2018年 フェンバーガーハウスでのワークショップ

「アートは社会とどう接続していくか」という問いを起点に、インディペンデント・キュレーターのロジャー・マクドナルドさんに、アートを深く観察する方法「ディープ・ルッキング」について伺う本連載。これまで、なぜ今観察が必要なのか、そして、作品をじっくりみるときに起こる、イライラやモヤモヤした感情と付き合うヒントとして「ネガティブ・ケイパビリティ」について話を聞いてきた。

前回ディープ・ルッキングを体験するためにロジャーさんに提示してもらった作品はキュビストの絵。難解という印象があったキュビズムだが、この目は、鼻は、口はどうなっているのだろうと眺めているうちに引き込まれ、あっという間に時間が経っていた。なるほど、複合的な視点から描かれたキュビズムの絵は、もしかしたら時間をかけて深い観察を行うのに最適なのかもしれない。

観察を続けていると、物事を言語で捉えていたところから、描かれているものの中にぐいっと引き込まれ、時間を忘れるような瞬間がある。このときに私の中では何が起きているのだろう。第4回は、深い観察の効果として現れる意識状態の変化「フロー状態」についてお話を伺う。
 

聞き手・文=福井尚子


『意識状態は伸び縮みする』


——前回は難解な絵を見たときに現れるモヤモヤした気持ちに耐える力「ネガティブケイパビリティ」について伺いました。今回お話を伺うのは、心身がある理想的な意識状態に達し、高いパフォーマンスを発揮できるようになる「フロー状態」。この2つはどのような関係にありますか?


著書『DEEP LOOKING:想像力を蘇らせる深い観察のガイド』の中では、この2つは並行する考え方として出しているのですが、難解な状態を通して、自分の意識を変性するという点では、共通点していると思います。


——「意識が変性する」とはどういうことでしょう?


ディープ・ルッキングのコアベースには、私たちの意識状態は固まっていないという考え方があります。意識は一種のスペクトラムの上に存在していて、センターがロジックや理性とすると、多くの人たちはこのセンターポイントのあたりを行ったり来たりしている。情報をきちんと理解できて、分析力があって、言語でコミュニケーションができるという状態です。

でも例えば今晩寝始めると、このスペクトラムがゆらいでくる。寝ている状態と起きている状態の狭間のゾーンを体験して、寝ると今度は夢のゾーンに入っていく。あるいは病院で麻酔を打たれた人たちは全然違う意識の体験をしていたり、お寺で坐禅をしているお坊さんはまた違う意識のゾーンを追求しようとしていたり。シャーマンや、もしかしたら今夜渋谷のクラブでめちゃくちゃ踊っている若者も全然違うゾーンに入っているかもしれませんね。

だから社会は理性に則っていると言いながらも、実は幅広い意識状態が常に周りで起きている、ということが大前提としてあります。


——「意識変性」というとすごく難しいこと、あるいは怖いことのように思っていたのですが、たしかに寝ているとき、あるいは夢中になっているときなど、意識が通常と違う状態にあると言われるとなるほど、と思います。


意識はスペクトラムの上に常にあって、伸び縮みをしているんです。絵画、音楽、ダンスなどに関わるアーティストたちはそれを知っていて、その中で調整しながら作品づくりをするということがあると思いますね。また、アーティストでなくても、コツコツと日常生活を送っている人の中でも、意識状態は変わっています。

1960年代にはアメリカで心理学をベースに潜在能力を開発する「ヒューマン・ポテンシャル運動」が立ち上がり、むしろ一番クリエイティビティを発揮できるのは意識が変性しているときではないか、とフロー状態が着目されるようになりました。






『ベストなパフォーマンスを発揮する状態』


——フロー状態というのは、具体的にどのような状態でしょう?


フロー状態というのは、心理学者のミハイ・チクセントミハイが1990年に著書『Flow: The Psychology of Optimal Experience』(邦訳は『フロー体験:喜びの現象学』今村浩明訳、世界思想社、1996)の中で提唱した概念です。ベストなパフォーマンスを発揮するための最適な意識状態がフローであるという考え方で、フロー状態の定義はSTERと言われています。

S=Selflessness。エゴや「私」という感覚が薄くなっていく感じですね。

T=Timelessness。時間の感覚がなくなる。例えばスポーツの練習に深く集中しているときに、3時間があっという間に経ったというような感覚があるかと思うのですが、そのように時間感覚が変化する。

E=Effortlessness。頑張る気持ちから解放されて、流れるように進む。

R=Richness。情報やひらめきが降りてくるとか、知恵が急に浮かんでくるとか。

また気持ちだけではなく、実際科学的な観点からも、例えばドーパミンやセロトニンなどの神経化学物質が放出されて、脳の中に変化が起きているということもどんどんわかってきているそうです。


——1990年に本が執筆されたということは、比較的新しい研究なのですね。


心理学のフレームワークではそうですが、宗教学を勉強してきた私からすると、これは実は古代から人間が体験してきた意識状態だなと感じます。あらゆる宗教の中でこうした体験はずっと実践されてきていて、例えばヨガだけを見ても、この4つは完全に組み込まれていますよね。

2017年 フェンバーガーハウスでのワークショップ



『意識変性を促す経済活動』


——たしかに坐禅や瞑想にもSTERの4つの概念が組み込まれているように感じますね。近年はビジネス界でもフロー状態は注目を集めているとのことですが、どのような研究がされていますか?


とりわけアメリカでは2010年以降フロー研究に高い関心が寄せられています。2017年にはフロー研究者であるスティーヴン・コトラーとジェイミー・ウィールが『Stealing Fire』(邦訳『ZONE シリコンバレー流 科学的に自分を変える方法』野津智子訳、大和書房、2018)という本を出版しました。

彼らの本を読み返していて面白かったのは、「意識変性経済があるのではないか」と書いていることです。つまり、心の変容や意識の変性を促す経済活動を指す経済ゾーンが私たちの社会の中にあるのではないかと指摘しているんです。


——具体的にどのような経済活動でしょうか?


例えばアルコール産業は完全にそれですね。他には、タバコ、コーヒー、処方薬、セラピー、カウンセリング、フロー状態を促すスポーツ、ビデオゲーム、ギャンブル、クラブカルチャー、VR産業、IMAXシネマ、ポルノ産業、ソーシャルメディアなど。没入感を高めるものや、ドーパミンの増加を促すものですね。

その視点から経済活動を眺めると、アメリカだけで4兆ドルの規模が意識変性経済にあると言います。これはイギリスやインドのGDPより大きくて。その規模の経済が私たちの意識や心を変容しようとしていると思うと面白いですよね。


——「意識を変性するもの」という視点で経済活動を眺めてみたことがなかったので新鮮です。近年VRやSNSなど、ますます「意識変性経済」が拡大しているようにも感じますね。


そうですね。著者のコトラー&ウィールも「だからフロー状態やパフォーマンスを発揮できる最適な意識状態を作り上げていくということは、企業の競争の中で、アドバンテージを作る最適な一つの方法ではないか」と、本の中でプレゼンしています。






『フロー状態をつくるためのアプローチ』


——コトラー&ウィールは、フロー状態をつくるために具体的にどのようにアプローチしているのですか?


彼らは主にアメリカ軍やGoogleなどの大手企業などでフロー状態ワークショップを展開しています。

アメリカ海軍の特殊部隊の「ネイビー・シールズ」では、フロー状態を促す訓練を超エリート兵士たちと一緒に行っています。4人でミッション行うときは4人の間で共同のフロー状態を作り上げていったほうが、誰もダメージを受けずに帰ってくることができるらしいです。なんだかまるで忍術の延長のようにも感じられますね。

またGoogleの中にフローキャンパスのようなものを設置して、プログラムを立てて、睡眠状態や食や水分補給の状況などを追跡しながら、6週間ほど特殊な訓練を行うということをしたそうです。例えばブランコのような装置を作って、自分がコントロールできない状態まで体がスイングするなど、そうした特殊な訓練をしながら、ヘッドギアをつけて、データをとりました。そのプログラムを受けた社員はすごく仕事がしやすくなったとか、生産的になったとか、新しいアイデアが出やすくなったという結果が出たそうです。


——身体的にアプローチをしていくんですね。


コトラー&ウィールはエクストリームスポーツの出身なので、そういう要素も多いですね。彼らがやろうとしていることは、今まで限られた人しかできなかった、例えば宗教で修行をするだとかそういう体験をプロトコールに落とし込んで、誰でもできるように民主化したということだと思います。






『アート観察とフロー状態』


——フロー状態をつくるアプローチの一つとして、深い観察が役立つのではないか、というのが、ロジャーさんが著書で言われていることですね。


そうですね。コトラー&ウィールのやり方は、体や意識を激しい状況に持っていくことでフロー状態を作っていくというモデルで、すごくアクティブなフローの促し方だと思います。

ディープ・ルッキングやアート鑑賞は、アクティブに対して、パッシブなフローの作り方かもしれません。むしろ瞑想に近いようなやり方です。作品という視覚的情報を通して、自分の身体性を再確認する。そうしたループから始まる意識の変容なので。アクティブなフロー作りとパッシブなフロー作り、どちらが良い悪いというよりも、無数のアプローチがあるのかなと思います。


——前回のインタビューで、「アーティストも作品に対して降伏するような態度でいた(だから鑑賞者もそれに寄り添う態度で作品をみても良いのではないか)」というお話が印象的でした。アーティスト自身も作品をつくるときは、意識を変性させているのでしょうか。


そう思いますね。もちろんすべてではないと思いますけど。文献を読んでいると、ゴッホやセザンヌなど、なんらかの形で最適な状況を作り上げる儀式というかリズムづくりがある人もいますね。一方で飲んで酔っ払って描くという、ジャクソン・ポロックや中国の山水画の絵師の中にもそういうアクティブなタイプもいます。

あるいはミロは、20歳ぐらいのときにパリにやってきて、全然画家として売れていないときに、ほとんどお金がなくて餓死寸前になるというエピソードがあって。そのときの餓死状態で現れた幻覚症状がミロ作品のベースになっているという研究もあります。

私たち鑑賞者も、こうやって作品をつくった画家に少しシンパシーを持って、ソフトに心や意識を変容して作品を見ることで、もしかしたらこれまで全然みえていなかったものがみえるのではないかと思っています。


——「ゴッホやセザンヌはすごい画家だから、素晴らしいものとして作品を見なければ」とこれまでは焦点が固定されていたような気がします。ディープ・ルッキングの方法で見ることで、同じ人間が同じように意識を変容させる中で描いたものなんだと思うと、鑑賞も楽しくなりそうです。


そうですねよね。リスペクトしながらも、良い意味で同じ人間だという意識でみることはできるかもしれませんね。

2023年 フェンバーガーハウスでの「ディープ・ルッキング」ワークショップ



『フロー状態を支える場のあり方』


——アーティストの変性意識の聖地として「モンテヴェリタ」のことも、著書では触れていますね。


20世紀のはじめは、キュビズムやシュルレアリスムなど、新しい表現方法が次から次へと生み出されてきて、ヨーロッパの絵画やアートのひとつの黄金期とも呼ばれる時代でした。そういう活気にあふれた状態を支える場もあったと思います。

イタリアの山奥にアーティストのコミューン、「モンテヴェリタ(真理の山)」がありました。1900年にベルギーのビジネスマンとその妻がお金を投資して、新しい文化が生まれる拠点をつくろうと作った村で、クリエイティブな詩人や作家、アーティスト、ミュージシャンなどを集めました。

いち早く、例えばベジタリアンの食や、服を着ないヌーディズムという考え方も実践していました。当時はまだまだ活気があったアナーキズムやフェミニズムの原点もモンテヴェリタにはあったと言われています。画家のパウル・クレーや思想家のルドルフ・シュタイナー、心理学者のカール・グスタフ・ユングや、近代ダンスをつくったマリー・ヴィグマン、ダダイズムの重要な作家たちも集まっていました。私から見ると、モンテヴェリタはおそらくコトラー&ウィールがGoogleでやろうとしたような、フロー状態を促すキャンパスを1900年に作り出していたと思うんです。人間のフロー状態を促す、自由な実験の場が当時すでにできていた。そういう意味で、今注目されているフローワークショップの原型は、アートの文脈では100年以上前からあると言えると思います。


——とても面白い見方ですね。モンテヴェリタという場ではどのようにアーティストたちのフロー状態を促していたのでしょう。


普段の生活に対してオルタナティブであり、はじめてその場に足を踏み入れると、とてもショッキングだったと思うんです。当時のヨーロッパは今と比べるとたぶん保守的で、秩序がきちんとあったけれど、モンテヴェリタに入ると、ヌードで歩いている人がいたり、裸のダンサーが儀式をしていたり、肉は食べなかったり、反戦運動をしていたり。はじめはそこに入ることにものすごい葛藤があるけれど、だんだんコントロールする力や規律への意識が弱まっていって、自分もそこに入っていく。その空間にいることが、意識の変性を促してくれるんだと思います。


——なるほど。場の状態が意識の変性を促してくれるのですね。現代でもそういう場所はあるのでしょうか。


ロックのコンサート会場やクラブ空間というのは、もしかしたらそういう空間を目指しているのかもしれないですね。小さなレベルではアーティストのアトリエでもそうした実験的な生き方を促す場は起きていると思います。でも数十人や数百人の人たちが一度に体験できたということが、モンテヴェリタでは特別だったかもしれません。


——そう思うと音楽のフェスを山の中で行ったりするのも、関係があるような気がしますね。そうした規制だけではない、リラックスした空間が街中の美術館にもあるといいですよね。


そうですよね。意識はスペクトラムの上を常に伸び縮みしているんだということをベースに美術館を考えてみると、全然違う空間づくりや運営の仕方がみえてくるなといつも思います。

理性的な言語の世界にいて、学びに来る人がペルソナだと思っている限り、美術館の運営や形は変わらないですよね。意識の変性を求めている人をペルソナにしたら、寝てもいいということを前提に、美術館の一部屋にベッドがいっぱいあってもいいんですよね。イスや床に座って瞑想してもいいですし。またはひとつの部屋に行くとダンサーがいるとかあっても面白いじゃないですか。

美術館って自由と訴えながらも少し限定的な空間であるというのはいつも感じていますね。ビジネスの世界でさえ、理性や言語の外のところまで今注目しているのだから、意識を変性する行動のひとつとしてのアートを取り戻せるといいなと思います。


——ロジャーさんが運営している私設美術館「フェンバーガーハウス」は、そうした意識の変性を促す場ということも念頭において運営されていますか?


そうですね。例えば6時間の鑑賞プログラムにするとか、ディープルッキングの時間や音楽鑑賞の時間、一緒に食事する時間を設けたり、少人数にしていたり、少し小さな規模で実践していますね。民藝館でもできるだけそういう要素を取り入れながら、公共的な館の中でどのようにできるだろうということはまさにトライしているところです。

2023年 フェンバーガーハウスドームでの鑑賞



アートの深い観察は、フロー状態を促し、私たちの日々の活動における生産性も高めてくれる。こうしたことが気軽に体験できる場が街中に増えたらどんなに良いだろう。



これまでのインタビューでは、なぜ観察が必要か、私たちはどのような態度で作品に向き合うことができるか、そして深い観察によって鍛えられるネガティブケイパビリティや、到達することができるフロー状態についてもわかってきた。次回は、ロジャーさんの案内で、プロトコルに沿って実際にディープルッキングを体験してみる。






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インディペンデント・キュレーター
NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ(AIT)

ロジャー・マクドナルド