DIC川村記念美術館外観 撮影:渡邉修

藤原ヒロシは、いつ、どこでアートと出会うのか? 彼のテイストを探りながらアートを追う連載「art (not art)」。第1回は、3月いっぱいで現在の地(千葉・佐倉)での活動を休止することになったDIC川村記念美術館へ。とりわけ20世紀のアートに好きなものが多いように思える彼に、あらためて行っておこうと提案した。そこで語ったのは、一つの美術館がなくなるセンチメンタリズムではなくて、美術館に何を期待するのかという話だった。

——今年の3月いっぱいで休館することが発表されたDIC川村記念美術館で現在開催中の、同美術館過去最大となる館蔵品展「DIC川村記念美術館1990–2025作品、建築、自然」を一緒に見てきたわけですが、この美術館にはこれまで何度もいらっしゃっていると思います。中でも一番印象に残っている展覧会ってなんですか?

藤原ヒロシ[以下:F] サイ・トゥオンブリーの写真展(「サイ・トゥオンブリーの写真―変奏のリリシズム―」2016年)が良かったですね。

鈴木芳雄[以下:S] あれは良かったですね。

F 確か、近い時期に原美術館でもトゥオンブリーの展覧会(「サイ トゥオンブリー:紙の作品、50年の軌跡」2015年)があったんですが、写真の方はこちら(DIC川村記念美術館)で展示されて。それが印象に残っています。

「サイ・トゥオンブリーの写真―変奏のリリシズム―」カタログ 2016年

——「DIC川村記念美術館」とは、どんな美術館だと言えますか?

F なんだろう。“ザ・美術館”という感じですかね(笑)。でも、そもそも日本で、これだけの規模で公営ではない美術館は他に幾つもないと思うんです。

S まさにそうで、日本国内でたとえばアメリカの抽象表現主義の作品がこれだけ揃っているのはここだけ。国立国際美術館にも多少はあるけど、それより多いですよ。

「DIC川村記念美術館1990–2025作品、建築、自然」展示風景 110室 版画、写真、ドローイング

「DIC川村記念美術館1990–2025作品、建築、自然」展示風景 201室 フランク・ステラ 

F そういう意味では、DIC川村記念美術館は個性のある美術館と言えますよね。ただ、良くも悪くも時間が止まっているという印象もあります。例えば、2000年以降に制作された作品は、あまりないようだし。

——結果、それが“アメリカの抽象表現主義に強い美術館”という個性にもなっていた。

F だから、日本では数少ない個性やオリジナリティを持った美術館だとは思います。ただ、僕らの世代だとギリギリ同時代を感じさせる作品もあるけれど、若い世代にとっては、昔のアートばかりを集めているように思えるかもしれない。良い意味で、古き良き美術館という感じですね。

S 川村家の先々代がこの美術館を1990年に作ったんですが、当時の流行りと言うとおかしいけれど、その頃に美術品としての地位が確立されたアメリカ抽象表現主義の作品を集中的に収集したというところがあるかもしれませんね。特に多いフランク・ステラの作品は先代の収集だそうです。ミニマルペインティングはいいけど、立体のは個人的にはちょっと…。あと、母体のDICはインクの会社じゃないですか。一般的に言って、美術作品って印刷の再現性に挑戦するにはいい素材だと思います。同様に印刷会社は毎年、美術作品を掲載した力のこもったカレンダーを作るのが慣例だったり、美術作品の画像貸し出しを業務にしている会社もありますね。

F コレクションを時代に合わせてアップデートしていこうということには、あまり積極的ではなかったんですかね? 

S 美術館のコレクションの作り方って、いくつかパターンがあって、例えば各時代の代表的な作家の作品を一点ずつ集めていくやり方もあるじゃないですか。美術史をある程度網羅しよう、みたいな。でも、ここ(DIC川村記念美術館)はそうではなくて、マーク・ロスコにしても一点だけを持つのではなく「ロスコ・ルーム」と呼ばれるような空間を埋める形式で展示するという、そういう感じですよね。21世紀の作品もありますけど、極めて少ないです。

DIC川村記念美術館「ロスコ・ルーム」 © 1998 Kate Rothko Prizel & Christopher Rothko / ARS, New York / JASPAR, Tokyo G3822

F そういう感じがしますよね。20世紀の美術館、という。

S それは、21世紀的なデジタルメディアではなく、20世紀のメディア= 印刷 の技術を極めようとした企業が母体であるから、とか言うとDICの人に怒られるかな(笑)。

F 人の捉え方ではあるけれど、ロスコにしてもステラにしても、僕らの世代までは、同時代のアートと言えなくもないじゃないですか。でも、僕らの次の世代にとっては、これをコンテンポラリーとは感じないでしょうね。

S 確かに。だからなのか、僕はこのDIC川村記念美術館や国立国際美術館に行くと、“我らのアート”っていう感じがするんです(笑)。国立国際美術館は大阪万博の1970年に出来たんですが、当初から、その当時の“同時代の美術”を中心にしていこうということで作られた美術館でしょう。

F 国立国際美術館のセレクションは、ここ(DIC川村記念美術館)と似ているんですか?

S 似ているところもあると思います。DIC川村記念美術館は1990年の開館ですが、オープンの構想は70年代にスタートしたのでしょう。そして、80年代後半はバブルの時期ですよね。

——両美術館とも第二次大戦の敗戦後、高度経済成長からバブルへと経済的な豊かさを手に入れるなかで、日本人の抱いたアートへの“憧れ”が反映されているのでしょうか。

S そうかもしれない。そして、2010年に開催された開館20周年記念の展覧会は、バーネット・ニューマン展だったんですよ。

F 今回の展覧会では、バーネット・ニューマンの作品はもう無く、何も展示されていない部屋だけがありましたね。それも面白かったし、僕はリチャード・ハミルトンやロイ・リキテンスタインの作品が好きだったけれど、ただ、実際に収集していた人の意図は別としてやっぱり、ある世代の人たちにとっての憧れの作家が中心のコレクションだったんだろうな、という印象は持ちました。

「DIC川村記念美術館1990–2025作品、建築、自然」展示風景 200室 撮影:高橋マナミ
バーネット・ニューマン作品の不在を見せる展示

リチャード・ハミルトン 《室内(ステート)》 1964年 DIC川村記念美術館蔵 © R. Hamilton. All Rights Reserved, DACS & JASPAR 2025 G3822

ロイ・リキテンスタイン 《鏡 #1》 1972年 DIC川村記念美術館蔵 © Estate of Roy Lichtenstein, New York & JASPAR, Tokyo, 2025 G3822

S そうですね。特に今回の展覧会は館蔵品展だったから、余計にそう見えたかもしれません。でも、一方で企画展では、ゲルハルト・リヒターだったり、サイ・トゥオンブリーだったり、あるいは、突然、五木田智央の展覧会もあったりして、ビビッドな美術館として存在していたと思うんです。

F やっぱり、美術館が“ヴィンテージ”を集めただけの場所になってしまったらつまらないと思うんです。国内の地方の美術館なんかだと、それぞれに良い作品があっても、ただ漫然と並んでいるだけで見づらかったりする。それをキュレーターがちゃんと新しいものと古いものを混ぜたりして見せると、より作品の良さが伝わってくると思うんです。古いものに少しプラスアルファするだけで、違ってくるんじゃないですかね。

S そうそう。そして、その“プラスアルファ”を継続する力が大切だと思うんですよ。「美術館、出来ました」って言って、それで開館当初はとりあえず見に行こうという人がいても、すぐに飽きられてしまってはね。そこを、またコレクションが増えることによっての新陳代謝みたいなことがあれば、美術館は“生き続ける”んだと思うんです。

F そのためには、面白いキュレーションが必要ですよね。時にゲストキュレーターを招いたりとかもありだと思います。

聞き手・文=鈴木哲也[編集者]


[附記]この取材の後、DIC川村記念美術館と国際文化会館は、同美術館の規模を縮小し、コレクションを千葉・佐倉から東京・麻布十番の国際文化会館に移転することに合意したと発表。中でもマーク・ロスコの「シーグラム壁画」7点は国際文化会館が建設する新西館に移設されるという。一方、DIC川村記念美術館を所有するDIC株式会社の主要株主のひとつである香港の投資ファンド、オアシス・マネジメントは、そうした美術品移設を不適切な資本使用と見なし、株主利益との明確な利益相反があると主張。また、企業体と創業家の関係に異見を呈している。

DIC川村記念美術館 1990–2025 作品、建築、自然

会期|2025年2月8日(土) – 3月31日(月)
会場|DIC川村記念美術館
開館時間|9:30-17:00[入館は閉館の30分前まで]
休館日|月曜日[ただし3月31日は開館]
お問い合わせ|050-5541-8600[ハローダイヤル]

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