
美術史の豊かな知識を土台にして、当代一の画力を武器にどこにもない絵を生み出す。そんな人気画家、山口晃ガハクは夫婦揃って食いしん坊。日常で、旅で、制作中の日々で、散歩の途中で何を食べてるの? ガハクが日常を描くコミックエッセイ『すゞしろ日記』に「カミさん」として登場するガハク妻による食事帖。
罪悪感あり、行儀悪さも承知の上、でも許して。美味しいの。我、ジャンクな食べ物を愛す。
絵/山口晃
本日もごく普通の夕飯。
メインは、鶏ササミ焼きのバター載せ。バター焼き、ではなくて載せだ。
料理をし始めた頃、焼いたササミ1本を丸ごと出して、山口ヒゲ画伯こと夫(以下ガハク)から「成分調査サンプル」と評された例の食材。 ぶりんと厚みがあるので火の通りをよくするため、また一口で食べやすくなるよう事前にササミ1本を4等分くらいの削ぎ切りにしておく。生の肉や魚を切るのはまな板や包丁が汚れるのでなるべく避けたいけれど、ササミを使用するときは仕方ない。まな板にはビニールを敷いて直接当たらないような工夫もする。以前と比べると、私にはロボットが二足歩行を始めたくらいの進歩だ。

ササミはややパサつく部位につき、たまに思い付きで皿に盛ってからオリーブオイルをかけることもあり、今日は普段常備していないバターが冷蔵庫にあるから載せてみることにした。
最初からバター焼きにした方が素材に風味が染み込むのかもしれないが、あつあつの料理の仕上げに載せた方がバター全てを余すことなく食せるように思えてこの方法をとる。
それにフライパンも焦げつかない。(主な理由はこれ?)
「はーい、出来ましたよ」
台所から声をかけると、ガハクが半分うわの空で反射的な「うう」だか「ふむ」だかという返事をし、広げていた画材や紙を机の後ろへと移動させた。
ガハクはペンや水彩を使って描く仕事の最中で、自宅のテーブルは作業場と化している。
空いたスペースに、料理を盛った皿を次々並べていく。
ササミの上のバターは私がまんべんなく箸で押し付けて溶かしたせいで、すでに透明の液体となり形状をとどめていない。
いただきますと手を合わせ、では食べましょうという段になりガハクが気付く。
「バターを使ったね」
「分かった? さすが」
「これだけ香ればすぐ分かる」
調理をした本人はずっと嗅いでいたので慣れて感じなくなっていた。料理を作る者の損な点だ。
バターの香りには反応したものの、ガハクは食卓に並んだ皿を前にしてあまりにも覇気がない。
ガハクが締め切りに追われるのは、悲しいことにいつもの風景になってしまった。仕事が玉突き的に遅延していくので大体追い詰められていて、稀に本当に切迫した、緊急事態があり、現在かなりそのような状況だ。
そんな最中であるせいかあまりしゃべることもなく、活力を補充するために一口一口を噛み締めるような食事が進行していた終盤になって、突如ガハクがとある行動にでた。
「やると思った」
「これはやらなきゃでしょう」
鶏ササミを食べ終わった後のお皿に残された、肉汁とバターとが混ざり合い意図せず出来た旨み凝縮のソース。その上にご飯をぽとりと落とし、もったいないとばかりに拭うようにまぶして食べるというもの。到底外ではできない。
その頃になってやっとガハクも元気が戻り、思い出し語りが始まった。
「バターに醤油を合わせてご飯にかけると、そりゃあもうおいしいんだから。食べたことある?」
「ない」
このバター醤油ご飯の話は、すでに聞いたことがある。
20年以上も一緒に生活していると、同じ話が何度か出てくることがある。私も同様な繰り返しをしているだろうし、話の再出は落語のようなものだと受け止めて素直に耳を傾ける。

「醤油はマジックだよね」
みそ派のガハクからは意外な言葉だが、日本人にとって醤油は刷り込みでかなり身に染み入っていると思う。海外で端正に味付けされた魚や野菜を口にしながら「ああ、これに醤油をかけたら」と何度歯がみしたことか。
「こういうジャンキーな食べ物を教えてくれるのは、大抵お父ちゃん」
ガハクのお宅でもお母さんは栄養重視だったようだ。
「瓶詰めのアルコール漬けウニとかね。あれは生ウニとは全然別モノになっていて、だからこその独特さがいいわけ」
「好きだとは知らなかったよ。買う?」
「自ら買ってまでではないの。ああいうものは」
好きだけどいらないとか、ガハクの心情は相変わらずよく分からない。


「他にもネギ味噌、えのきの瓶詰め、チーズかまぼこやネコ飯とか」
「どれもそれほどジャンクな食べ物ではなくない?」
「いやいや、ネギ味噌は塩分過多だし、味噌をそのまま食べるなんて上品とはいえない」


「えのきはどうなの」
「えのきは大根おろしを添えて、お酒のつまみだね。食事前にお父ちゃんが飲んでいる時にちょっと食べさせてもらう」
「大根おろしまで添えてあるなら栄養的にも問題ないのに」
私は実家では食べない一品なので見当がつかない。
「甘辛で、そこがジャンキーな味なのよ」
瓶詰めにするという加工のせいで味が濃く、保存のために何かしらか添加されているということか。

チーズかまぼこは私もおやつに食べたことがある。白いカマボコにオレンジ色のチーズの小片が所々に散りばめられ、つるりとしたオブジェのようなスティック。さっぱりめのかまぼこの弾力の中で、時おりじわりとチーズの塩みが広がり子供にも馴染みやすい味だった。
だが、何本もばくばく食べてよいものなのかと考えてみると、どこかそれはいけないことのように思われる。2つの素材が肩を寄せ合って「おいしい」をアピールしているところに、何かを隠しているような気がしなくもない。
「かまぼこにチーズでしょ。取り合わせとしてなんというか、こう」
ガハクが言葉を濁すが、口当たりがよいだけに食べすぎると塩分が心配ということなのだろう。
ご飯に味噌汁をかけるネコ飯は、胃の中に入る状態や順序が違うだけで栄養としての問題はないけれど、マナーとして感心できないゆえか、ガハクはこれもジャンクな食べ物に分類する。
私も母から「こういう食べ方はネコのご飯といって、お行儀が悪いからやってはいけないのよ」と実演付きで教わった。味としては悪くないかもと思いつつ、禁止事項として強く刷り込まれたものだった。
ガハクが先ほどつらつらと挙げた食べ物を「ジャンキーである」とみなした定義はなんだろうか。
まず、子供にも分かりやすく舌に届くおいしさ。
そして、塩分過多や添加物など、栄養に偏りがある。
また、副菜としてではなく食事の前のつまみ食い的であるとか、白いご飯を汚すなど不作法である、といったところだろうか。
共通するのが、食すことにどこか後ろめたさを感じさせるという点だろう。気にしないで次々大量に摂取することができず、食べ終えたときにおいしかったという満足と共にわきおこる体には悪いかもしれないという不安。
そう思い至るところに、ガハクの栄養へのこだわり、というより「食物は栄養をバランスよく摂りましょう」というもっともな理屈を重要視するあまりそれに囚われており、むしろ偏りを感じさせられる。
これまでも何度かお伝えしてきたが、ガハクの食への安全、栄養への信念はなかなかのもの。どこで知ったのか「赤野菜1に対し白野菜2」(ガハク言うところの赤野菜は緑黄色野菜全般で、白野菜はその他野菜のこと)という野菜を使用する割合については、ことあるごとに聞かされてきて私もすっかり身に染みた。
子供の頃に聞かされた怖い話や、〇〇するとバチがあたりますよ、という類のおどしは結構後々まで残る。ガハクのこのジャンクな食べ物を気にする状態はそれに近いような。
だから逆にそんな食べ物がほしくなるし、その罪悪感がスリルでもあり、ますますジャンキーさが味わい深くなるともいえる。
バター醤油ご飯について、やりたくても大体お母さんから「ダメ」と言われ、数えるほどしか食べたことがないとガハクは言っていた。
こんな時こそ、大人ならではの特権を使うべき。私もいつか試したいと思っていたし、ここで悪いことを気にせずやってしまおうではないか。
2日後の夕食にてグリーンアスパラガスのソテー用に、このところお疲れのガハクも喜ぶかと思い再びバターを添えた。
季節柄、やや気温が上がってきたので、小皿に保冷剤を乗せ、その上に5ミリ厚、2センチ四方に切ったバターを2片入れた白いココットを置く。これで万全だ。バターが室温にさらされトロトロと溶け出してしまうこともないだろう。
その小皿をテーブルに置き、ガハクに揚々と伝えた。
「バター醤油ご飯、これで存分にできるよ。あ、それから適当にアスパラにも使って」
しかしながらガハクは一目見るなり、ありがたがるどころか当惑気味に言う。
「いい、こんなにいらない」
この量ではバターが少なすぎるかと懸念していたくらいだったのに。
「そんなにバターはたくさん使わないんだよ。本当にちょこっと、こんなんでいいの」
ガハクはまさにほんの少しだけ、茶杓に半分くらいの量のバターを削り取ってみせた。


「そもそもバターは調理に使うもので、ご飯に載せて食べるものではないし、思うさま食べるものでもない。実家でも、料理に使ったバターがたまたま余った時にやらせてもらえたんだよね」
私はバター醤油ご飯というものを、丼もの的なイメージで思い浮かべていて、山盛りのご飯の上にバターの塊を載せ、醤油をかける・・・という、よくあるホットケーキのビジュアルみたいに、角バターにメーブルシロップがたらりとかけられている様を想像していた。
勝手に勘違いしていたのは私の方だが「え、そうだったの?」という心持ちだ。
「せっかくだからやってみるよ」
気勢をそがれてしまったけれど、私は少しだけのバターをご飯に載せて、醤油を一滴、さあ食べようとしたところ、ガハクが遮る。
「あーっ、違うって。バターはご飯の中に押し込むんだよ。そうするとジュワっと溶けるでしょう」
確かにその方が合理的だ。

「だからバターがちょっとしかないと、すぐに染み込んで無くなっちゃって、もっと食べたいのに! と残念だった」
なんだ、結局ガハクはたくさん食べたいのではないか。
「じゃあ、ここに十分バターがあるから心ゆくまで食べたらいいのに?」
「今日はいい」
ここで、しない、できないのがジャンクな食べ物にはまることを恐れる、健康的な食に留意するガハクだ。
けれども、一度実現すると、わずかに罪悪感を覚えながら一口だけ食べるバター醤油ご飯の夢が壊れてしまうのを、ガハクは分かっているのかもしれない。
■次回「ヒゲのガハクごはん帖」は2025年7月第2週に公開予定です。
●山口晃さんってどんな画家?
1969年東京都生まれ、群馬県桐生市に育つ。96年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。 2013年『ヘンな日本美術史』(祥伝社)で第12回小林秀雄賞受賞。
日本の伝統的絵画の様式を踏まえ、油絵で描く作風が特徴。都市鳥瞰図・合戦図などの絵画のみならず立体、漫画、インスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。
主な個展に、2015年「山口晃展 前に下がる下を仰ぐ」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、茨城)、18 年「Resonating Surfaces」(大和日英基金ジャパンハウスギャラリー、ロンドン)、23年「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」(アーティゾン美術館、東京)など国内外展示多数。
2019年 NHK大河ドラマ「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」のオープニングタイトルバック画を担当し、22年善光寺(長野)へ《善光寺御開帳遠景圖》を奉納。
また、6月21日より大阪中之島美術館にて開催の「日本美術の鉱脈展 未来の国宝を探せ!」へ出品(8月31日まで)。

山口晃 《携行折畳式喫 茶室》 2002年 展示風景:「山口晃展 画業ほぼ総覧―お絵描きから現在まで」群馬県立館林美術館、2013年 撮影:木奥惠三 ©︎YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery
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