
アンゼルム・キーファーが元離宮二条城で個展を行うと聞いて、期待と不安が相半ばする思いを抱いたのは僕だけではないだろう。この作家の主題は、ギリシャやゲルマンの神話、ユダヤ=キリスト教、欧州近現代史、ホロコースト、ロマン派文学やリヒャルト・ワーグナーのオペラなど。骨の髄までヨーロッパ的であり、アジアとの接点はほぼないのだから。
開催前に出された作家ステートメントに狩野派の障壁画や谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』に触れたくだりがあったが、あまりにも紋切型の日本的表象ばかりで逆に不安が増した。[小崎]
キーファーは2022年に、ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿で巨大絵画8面を主軸にしたインスタレーションを発表している。
二条城での個展とほぼ同時期の3月には、アムステルダムのヴァン・ゴッホ美術館と市立美術館で、2館にまたがる個展が始まった(6月9日まで)。
前者は水の都の歴史に材を取ったサイトスペシフィックな展示、後者は作家が幼少期から大きな影響を受けているというフィンセント・ヴァン・ゴッホに捧げられた展示。ヨーロッパの歴史と美術史に取り組んだ、必然性がある企画にして会場である。

元離宮二条城 二の丸御殿台所
ところが二条城は、というより京都や日本は、繰り返すがキーファー的主題とは無縁に思える。作家は2023年に「歴史は、酸がエッチングのニスに染み込むように私に染み込んでいる」と述べているが1、それはあくまで欧州の歴史である。広島や大田垣蓮月に関連した作品があるとはいえ、もしかすると惨憺たるミスマッチでは?…… という危惧は、幾分か的中しつつも全体的には杞憂に終わった。理由のひとつは圧倒的な力を持つ作品の見せ方である。
1 2023年アントニオ・フェルトリネッリ賞受賞記念講演

アンゼルム・キーファー「ソラリス」展示風景 Installation views of Anselm Kiefer: SOLARIS at Nijo Castle, Kyoto, 2025. Photo: Ufer! Art Documentary; Courtesy of Fergus McCaffrey.
キーファーの作品は、絵画にせよ立体にせよ、重厚な主題にふさわしく巨大で重くて暗いものが多い。ヴィム・ヴェンダースの『アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家』(2023)に登場する数々の代表作に見られるとおりだ。映画では南フランスの雄大な自然やパリ近郊の広大な倉庫に置かれていた作品が、二条城では二の丸御殿の台所や御清所など、木造建築の内外に展示されている。特筆すべきは自然光を最大限利用していること。白洲の上ではステンレス鋼や鉛でつくられた白っぽい、あるいは灰白色の立体が初春の陽光に映え、建物内部では黒や緑青色を基調とする絵画や、麦と砂を用いたインスタレーションが、白壁や、飴色の床板、柱、天井に柔らかく馴染む。

アンゼルム・キーファー「ソラリス」展示風景 Installation views of Anselm Kiefer: SOLARIS at Nijo Castle, Kyoto, 2025. Photo: Ufer! Art Documentary; Courtesy of Fergus McCaffrey.
特に近作絵画に多用されている金は——狩野派や尾形光琳を参照したというのは冗談かこじつけだろうが——近代的な人工照明よりも自然光と相性がよい。谷崎は「[金蒔絵などの]器物を取り囲む空白を真っ黒な闇で塗り潰し、太陽や電燈の光線に代えるに一点の燈明か蠟燭のあかりにして見給え」2と成金や似非モダニストを挑発しているが、さすがに世界遺産の重要文化財の中で火を使うのは憚られたのだろう。しかしキーファーは、物理的な制約を踏まえた上で見事な展示空間をつくりあげた。作品鑑賞に最適な空間設計は優れたアーティストに必要不可欠の能力であり、その意味で当然であるとはいえ、やはり賞賛に値する。
2 「陰翳礼讃」。『谷崎潤一郎全集』第20巻(中央公論社 1968年6月刊)p.530

アンゼルム・キーファー「ソラリス」展示風景 Installation views of Anselm Kiefer: SOLARIS at Nijo Castle, Kyoto, 2025. Photo: Ufer! Art Documentary; Courtesy of Fergus McCaffrey.
観客の危惧を拭い去り、展覧会を成功させたもうひとつの要因は、初日の内覧会で披露された田中泯のダンスである3。田中はヴェンダースの『PERFECT DAYS』(2023)に出演しているが、キーファー、田中、ヴェンダースは、奇しくも全員が1945年生まれ。だから第二次世界大戦中のドイツや日本の都市への空爆、広島と長崎への原爆投下の記憶を共有している。もちろん直接のものではなく、長じてから周囲に聞かされた後天的な記憶である。
ダンスが行われたのは二の丸御殿台所の前庭。西側に位置する台所の入口から見て北側に、観客が最初に目にする作品「ラー」(2012)が設置されている。高さ10メートル近い鉛と鋼鉄の立体で、上部には夥しい羽根が生えた両翼が、いま飛び立ち、羽ばたこうとする怪鳥の羽のように開かれている。翼の根もとの胴体に当たる部分は薄い円盤に抽象化されているが、ラーはエジプトの太陽神で「世界の創造者となる光の鳥」4であるから、つまりこれは日輪を表す「太陽円盤」5なのだろう。
3 会期中に、大友良英や原摩利彦が音を担当する「スペシャル・イベント」が開催される
4 ヴェロニカ・イオンズ『エジプト神話』(酒井傳六訳。1968/1988)p.61
5 同 p.39ほか

アンゼルム・キーファー「ソラリス」展示風景 Installation views of Anselm Kiefer: SOLARIS at Nijo Castle, Kyoto, 2025. Photo: Ufer! Art Documentary; Courtesy of Fergus McCaffrey.
展覧会名「ソラリス」はラテン語で「太陽」を意味する。スタニスワフ・レムが、アンドレイ・タルコフスキーが、J.G.バラードが、アレクサンドル・ソクーロフが連想される。
「ラー」は、ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』(1987)を想い起こさせもする。同作のドイツ語原題は『Der Himmel über Berlin』つまり「ベルリンの空」だが、英語題は『Wings of Desire』、フランス語題は『Les Ailes du désir』と、いずれも「欲望の翼」なのだ。

アンゼルム・キーファー「ソラリス」展示風景 Installation views of Anselm Kiefer: SOLARIS at Nijo Castle, Kyoto, 2025. Photo: Ufer! Art Documentary; Courtesy of Fergus McCaffrey.
翼と円盤は長い円柱に支えられていて、円柱の下部には蛇が絡みついている。エジプト神話の蛇は両義的な存在で、アペプという蛇は太陽神の前身にして「永遠の敵」6とされる。一方、聖なるコブラたるウラエウスは、基本的には力の象徴として神やファラオを守護する。キーファーは2017〜2018年に「ウラエウス」を制作・発表しているが、様々な文化において「蛇は非常に多くの象徴的な意味を持っている」7ことを承知した上でモチーフとしているらしい。ともあれ「ラー」の蛇は上に向かって頭と長い舌を伸ばしていて、その様はラーを恋い慕っているようにも、飛翔を妨げているようにも見える。二元論や矛盾や逆説の提示はキーファー作品の特徴であり、これもその一例だろう。大地から生まれ、大地を離れられず、大地をのたうつ蛇は、天翔る太陽に嫉妬しているのかもしれない。
6 ヴェロニカ・イオンズ『エジプト神話』(酒井傳六訳。1968/1988) p.84
7 https://gagosian.com/quarterly/2019/02/11/interview-anselm-kiefer-uraeus/
キーファー研究者のマーク・ローゼンタールによれば、キーファーは1980年代には「蛇を邪悪な生きものとしてではなく、聖なる血の流れる純潔な天使として賛美して」いたという。『メランコリア——知の翼——アンゼルム・キーファー』展カタログ(1993)p.162
青空を背景に翼を広げた「ラー」に向かって、田中泯の共演者、石原淋が南側から現れる。白い長袖のブラウス、白いレースのロングスカート、白い靴に身を包み、上体には黒い縄をきりりと締めている。北に向かってゆっくりと歩んだり、速度を速めたり、身を屈めたり伸ばしたりして、最後にラーの足下に——ということはとぐろを巻いた蛇の背中に——倒れ込む。ラーや蛇に庇護を求めに来たのか、あるいはラーや蛇の化身だったのか。
ややあって田中が登場する。黒地に白い蜘蛛の巣が染め抜かれた着物を着て、右手に鎌を持っている。前庭の南側で何かを刈るような素振りを見せ、一度は鎌を落とすが再び拾い上げ、刃で両眼を覆ったり、両手を上に挙げたりする。背後には、持続する低音の上にピアノのシンプルな音列が重なる、石原の手になる電子音楽が流れている。田中は、音が高まるのに合わせて石原の後を追い、追いつくと鎌を振り上げる。音楽はいつの間にか禍々しい飛行音や爆撃音に転じていて、鋭いホイッスルがときおり聞こえる。だが田中は攻撃を放棄し、鎌を再び地面に、今度は決定的に落とし、ふたりは太陽神を言祝ぐかのように両手を広げる……。

内覧会で披露された田中泯のダンスの模様。作品は、アンゼルム・キーファー 《ラー》 2019年 Photo: Tetsuya Ozaki
日本文化に親しんだ者は、誰しも「道成寺」を思い浮かべることだろう。インド神話に現れる蛇神ナーガは南アジア、東南アジア、東アジアにおいて広く崇拝されている。「道成寺」の蛇体がナーガに由来することは間違いないが、田中は遠来の盟友に敬意を表し、盟友の個展を東洋に接続するために、この演出を行ったに違いない。
だが、このパフォーマンスに鐘は存在せず、安珍と清姫は性別が逆転している。「道成寺」そのものではないのだからそれは当然だが、キーファーの作品と同様に、田中の踊りが常に多義的であることを忘れてはならない。「ソラリス」展には「モーゲンソー計画」と題する作品が展示されている。同計画は第2次世界大戦末期に提案された戦後ドイツ占領案のひとつで、ドイツをふたつに分割し、重工業を解体し、農業国家にするというのが骨子だった。ナチスのヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相は、発案者のヘンリー・モーゲンソー合衆国財務長官がユダヤ系だったこともあり、「ドイツを巨大なジャガイモ畑にするつもりだ」と非難した。
キーファーの作品はジャガイモではなく、小麦の畑に見立てたインスタレーションである。黄金色の麦穂の下、床に敷き詰められた砂の上には、鉛の書物、割れた陶製の壺、そして金色の蛇が潜められていた。2012年に遡るシリーズだが、いま観るとウクライナを、さらにはヒトラーとスターリンに蹂躙され続けた「血まみれの国々」8の悲惨な歴史を想起せざるを得ない。「モーゲンソー計画」と銘打ってはいるものの、2025年の穂はドイツのと言うよりもブラッドランドのものであり、田中泯が手にしていた鎌はウクライナの小麦を刈り取るためのものだったのではないか。鎌は、ハンマーと組み合わせれば旧ソヴィエト連邦のシンボルになる。その鎌が最後に打ち捨てられることの寓意はあえて記すまでもないだろう。
8 具体的にはウクライナ、ポーランド、ベラルーシ、バルト三国を指す。ティモシー・シュナイダー『ブラッドランド』を参照


アンゼルム・キーファー「ソラリス」展示風景 Installation views of Anselm Kiefer: SOLARIS at Nijo Castle, Kyoto, 2025. Photo: Ufer! Art Documentary; Courtesy of Fergus McCaffrey.
誰もが知るとおり、二条城は1867年に大政奉還が行われた舞台である。明治維新以降の近代日本がどのような道筋をたどったかはさておき、太陽神アマテラスの子孫とされる天皇に権力が委譲され、とりあえず内戦は回避された。パクス・トクガワーナの時代に戦がなかったことも含め、この城は、一応は平和の象徴と見なしうる。
その事実は「ソラリス」展では強調どころか示唆さえされない。キーファーには意外にもデュシャン的な面があって「見る方が解釈することが重要なので、絵画の半分は見る人のものである」9と語ったことがある。だからと言って、作品を観ただけで「ソラリス」展を大政奉還に結びつけるのは難しい。戦後80年を盟友ふたりとともに生きてきた田中泯は、デュシャンの言う「創造的行為」10が完成するよう、踊りによって小さな、しかし決定的なヒントを示したのである。
9 マーク・ローゼンタールおよび多木浩二との鼎談「芸術の力」。『ユリイカ』1993年7月号 P.63
10 デュシャンは「つまるところ、創造的行為はアーティストだけでは果たされません。鑑賞者が、作品の内なる特質を解読し、解釈することによって作品を外界に接触させ、かくして自らの貢献を創造的行為に加えるのです。このことは、後世が最終的な判断を下し、忘れられたアーティストを折々に復権させることによって、さらに明らかになることでしょう」と語っている。Marcel Duchamp, “Le voile de la mariée” in Duchamp du signe, edited by Michel Sanouillet and Paul Matisse, 1975/2008, p.67(拙訳)

アンゼルム・キーファー「ソラリス」展示風景 Installation views of Anselm Kiefer: SOLARIS at Nijo Castle, Kyoto, 2025. Photo: Ufer! Art Documentary; Courtesy of Fergus McCaffrey.
会期|2025年3月31日(月) – 6月22日(日)
会場|元離宮 二条城 二の丸御殿台所・御清所[京都]
開館時間|9:00 – 16:30[入場は閉場の30分前まで]二条城の最終入城は16:00、17:00閉城
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