でしょ」
「便利っていってもプラスチックでしょ。安っぽくない?」
「掃除もしやすいし、機能性が重要かなと」
「機能はいいとして見た目はどうなの」
「そこまでカッコ悪くないと思うけど」
「あのさ、これが台所で目に入ってきて幸せな気分になれるわけ? こんなちゃちな質感でいいの? 調味料入れじゃなくて、コーヒー豆を挽くんだよ。少しばかり贅沢な時間を作り出すための道具なんじゃないの?」
ガハクは提案された製品のデザインがよほど気に入らないらしい。
確かにそこまで言われると返す言葉もないが、さんざん時間をかけてやっと選んだのでわたしも気分を損ねてしまう。
「じゃあどういうのならいいの?」
ウェブサイトの一覧を見せてガハクの意見を求めてみると・・・。
「こういうのがいいな」
ガハクが指し示したのは、古きよき喫茶店に似合いそうなクラシックな木製の引き出しタイプで電話機ぐらいの大きさのコーヒーミル。

「はぁ?」
今度はわたしの方が呆然となる番だ。
「こんな大きいものどこに置く場所があるわけ? それこそうちの台所に全然合わないし。挽いたコーヒーの粉が引き出しの中に溜まっていくなんて使いにくいし、掃除とか一体どうするの」
わたしの剣幕に押されてガハクもしゅんとしてしまったので、慌ててフォローを入れる。
「確かに見た目はいいけどね。とても。これぞコーヒーミルって感じで」
振り出しに戻ってしまったが、夢をみたいというガハクの気持ちはよく分かった。いよいよの時は使いにくそうだけれどガハクの意向を汲み、レトロデザインでコンパクトサイズのコーヒーミルにして、せめて眺める分には満足できればそれでもいいか、とも思った。
失敗しても諦めのつくような価格帯で探していたけれど、予算範囲をやや広げてみたところ、あったのだ。ガハクの美意識にもかない、掃除も容易にできるという優美な製品が。
コーヒー豆を入れる上部(ホッパー)は白い陶器製、粉受け部分は木製で、真ん中がゆるやかにシェイプした形状で連結され、シルバーに光る金属の蓋とハンドルの先の取手部分が木製であるのも気が利いている。
つるりとした無機質な光沢と、ナチュラルな木目というありそうでなかった異素材の組み合わせは思いのほか調和がとれており、ひんやりとした陶器の冷たさと木の温もりというふたつの相反する触感も心地よい。
「いや、いいねー」
ガハクも届いたコーヒーミルを手にして非常に満足そうだ。
わたしも見ているだけで気分が晴れやかになり、手に触れると自然素材のやさしさに心が落ち着く。
美麗なコーヒーミルにうきうきして、当初は張り切って使おうと思い、こだわりっぽいコーヒー屋に出向いて豆を選んでみたりしたものの、やはり続かなかった。
「今回は粉にしちゃおうかな」が続いてコーヒーはお店で挽いてもらうのが定着し、ミルは出番をなくしていった。
現在は、コーヒーミルを愛でたくなったり、コーヒー豆をいただいたりすると、思い出したように棚から取り出す。

さて、ガハクのコーヒーに対する変化が現れたのはちょうどこのコーヒーミルを購入した頃に重なっている。
実はそれまでガハクはコーヒーに対してはかなり淡白で、好きか嫌いかの2択しかなければ嫌いを選んだのではないかと思われる。
外食ディナーの後に頼むのは決まってエスプレッソだったが、それは量が少ないからたくさん飲まなくて済むという理由だったし、家で飲む時も牛乳をたっぷり。「オコチャマだね」とからかっても牛乳コーヒー(コーヒー牛乳ではなくて)状態にしないと飲めなかった。
数回ほど「〇〇で飲んだのはおいしかった」ということもあるにはあったので、日常生活の中でコーヒーとの巡り合わせが何かとよくなかったのであろう。本当はいい奴なのに、誤解とすれ違い続きで打ち解けることができなかった同級生、的な存在か?

先述したが、生活パターンに変転があり、家でガハクとわたしとで仕事の合間におやつの時間をとるようになった。
当初はわざわざ温かい飲み物を作り直す事もなく、カップに残っていたお茶をそのまま飲むなど片手間でそんなにイベント性はなく、「たまにはコーヒーでも飲もうよ」とわたしが言っても、コーヒーに好印象のないガハクから同意を得ることはほぼなかった。
けれどもある日、家で淹れるコーヒーがここまでおいしくないのは何かがおかしいのでは? とガハクはふと思った。ちゃんとコーヒー屋さんで買ってきた挽きたての粉を使っても風味が出ないのはどうしてなのか。
疑問を持ったガハクはコーヒーの淹れ方を調べ始め、おおよそ見当をつけると、
「今日はオレがコーヒーを淹れます」
そう宣言して自らお湯を沸かし始めた。
3つ穴の陶器製ドリッパー、サーバー代わりのガラスの急須、コーヒーカップ、の全てにお湯をかけて温める。こんな下準備はしたことがなかった。
まず最初の間違い。台形のペーパーフィルターのミミは2辺を交互に折り返すとのこと。・・・以前は同じ側に折り込んでいた。
コーヒー用の計量スプーンはあったので分量の間違いはしてこなかったはずとして、ドリッパーにセットした後ゆすって粉の表面を均しておくのだということも初めて知った。
ヤカンで沸かしたお湯は、コーヒーケトルはないので形状のやや似たホーローのポットへと移し入れ、いよいよコーヒー粉へお湯を注ぐ・・・ が、おそらくここが今までと大きく異なっていた点かもしれない。
効率ばかり重視していたわたしは、熱湯をヤカンから直接ドリッパーにドボドボと注ぎ入れていたのだった。申し訳程度に最初に少量お湯をかけてなんとなく蒸らした気分になってはいたが、それも全然不足であったと気づく。均等にやさしくお湯を当ててやると蒸れて粉がふっくら膨らむのだ。さらに、お湯はドリッパーの中に「の」の字を描くように注ぐのだそうで・・・ この点どうしてかガハクもわたしもかなりフィルター側にお湯をかけていて、粉全体に行き届いていなかった。なるほどこれではおいしいコーヒーになる訳がない。
ガハクの手順を見ていて自分がいかに雑な淹れ方をしていたのかが十分なまでに理解でき、ガハクがコーヒーを好きになれない状況作りにずっと加担してきたのかと思うと申し訳ない気持ちになった。
ガハクが心して丁寧に淹れたコーヒーは、芳醇な香りを台所いっぱいに漂わせ、迷宮の扉がひとつずつ開いていき徐々に辺りが明るくなっていくようで、口にする前から絶対おいしいに違いないと確信することができた。

「うまい!!」
ガハクがあまりの仕上がり具合に驚き、
「ちょっとー、これもうお店の味じゃない?」
などと手前味噌山盛りな発言をするが、わたしも同感だ。
「カフェ・ガハク」のコーヒー、香りがたちのぼり、苦味には透明感があって飲み終えた後にすっきりと消えていく。ほんの少しの手間でここまでおいしいコーヒーになるとは、ふたりとも感動冷めやらずで寄り集まったスズメの群れのようにああだこうだ珍しく語り合った。

こうなると、うちでコーヒーを淹れて飲むことが俄然面白くなってくる。
おやつタイムでのコーヒー率がだんだんと増え、わたしの仕事が組織に属したフルタイムでなくなった頃からコーヒー主流へと変わっていった。
但し、コーヒーを淹れる係は(いつものように)早い段階でわたしが受け持つようになり、作業も適度にラフになっていると思う。

日々コーヒーに親しんでいくうちに、いつしかガハクにとって「おやつ=コーヒーを飲む時間」となり、もうそれなしではいられなくなっていた。
これまでは仕事がたて込んでくると飲まず食わずで取り組むことも多々あったが、コーヒータイムが定着してからはどんなに忙しくても一旦休憩をするようになった。コーヒーに合わせて焼き菓子などをちょっとつまめるというのもガハクには楽しさ倍増な要素で、「糖分のとりすぎはよくない」と表向きは厳しく取り繕うものの、期待に満ちた目をして「何があるのかな♪」と語尾に音符をつけながらいそいそと仕事道具をわきに寄せるといった具合。

コーヒーを飲みながら、リラックスしたガハクが長々と(1時間くらい?)語り始めて制作のコンセプトなどを整理することもあるけれど、カップが空くまでは基本仕事の話はしないのがルールである。わたしとしては、要確認のガハク案件を片付ける絶好の機会になるのだけれど、そんな話題をつい出してしまうと、山くずしゲーム(砂場でやるやつです)の棒のようにガハクのご機嫌がななめになっていくという・・・。
このおやつ休憩の時間は決まっておらず、その日の互いのスケジュールによってまちまちなのだが、ガハクもまれに打ち合わせや出張などで日中不在で遅くに帰ってくることがある。そんな時でも、午後7時を過ぎていようと夜の11時をまわってしまっていたとしても、「コーヒー飲んでいい?」、「今日はまだコーヒー飲んでない」と訴えてくるのだった。ご飯前のコーヒータイムとはイレギュラーだが夕食が遅くにずれ込むだけのことだし、夜中のコーヒーもレストランでのディナー後と思えば普通であるし、ガハクの要望にはこちらも常に臨機応変に対応している。

「あんなにコーヒーに興味がなかったのに、人の嗜好って変わるものだね」
わたしが本日のコーヒーを飲みながらなんとなしに口に出す。
「こんな風に毎日飲むようになるなんて思いもよらなかった。そんなにコーヒーが好きになったんだ」
改めてガハクに聞いてみた。
「コーヒー自体というより、こういう時間が好きなのかも。自分たちで淹れた、っていうおいしいコーヒーがあってそれを飲むのがいいなと思う」
どうやらコーヒーは味わうというよりも、そのありようが何かとてもよいものとしてガハクに刷り込まれているようだ。
思い出したのだけれど、以前、ガハクの仕事が相当押していた時、ここでのんびりすると後にひびくから今日のおやつは絵を描きながら口にできるものにしようと提案したことがあった。するとガハクは、
「お願いだからコーヒーを飲ませて」
と、暴風の中を傘もなくさまよってきた旅人であるかのように哀れげに懇願してきた。
そのあまりの切々とした様子に、これを禁じたらこの人は壊れると思って急いでコーヒーを淹れたことがある。

今やコーヒーのあるおやつの時間は、夕餉(ゆうげ)時の晩酌と双璧をなす程にガハクのお楽しみというか安らぎになっているのだな、と思う。

■次回「ヒゲのガハクごはん帖」は7月第2週に公開予定です。

●山口晃さんってどんな画家?
1969年東京都生まれ、群馬県桐生市に育つ。96年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。 2013年『ヘンな日本美術史』(祥伝社)で第12回小林秀雄賞受賞。
日本の伝統的絵画の様式を踏まえ、油絵で描く作風が特徴。都市鳥瞰図・合戦図などの絵画のみならず立体、漫画、インスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。
主な個展に、2015年「山口晃展 前に下がる下を仰ぐ」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、茨城)、18 年「Resonating Surfaces」(大和日英基金ジャパンハウスギャラリー、ロンドン)、23年「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」(アーティゾン美術館、東京)など国内外展示多数。
2019年 NHK大河ドラマ「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」のオープニングタイトルバック画を担当し、22年善光寺(長野)へ《善光寺御開帳遠景圖》を奉納。

山種美術館(東京)にて開催の「犬派?猫派? ー俵屋宗達、竹内栖鳳、藤田嗣治から山口晃までー」(2024年5月12日– 7月7日)へ出品。
また、2023年にメトロポリタン美術館収蔵の《四天王立像》が同館にて公開中。
Anxiety and Hope in Japanese Art
会期|2023年12月16日 – 2024年7月14日
会場|メトロポリタン美術館 Gallery 223-232

山口晃 《四天王立像「持国天」「増長天」「廣目天」「多聞天」》 2006年 メトロポリタン美術館蔵 Gift of Hallam Chow,2023 ©︎YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery 撮影:木奥恵三

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編集者

岡本 仁