絵|辛酸なめ子

円安や物価高で海外にはなかなか行けない昨今。そのかわりと申してはなんですが、日本で開催される西洋美術の展示はぜひ行きまくりたいです。ありがたくも来日してくださる珠玉の美術展をピックアップさせていただきました。[辛酸なめ子]

マティス 自由なフォルム

アンリ・マティス《花と果実》1952-1953 年 ニース市マティス美術館蔵 ©Succession H. Matisse Photo: François Fernandez

色彩の魔術師、アンリ・マティスは、切り抜きの魔術師でもありました……マティスが後半生に熱中した切り紙絵作品が本格的に紹介されている本展。ニース市のマティス美術館の珠玉のコレクションなので、南仏の空気をまとった色鮮やかな作品を見ることができます。
ハサミでデッサンするような感覚で制作された切り紙絵は、色合いも形も配置も絶妙なバランスで、マティスのセンスが炸裂。壁一面の花が圧巻な《花と果実》は、日本初公開の大作です。下書きをすることなく、大きなハサミで直接形を切り取って制作したそうです。マティスの脳と直接つながって生まれた形だと思うと、天才の思考回路に少し触れられる感覚が。「ブルー・ヌード」の切り紙絵はよく見ると微妙な濃淡の切り紙を重ねていて、女性の体のボリュームが表現されています。大胆さと繊細さを合わせ持った切り紙絵の魅力に引きつけられます。

アンリ・マティス《ブルー・ヌード IV》1952 年 オルセー美術館蔵(ニース市マティス美術館寄託) ©Succession H. Matisse Photo: François Fernandez

最初のセクションには、若い頃の静物画や人物などが展示。暗めの色調ですが、確かな画力を感じさせます。ニースに住んでから色鮮やかになっていって、やはり芸術家にとって制作する場所の気候は重要なのだと思わされます。後半生に切り絵に惹かれたマティスは、だんだん童心に戻っていったのでしょうか。純粋で邪気のない切り紙絵の色と形に癒されます。

絵|辛酸なめ子

色彩セラピー効果で心がオープンになったところで、おそらくショップは切り紙絵モチーフの素敵なグッズがたくさん並んでいることと思われるので、爆買い必至かもしれません。

マティス 自由なフォルム
会期|2024年2月14日(水) – 5月27日(月)
会場|国立新美術館 企画展示室2E

北欧の神秘—ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画

エドヴァルド・ムンク 《ベランダにて》 1902年 ノルウェー国立美術館蔵 Photo: Nasjonalmuseet / Børre Høstland

「北欧」というワードについ反応してしまう層は、自分を含めて一定数いると思います。デパートなどで「北欧フェア」があるとつい引き寄せられてしまう…… そんな北欧好きな人はこの展示も要注目。ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの国立美術館から約70点の作品が来日します。

風景画や人物画だけではなく、ファンタジックなおとぎ話や神話のような世界観の作品も魅力的。19世紀、ヨーロッパの芸術家の間で土着の伝統文化に注目する流れがあり、北欧の芸術家たちも伝承や神話から着想を得ていました。フィンランドの叙事詩『カレワラ』に登場する精霊を描いた《イルマタル》、白い発光体が夜空を舞う《踊る妖精たち》、トロルに囚われたお姫様がシラミ取りをしてトロルをなだめる《トロルのシラミ取りをする姫》など、妖精や精霊が登場する絵画が目を引きます。「日本昔ばなし」とはまた違う、幻想的で素敵な世界観。北欧のデザインセンスの奥底にある、自然への畏敬の念にも触れられる展示です。

ロベルト・ヴィルヘルム・エークマン 《イルマタル》 1860 年 フィンランド国立アテネウム美術館蔵 Photo: Finlands Nationalgalleri / Hannu Aaltonen

アウグスト・マルムストゥルム 《踊る妖精たち》 1866 年 スウェーデン国立美術館蔵 Photo: Cecilia Heisser / Nationalmuseum

テオドール・キッテルセン 《トロルのシラミ取りをする姫》 1900 年 ノルウェー国立美術館蔵 Photo: Nasjonalmuseet / Børre Høstland

北欧の神秘—ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画
会期|2024年3月23日(土)- 6月9日(日)
会場|SOMPO美術館

ブランクーシ 本質を象る

コンスタンティン・ブランクーシ 《接吻》 1907-10年 石橋財団アーティゾン美術館蔵

ロダン以降、20世紀彫刻のジャンルを先導したルーマニア出身の彫刻家、コンスタンティン・ブランクーシ。この展示では彫刻を中心に、作家自身による写真、そして絵画やドローイングなどブランクーシの多彩な才能を感じることができます。
もともとはパリでロダンの助手もしていたけれど短期間で離れたそうで、芸術性の違いを早くに察したのかもしれません。フォルムの洗練を突き詰め、シンプルな形の中に、対象物のエッセンスが現れているのがブランクーシの彫刻。
白い石膏の男女が抱き合う《接吻》などは、まさに純愛を表現しているようで、心暖まる作品です。《魚》は、金色に輝く楕円形で泳ぐ魚を表しています。魚の生々しさではなく、優雅さ、美しさなどに着目。ブランクーシは「抽象ではなく本質を表現した具象」と、自身の彫刻について語っていたそうです。全てのものの本質は、こんな風にシンプルで美しいのでしょうか。

コンスタンティン・ブランクーシ 《魚》 1924-26年(1992年鋳造) 個人蔵

コンスタンティン・ブランクーシ 《空間の鳥》 1926年(1982年鋳造) 横浜美術館蔵

そしてブランクーシといったら忘れてはいけない《空間の鳥》も展示。余計なものはなく、そこにあるのは強さと美しさを秘めた流線型のオブジェ。鳥はやはり神の使いなのかもしれない、と思わされるご神体のようなシンボルです。神性を見いだすブランクーシの視点があったら、多幸感に満たされて生きていけるのかもしれません。

ブランクーシ 本質を象る
会期|2024年3月30日(土) – 7月7日(日)
会場|アーティゾン美術館 6階 展示室

デ・キリコ展

ジョルジョ・デ・キリコ 《バラ色の塔のあるイタリア広場》 1934年頃 トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館 (L.F.コレクションより長期貸与) © Archivio Fotografico e Mediateca Mart © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

シュルレアリスムの画家にも大きな影響を与えたジョルジョ・デ・キリコ。美術展で断片的に作品を見ることはあっても、70年に渡る創作活動を一覧できる機会はそうありません。初期から晩年まで、デ・キリコの芸術の全体像に迫る大回顧展は見どころだらけです。
デ・キリコは初期から自画像や肖像に取り組んでいましたが、その頃の作品はシュール度は低め。そのあと、歪んだ遠近法を用いてどこにもない景色を描いた「形而上絵画」を発明します。ニーチェの思想に影響されたそうで、ニーチェの本を読むのは大変ですが、デ・キリコの作品を眺めることでその思想のエッセンスを感覚的に取り込めそうです。《マヌカン》など、顔のない人体模型のような人物が登場しだして、独特な世界観が完成。デ・キリコらしさ全開で、シュール欲が満たされます。

ジョルジョ・デ・キリコ 《ヘクトルとアンドロマケ》 1924年 ローマ国立近現代美術館 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

でも,そのあとの「ネオバロック時代」には、伝統的な絵画表現に回帰。シュルレアリスム仲間とも決裂してしまったようです。年代ごとに変化していく作風が興味深いですが、静物画でも独特な不思議さが漂っているのがさすがデ・キリコです。その後、また揺り戻しがあって「新形而上絵画」を制作。晩年の《オデュッセウスの帰還》は、部屋の中に唐突に海が現れて、古代の英雄オデュッセウスが舟に乗って時空をワープしてきたようです。過去の作風やモチーフを合体させたような作品は、まさに芸術家人生の集大成です。

ジョルジョ・デ・キリコ 《オデュッセウスの帰還》 1968年 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 © Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

何を描いても日常が非日常になってしまうデ・キリコは、常に異次元を感じ続けていたのかもしれません。異世界への扉に吸い込まれ、軽くトリップできる展示です。

デ・キリコ展
会期|2024年4月27日(土) – 8月29日(木)
会場|東京都美術館
■巡回
神戸市立博物館 2024年9月14日(土) – 12月8日(日)[予定]

TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション

上|アンリ・マティス 《椅子にもたれるオダリスク》 1928年 パリ市立近代美術館蔵 photo: Paris Musées/Musée d’Art Moderne de Paris
中|萬鉄五郎 重要文化財《裸体美人》 1912年 東京国立近代美術館蔵
下|アメデオ・モディリアーニ 《髪をほどいた横たわる裸婦》 1917年 大阪中之島美術館蔵
トリオ、テーマ〈モデルたちのパワー〉より

パリ市立近代美術館、東京国立近代美術館、大阪中之島美術館という、各都市を代表する美術館3館から、テーマやスタイルが共通している作品3点を選ぶ、というありそうでなかった斬新な企画展。
例えば「モデルたちのパワー」というテーマでは、しどけなく横たわる女性を描いた《椅子にもたれるオダリスク》(アンリ・マティス/パリ)、そして重要文化財《裸体美人》(萬鉄五郎/東京)、《髪をほどいた横たわる裸婦》(アメデオ・モディリアーニ/大阪)の3点が並びます。
色気があるのは? など見比べて楽しみたいです。モディリアーニの作品は全裸で露出度は一番高いですが、目力が強すぎてひるんでしまいます。

奈良美智 《In the Box》 2019年 東京国立近代美術館寄託 ©Yoshitomo Nara
トリオ、テーマ〈ポップとキッチュ〉より

「ポップとキッチュ」というテーマでは、子どもを題材にしつつ、自由な技法で描かれた作品が選ばれています。『非現実の王国で』と題された作品群より《洞窟の中の光に照らされたところに誘い込まれる》など(ヘンリー・ダーガー/パリ)、《In the Box》(奈良美智/東京)、《肖像(カミーユ・ルラン)》(森村泰昌/大阪)というキャラが濃い傑作揃い。子どもの純粋性、不安定さ、弱さ、といった特徴が絵に現れています。

3点並べることで、それぞれの作品の個性が増幅し、響き合うシナジー効果が生まれているようです。天才同士の作品だからこそ生まれるケミストリーかもしれません。

TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション
会期|2024年5月21日(火) – 8月25日(日)
会場|東京国立近代美術館
■巡回
大阪中之島美術館 2024年9月14日(土) – 12月8日(日)

内藤コレクション 写本—いとも優雅なる中世の小宇宙

カマルドリ会士シモーネ(彩飾) 《典礼用詩篇集零葉》 イタリア、フィレンツェ 1380年頃 内藤コレクション(長沼基金) 国立西洋美術館蔵

中世ヨーロッパにおいて、写本は最も貴重なメディアでした。といっても今のスマホでの情報伝達の何万倍もの時間と労力がかかっていて、それだけ一文字一文字にパワーが宿っているのだと拝察。動物の皮を加工して作った紙に、手書きでテキストを筆写。さらに美しい装飾や絵を添えて、丁寧に制作されました。

この展示は、国立西洋美術館に、内藤裕史氏より寄贈された写本コレクションを中心に構成されています。13世紀から16世紀初頭の、ヨーロッパの写本やリーフ(本から切り離された紙葉)が多いようです。キリストや天使、聖人などの絵のモチーフや、聖歌や聖書の言葉など、写本を前にすると誰もが厳かな気持ちになることでしょう。内藤コレクション展は、バージョンを変えて過去に何度か開催されているので、写本ファンは根強く存在しているようです。

フランチェスコ・ダ・コディゴーロ(写字)、ジョルジョ・ダレマーニャ(彩飾) 《『レオネッロ・デステの聖務日課書』零葉》 イタリア、フェッラーラ 1441-48年 内藤コレクション 国立西洋美術館蔵

ボーフォール・グループ周辺(彩飾) 《聖務日課聖歌集零葉》 南ネーデルラント、おそらくブリュッヘ 1400-15年頃 内藤コレクション(長沼基金) 国立西洋美術館蔵

情報を大量に消費している現代、立ち止まって、中世の人が一筆入魂した写本を眺めていると、頭の中がデトックスされ、マインドフルネスに導かれることでしょう……。

内藤コレクション 写本―いとも優雅なる中世の小宇宙
会期|2024年6月11日(火) – 8月25日(日)
会場|国立西洋美術館 企画展示室
■巡回
札幌芸術の森美術館 2024年9月7日(土) – 9月29日(日)

空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン

ジャン=ミッシェル・フォロン 《無題》 フォロン財団蔵 © Fondation Folon, ADAGP/Paris, 2023

ベルギーが生んだアーティスト、ジャン=ミッシェル・フォロンの絵の色合いは、レトロでエモい……現代の若い世代にも人気が出そうです。
タイトルのように空想の旅行に連れ出してくれそうな作品の数々。色合いはかわいいのに、よく見るとモチーフには不穏さも漂います。《グリーンピース 深い 深い トラブル》は、グラデの空に虹がかかっていてメルヘンチックですが、海中には魚雷の群れが。自然保護団体グリーンピースのために制作された、核のない未来をテーマにした作品です。そういわれると、虹が短くて途中で切れてしまっているのも不穏で、何か意味があるような……。

ジャン=ミッシェル・フォロン 《グリーンピース 深い 深い トラブル》 1988年 フォロン財団蔵 © Fondation Folon, ADAGP/Paris, 2023

かわいい色合いで見る人を引きつけ、よく見ると社会問題に気付かされる…… そんな洗練された手法に感じ入ります。《『世界人権宣言』 表紙》は、虹色の鳥が自由に空を飛び回る様子が描かれています。フォロンの描くグラデーションはどこか懐かしくて、色調も抑えめなのが特徴。社会問題を扱いながらも、押しが強すぎず、適度な圧で刺激してくれます。視覚的な優しさに、フォロンの誠実な人柄が表れているようです。

ジャン=ミッシェル・フォロン 《『世界人権宣言』 表紙(原画)》 1988年 フォロン財団蔵 © Fondation Folon, ADAGP/Paris, 2023

空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン
会期|2024年7月13日(土) – 9月23日(月・祝)
会場|東京ステーションギャラリー

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「村上さんはずっと進化を続けてるね」

美術史家、
東京大学名誉教授、多摩美術大学名誉教授

辻 惟雄