dear Me Project オランダよりヨレイン・ポスティムス氏を迎えた音楽と精神のインスピレーション・プログラム「Mark to the Music」の様子 2024年 Photo by Isamu Sakamoto

アートは社会にどう接続していくことができるのか。そのひとつとして近年注目されているのが、メンタルヘルスの領域だ。特にイギリスでは、認知症やうつの患者に医師らが薬と同様にアート体験を処方する「社会的処方」と呼ばれる取り組みが行われ、注目を集めている。
果たして、アート鑑賞はどのように心をケアすることができるのだろうか。お話を伺うのは、NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト]の堀内奈穂子さん。連載の初回となる本記事では、堀内さんを中心にAITが手掛けてきた、さまざまなバックグラウンドを持つ子どもたちや若者とともに芸術体験を行うプログラム「dear Me(ディアミー)」を中心に、多様な人がともに作品を観る鑑賞プログラムで起こることの心への影響や、国内外の「社会的処方」の取り組みについて伺った。

 

聞き手・文=福井尚子



さまざまなバックグラウンドの子どもたちと取り組むアート活動「dear Me」


AITは2001年の創立以来、教育プログラムで学びの場づくりや、海外アーティストやキュレーターを日本に招いて活動や制作の支援を行うレジデンス・プログラム、企業との協働によるアート・プログラムなどを行ってきた。そうしたAITの活動を下地にして、2016年に立ち上がったのが、「dear Me」だ。

その背景には、堀内さんが、AITの藤井理花さんとともに児童養護施設で月に1度、小学生の子どもたちと遊ぶボランティアをしていたことがある。AITというバックグラウンドがあった堀内さんは、子どもたちがアーティストと一緒にものづくりをしたり、アーティストの考えに触れたりすることで、自分たちの世界を広げることができるのではないかと藤井さんとともにアートのプログラムを提案。それがきっかけとなり、日本財団のスタートアップ助成を得て「dear Me」を立ち上げた。dear Me の活動の中心的な参照点となるのは、芸術の歴史やアーティストの表現、そして19世紀〜20世紀における進歩主義教育の歴史と芸術の関わりだ。それに加えて近年では、アートとメンタルヘルスを考察する実践を行っている。

dear Me の初期の主な活動として、社会的支援が必要な子どもたちなどを対象に、国内外から現代美術のアーティストを招いた体験型のワークショップや美術館へ訪問するお出かけ鑑賞ワークショップ、学びの場づくりを展開してきた。その後、多様な子どもたちや若者たち、障がいの有無を超えた参加者が関わるプログラムとして発展してきた。これまでにさまざまなアーティストがプロジェクトへ関わったが、大切にしてきたのは「アーティストがどのように社会を見ているか」という視点を共有してもらうこと。

「決められたものをただ作って終わる、ということではなくて、アーティストが芸術を通して社会を批評する、アイロニーも含めてアーティスト本人に話してもらった上で、ものをつくっていくということをしていました。それによって子どもたちが、アートを媒介して、今生きている時代とか、社会や立場をちょっと俯瞰してみるような想像力を飛ばせるといいなと考えていたんです」

dear Me Project 川村亘平斎とAFRA、二葉むさしが丘学園の子どもたちによるオリジナル影絵パフォーマンス《二葉天狗とおおぐい海獣》より
東京・小平、2018年
Photo by Yukiko Koshima
子どもたちが制作した影絵人形 
Photo by Yukiko Koshima

dear Me がもう一つ大切にしてきたのは、さまざまな人が混ざり合うこと。

「日々の暮らしや仕事の範囲だけでものを考えていると、想像力が限定されてしまう。個人が想像力を広げるためにも、ひいては社会構造を変えるためにも、さまざまな生き方や考え方、経験を持った人たちが混ざり合うことが大切だと思っています」

例えば、過去に美術館で鑑賞プログラムを行ったときには、児童養護施設の子どもたちと職員だけではなく、里親家庭の子どもたちや、社会的養護のもと育ってきた若者、一般の公募で集まった子どもたちなどさまざまな子どもたちが自然に混ざり合うような状態をつくってきた。そうやって集まった人たちが、アートを介して、自然に混ざり合う場から、思いがけない話がポロリと飛び出すことや、心の交流が生まれる場などにこれまで立ち合ってきた。





子どもたちが「孤独や社会への壁」を乗り越えるために


そうして堀内さんは2016年の立ち上げから10年近く、dear Me のプログラム作りに関わってきた。その原動力になっているのは、どのような思いなのだろう。

「さまざまな子どもたちに出会ったときに、彼らの『生きるエネルギー』や『表現したいという渇望』のようなものがすごくあふれているのを感じました。でも彼らの中には、アートに関心がありながらもその体験にアクセスしにくい子どもたちもいる、傷ついている子もいる。その状態をつくってしまった一端は社会や大人たちであって、彼らに起因していることではないんですよね。

そうしたことを自分も含めて大人たちがもっと認識して一緒に考えていく必要がある。だからアクティビズムのような感覚でやりたいと思いました。子どもたち自身が持っているものを自律的に出せるような場所をつくることで、子どもたちを取り巻く環境を乗り越えていくようなことができたらいいなと思っています」


そこには、堀内さんが信じる、芸術の力も大きな手助けになっている。

「もともと芸術が持っている力って、社会的な通念や今までのルール、やり方、思い込みを一度溶かしたり壊したりして、別方向に向かせるような力だったと思うんです。そういう力をプログラムに活用したいと思いました」

子ども自身の孤立や孤独、それを作り出しているのは、大人だ。一方でその大人も、経済的な条件や精神の不調があることによって、子どもを育てられないという状況がある。問題の根本をみつめるうちに、dear Me ではメンタルヘルスへも関心が向かっていくようになり、アートが持つ心の作用について事例を調べ、海外で行われているアートとメンタルヘルスの実践をリサーチするようになった。ちょうど同じ頃コロナ禍となり、行動の制限や感染に対する不安から、メンタルヘルスは世界中で喫緊の課題となっていった。





言説や思考を回復する場


メンタルヘルスという観点からプロジェクトを眺めるとき、堀内さんはいつも、児童福祉に関わる方から聞いた言葉を思い出すという。

「傷ついてきた経験を持つと、時に『さあ、君の考えていること、何でも自由に話していいんだよ』と言われても、かえって不安が生まれてしまうことがある。だけど1枚の絵を見て、『どんな色が見えた』『どんな形が見えた』など、アートを通して言葉にすることによって、作品についての些細な話しから、だんだんその子自身やその子が持つ人生の経験値が出てくるようになる——普段うまく表現できないことがアートを媒介してふと発話される場の重要性についてお聞きした時、ハッとしました。鑑賞プログラムは、人によっては言説や思考をもう一度回復する場なのかもしれません」

作品を見たときの色や形から自分の考えや思ったことを言えるということは、自分の状況や思いを一旦整理して外に出すということだ。

AITのアーティスト・イン・レジデンスで東京に滞在したスウェーデン・ゴットランド島出身のアーティスト アーロン・ランダールが手がけた絵本を使った子どもたちのワークショップ  2019年

dear Me Project  MOMATコレクション鑑賞風景、2022年
Photo: Isamu Sakamoto

誰かが「この絵を見たときに悲しい気持ちになった」という感想を聞くことや、「自分はこの絵のこの色を見たときに爽やかな気持ちになった」ということを知ること。そのことによって、過去の記憶や体験が呼び起こされ、自分の今の心の状況に気づいたり、他の人とどう違うのかを発見することができる。発見したあとには、調整することもできるかもしれない。

「自分の今の気持ちがどういう状態なのかを一度振り返って知ることが、マインドケアの基本としてあると思うんです。誰かから『あなた今すごく傷ついているし不安だよ』と指摘されるのではなく、自分で『この作品や色、形を見たら、自分が不安を感じていた』と気づく。そんなふうに自分の心の状態を認識することを、アートがちょっと引き出すようなことがあるのではないかと思います」





鑑賞を通して、互いに補い合えることがあることを発見する

言葉にすることや、他人と一緒に観ることで、自分を発見する。こうしたアートの効用は、もちろん、子どもやメンタルが不調な人に限定されるものではない。先日AITが実施した鑑賞プログラム「Collective Amazements Troupe(CAT)」では、ボランティアとして参加した大人が、大きく心を震わせる場面があったという。CATは、海外の美術館や国内でダウン症や自閉症の若者の表現教室を行う「アトリエ・エー」との協働から始まった dear Me の新たなプログラムだ。

「あるグループが波の絵が描かれた絵画を鑑賞している時、グループにいる目の不自由な人へ伝えようと参加者の子どもがいろいろな言葉で表現していました。そのとき目の不自由なその彼が『あれ、奥の方から波の音が聞こえてきたね』と言ったんです。奥の方に展示されている映像作品から聞こえてくるかすかな波の音に、視覚にばかり頼っている私たちは気が付かなかったのですが、絵画の波のモチーフとその音は物語としてつながっていました
子どもによるユニークな解説や目の不自由な人の気づきを知った瞬間に、そのグループに参加していたボランティアの方が涙を流していて。自分の周囲にあるさまざまな事象を、意識せずに見過ごしてしまっていたことに気づき驚いて、その瞬間にたぶん涙が溢れたと思うんです」


こうしたことが、アートをみるときには、発動することが度々ある、と堀内さんは続ける。見えない人には見える人からのサポートが必要だ、子どもには大人の助けが必要だ、そうしたことは、思い込みなのかもしれない。私たちはそれぞれに弱いところがあって、それぞれに助け合える存在であることを、作品を観ることが体験させてくれる。

dear Me Project「Collective Amazements Troupe (CAT)」の鑑賞プログラムの様子
「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」展示風景、アーティゾン美術館、2023年
Photo by Isamu Sakamoto





世界で注目される「アート処方」


そうしたアートの心へ及ぼす影響を世界に広げてみたときに、コロナ禍で一気に実践としてよく聞かれるようになったのが、「アート処方」だ。アート処方とは、メンタルヘルスに不調を抱えた人たちが医師に診断を受ける際に、薬の代わりに美術館のチケットなどを処方されるというもの。2018年にカナダの医師会が、モントリオール美術館と提携して処方を開始。同様の取り組みは2021年ベルギーでも始まった。2019年に世界保健機関(WHO)が、「芸術が、病気の予防と健康増進や、病気の管理と治療に大きな役割を果たす」と発表したことも後押しし、フランスやアメリカにも広がりを見せている。

また社会的な処方の先進国イギリスでは、かかりつけ医が診察により社会的処方が必要と判断すると、「リンクワーカー」という、あらゆる文化活動に精通している専門家が患者の悩みや状況を聞き、スポーツや美術館の訪問など、心の健康を取り戻す方法を提案するのだそう。

「もちろん国の医療費負担を減らす工夫という戦略もあるのではないかとも思うのですが。とはいえ、文化に気軽にお金を払って触れることができる人とそれが難しい人と格差が生まれてしまうなかで、無料でチケットを手に入れて美術館に行くという体験ができるのは、制度が持つ良さの一つかなと思います」

もちろんこうした処方が効くのは、症状が軽度の場合かもしれない。薬の力を借りなければいけない場合もあるだろう。

「オランダの美術館で出会った、メンタルヘルスプログラムコーディネーターのヨレイン・ポスティムスさんは、ひと言に『メンタルヘルス』と言っても、重度の精神疾患だという場合も、少し元気がなかったけど友達と話したら元気が出たというぐらいの軽度なものもあって、いろんなステータスがあることを知っておくべきだと教えてくれました。私たちが鑑賞プログラムでやっているようなことは、彼女が言うように整理すれば、治療の目的を持ったものとして捉えるのではなく、間接的に予防的なところにつながっていくのかなと思います

dear Me Project オランダよりヨレイン・ポスティムス氏を迎えた音楽と精神のインスピレーション・プログラム「Mark to the Music」の様子 2024年
Photo by Isamu Sakamoto
dear Me Project オランダよりヨレイン・ポスティムス氏を迎えた音楽と精神のインスピレーション・プログラム「Mark to the Music」の様子 2024年
Photo by Isamu Sakamoto
dear Me Project オランダよりヨレイン・ポスティムス氏を迎えた音楽と精神のインスピレーション・プログラム「Mark to the Music」の様子 2024年
Photo by Isamu Sakamoto


小さな不調が積み重なっていくことで、重たい症状につながることもある。予防の観点はとても大切だ。日本ではコロナ禍において、内閣官房に「孤独・孤立担当大臣」および「孤独・孤立対策担当室」が設置され、2021年からいくつかの都道府県において社会的処方のモデル事業が行われた。ただ日本では現在、どちらかというと高齢者への対策にスポットライトがあたっているようだ。

東京都美術館は東京藝術大学との協働で、シニアを対象にしたアートプログラム「Creative Ageing ずっとび」を2021年より実施。認知症の方が、オンラインで家族と一緒に参加できる鑑賞会などを開催してきた。また国立台湾博物館が発行した「社会的処方」の実践をまとめたガイドブック、『博物館処方箋 実践ガイドブック』を翻訳している。

より多様な人を対象にしたアートとメンタルヘルスの動きも出てきているようだ。2024年の横浜トリエンナーレで、横浜トリエンナーレ組織委員会と横浜市立大学のMind1020Lab(マインズテントゥエンティラボ)による「アートが心にもたらす効果」を検証する実証実験が行われた。また九州産業大学の緒方泉教授による、博物館の持つ癒やしやリフレッシュ効果を健康増進や疾病予防に活用する「博物館浴」の研究が進められ、国立西洋美術館などでも実証実験が行われている。今まさにアートとメンタルヘルスの取り組みは、注目を集めている。





メンタルヘルスにつながる、「他者を観察すること」と「自分を知ること」


「dear Me」の取り組みから、鑑賞プログラムの心に及ぼす影響や、アートとメンタルヘルスの関係にも関心を寄せてきた堀内さんは、今後どのような活動に取り組みたいと考えているのだろう。

「最終的には、学校や職場にアートの鑑賞プログラムが一つの選択できる科目として入れたらいいのではないかと思っています。学校は一部の学校だけではなく、支援級や不登校の子どもたちなども含んだ公共的な学校に。

私がリサーチした、オランダでメンタルヘルスをテーマにさまざまな活動を行う美術館『ミュージアム・オブ・マインド』では、自分たちの美術館で精神や心を考える展覧会を開催するだけではなくて、地域の学校に出向く実践も行っていました。カウンセラーや児童福祉の専門家とアートの専門家やアーティストが関わり合って、自殺防止プログラムを数ヶ月かけて行うと言うお話も聞きました。アートを取り入れながら子どもたちの安心の場を創出することを、日本の学校でもできたらいいですね」

堀内さんがそう考える背景には、その人のことを知ることができる要素が、アート鑑賞の中にたっぷりあるからだと話す。時間をかけて一緒に作品を観察することで、その人の言葉、表情、仕草などから人となりも見えてくるのだと。

「私たち dear Me が実践する鑑賞プログラムは、少人数でじっくりと時間をかけて行います。いわば勇気的な鑑賞プログラムです。自分のペースだけで見るのと違い、誰かと一緒に作品を見ることは、時には忍耐力も必要になってくる。ただ一見面倒とも思えることを敢えて体験することは、今の時代に必要な行為ではないかと思っています。オンラインでさまざまな情報が入手できる今、わざわざ現地に行かなくてもわかることがたくさんあって便利ですが、時に面倒な要素も伴いながら獲得した経験は自分の中に強く残るし、自分の中で立ち戻る学びの引き出しみたいなものの一つになっていくから。

鑑賞プログラムはすごく豊かな気持ちになって帰っていく人も多い。それは、他者を観察する面白さと、自分のこともしっかりその時間の分だけ見て、知ることができるという、いわば贅沢な時間になっているからかなと思います。私たちの dear Me の活動は決してメンタルヘルスのみを目的とした実践ではありませんが、そういう時間を過ごす大事さや、そこから得られる気持ちよさ、心地よさが、結果的にメンタルヘルスへとつながっていくのではないでしょうか」


「アート鑑賞が心に効く」というと、美しい色合いや空間の心地よさなどが心を癒やしてくれることのように感じるかもしれない。もちろんそういう効果もあるかもしれないが、アートは心地良さだけをもたらすわけではない。アートを通じて、自分自身や他者を発見する、そこには時に居心地の悪さを伴う感情も含まれる。その時間が自分の心を客観的に捉え、回復へと導いてくれる可能性があるのだということが、堀内さんの話からわかってきた。




次回は、話題の中にも出てきた「ミュージアム・オブ・マインド」をはじめとした、アートとケアにまつわる、オランダの事例についてより詳しく伺う。







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