
アートとメンタルヘルスの関係ついて、NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト]の堀内奈穂子さんに伺う本連載。前回は、堀内さんを中心にAITが手掛けてきたプログラム「dear Me(ディアミー)」の活動や、多様な人がともに芸術を鑑賞することの価値、それによって現れる心の変化などを伺ってきた。今回は、堀内さんらが視察したオランダのアートとメンタルヘルスに関わる取り組みについてお話を伺う。
聞き手・文=福井尚子
メンタヘルスへの関心からオランダへ
児童養護施設の子どもたちとの出会いから、さまざまなバックグラウンドを持つ子どもや若者と共に芸術体験を行うプログラム「dear Me」を2016年より行ってきた堀内さん。アートの歴史や進歩主義的な教育の歴史を参照しながら活動を進めるうちに、子どもの問題は、大人の、そして社会の課題であることに行き着き、アートとメンタルヘルスの領域にも関心を寄せるようになった。
当時、日本でもメンタルヘルスへの関心は高まりつつあったものの、まだ先行事例は少なかった。その矢先に出会うことができたのが、オランダでアートと精神医療に関わる実践を行うエスター・フォセンさん。福祉とアートを結ぶ先駆的な活動をするフィフス・シーズン(Fifth Season)のディレクターで、2017年、アーツ千代田33331で開催されていた「ソーシャリー・エンゲイジド・アート展」に出品するために来日していた。
「フィフス・シーズンは、オランダの広大な敷地にある精神科医療施設で20年以上にわたってアーティスト・イン・レジデンスを行い、レジデンスを通して完成した作品を展覧会として世に発信している団体です。アーティストは一定期間、精神科医療施設に滞在し、患者さんへの聞き取りや、患者さんやクリニックで働く人たちと一緒に協働制作を行います。
『オランダのような開かれた社会であってもまだ根強く残る、精神疾患に対する差別を変えていくための実践』と彼らが表現するように、アートを通して、偏見や差別をなくすことを目的に活動していました」
2018年には、「dear Me」が主催するアーティスト・イン・レジデンスにエスターさんを招聘し、「精神科医療とアートをつなぐこと」をテーマにした大人向けのレクチャーと、子ども向けのワークショップを開催。現代アーティストの和田昌宏さんと協働したワークショップでは、ヨーロッパでもよく知られている「ヘンゼルとグレーテル」の物語と日本の「さるかに合戦」の2つのおとぎ話を和田さんがシャッフルして作った架空の物語を読んだ子どもたちが、おとぎ話の主人公の心理を考え、彼らが「安心」できると思う場所を創作した。
「物語の登場人物は一義的にヒーロー、敵、などと分類されるけれど、もしかしたらどちらも加害者であり、被害者であるかもしれない、という、物語のフレームの外にあるような、それぞれの気持ちをみんなで考えました。子どもたちからは、『安心』にまつわる、大人からは出てこないようなユニークなアイデアがたくさん出てきてとても面白かったです」
※)この時に行われたエスターさんのインタビュー記事はこちら

エスター・フォセン氏(フィフス・シーズン)と和田昌宏氏によるワークショップ「ヘンゼルとグレーテルと大きなサル」より 2018年 (助成:日本財団/レジデンス助成:オランダ王国大使館)
Photo by Takaaki Asai
スティグマから解放される美術館「ミュージアム・オブ・マインド」
エスターさんとの出会いに始まり、オランダとの関係性が深まる中、堀内さんらは「コレクティヴ・アメイズメンツ・トゥループ[CAT]」を立ち上げる。2023年7月にはAITの藤井理花さん、dear Meのファシリテーターとしても関わっている精神科のソーシャルワーカー西田友子さんと共に、文化庁の助成金によりオランダへ足を運び、アートとメンタルヘルスの実践を行う美術館や福祉団体、アートスペースなどを訪問した。ここからはオランダで訪れた施設について話を聞いていこう。
堀内さんが最初に紹介してくれたのは、ミュージアム・オブ・マインド。心の美術館、と訳されるこの場所は、世界の中でもユニークな美術館として、2022年にミュージアム・オブ・ザ・イヤーを受賞した。拠点は2つあり、そのひとつ、ハールレムにあるドルハウス美術館(Het Dolhuys)は、精神や心に焦点を当てた展覧会や、優れたアール・ブリュット作品の収集を行っている。その建物は1320年にハンセン病やペスト患者の隔離施設として建てられたのち、精神に障害がある人の収容施設として長く使用されてきた。
「ハンセン病やペスト患者の収容施設として使われたあとは、社会から隔離されるあらゆる人たち、例えば親がいない子どもや、仕事や住む場所がない人などが収容されるような場所だったらしいんです」
2000年代に建物の外観はそのままに、内装のリノベーションを行い、精神科医療の歴史を語り継ぐ美術館として生まれ変わった。そこには、現代から見たら誤った当時の精神科治療にまつわる資料や、患者が逃げても一目でわかるようにと着せられていた紺色のガウンなども展示されている。

ドルハウス美術館(ミュージアム・オブ・マインド)
Photo by AIT
「当時の精神科医療で使われていた器具や資料を展示する空間は、一部がマジックミラーのようになっている部分があって、展示を見たくない人は見なくても良いようになっています。見たい人はスイッチを押すと、中の照明が光って見ることができるのですが、私が見たときは、そこには当時精神疾患の人たちに使われていた、冷たい水を浴びせて覚醒させるというような治療器具がありました。
同時に、現在活躍するアーティストが精神の悩みなどをテーマに制作した作品も展示しています。現代においてメンタルヘルスを考えることはどういうことなのだろうということを鑑賞者それぞれに問いかける工夫がされている美術館でした」
美術館の入り口の場所に元々あった古い礼拝堂は、リノベーションされて現在はカフェになっている。中心にあるのは、ステンドグラスだ。
「かつてはステンドグラスの向こうかこちらかで、社会から隔離されるかどうかという人生の選択が行われる『負』の場所でしたが、今はそのステンドグラスも障害のある人がデザインしたガラスに変わっています。この美術館は、精神疾患の人たちへのスティグマから人々が解放されることを目指しているんです」

かつては司祭が患者の隔離の振り分けをしていたと言われる礼拝堂をリノベーションしたカフェ
Photo by AIT
またミュージアム・オブ・マインドは、美術館を飛び出して、さまざまなアウトリーチ活動も実施している。15歳以上22歳までのユースを対象に自殺予防を意図したアート・プログラムを提供するほか、子どもたちが自身の取り扱いマニュアルをつくる取り組みも行う。こちらは図書館と連携しながら、その子どもと似た主人公が出てくる本を紹介するというから面白い。また、福祉施設と連携して、障害のある人を働き手として受け入れてもいる。美術館の中で「メンタルヘルスとはなにか」という問いかけを行い、スティグマを解放するという使命を持ちながら、外部の組織と連携して、メンタルヘルスの予防になるような活動を多方面へと広げている。
※)AITのミュージアム・オブ・マインド訪問に関するレポートはこちら
社会に戻る前の安心な場「ケアファーム」
こうしたミュージアム・オブ・マインドの実践のほか、堀内さんがオランダ視察を通して感じたのは、美術館だけではなく、あらゆる分野にケアとアートにまつわる活動が豊かにあるということだった。とりわけ興味を持ったと語るのは、「ケアファーム」や「ケアガーデン」と呼ばれる農福連携の取り組みだ。
オランダは農業大国だが、人手不足や経営の面で農家が苦労しているという課題もある。一方で、不登校や認知症のある高齢者の方は、居場所を必要としている。こうした両者を結ぶのが「ケアファーム」だ。農作業を行い、自然の中で手を動かし、学校や会社などとは違うところで人と触れ合うことによって、少しずつ社会に近づいていく実践で、1990年代頃にヨーロッパ各地で広がった。
堀内さんらが視察に行った「Care Farm De Moestuin van Jagtlust」は、オランダ国立芸術アカデミーのコミッティーメンバーとして長年関わってきた人、元オランダ美術館スタッフ、児童精神科医、フィナンシャルプランナーが4人で立ち上げた、オルタナティブなケアガーデンで、ゆるやかで自由な運営を心がけている。オランダ貴族が所有していた邸宅の敷地を活用し、引きこもりや心の問題を抱えたユースが主体的に運営に関わるほか、認知症の方も楽しみながら野菜や植物を育てることができる場所として開かれているそうだ。

「Care Farm De Moestuin van Jagtlust 」
アムステルダム中心部から1時間半ほど鉄道・バスを乗り継いだ郊外にある
Photo by AIT
「私たちが訪ねたこのケアガーデンは、パーマカルチャー方式で栽培、収穫された新鮮な野菜を使ってお料理を提供しているほか、趣のある納屋を近隣の企業にレンタルスペースとして貸し出すこともしています。また、ここはさまざまな人を受け入れることで福祉施設としても機能しているので、福祉的な支援金も払われている。ケアファームを行う農家さんによっては経営も助かるし、人手不足も解消する。そして、メンタルヘルスを抱えている人にとっては、社会に戻る前の一時的な安心の場になるという仕組みになっています」
人手が足りない農業と、居場所を必要としている若者や高齢者。課題と課題を重ね合わせたところに、いくつもの価値が生まれている。こうした仕組みや、異分野が連携することによって生まれる可能性は、近年、農福連携が注目されている日本でも参考になるのではないだろうか。
※)AITのケアファーム訪問に関するレポートはこちら
ゴッホ美術館の、若者との対話から生まれたプログラム
オランダで最もよく知られる美術館のひとつである「ゴッホ美術館」も、ゴッホの精神性に焦点を当てながら、メンタルヘルスの取り組みを行っている場所のひとつだ。その背景には、ゴッホ美術館に観光客が多く訪れる一方、地域の人々、特に中高生などの若者が美術館に訪れる機会が減少していることを課題に感じていたことがある。
「若者と対話を重ねて、美術館に何を求めているかを聞いたときに、精神的な困難や悩み事を聞いてもらえる場所になってほしいという意見が出てきたそうです。こうしてできたプログラム『オープン・アップ・ウィズ・ヴィンセント』は、ゴッホが抱えていた精神的な不安や物語を知ることで、参加者が自身についても語り合える場をつくりだしています」

ゴッホ美術館の内観(2023年7月)
Photo by AIT
このプログラムは、美術館がヘルスケアの専門家やミュージアム・オブ・マインドとの協働しながら行われている。より多様な鑑賞者へ開いていこうとするとき、アートとメンタルヘルスをつなぐコーディネーターなど、他領域をつなぐ役割が肝になることが、ここでもよく分かる。
※)AITのゴッホ美術館訪問に関するレポートはこちら
表現そのものが語りだす「ビールデント・ゲスプローケン」
最後に紹介するのは、「dear Me」がオランダとつながる最初のきっかけとなったエスターさんが、新たに立ち上げた施設だ。
エスターさんは現在、アムステルダム市内のトラムの車庫だったレンガ造りの建物を活用した文化商業施設を拠点にアートスペース「ビールデント・ゲスプローケン(Beeldend Gesproken)」を運営している。展示やイベントを行うスペースとアートレンタルを行うスペースがあり、アートを通してメンタルヘルスへの意識や関心を高める活動をしている。ギャラリーの空間内にはストリートピアノも置かれており、アートに関心がある人に限らず、いろいろな人が気軽に入り、時間を過ごせるような雰囲気づくりが意識されているところも魅力だ。

ビールデント・ゲスプローケン(Beeldend Gesproken)
Photo by AIT
「スペースにあるもののほとんどが、障害のある人の作品ですが、エスターは『障害のある人のアートですよ』という言い方は一切しません。『障害』という言葉に意識を向けるのではなく、それよりも面白いエピソードを持った絵、と、作品自体が持つ物語に着目し、お客さんたちに伝えていくことを彼女はしています。Beeldend Gesprokenは英語ではVisually Spokenと訳すことができて、『表現そのものが語りだす』という意味を持った場所なんです」

ビールデント・ゲスプローケン(Beeldend Gesproken) 展示風景
Photo by AIT
ビールデント・ゲスプローケンは、個人や企業、病院などへ作品の貸出や販売をしている。また堀内さんが訪ねた当時はアムステルダム市が企業の社会的な活動を支援する動きがあり、多くの個人や企業からのレンタルや購入の要望が、アーティストに還元される循環が生まれていた。さらにエスターさんは、メンタルヘルスとアートの専門家として、病院に出向いて医療従事者向けの講演やワークショップなども精力的に行っている。
※)AITのビールデント・ゲスプローケン訪問に関するレポートはこちら
視察を通して堀内さんは、オランダの企業、行政、医療機関は、アートを自分たちの活動の中に取り入れる必要性について非常に積極的であることを感じたそうだ。
「例えば何か不調があって入院したとき、社会にいきなり戻ることって怖いと思うんです。かといって病院に居続けると、社会から完全に引き離されてしまうこともある。けれどオランダには、ミュージアム・オブ・マインドや、フィフス・シーズン、ケア・ファームなど、病院と社会の間に中間組織のようなものがたくさんありました。もとの関係性や、学校や職場に、いきなりではなく、少しずつ時間をかけて自分の良いタイミングで戻ることができる。そういう幅広い選択肢がオランダには豊富にありました」
オランダではこうした選択肢が存在するとともに、情報として当事者に与えられ、そして当事者が明確に意思を伝えることができる限りは、その意思が徹底的に尊重されるらしい。 以前、日本の精神科病院で働く方から「退院をさせたくても、地域で受け入れ先がないという課題がある」と聞いたことがある。実際日本では、入院中の患者のうち3分の2を1年以上の長期入院患者が占めている。また退院困難とされた長期入院患者のうち3分の1は、居住場所や支援がないために退院が困難とされているようだ(厚生労働省 社会・援護局 障害保健福祉部 平成28年3月会議資料「精神保健医療福祉行政における地域移行の取組について」より)。障害者支援施設においても同様のことが起こっている。施設を対象に行ったアンケートでは、地域移行に取り組んでいない施設は36%あり、理由は「地域に居住の場(グループホーム)が少ない」「地域移行をした際に見守りなどを行うネットワークが不十分」との回答が多くを占めているのだ。(厚生労働省 社会・援護局 障害保健福祉部 令和7年「第1回 障害者の地域生活支援も踏まえた障害者施設の在り方に係る検討会」事業報告書より)。
オランダには、病院と地域の間の選択肢が豊富にあることが、人々の安心へつながっている。病院と地域の間にあるステップを増やしていくことが、これから日本でも求められていくのではないだろうか。
アートと異分野の連携の可能性
オランダの実践からたくさんの気づきや刺激を得た堀内さんも、「まず感じたのは、日本で同様のプログラムを展開することへの課題感だった」と話す。
「オランダへ行っていくつかの実践を見たり、ミュージアム・オブ・マインドのメンタルヘルスプログラム・マネージャーであるヨレイン・ポスティムスさんに聞いて思ったのが、オランダには福祉や医療、教育の中にも、芸術を使ってプログラムをする意義を感じている人たちがいて、連携を取りやすいということですね。日本ではそれぞれの知見を持ってやってみようというところになかなか発展しにくいところもあって、連携の難しさも感じています
例えば企業が積極的にアートとメンタルヘルスにまつわる研修プログラムに取り組むことで、社員や、社員の家族にも展開していき、プログラムが活用されていくといいなと思いますね。それから前回も少し触れたとおり、学校の中でアート体験がひとつの選択肢になっていくと良いなと思っています」
地域と病院の間にステップが豊富にあることのほか、国が芸術を福祉の制度の一つとして認めていること、ケアと芸術や文化をつなぐ人材が大切にされていることなど、堀内さんの話から、オランダのケアとアートのあり方や、日本の課題も見えてきた。一方でヨレインさんは来日した際に、日本では障害手帳を持つ人や付き添いの人が美術館に無料で入場できる制度があることなど、日本の福祉制度に高い関心を示していた。アートや福祉の領域を横断的に活動できる人が双方の国の知見を持ち寄って対話を重ねることで、より良いプログラムにつながると考えられる。超高齢化社会であり、また先進国の中でも自殺率が高いという日本において、人々がより良く生きるための一助として、アートの可能性がより開かれていくことを期待したい。
次回は、オランダとのつながりのエッセンスを持ち帰りながら、堀内さんらが日本で展開したアートとメンタルヘルスにまつわる取り組みや事例を伺っていく。
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