ポール・セザンヌ 《大水浴図》 1894-1905頃 National Gallery     『DEEP LOOKING 想像力を蘇らせる深い観察のガイド』の冒頭にて、「観察」対象としてこの絵が紹介されている

インディペンデント・キュレーターのロジャー・マクドナルドさんが提唱するアートを深く観察する方法「ディープ・ルッキング」について伺う本連載。前回の記事ではプロトコルに沿って、実際にディープ・ルッキングを体験した。じっくりと観察することによって起こる自分の内面の変化を感じながら、何人かでひとつの絵を見ることの面白さも体感した。
これまでのコラムで、アートを深く見ることで、現実を乗り越える力を得ることや、深いリラックス状態になるなど、観察がもたらす効用について理解を深めてきた。では作品を制作するアーティストは、どのように観察を行っているのだろう。最終回となる今回は、深い観察の実践者として、アーティスト・ホックニーを取り上げ、アートと観察についてさらに掘り下げていく。
 

聞き手・文=福井尚子


『アーティストにとっての見る行為』



——「ネガティブ・ケイパビリティ」について伺った回で、アーティストも自身の作品に降伏するような態度で作品と向き合っているというお話がありました。まずはアーティストがどのように作品を見ているかを教えてください。


アーティストたちの制作プロセスの中心には、ディープ・ルッキングに近いような、見るという行為があるのではないかと思っています。

作家のアトリエを訪問すると、そのヒントはたくさんあります。スタジオの中には必ず椅子が置いてあって、制作しながら、座ったり立ったり、近づいたり引いたり。その繰り返しが仕事のリズムなので、ディープ・ルッキングは制作の中の自然なひとつのプロセスとしてあるように感じます。アートのテクニックの部分、もっと言えば職人的な要素の一部に、観察という行為が含まれているのかなと思っています。



——こうしたことは、アートに関わる学問の中で技術として学ぶことができるのでしょうか。


私も美大で長年教えてきましたが、観察そのものについて学ぶ機会は少ないのかもしれません。どちらかというとテクニカルなところが強調されていて。デッサンは当然観察を必要とする学びではありますが、学生の意識も試験をパスするためのもの、という要素が強くて、客観的に観察することが重要なスキルだと学んでいくものとされているかというとどうでしょうか。

だから、制作しながら作品とどう向き合っていくかということは、作家一人ひとりが探る必要があるということだと思います。その中で、デイヴィッド・ホックニーは、制作における観察の大切さを発信してきたアーティストの一人です。

『デイヴィッド・ホックニー作品集』 デイヴィッド・ホックニー著 (青幻社)






『ホックニーと観察』


——ホックニーは現代を代表する画家のひとりですね。


現在87歳で、60年以上第一線で活躍してきました。パンクな精神もありながら、パッとみたときに誰でもわかるような絵を描いてきたアーティストなので、過激な現代アートや最先端の表現とはちょっと異なる路線を辿ってきた作家なのかなと思います。



——ホックニーは、同時代を生きるゲルハルト・リヒターともよく比較されていますね。


リヒターは1932年生まれで、ホックニーは1937年生まれと、同じ時代に生まれたアーティストですが、環境や作風は大きく異なります。リヒターは東ドイツ出身で西に移って抽象絵画の道を歩む。イメージとしてはシリアスで、「絵画とは」ということを、禅問答のようにといてきました。

一方でホックニーはロンドンで労働階級に生まれて、60年代のはじめ頃まで、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートに在学しています。いわゆる「スウィンギング・シックスティーズ」、ロンドンの若者の文化が花開いた時代にロンドンにいました。そのため、ホックニーには軽さがありますね。87歳ですが、今でもタバコをたくさん吸って、色鮮やかなスーツやネクタイを身に着けていて、誰でもわかる具象的なものを描く。彼の制作や作品の中には喜びがあるように感じます。



——ホックニ―はどのように絵画と向き合ってきたのでしょう


ホックニーはおそらくヨーロッパの連綿と続いてきた絵画の歴史を追求していると思います。20世紀、彼が生きてきた時代って、抽象絵画が主流の時代ですよね。その中でホックニーは、いわゆる具象的な、人間像をどう描けるかという問題を追求し続けていて、彼が完全抽象画にはいかないというのが、私にとってはすごく面白いです。その理由の一つは、絵画の歴史と私はつながっているんだという意識が強くあるのだと思います。それは、彼の観察に対する考え方を支えてきた重要なエネルギー源のはずです。

ホックニーは美術館に行って、過去の作品を眺める、見るという行為をずっとやってきました。彼にとって、見るという行為が過去とつながる方法論だったと思います。なにかを研究したり理論立てたりする前に、見るという行為がある。これはアーティストの美術史の付き合い方そのものだなと思います。



——観察の必要性について伺った「今こそ『観察』が必要だ。」の回でロジャーさんは、作品を観察して、主体性で感じるという体験が大事で、ただ美術史の本を読むのではその体験が得られないとおっしゃっていましたね。


私もホックニーの姿勢からすごく学んでいます。作品を意味として読み解くのではなく、まず身体で体験するものとして作品と触れ合う。ホックニーもおそらく、まずはディープ・ルッキングのプロトコールのように、「はじめまして」という気持ちで作品に向き合っていたのではないでしょうか。



『自分が生きている時代を把握するためのデッサン』



——作家の場合は、それが制作に反映されていくかと思うのですが、観察したところから、どのように制作につなげていくのでしょう。


ひとつはデッサンですよね。ホックニーは、アーティストはベーシックなデッサン力を身につけるべきだとずっと言っているんです。

90年代の終わりにイギリスでダミアン・ハーストらによるヤング・ブリティッシュ・アーティストが頭角を現しました。彼らの展覧会は、ほとんどが概念やアイデアを重視したコンセプチュアル・アートで、なにかをつくっている人がほとんどいなかった。ホックニーがインタビューされてコメントを求められたとき、「まあいいけど、やっぱりデッサン力はすごく大事だと思う」と話していて。

その裏には、おそらく、見ることは、作品だけでなく、自分が生きている時代や、自分が置かれている状況を把握する力にもなるという意味があったと思うんですよね。デッサンをする行為から、時代や状況を深く考え、反映することができる。この考え方は、すごく面白いですよね。



——ホックニー自身はどのようなデッサンをしていたのでしょう。


ホックニーのデッサンは、鉛筆やペンでささっと書くものもあれば、アカデミックに、ディティールをよく描いているものもあって、幅の広さを感じます。デッサンをすごく大事にしているからと言って、古くて伝統的というわけではない。それを表すのは、アーティストとしていち早くiPadを導入したということにも現れています。




『見る喜び、ホックニーとキュビズム』


——デッサンといえば、パブロ・ピカソもデッサン力に定評があります。ホックニーはピカソの影響を受けていると公言していますね。


彼がロンドンで学生だった1960年に大きなピカソ展がありました。ホックニーは何度もその展示に足を運び、絵画というもののすごさをピカソから学んだということをインタビューで答えています。彼はおそらくピカソとの対話を作品の中でしてきたということは一つ言えると思います。



——ホックニーはなぜそこまでピカソの絵を好きなのでしょうか。


ピカソがつくりあげる絵は非常に強烈で複雑な空間をつくっています。「ネガティブ・ケイパビリティ」の回でキュビズムについてお話しましたが、見るという行為を活性化するような、複雑に構成された画面をつくってきたのがキュビズムであり、ピカソです。ホックニーがもうひとり好きな作家としてあげているカラヴァッジョも、陰影という技法を使って、飲み込まれるような画面を構成した画家ですね。

ホックニーはこうした、複雑で強烈で開かれた絵の空間にすごく惹かれていると思います。そういう空間と会話をし始めると、人間としても開かれていくというか、拡張していく体験があると思います。

それは私も賛同するところで、キュビズムの絵を見て、支配的な感じは受けないですよね。難しいと感じることはあるかもしれないけど、キュビズムの絵を真剣に見始めると終わりがないような空間に入り込んでいく。おそらくその自由度とオープンさ、喜びみたいなことにホックニーは魅了されたと思いますね。



——絵を見ることで、解放や喜びを感じる。アートの観察には、そうした心理的な体験の要素もあるのですね。


そうですね。支配的なものや、はっきりとした秩序に基づいて物事ができるというわけではない世界を、アートを通して感じ取ることができる。自分で体験できる、発見できる、さらに想像力が流動的に動くということが、絵を見ているとあります。

ホックニーは80年代に中国の山水画と出会うのですが、まさにこうした自由で流動的な空間づくりに惹かれたと言っています。

その対局にあるのが、絵画をずっと支配してきた一点遠近法というシステムですね。





『一点遠近法からの解放』



——一点遠近法というのは、一つの地点から見えている姿を描くというシステムですよね。


そうです。このシステムは、ヨーロッパのルネサンス期に導入されました。つまり、それ以前の12世紀や13世紀の、例えばジョットの絵などには一点遠近は存在していないですね。

こうした一点遠近法にチャレンジして、破壊したのが、ピカソとジョルジュ・ブラックら、キュビストたちだと言われています。ものの表と裏を同時に見せようとしていたり、無数遠近というシステムをつくったりして、支配的ではない世界をつくろうとしていました。

ホックニーの作品は常に、絵画をつくってきた遠近法というシステムとも遊んできたと言ってもいいと思うんですよね。だからこそ、見るという行為がどんどん発展できる、拡張するというロジックがあるのかなと思います。




——遠近法からの解放という観点だと、ホックニーにはフォトコラージュの作品もありますね。


1980年代に写真のコラージュ作品をつくっていますね。日本に来たときに、京都の龍安寺の庭園を撮影して「龍安寺の石庭を歩く」という作品もつくりました。

彼から見ると、写真という芸術はまさに一点遠近の芸術であると。確かに、写真はシャッターを押した人からの目線でしかないですよね。でも、ホックニーは、私たちが日常体験している世界は、実は無数遠近で起きているのではないかと言います。写真は理想的な世界を見せてくれるけれど、私たちの体験とは異なっている。

ホックニーのつくったフォトコラージュの作品はまさに無数の視点をひとつの画面にどう戻せるかということを写真でやろうとしているのです。もちろん絵画の中でも彼は挑戦していて、絵画やペインティングでしかできない空間づくり、あるいは世界観づくりということにこだわってきたのが、大事なところだと思いますね。

今はデジタルの世界で、画面がどんどん支配的になっています。その中で、実はもっと複雑で、強烈で、開かれた絵の空間があることを確認していかないといけないのかなと思いますね。




『視点はひとつじゃない』


——ホックニーが、アートの入門書として書いた『はじめての絵画の歴史』にもフォトコラージュ作品「ペアブロッサム・ハイウェイ」が掲載されています。その解説のなかで「人間はひとつの視点からものを見ているわけではないということを伝えたかった」と書いていますね。


まさにそれですよね。ホックニーのようなアーティストがいまだに制作をしていて、アートのこのポイントを言い続けているということは重要だなと思っています。

深く観察するということは、当たり前に聞こえるメッセージだけれど、意外にちょっと周縁に追い出されている感じもあって。現代アートは今の社会問題などコンテンツが重視されがちだけれど、そうするとただ政治や社会学の延長線上になってしまいますよね。ホックニーのような人がいて、見るという行為の大事さや、絵というものは支配的なだけではなくて、自由を与えてくれるものなのだということを言ってくれることに、大きな意味があると思います。

私はホックニーの作品を見ると嬉しくなるんですよね。生きていてよかったと言いたくなって、気持ちが高まる。そうやってシンプルに気持ちが動くということも、絵を見る上で大事なことだと思っているんです。

『はじめての絵画の歴史—「見る」「描く「撮る」のひみつ—」』
デイヴィッド・ホックニー、マーティン・ゲイフォード著 (青幻社)




——最終回となる今回は、ディープ・ルッキングを行う絵として、ホックニーさんが好きだという中国の山水画を今回は紹介していただくのはいかがでしょう。


いいですね。ホックニーが具体的にどの絵を見たということは文献に出てこないのですが、おそらくホックニーも見ているはずの郭煕の絵がいいかもしれません。

ホックニーが言っているような、「ひとつの視点から見ているわけでない」という感覚がまさにある絵です。ちょっと時間をかけてコミットすれば、山道を歩いたり、霧の中に入ったり、お寺のところでちょっと休んだり。そしてまた歩いていくと、滝の横で座って鳥のさえずりが聞こえてくる。本当にそこまで想像できるような絵だと思います。おそらくホックニーもそういう体験をしたのではないかと想像しますね。



——具象性があるという点では、以前ご紹介いただいたキュビズムよりもわかりやすいのでしょうか。



中国の山水画のすごさは、具象性を残しつつ、キュビズムがやろうとしたことを千年前に実践していることですね。中国の絵というのは一点遠近じゃなくて、無数遠近です。遠い山奥を見ても、近いポイントと同じぐらいディティールが描き込まれている。だから本当にその中をさまよっていける。絵が一種の遊び場、目と心の遊び場のようになるんですね。

当時の文献を読むと、場合によっては、瞑想や祈りを高めるような道具でもあったようです。絵の中に入っていくことで、普段の生活を忘れて、絵の中の自然界に身を委ねて、宇宙の巨大なエネルギーの渦巻きを感じとることができるという教えにもなっているので、絵としてとても高度なことをやっていると思います。部分を見るとキュビストの絵のように構成されているけれど、フォーカスをずらすと具象に戻る。自分で見るところを調整できるという面白さもあります。




ロジャーさんに提示してもらった、最終回にぴったりな作品はこちら。

註)作品の画像をタップして台北の国立故宮博物館の作品紹介ページにアクセスすると、作品の詳細まで拡大して観ることができます。

郭熙 《早春図》 1072年 国立故宮博物院(台北) 





ぜひたっぷり時間をとって、絵の中を旅するように観察してみてほしい。





これまでの6回の連載を通して、絵をじっくりと見るという体験がもたらす、たくさんの可能性に触れてきた。
最後に、ロジャーさんの著書『DEEP LOOKING 想像力を蘇らせる深い観察のガイド』の中でも紹介されている、2019年3月に行われたインタビューの中でホックニーが語ったという言葉を紹介したい。


「この世界は本当に美しい。見ればわかる。でも、ほとんどの人はあまりよく見ていないんだ。歩きながら、目の前の地面をスキャンするように見ているかもしれないけれど、信じられないほどの強烈さで物事をよく見るということはしていない」
(Louisiana Channel : David Hockney Interview “The World is Beautiful” )


これはホックニーから私たちへの、深い観察へのお誘いかもしれない。ぜひ、今度は美術館やギャラリーなどに足を運び、熱量高く、絵を観察することを実践してみてほしい。

『DEEP LOOKING 想像力を蘇らせる深い観察のガイド』 ロジャー・マクドナルド著 (AIT Press)








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