
インディペンデント・キュレーターのロジャー・マクドナルドさんが提唱するアートを深く観察する方法「ディープ・ルッキング」について伺いながら、「アートは社会とどう接続していくか」を探っていく本連載。これまで、なぜ今観察が必要なのか、作品をじっくりみるときに鍛えることができる「ネガティブ・ケイパビリティ」、さらにアートの観察がもたらす「フロー状態」について伺った。アートを観察することで、現実を乗り越える力を得ることや、深いリラックス状態になることができることがわかってきた。
ディープ・ルッキングの全体像や歴史的背景、その効果について理解が進んだところで、今回はいよいよロジャーさんの案内で、プロトコルに沿ってディープ・ルッキングを体験してみる。
聞き手・文=福井尚子
『深い観察の準備』
——今日はこれからディープ・ルッキングを実際に体験します。その前に、どんな準備をしたらいいでしょう。
まずは落ち着いて、呼吸を整えましょう。美術館へ出かけるときは、電車を乗り継いで向かったり、道が混み合っていたりで、到着した段階でもう疲れてしまうなんてこともあるかもしれません。私自身これから2時間、何かを見ようというときには、美術館へ向かう電車の中で気持ちをオンにして、深呼吸をしてみたり、エクササイズをしてみたりします。
——そうして呼吸を整えて美術館の中に入り、絵をみるときには「作品に対して降伏するような態度で向き合う」というお話もこれまでにありましたね。
最初の5分、10分はまだ自分自身もたいてい落ち着いていない状態だと思うので、ゆっくりエントリーします。この時間は、向き合う作品に対しての「自己紹介」タイムのような感じですね。初めての人に会うときって少し緊張するじゃないですか。それで名刺交換などして、どこに住んでいますか?という軽い会話から始まって、少しずつつながりを発見する。作品に対してもそんなイメージで入っていきます。
『対話型鑑賞との違い』
——そうしてひとりで観察した後に、ディープ・ルッキングでは「書く」や「話す」という段階がありますね。会話をしながら見る対話型鑑賞とは、また異なるやり方と思いますが、具体的にどのように異なるのでしょう。
ディープ・ルッキングはまずは他人と会話せずに、個人的に静かに鑑賞する一方で、対話型鑑賞はモデレーターがいて、「あなたはどう思いますか?」と聞かれる。常に言葉の中で見るのが、対話型鑑賞の一つの重要なポイントだと思います。それはそれですごく意味があると思うんです。他者の意見を常に聞いているので、言葉によって自分の思っていたことがどんどん拡散されていくというか、思考の地平線が伸びていく。
一方ディープ・ルッキングの場合は、起こっているのは自分の中での会話で、これは瞑想に近いです。瞑想するときは、しばらく頭の中が混乱したような状態で思考がぐるぐる渦巻いていますが、そのイメージです。
ディープ・ルッキングの場合は作品という目の前にある物質に集中して、そこからの信号をいかに感じ取るかに重みを置くので、言葉というよりも、形、色、スケール感、あるいは作品が置かれている空間などから入っていって、だいたい4段階のステップを踏んで観察するなかで、自分の気持ちが動くことを感じます。

多津衛民藝館にあるディープ・ルッキングのためのコーナー
『 “メディア” を横断する』
——見た後に他の人とシェアする時間があるのもディープ・ルッキングの特徴ですね。
観察をしている間に、さまざまな感情の旅を経験するはずなので、それをまずは覚えているうちにメモします。覚えている瞬間や気付いたこと、「こんなふうに絵が見えた瞬間があった」など、なんでも良いのですがメモをする。そのメモを書いた後に、みんなで集まって、古い英語の言葉で「コロキアム」というのですが、丸くなって、お互いの体験を語り合います。
——そこで初めて、言語で表現するという作業にシフトするんですね。
ディープ・ルッキングの面白いところは、“メディア” を横断するところにもあります。見て、書いて、最後は話す。大きく3つぐらいの、“メディア”、つまり表現手段を横断してできる実践です。
“メディア” を横断することは、アンナ・ハルプリンさんというアメリカのダンサーのワークショップに参加したときに学んだことのひとつでもあります。彼女のワークショップでは、例えば、踊った後に、クレヨンを使って踊ったものを色で表現して、次はペアになってポーズをとって、今度は言葉にして、など、必ずさまざまな “メディア” を横断するんです。それは難しいこともあるのですが、自分の中のいろいろな回路が開く感覚があったので、参考にしています。
——コロキアムはどのような目的で行われるのでしょう。
同じ絵を同じ時間見ていた仲間の意見を聞くと、私には想像もできないようなことを考えていたとか、全然違う体験をしていることがわかることがあります。見ていた物体は全く同じだったけれど、そこから派生した枝がぜんぜん違う方向に伸びていたり、一方でクロスポイントもあったりする。それを発見しあうことを目的にしています。
——思い返してみると、普段アートをみたあとは「よかった」「わからなかった」という感想ぐらいで、何を見て何を感じたかを話すことは少ないような気がします。
子どもの頃はもしかしたら感情をベースに伝えるということができていたかもしれないけれど、教育システムのなかで育っていくと、「説明しなさい」「答えはなんだ」「まとめなさい」と意味づけの中にどんどん集約されていくことが多いですね。アートの鑑賞はそうしたものの見方を、自身の感情や内面から発想する見方へ少しでも戻そうとしているのかもしれません。
『ディープ・ルッキングはみんなのもの』
——日本は特に、そうした「意味への集約」への傾向の強さから、アートが少し遠いものに感じている人も多いのではないでしょうか。
日本の芸術や文化は、ディープ・ルッキングに近い要素もありつつ、遠いところもあるなと思っています。日本の伝統芸術は技術や技法が大事なところもあって、それを見る「目利き」もいるという、特殊な美学の世界でもあったと思うんです。例えば「人間国宝」と呼ばれる人がいて、庶民の生活とはかけ離れた、高尚な芸術文化のゾーンがあったのも事実だと思います。
そうした日本の歴史的な背景が、アートを遠いものにしている要素のひとつかもしれません。日本の中にまだある、アートへの壁みたいなものをどう溶かせるかというところに、ディープ・ルッキングにできることがあるように感じています。
価値は専門家にしかわからない、というのではなくて、だれでも目利きになれる、そのひとつのスキルがディープ・ルッキングだと考えています。ディープ・ルッキングのベースにあるのは、誰でもできる手法であるということ。基本的に誰でもアクセスできるべきだと思うし、そのためのスキルセットでありたいと思っています。
『ディープ・ルッキングを体験してみよう』
いよいよディープ・ルッキングをロジャーさんと一緒に体験します。作者やテーマ、タイトルなど作品についての情報は一切明かされない状態で始まります。

今回観察した作品はこちら
今回の実践は以下の流れで体験しました(一部ロジャーさんの著書『DEEP LOOKING:想像力を蘇らせる深い観察のガイド』の内容と異なる部分があります)。
座って深呼吸
3分ほどの時間をとって、呼吸を整えてリラックスします。次に作品に対して、自分なりにお辞儀をします。実際にやってみてもいいし、心の中でお辞儀をしてみても良いです。
(次からのステップ1〜4は、いよいよ作品に向かい合い、言葉なしで展開します。各ステップは5分程度。ベルの音を聞いたら、次のステップへ移ります)
1.自己紹介「はじめまして」
誰かと初めて会うときのような気持ちで。作品とちょっと距離をとっても良いです。名刺交換をするような、最初に出会うステップです。
2.距離を縮める
先ほどより作品に近づいて観察します。
3.否定する
一度近づいた相手(作品)を、否定します。物理的に見ないという方法も取れるし、見ながら想像の中で消していくという方法もあります。
4.再び戻る
もう一度作品を見ます。

4つのステップで作品と向き合います
(ここまで4つのステップで作品を観察した後、それぞれ自分の席に戻り、次のステップに進みます)
メモを取る
3分程度で観察の体験をノートに自分でメモします。各段階でどう感じたかとか、絵がどう見えたか、どこが面白かったかなど
コロキアム(対話の時間)
みんなで集まってテーブルを囲んで、メモしたことをシェアします。

コロキアム(対話の時間)
今回は4人で同じ絵を見ました。離れたところから見ていると砂の粒のように見えたものが近くで見てみると、無数の蛇の頭だったことに驚いたことや、大雑把に塗られているように見えるグレーの部分が気になったということ。コロキアムでは、いくつかのクロスポイントを見つけました。同時に、絵を見る順番や、絵から連想したことなど、近くで絵を見ていた人が自分とは異なる体験をしていたことも感じました。
最後にロジャーさんから、この作品について解説がありました。

The creation of the Universe : Vishnu and Lakshmi on Sesha, the cosmic serpent
c. 1770-75. Virginia Museum of Fine Arts Collection
この作品は、アメリカのバージニア美術館に所蔵されているインドの細密画の複製です。18世紀に描かれた作品と言われていて、画家は無名。ヒンドゥー教の神話の最も重要な宇宙誕生の瞬間が描かれています。
女性がラクシュミー、男性がヴィシュヌ。無の宇宙の中で何万年も眠っていたヴィシュヌを、ラクシュミーがマッサージをして、起こす。ヴィシュヌが起きると、そこに寝ている巨大な蛇も一緒に起きて、その破壊と再生でこの世ができる。簡単に言うと、そういう神話のシーンだそうです。
このグレーはおそらくインド神話のなかでは、何もない状態の宇宙空間というか純粋意識空間みたいなものなんですね。みなさんもそのパワーをなんとなく感じ取れたのかなと聞いていました。この作品が描かれたときには、宗教絵として描かれているから、とてもパワフルな瞬間で。だから、「意識の中から消そうとしてもなかなか消せなかった」とか、「怖かった」とか、みなさんからそういう思いが出てきたのはすごく面白いなと思っていました。
作品を外側から順に見たという人もいえば、全体的な空間として見る人も、感情から入った人もいる。その違いも面白かったですね。
——この絵の内容を知らなくても、深い観察によって、絵が表現したいことと近いことを感じているようです。「ディープ・ルッキングは、誰でも目利きになれるスキルセットである」というロジャーさんの言葉が思い返されます。
体験の中で私は、ステップ3の「否定する」というステップが難しく、時間がひときわ長く感じました。一緒に体験した人の中には、外側のモチーフが絵の全体を埋め尽くすことをイメージしたという人や、目を閉じてこの絵を消し去ることをイメージしたという人も。この否定するというプロセスにはどんな意味があるのでしょう。

今回の深い観察のプロトコル
ひとつ邪魔があることによって、それを乗り越えるという経験ができる。このプロトコルは、なめらかな体験にしたくないんですよね。私たちのほとんどの消費体験やマーケティングの体験ってすごく滑らかでわかりやすくなっている。このプロトコルはあえてそうしたなめらかな体験を乱すというか、混乱する要素をつくっています。スムーズではないサービスをつくることによって、そこから見えてくる何かや、感じる何かがあるのかなと思っています。
——また、同じスペースで4人の人が同じ絵を見ながら会話をしない、というのは、特別な雰囲気もありました。
同じスペースで4、5人の人が話もせず静かに20分一緒のことをするっていう体験自体あまりないじゃないですか。対話型鑑賞と異なる、不思議な緊張感が出ると思うんですよ。ベルが鳴ったら動くという、儀式っぽさもあると思うんですよね。現代生活ではない、儀式性もこのプロトコルでは大事なように感じています。
『深い観察を日常に取り入れるために』
——実践を経て、自分自身の状態をしっかり整えて実践することの効果や、他人と一緒に見ることの面白さを感じることができました。しかしプロトコルに則った方法を、日々の暮らしの中で実践するのは難しそうです。私たちはどのように深い観察を日常生活に取り入れることができるのでしょう。
プロトコルに沿った実践ができなくても、例えば10分や20分時間があるときに絵をみてみようかな、というのでもいいんです。どうしても美術館に行けないときには、手元にある本や美術館の公式サイトなどでもいいかもしれません。生活の中で習慣化していること、例えば朝はコーヒーを淹れるとか、お風呂でぼーっとするとか。そういうときにスマホでSNSなどに目をやらずに作品を見てみる。そういうことから始めることができるのではないでしょうか。
実践を経て、「ディープ・ルッキング」にまつわる連載もいよいよクライマックスへ。
次回は、深い観察——ディープ・ルッキングを私たちが実践していくにあたってそのヒントを「観察の先駆者」であるアーティストのひとりから学んでいきます。自らの創作活動に欠かせないファクターとして深い観察を取り入れ、生涯にわたって実践してきたアーティストならではの独自の知恵、深い示唆があり、観察がクリエイティビティを生み出すメカニズムを垣間見せてくれると期待できます。
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