
美術史の豊かな知識を土台にして、当代一の画力を武器にどこにもない絵を生み出す。そんな人気画家、山口晃ガハクは夫婦揃って食いしん坊。日常で、旅で、制作中の日々で、散歩の途中で何を食べてるの? ガハクが日常を描くコミックエッセイ『すゞしろ日記』に「カミさん」として登場するガハク妻による食事帖。 卵をどう料理するか。家庭ごとにいろいろ、技量の差にもよるでしょうし、その日の気分でも違いますね。今回はガハク家カミさんの「卵をめぐる冒険」?!
絵/山口晃
そば屋に行って、酒の肴に最初に頼むのは卵焼き。この点は珍しく山口ヒゲ画伯こと夫(以下ガハク)と意見が合う。
他人であるから当然だが、ガハクと私は、食に関して細かなところで微妙に好みの違いがあり、相容れないこともある。しかしこの卵焼きの選択に関してはすべてが平穏だ。

私は「やっぱり卵焼きかな」と感覚的に選ぶに過ぎなかったが、ガハクは違ったらしい。
「お酒を飲む時にはタンパク質をとらないとね。特に卵は日本酒に合わせるといいらしい」
ガハクにとって、そこまで具体的な理由があるとは知らなかった。
そんな機能本意な選び方をされては卵焼きの立場がないではないか……、というほど私も執着はない。どうしても食べたいのか、と問われればそうでもないし、強く明言するほどの好物ともいえずといったところ。
けれども、やはりそば屋でのスターターは黄色くてふわふわした卵焼きがいい。
表面が薄曇りに結露した冷えたグラスの日本酒をちびちびと口に含み、できたてで温かな卵焼きをつまむと、一気に浮世のうさが消え、宴の始まりという気分になってくる。
あの快活な色と箸を入れた時の弾力ある感触が、気持ちを高揚させるのだろうか。

卵焼き、そういえば私はこれまで作ったことがない。1回くらいはあったかもしれないけれど……、たぶんない。
ガハクが年越しそばのお供にと、一度だけだし巻き系の卵焼きを作ってくれたような気もするが、わが家の食卓に卵焼きは登場しない。天ぷらやとんかつ同様、卵焼きは家庭で作らず外で食べるという認識になっている(山口家の場合です)。

でも、私の母が作るお弁当にはたいてい卵焼きが入っていたっけ。料理とは、意外と母から娘へと受け継がれないもののようである(私が少数派かもしれないけれど)。
慣れ親しんだ味の記憶がベースになっているとはいえ、実家の食卓とわが家の献立は異なるし、調味料の使い方も違う。
「関東風の甘い卵焼きって、うれしくないんだよね」
ガハクがふとつぶやいたことがある。
「へぇ、そうだったんだ。私は子供の頃、甘い卵焼きを食べたかったかな。うちのお母さんは、甘いものを食べ過ぎるのはよくない、って甘いバージョンはほとんど作ってくれなかった」
私も今はガハク寄りの感覚だが、子供にとっては甘い卵焼きはちょっとあこがれだった。
「だけど寿司屋の卵焼きは甘いよね。あれはいいの?」
「そうだね。冷たい分、甘みも薄まっているし」
「アリだと」
「うん、まあ」
やや面倒くさそうにガハクが答える。そんなに卵焼きに関心はないとみた。

かなり前、私が料理初心者だった頃、ガハクから「これは成分調査サンプルか?」と大いに呆れられた、夕食のメインのひとつ「白い皿の上の炒り卵」。
当時は献立作りにも気が回らずでそんな料理もしていたが、程なくして卵は脇役へとシフトしていった。時折思い出したように購入され、目先を変えた朝食の演出のための目玉焼きや、ゴーヤーチャンプルーの苦味緩衝材として使われる程度。
冷蔵庫に常備されるようになったのは、コロナ禍以降のわりと最近のことである。
用途は主にお昼ごはんのお助けタンパク質。

ある時、私が健康診断で「タンパク質が足りてないようですね」とかかりつけ医から予想だにしないことを言われ、驚いた。十分過ぎるくらいに食べているつもりで、時には過食は禁物と減量を意識することさえあったのに。
思い返してみると、野菜は常にたくさんとるよう気にかけていたものの、朝と昼のタンパク源は確かに不足していて、結局栄養バランスがとれていなかったようだった。
仕事の合間にとるお昼は元々簡素に済ませがちで、麺類や炒飯のオマケ的+αとして簡単で腹持ちのよい冷凍コロッケを利用することが多々あった。まずこれを卵や肉系の冷凍食品などに置き換えるよう試みた。

目玉焼きは朝食というイメージが私にあるせいか、お昼での登場はガパオライスの時くらい。白身はしっかり固まり黄身はとろとろのタイプがふたりとも好みである。その焼き加減の見極めがうまくいくか、私は毎度やや気重なのだが、そんなことは難なくこなすガハクから、「何がそんなに大変なの?」と言われてしまう。
白身が半熟であるのは嫌なので、ついつい焼き過ぎてしまい、私がうまく目玉焼きを作れる確率は五分五分以下である。

よく作るのが、単に卵を溶いてフライパンで焼くだけ、という名前のつかない料理。
その日の気分でオリーブオイルかゴマ油をひき、熱したところで溶き卵をつーっと流し入れる。フライパンの中で薄く平らに広がった卵は、表面がやや乾いてくるまで放置。
固まってきたかな、と感じたら菜箸で十字に4等分してそれぞれをひっくり返す。固まりきれておらず、ぐしゃっと流れてしまうこともあるが、別に構わない。どうせ後でお皿に盛る時には、菜箸でさらに食べやすい大きさに割るのだから。
そして表と裏を好みの加減になるまで焼く、ただそれだけだ。
つい早めに引き上げてあまり焦げ目がつかなかったり、卵を溶いた時の空気の入り具合なのかやや膨らんだり、例によっていい加減なので白身と黄身とがマーブル模様を描いていたりと、毎回バリエーション豊富になる。
さらに、味付けもいくらでも変えられる。塩をふるにも3種類から選べるし、いしる(魚醤の一種)をかけるとちょっとエスニックなテイストになり、ありきたりだがポン酢や醤油も使う。新入りの調味料煎り酒を使うとほんのり梅の酸っぱさが感じられるし、お子様っぽくケチャップでもいい。
時には卵をフライパンの脇に除け、空いたところにルッコラかレタスを入れて軽く熱を加え、付け合わせにしてみたりもする。
そうなると食べるガハクは運次第、くじ引きのようになり、今日の卵がどんな味なのかは口に入れるまで分からない。
「お、こうきたかー」であったり「何これ?」だったり、ガハクの感想も様々で、仕掛けるこちらも案外楽しい。
一度だけ、面白いできあがりの回があった。ちょっと別のことに気を取られ、溶き卵を投入するまでにいつもより時間が経ちすぎてしまった時、油が過剰に熱せられたのか、卵を流し入れるとパチパチと爆ぜるような音をたて、焼いているうちに端の方がカリカリの状態となったのだ。
「これ、どうしたの? おいしい」
揚げ物好きのガハクが喜ばないわけがない。
時間をかけて油を熱するという下準備をすれば再現可能かもしれないが、ランチタイムはいつも忙しなく、腰を据えての調理がなかなかできない。
今日はカリッとなるかな、とトライしてみても、何かが不十分で二度目はまだ到来していない。

ゆで卵も、調理が相当に簡単なので助かる。後で殻をむかねばならないけれど。
一時にまとめてゆでて、冷蔵庫に入れておけるのもよい(もちろん消費期限には注意する)。
お昼の定番である炒飯、麺類の上にぽんと載せたり、サラダに使ったり、塩やマヨネーズをつけてそのまま、といった食べ方だ。
一時、ゆでている最中に卵の殻がひび割れて、中身が少し出てきてしまうことが頻発したので、その原因を探ったことがあった。なべのふたをとった時、泡のような膜ができていたり、卵の殻の割れ目からびろんと白身がはみ出ているのを見ると、憂鬱になる。お湯が汚れてしまうのは不快で、卵のつるっとした形状が完璧でなくなるのも嫌だし、外部に漏れ出た白身はどこか不衛生な感じがした。殻が割れてしまうと何かに「負けた」ような気持ちになった。
ウェブで調べてみると、ゆで卵の作り方にはいろいろあるようで、卵はあらかじめ常温に戻しておくとか、なべの水が沸騰してから卵を入れるとか、調べるときりがない。
いくつか試みて判明した解決法は、静かになべの中に入れる、という基本的なことだった。思いのほかちょっとの衝撃が影響していたようで、そうっと扱うようになってから卵は鍋の中で割れなくなった。卵の殻は弱そうで強く、強そうで弱い。

現在採用しているのは、最も手間のないゆで方。なべに水をはり、冷蔵庫から出したばかりの卵を入れてから火にかける、というもの。
ゆで時間は黄身をやや半熟にしたい時は9分、ハードボイルドの場合は11〜12分を目安にしている。
1〜2日保存することもあるので、固めにゆでることが多かったのだが、ある日、ガハクから苦情がきた。
「固ゆでの卵だと、黄身がもそもそして食べにくい」

もともとガハクは水分の少ないパサついた食べ物が苦手ではある。家での食事には基本的に文句は言わないガハクが物申してきたので、これは相当な事態であると察知した。
以降、ゆで時間9分で火を止めていたが、半熟気味に仕上がらない。どうしてなのだろう、しっかり火が通っている。うまくいかないものだなぁ、と悶々としていた。ガハクもそんなゆで卵だとあまりうれしそうでない。
そんなある日、冷凍ラーメンの付け合わせ用に卵をゆでる機会が巡ってきた。急いでいたこともあって、時間がきたら鍋から早々に引き上げ、水でざっと冷やしてもまだ熱々な卵の殻をがまんしながら速攻でむき、ちぎったレタスと共にラーメンの上に載せておいた。
食べ始め、いざ卵を箸で割ると、白身はぷるんとした弾力を残しつつしっかりと固まっていたけれど、黄身が予想以上に生っぽく温泉卵状で、どろんと流れ出てきてしまった。
「わ、生すぎた」
私は黄身がつゆの中にこぼれ出て混ざってしまう前にぱくっと食べた。
どれどれとガハクも卵を口に運ぶやいなや、感嘆の声があがった。
「これ! こういうのがいいの。すごい、完璧」

……そうなんだ。ちょっと気持ち悪いくらい生な感じだけれど、ガハクはこれがよいのか。長く一緒に暮らしていても、相手の好みは案外よく分からないものだ。

このところ同じ9分でゆでていたのに、なぜ今回はこんな仕上がりになったのか。自分で分析してみた。
んん? もしかして存外簡単なことかもしれない。気になった点に留意して、ゆで時間9分の半熟卵を再度作ってみた。
すると、
「すっかり会得しましたな」
ガハクが非常に満足げにうなずきながら、きれいに黄身だけが半熟になったゆで卵を食している。
「うん、作り方を発見した」
これまで、キッチンタイマーをセットして所定の時間になったら火を止めていた。だが、その後しばらくはそのままにしてしまい、他の作業が一段落してから卵を取り出すことが多かった。
ガハク理想の半熟卵ができた時は、設定時間がくるとともにさっと卵を湯から出して、殻むきに移っていた。ほんのわずかな時間であるが、なべに入れたままにしておくと、どうやら卵は余熱で引き続き調理されていってしまうらしかった。それに気がついてからは、白身だけ固まった半熟卵をなんの苦もなく作りだせるようになったのだと、私は得意満面で説明したのだが……。
「当たり前でしょ。余熱で固まっちゃうのなんて」
「そんなにすぐ固まるものなの?」
「そうだよ。だから湯煎という調理法があるんだし。なんだ、今までは火を止めてからもずっと放置してたわけ?」
いかにも私が横着者であったかの言いようだ。
まあいい、作り方の加減を自ら探して体得したのは私なのだから、自分としては大発見をしたと思っておこう。
■次回「ヒゲのガハクごはん帖」は2025年10月第2水曜日に公開予定です。
●山口晃さんってどんな画家?
1969年東京都生まれ、群馬県桐生市に育つ。96年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。 2013年『ヘンな日本美術史』(祥伝社)で第12回小林秀雄賞受賞。
日本の伝統的絵画の様式を踏まえ、油絵で描く作風が特徴。都市鳥瞰図・合戦図などの絵画のみならず立体、漫画、インスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。
主な個展に、2015年「山口晃展 前に下がる下を仰ぐ」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、茨城)、18 年「Resonating Surfaces」(大和日英基金ジャパンハウスギャラリー、ロンドン)、23年「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」(アーティゾン美術館、東京)など国内外展示多数。
2019年 NHK大河ドラマ「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」のオープニングタイトルバック画を担当し、22年善光寺(長野)へ《善光寺御開帳遠景圖》を奉納。
また、2022年から続く本連載の17のエピソードをまとめた単行本『ヒゲのガハクごはん帖』が10月6日に集英社より発売予定。ガハクの長野での出張制作の様子を綴った「おべんとう日記」は本文・挿画とも大幅加筆し、現地で完成させた作品《善光寺御開帳遠景圖》をカラーで収録!

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