
アートがいかに心に作用するかについて、NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト]の堀内奈穂子さんに伺う本特集。これまで堀内さんがAITで手掛けてきたプログラム「dear Me(ディアミー)」の実践から、多様な人へのプログラムを開くことの可能性を伺うとともに、オランダやイギリスをはじめとした諸外国のアートとメンタルヘルスの取り組みについてもお話を聞いてきた。
今回は、ディアミーを行う上でも堀内さんが参照してきたという、実験的で進歩的な学びの歴史や、学びと芸術の関係性という観点から、アートと精神についてお話を伺った。
聞き手・文=福井尚子
子どもの表現力や想像力を助ける、『フレーベルの恩物』
AITで堀内さんらが展開してきたディアミーでは、社会的支援が必要な子どもたちや障害のある子どもたちなどを対象に、ワークショップや展覧会の鑑賞、学びの場づくりなどを行ってきた。
スコットランドの大学院でキュレーションを学んでいたときから、「作品」として完成する前の制作過程で作家たちがどんな情報や知識を取捨選択しているか、また「作品」から人々がどのように生きた学びをを体験できるのかという、芸術から生まれる「知」に興味があったという堀内さん。ディアミーを始めてから、幼児教育の中の芸術性についてリサーチを進め、実験的な教育の歴史を参照しながら活動を行ってきたそう。
「実験的な教育について調べると、知識だけではなく、芸術の概念を取り入れながら子どもたちの感覚や精神を育もうと取り組んでいた教育者たちが多くいたことがわかりました。そうした教育の歴史を知ることで、現在における芸術+教育のヒントがあると思っています。今日はその中でも2人をご紹介したいと思います」
堀内さんが最初に紹介してくれたのは、フリードリヒ・フレーベル。幼稚園の概念を創り出した人であり、つみきなどの元になる「恩物」という教育玩具を開発した人としても知られている。
「恩物をつくった背景に、子どもにとって何よりも重要な学びは遊びで、魂の中にあるものを自由に表現することが遊びだ、というフレーベルの考えがありました。また遊びは、生活や自然などを模倣する手段でもあるから、子どもたちの想像力や表現力を助けるものとして、恩物は使われるべきだと考えていました。まだ言葉が巧みに使えない幼い子どもであっても、内なる気持ちや表現があって、恩物はそれをアウトプットするためのツールであったことがわかります」
恩物には20の種類がある。最初は赤ちゃんが手で握ることができるフェルトのボールから始まり、立体を組み合わせる木のつみき、並べて模様をつくることができる木製の色板、木の棒、曲線の金属のパーツなど、だんだん複雑化し、発達段階に応じて、使うことが想定されている。
「最も大切なことは、子どもたちの自主性や発達段階に合わせて使われることです。一斉に完成形をつくるわけではなく、それぞれのタイミングで次の恩物へと移行していくことが想定されていました」

フレーベル 第5の恩物
フリードリヒ・フレーベル博物館資料より引用(https://froebel-museum.de/pages/en.php)
自主性を中心にすること、自然を観察すること〜フレーベルとペスタロッチー
こうした子どもたちの自主性を大事にするフレーベルの思想は、ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチーに影響されている。ペスタロッチーは、子どもたちの自主性を中心に考えていく「児童中心主義」と、自然や物事を観察して、そこから発見した線や形をアルファベットや数字の成り立ちへとつなげていく方法「直観教授」で知られるスイスの教育者だ。フレーベルは若い頃にペスタロッチーの教育施設を訪問していた。
「ペスタロッチーの影響を受けたフレーベルは、子どもたちが自然の事物を観察すること、自然と触れ合うことが、社会との関係性や物事の理解へつながると信じていました。フレーベルが設計した園庭の図を見ると、子どもの名前ごとに区画が分けられ、花や野菜などを育てていたことがわかります。植物の成長をつぶさに観察することを大事にしていたようです」

フレーベルが設計した幼稚園の庭
Norman Brosterman, Inventing Kindergarten(1997)より引用
教育者になる以前、さまざまな職業を転々としていたフレーベルは、鉱物学の研究をしていたことがあった。ベルリン大学博物館の鉱物博物館で助手として、鉱物のサンプルや結晶を分類したり、展示したりしていたそうだ。当時はX線などがなかったために、すべて目視で、分類していく。フレーベルは自然から現れる幾何学的な形を観察することで、人間の成長や発達もそれに重ねていったと堀内さんは話す。
「結晶は、時間とともに均一になったり、調和していったりして、性質ができあがっていく。結晶体を観察することによって、観察や、その構造を理解することが、自分自身や他者を知るための大切な要素と考え、恩物の発明へとつながっていったのではないかと思います。幾何学的な構造は、セザンヌやキュビズムの芸術家などの絵画の中にも現れていますが、フレーベルも同じように自然を観察することで教育を考えていることがとても興味深いですね」
フレーベルに影響を受けた芸術家、建築家
では、実際にフレーベルの考えた教育を受けた人たちは、どのように成長していったのだろう。
建築家で恩物研究を行うノーマン・ブロスターマンは、幼稚園の教育を受けたであろう人たちの資料やインタビューを通して、フレーベルの恩物の影響がどのようにみられるかということを記した書籍『Inventing Kindergarten』(1997年)を出版している。
そこで紹介されているひとりが、イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に関わった、進歩的な建築家でありデザイナーの、アーサー・ヘイゲート・マックムルド。職人的な手仕事を回帰させる運動を行い、緻密な自然の形を椅子にデザインしている人物だ。彼は世代的にも幼稚園の教育を受けていたと考えられ、自身の幼少期について「7歳の頃までは、木のレンガで構造物をつくることに喜びを見出していた」と発言している。こうした礎は幼稚園での恩物にあったのではないか、とブロスターマンは分析する。
また、画家のピート・モンドリアンは、あらゆるものを削ぎ落とした自然界の形や調和をグリッドで表現した作品で知られているが、一時的に小学校で働いていた時期がある。モンドリアンが先生としてのトレーニングを受けたなかには、当時流行していた幼稚園の教育に関する授業もあり、モンドリアンの表現の中にも、その影響が見られるのではないかといわれている。実際、フレーベルの「第12の恩物で作られた縫製模様」とモンドリアンの「Composition 10 in Black and White(Pier and Ocean)」という作品はとても似ている。
「グリッドの形状やだんだん複雑になっていく幾何学模様は芸術家が世界を見るときの視点と合致しています。あるいはモンドリアンが幼稚園の教育のトレーニングを受けたからこそ、こうした表現へと昇華していったということがあり得るんじゃないかとも捉えられています」

第12の恩物で作られた縫製模様(1875)
Norman Brosterman, Inventing Kindergarten(1997)より引用

Piet Mondriaan
Composition 10 in Black and White, 1915
Kröller-Müller Museum
もうひとり、フレーベルの恩物で遊んだことが自分の表現に活かされているとはっきり発言している人物に、建築家で思想家のバックミンスター・フラーがいる。彼が考案したジオデシック・ドーム(フラードーム)は、正多面体をベースに、三角形の構造材を組み合わせて作られたドーム型の建築物だ。フラーは、幼稚園の頃に、つまようじと豆でつくった三角形の構造体を使って、正四面体や正八面体などの立体を作って遊んだことがあると明言している。
また建築家のフランク・ロイド・ライトも影響を受けたひとりだ。彼の母親は万博でフレーベルの幼稚園の展示を見て感銘を受け、幼稚園の先生の資格をとり、幼いロイド・ライトに恩物を買い与えていたそうだ。3歳のときから幼稚園に通っていたロイド・ライトは、恩物でパターンやデザインを考えていたことを踏まえ、「私の指の中にすべての経験があります」と発言している。
このように、フレーベルの教育は、のちの芸術家や建築家の中に息づいているようだ。

バックミンスター・フラーが設計した旧万国博覧会アメリカ館
Sustainable Cooperative for Organic Development Pub Blogより引用
(https://scodpub.wordpress.com/2011/04/30/buckminster-fuller/)
フレーベルと子どもの精神
「ものをつくること、観察することが子どもの精神を育む」というフレーベルの思想は、ドイツの芸術学校バウハウスでも、理想とする準備教育とされている。
バウハウスの先生で、型破りな芸術家でもあったヨハネス・イッテンはフレーベルの幼稚園教育のトレーニングを受けていたため、フレーベルの原理に基づいて、バウハウスのカリキュラムの基本設計を行ったといわれている。イッテンは、東洋的な宗教思想に傾倒していたため、学生たちがカリキュラムに入る前にヨガをしたり、準備体操を行ったりしていた。そうした学生たちが自身の精神性や創造性を発揮するための手段のひとつとして、幼児教育の考えや方法も取り入れていたようだ。
また、現在においても、フレーベルの考え方は参照されている。例えば、2018年のサンパウロ・ビエンナーレでは、恩物の展示とともに現代アーティストの作品を展示することで、観察や注意力、環境が私たちに与える影響について検証するような試みが行われていた。
「『つくった人の肉体は滅びてしまっても、作品の中には、芸術家の全精神が含まれていて、他人の精神を換気したり鼓舞したり発展させたりする。つまり精神の進歩、発達を促すものが芸術なのだ』とフレーベルはいっています。こうした芸術への深い理解から、恩物によって、子どもたちの精神を、発達の中で養っていくことが大事だとしていたのではないかと思います」
モンテッソーリ教育の全体性
フレーベルの他に、堀内さんがもう一人紹介してくれた教育者はマリア・モンテッソーリだ。イタリア初の女性の医学博士号を取得したが、女性が医師になることが否定的な時代背景があり、知的障害のある子どもたちの医療助手としての仕事を得た。
モンテッソーリがいわゆる教育玩具のようなもので、障害のある子どもたちのトレーニングをしたところ、入院している子どもたちが入院していいない子どもたち以上の知能の高さを示すことがあった。このことをきっかけに、遊びや自分を表現できる手段を得ることで、子どもたちは精神的なトラブルを、うまく自分の表現へ変えていくことができるのではないかと気づいていく。
「モンテッソーリの面白いところは、教育、芸術学、心理学、あるいは宇宙論とつなげて、ホリスティックに考えているところです」と堀内さんは話す。フロイトの娘で、子どもの精神分析を行っていたアンナ・フロイトと親交があったため、モンテッソーリも、無意識的精神を観察した心理学から、生命と精神を探ることに関心を持っていた。この視点は、インドのガンジーの思想や東洋哲学にも共鳴し、モンテッソーリが提唱するコスミック教育に発展していく。
「コスミック教育というのは、宇宙的秩序を体系化していくことなのですが、今でいうホリスティック、全体性のことをいっています。あるひとつのものを見るだけではなく、例えばミクロなものからマクロなものまで、ありとあらゆるものがつながっていて、自分はその中の有機体のひとつにすぎないと認識すること。その中で自分がどういう役割を持っていくかということを想像することが、コスミック教育といわれています。モンテッソーリは、目に見えないものを感じる力や、人間以外のものへ想像力を移していくことを重視していたのではないかと思います。そこには平和主義の理念が明確に見られます」
モンテッソーリの思想を発展させた芸術教育〜モンテッソーリとランドーネ
モンテッソーリといえば、子どものための空間デザインを重視したことでも知られる。子どもにあったサイズの椅子やテーブル、棚があることによって、子どもが自主性を持って、ものを整えることができる。そこに美があり、美のなかで子どもたちが落ち着きを取り戻すことができると考えられていた。
モンテッソーリの教育を発展させるうえで、こうしたデザイン的な美だけではなく、「芸術がコアなものになっていた」と堀内さんは話す。1907年、モンテッソーリはローマのスラム街に「子どもの家」を創設するが、その以前に画家であり陶芸家のフランチェスコ・ランドーネが主催する芸術教育学校を訪ねていたそうだ。
「モンテッソーリは、『この芸術教育の学校に足を踏み入れる人は誰でもこの場所の神聖さに触れて穏やかな気持ちになります。そして何よりも芸術家の近くにいることに大きな喜びを感じるのです』という言葉を残しています。ランドーネは神秘主義に傾倒していた人なので、精神や自然と芸術性を組み合わせた学校を主宰していました」
ランドーネの芸術教育学校は、ローマの、城壁につながる塔のようなところにあった。老朽化した空間をそのまま活用して窯をつくり、陶芸などの手仕事に根付いた制作を行っていたそう。生活に必要なものを自分たちでつくっていくことのほか、時に大きな壷を囲んで参加者が議論を行うような儀式的なイベントも行われていた。

フランチェスコ・ランドーネの教育芸術学校の様子
Associazione Culturale Arte Educatrice Museum Onlusより引用(https://www.arteeducatrice.org/)
「重要なのは、誰でも来て良いとされていたことです。入口には『子どもたちは、お金や物を持ってくる必要はない、それよりも相手への優しさをもってきてください』ということが書かれていて、貧富の差に関わらずここでは学ぶことができました」
学校では、工芸、絵画、デザイン、建築といった分野の区別なく、総合的にものを観察すること行われていた。モンテッソーリはこの芸術学校を何度も訪れ、「子どもの家」を創設する契機にもなったようだ。
「『ランドーネが行う興味深い実践を試してみようと思った』ということがモンテッソーリの発言には残されています。そういう意味では、芸術、精神、教育、というのは実は深く重なり合っていて、のちの芸術家や、私たちがディアミーで行っているような芸術のプロジェクト、あるいは教育のあり方みたいなものに大きな影響を与えているということが、わかってくるかと思います」
『日本とフレーベルの思想』
日本では、海外の教育思想はどのように取り入れられたのだろう。フレーベルの思想を取り入れた幼稚園は、1876(明治9)年に創設されている。しかし日本では、恩物を使って、一斉に何かをつくるという形式的な教育になってしまい、フレーベルが本来目指していた子ども独自の発達に合わせて次の段階に進むということから外れていった背景もある。
一方で、日本にも新しい教育の流れはあった。1900(明治33)年に、野口幽香と森島美根によって、二葉幼稚園(現・社会福祉法人二葉保育園)が設立されている。華族女学校の付属幼稚園の助教授をしていた野口は、裕福な家の子どもたちを受け持っていたが、道端で貧しい子どもたちを見るたびに、裕福な家の子どもも貧しい子どもも等しく幸せに暮らせるようにしたいと思い、同じ志を持った同僚の森島とともに、幼稚園を設立する。
2人は、子どもの自主性を尊重し、自然に触れるという、フレーベルの理念を取り入れた教育を行った。また家庭訪問や衛生指導及び病児の治療、家庭支援を行うほか、母子のシェルターをつくるなど、社会運動のような側面もあった。
「森島は、アメリカに留学してカリフォルニアの幼稚園を見学していました。当時アメリカでは、教育が施されていない場所や貧困地域に知識や経済力のある人が住み込んで、地域福祉の向上を目指すセツルメント運動が行われていて、森島はそういうものを見たと考えられます。フレーベルの教育思想や、セツルメンツ運動が融合されて、幼稚園を設立することへつながっていったのではないかと思います」
「実は、ディアミーでは、東京・小平市にある児童養護施設、『二葉むさしが丘学園』の子どもたちともアートのワークショップを実施しています。この学園は、二葉幼稚園を原点とする社会福祉法人が運営しており、その歴史を知ることで、現代における芸術を通じた学びの大切さをいっそう感じます」
『芸術の精神から発展してきた学び』
堀内さんらが手掛けるディアミーも、こうしたフレーベルやモンテッソーリの思想に影響を受けてきた。具体的には、例えば、2020年にアーティストの三原聡一郎さんと行ったワークショップ「アーティストと考える科学と生活の教室」では、恩物のようなキットを用意した。
「身近なものから、子どもたちが理科で学んでいることを、体験を通して考えようと企画しました。コロナ禍によりオンライン開催となったため、木箱の中に苔や、鳥の声のような音がするもの、砂、光が出るものなど、観察キットをつくって子どもたちへ送って、手元で触りながら参加できるようにしました」

ワークショップ「アーティストと考える科学と生活の教室」に使われたキット(2020)
photo by AIT
またディアミーが、障害のある子どもたちを中心とした絵の教室「アトリエ・エー」、オランダの「ミュージアム・オブ・マインド」と協働したプロジェクト「コレクティヴ・アメイズメンツ・トゥループ[CAT]」では、音楽と瞑想のワークショップを行った。音楽や瞑想を行ってから表現をするというアイデアは、「ミュージアム・オブ・マインド」のヨレイン・ポスティムスさんから出てきたものだったが、フレーベルやモンテッソーリの思想――自然とつながること、全体性を考えること、などを参考にしてなければ、やってみようとは思わなかったかもしれない、と堀内さんは話す。
「芸術というのは人々の精神そのものを表していて、そして精神は、自然や事物の観察から生まれます。だから芸術から精神について考えることは、実は学びの本質的なものともつながっているといえます。このように、学びが芸術の精神からも発展してきたということが、教育の歴史を見るとあきらかになってくるのではないでしょうか」
フレーベルやモンテッソーリなどの教育者は、名前こそ知られているが、彼らが子どもたちの知識だけではなく、精神を育もうとしてきたこと、またその教育法の核の部分に芸術があったことは、これまであまり語られてこなかったのではないだろうか。
私自身、本連載の海外事例などを参照するうちに、医療の現場に芸術を取り入れることは、現代的な新しい動きであるかのように感じていた。しかし、こうした歴史を参照すると、医療や精神とアート、そして学びは昔から連携してきていて、切っても切り離せないものだっただろうと感じる。これから私たちがアートを社会の中でどう実装するか、それを考えるうえでも、こうした芸術と学びの歴史は大いに参考になりそうだ。
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